0:00 New Year 離れたところから眺める、仲睦まじいブラッドショー家が好きだ。
――新年まであと10分を切りました!
気温は3℃を下回るというのに、年越しを祝おうと人々が集中したイベント会場は熱気が溢れていた。
手袋をはめた手のひらを意味もなく擦り合わせたり息を吹きかけたりして寒さを紛らわす格好をとる。ひんやりとした空気が頬を刺すけれど、その痛みは騒がしさで少しばかり和らげられている。そこかしこに聞こえる談笑。ホットスナックを片手にきゃあきゃあと甲高い声でおしゃべりする女の子たち。ハグをして腕時計を確認する親子。指先を絡めながら耳元で愛の言葉を紡ぎ合う恋人たち。彼らは、会場の熱気以上にあたたかさを感じているのかもしれない。
「マーヴ」
スエード生地が柔らかく頬を撫でる感触に反射的に肩を揺らす。背後から回されたグースの腕が、その手の甲で触れたのだった。
「グース? どうした?」
先程までグースがいたはずの場所にはいつの間にかキャロルとブラッドリーしかいなくて、周囲を観察していた僅かな間にこちらに移動してきたのだとわかった。
「どうした、はこっちのセリフだ。なーに一人で離れてんだよ。迷子になるぞ」
「なんねーよ」
だって、おれはずっとお前を目で追っているのに。
とは思うものの、つい今しがた不意に目を離した事実があるものだから、その言葉は口を噤んでやり過ごした。嘘ばっかり。どんな事情があっても、そんなことを伝える勇気もないのに。
――あと5分です!
「グース、おれはいいからキャロルとブラッドリーのところに行けよ」
「花火見るだけなんだからここで見てもいいだろ」
「そりゃ……そうかもしれねーけど」
もごもごと口籠ったのは、新年へ向けたカウントダウンをするブラッドショー家を既に夢想していたからだ。年越し花火の瞬間の、幸せに満ち溢れた一家を。
「何? 俺がいたら邪魔?」
「そうは言ってないだろ。家族で過ごしたらいいのにって、思っただけで」
幸福に満ちた家族を見るのが好きだ。歓喜に叫ぶ人々を。果報な人々を。
この世界にはちゃんと幸せがあるのだと感じられるひとときに、心が満たされていく。
「……誘ったの、迷惑だったか?」
「だから、そうじゃ……」
「俺は、お前と一緒に年越しを過ごしたいから誘ったの」
突然の告白に得も言われぬ高揚感が腹の奥から沸き立つ。次いで「キャロルもブラッドリーもお前に会うの楽しみにしてたしな」と続いた言葉が浮足立つ心に多少の冷静さを取り戻させた。
ブラッドショー家という憧れを絵に描いたような家族の一員として年越しを過ごす贅沢が、抱いてはならぬ感情に蓋をする。
――あと3分!
「おれも、皆と過ごせて、嬉しい」
いつものように笑顔を作る。無意識だった。いつからか染みついた笑い方。グースの前ではあまり披露することがないその笑みを、何故だか今この瞬間に浮かべたのだ。
「だったら、そんな顔すんなよ」
「……どんな顔だよ」
後ろから抱きしめているグースには見えていないはずなのに。おれが、どんな顔をしているのかなんて。
「俺の前で、寂しそうに笑うなって言ってんだ」
――2分!
「は? 寂しくなんか、」
「あぁ、そうだ。俺がいるんだから、寂しくなんか、ないだろ」
ぎゅう、と強くなった腕の力に、思わずキャロルたちの方向を視線だけで窺った。動揺を悟られないように。誤解を生まないように。たとえ見られていたとしても、こんなの、何でもないハグだから。
だって、何でもなくないって思ってるのは、おれだけだ。
「……寂しくねーよ」
――1分!
せめて、きつく抱きしめる腕に触れるのは許してほしかった。
――30秒、
それきり俯いてしまったおれの体を預けさせるようにグースの胸に抱かれる。
あぁ、嫌だ。なんで、こんなことを、するんだ。
おれは、グースが、お前が、家族と幸せそうに笑う瞬間を見るために、ここにいるのに。
――10、9、
今更悪あがきは出来なくて、「花火、上がるぞ」と耳元で囁かれた声に顔を上げる。朱が射した頬の色を隠すのに、花火の光はうってつけだ。
――5、4、
どうしようもないのだ。
視界の端でキャロルとブラッドリーも空を見上げている。
グースも、同じ空を見ているんだろう。
――3、
――2、
あぁ、まさか、年越しの瞬間を、グースの腕の中で過ごすなんて。
――1、
「ハッピーニューイヤー。マーヴェリック」
心臓を揺らす爆音。キラキラと散る眩い光。鼻腔に届く硝煙の匂い。
頬に押し付けられた柔らかさ。その上を僅かに擽る感触は、よく知った口髭、なのかも、しれない。
解放したおれの背中をポンと一押ししたグースが、笑顔を振りまいて飛び跳ねるキャロルたちの元に小走りで駆けていく。
少し離れたところからよく通る高い声が「マーヴェリック! ハッピーニューイヤー!」と新年の祝いを叫ぶのを耳にして、同じように「ハッピーニューイヤー、キャロル! ブラッドリー!」と新しい年を祝いながら、グースの背中を追いかけた。