久々知兵助 エディグルースキンパロディと書いてヤンデレと読む本編がもはや🔞と🔞Gなのに全年齢版を謳っていることはさておき、エディグルースキンパロを考えていきましょう。と言いたいところですがまず久々知兵助について掘り下げをしないとヤンデレは成り立ちません。第一回目の久々知兵助を考えるの会です。
議題1「久々知兵助はなぜヤンデレが映えるのか?」を語ろうとしましたが下の文章書いてた4分後あたりででキレたので議題名を変えます。
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議題1'「豆腐のせいで本題に進めない‼️」
おそらくですが、読者やファンの方は豆腐への熱意は彼の好きに対するアウトプットなのだと考えております。アホみたいに豆腐を大量に作る。それを周りに食べさせてくる。美味しい豆腐料理を作りたい、豆腐を作りたいというポリシーの許(もと)にです。形容される言葉はまさに豆腐地獄。食っても食ってもお出しされる白い悪魔。📛👹
おそらく久々知兵助さんが目をつけた豆腐ってのが食べ物だったのがいけないのかもしれません。彼は夢想家・芸術家気質で孤独な世界観の中で溺れてるで有名な魚座の男です。こりゃ豆腐を芸術だと思って作品作りの一環として作っていやがるぜ‼️
鍛錬の中でずうっっっといっしょに1人で訓練する久々知兵助を見つめていた(豆腐に自我を持たせるな‼️)豆腐。親と一緒に過ごしたい時期の久々知少年(でもなぜか幼少期の久々知少年はなぜかぼんやりしていて人見知りはしても親にもそこまで興味持ってなさそうじゃないかと考える)はちょうど12〜13に来るであろう心理学的なアイデンティティの確立に一役買いそうな豆腐が忍び寄ります。ーーーー白い闇が迫るーーー。忍たま入学まで数年間豆腐を鍛錬の道具として使っていましたが入学2年後あたりの3年生あたりでおそらく爆発しました‼️そう豆腐は久々知兵助のアイデンティティになるのです‼️1人の鍛錬の時間は最も孤独な久々知少年の時間、そこにたまたま父親に持たされたお豆腐。10歳までの久々知兵助少年の孤独に寄り添ってしまった豆腐。おそらく事故。幼少期は広い山で寸鉄を振り回し、忍たま時代は親元を離れて訓練をする久々知少年。そばには豆腐。そう彼には親も友達もいたけど何も喋らない、でもそばにいてくれた豆腐がいた。これはもはや「豆腐があれば俺はなんでもいい。俺の心の隙間を埋めてくれたのは豆腐‼️これは俺の青春で芸術で愛なんだ‼️だから俺は至高の豆腐が作りたい‼️だって俺はこの豆腐に支えられてきたんだから‼️」状態。
ここで一区切りつけて筆休めする前に言わせてください。
豆腐に勝てるわけねえよ!バーカバーカ