成長と性徴「今日の講習会、どの辺まで起きてた?」
オレンジ色の夕日が差し込む部屋で、どこかこわごわとゴウが俺に聞いてきた。
サクラギ所長の方針で、スクールに通わないトレーナーのための講習会に今日は一日詰めていたのだ。大教室で一方的に説明される授業は退屈で、前半はともかく、講義の後半では俺はアクビを連発していた。
「起きてはいたんだけどな」
額に人差し指をあててうっすらと残る記憶をたぐり寄せる。
今日のテーマは"ヒトの成長と変化"。外見でわかりやすく進化するポケモンとは違って、ヒトは徐々に成長して変化するというのが主題だった。
ただ背が伸びるだけでなくてひげが生えるとか、声変わりするとか言い出すので、なんだかとても遠い話に思えた。そういうのは、ずっと大人の話だと思っていたから。
俺がそう言うと、ゴウはうんと気のない返事をして黙ってしまった。
「…卵の話は、聞いてた?」
聞いてた。女の人と男の人、それぞれが卵の元を持っていて、二つが出会って初めて命をもった卵になる。ポケモンの卵とは違って、人間は女の人からしか生まれないし、卵からでて、赤ちゃんになって生まれてくる。お腹に入れたまま、出産まですごく時間がかかるんだって。
レイの事を思い出しながらぼんやり聞いてた。
「俺、嫌だ」
ゴウが俯いたままそう言った。落とされた言葉はゴウが何かに傷ついていることを想像するのに充分なほどに沈んでいて、痛々しくて息が止まりそうになった。
ゴウが自分の胸に手を置いた。灰色の服の下に隠されている胸の膨らみが顕わになる。ゴウの体は女の子になってしまったんだと、それを見た今になって思いだした。
「今でも、俺、こんななのに。このまま成長したら、子供を産めるようになっちゃうんだ…」
胸に当てられたゴウの左手が、震え出した。
「俺、すごく怖い。せいりって、女がなるものなのに、このままだときっと俺にもきちゃう。胸も大きくなって、多分ぱっと見で『女だな』って思われちゃうんだ。俺は俺で、何も変わらないのに、周りはそうは見てくれなくなる。どうしたらいいと思う?すごく怖いんだ。女になるんだって思うと、大人になるのが怖くなる。誰かと結婚して、幸せに暮らしてって、そういうの要らないから!俺を俺のままにしておいて欲しい!誰も俺に気付かないで欲しい!このまま消えちゃいたい!…って…思っちゃうんだ…」
一息に吐き出すと、いつの間にかゴウは自分の体を抱きしめていた。椅子に座ったまま、小さく小さく体を窮屈に丸めて本当に消えてしまいそうで。怖くなって俺はゴウをまるごと抱きしめた。本当に消えちゃいそうで、消えちゃわないで欲しくて、どうすればゴウをつなぎ止めておけるのかわからなくて。
「何で、サトシが泣くの」
鼻をすすったせいで、ゴウに泣いてることがバレてしまった。赤くなってしまった目に光る涙をふき取ると、ゴウが口元だけで笑った。
「俺は、ゴウに消えて欲しくないから。いなくなって欲しくないんだもん」
答えると、ゴウの口元がフルフルと震えた。食いしばるように強く引き結ばれると、ニット白い歯を覗かせた。
「うん」
わかってる。本当は、ゴウも消えちゃいたい訳じゃない。一番の望みは男に戻ることで、多分二番目は女にならないことなんだ。
「ありがとう、サトシ」
ごめん、ゴウ。どうすればいいのか、俺にもわかんない。
コツンと額を合わせる。ゴウの笑顔が消えちゃいそうで怖くて、もう一度抱きしめた。俺の胸に顔を埋めたゴウの指先が俺の背中に添えられる。
「俺は、ゴウが好きだから。男でも、女でも、変わんないから」
強い口調になってしまった。自信があるのはそこだけだから。
「うん」
胸の中で、ゴウが笑った。