お見舞いネフィリム まさか見舞いに来るとは思わなかった。
母親から聞いた話によると、バーガー店に現れた全裸男は、天使と人間の子——ネフィリムらしい。
ネフィリムが持つ不思議な力を巡る争いに俺は巻き込まれたらしく、短髪黒髪の女性……ではなく「天使」に腹をグサリと刺され、病院に運ばれることとなった。
幸い命に別状は無かったが、緊急手術を受け、今は退屈な入院生活を送っている。
当初は学校の友人やバーガー店のバイト仲間など、入れ代わり立ち代わり、俺の様子を見に来てくれていたが、少し落ち着いたようだった。
病院で出来ることといえば、リハビリの一環として、まだジクジクと痛む腹を抱えながら歩かされるくらいで、一日三回の病院食が唯一の楽しみになってきているほど、俺の入院生活はひどく退屈していた。
「あなたに可愛いお客さんが来てるけど、入れてもいい?」
看護師から訪問客が来ている事を告げられる。
「大丈夫だよ」
二つ返事で許可をする。
そこには腹を刺された原因であるネフィリム——ジャックが右手を小さくあげて「やあ!」と病室に現れたのだった。
「わあ………驚いたな!入れよ!」
少し不安そうな彼を病室に招き入れる。
「………僕のこと覚えてる?」
柔らかそうな髪を撫で付け、子鹿のように瞳を潤ませ、彼はおずおずと俺の様子を見ている。
「勿論だろ! 魔法使いを忘れるわけないさ! どうしたんだ? 何しに来たんだ?」
「………僕が原因で君が入院することになったから、サムとディーンとキャスの三人に頼んでお見舞いに来たんだ」
キャスが誰だかは分からない。
だが、サムとディーンは俺が刺された時に保安官事務所に居た二人組だろう。確か、母さんが兄弟だと言ってた。
「本当は、三人に『君に会いに行かない方がいい』と言われたんだけど、やっぱり心配で。……ディーンは特に反対してて『自分のせいで刺されたんだぞ!? 顔なんて見たくねえだろ』って言うし、サムやキャスも、あまり良い顔しなかった。……もし、君が、クラークが嫌な気分になるなら帰るよ」
可愛らしい顔を困らせて、懇願するように顔を覗き込まれる。
帰って欲しいなんて微塵も思わない。折角、最高の退屈凌ぎが出来そうなのに、ここで彼を帰らせるはずがない。
それに、ジャックは謝るが、俺を刺した天使が悪いのであり、何も気に病むことはない。
「気にすんなよ、ジャックが刺したわけじゃないだろ?」
俺の一言で、不安による緊張が解けたのか、震えていた瞳が安心に変わり、花が咲くようにほわんと破顔する。
立ちっぱなしじゃ悪いと思い、ジャックに近くにある椅子を勧めようとすると、友人や家族がお見舞いに置いて行った「GET WELL SOON(早く良くなってね)」と書かれた数々の風船を、子供のようにキラキラと目を輝かせて見つめている。
重石がついており、床からふわふわと浮いてある風船の塊の一つである——太陽を模した風船を「風船好きなの? 俺は要らないから、良ければひとつあげるよ」と、彼に渡してあげる。輝いてた目が一段と大きくなった。
子供じゃあるまいし、もう風船に喜ぶ年齢じゃないだろうに。
貰った風船をポンポンと叩いてみたり、紐を引っ張って楽しそうに遊ぶジャックを、変な奴だ、と思いつつも、見守るように見つめていた。
「そういえば、あの魔法まだ出来るの?」
風船で遊んでいたジャックの手が止まり、首を傾げる。
「ほら、手を添えるだけで、自販機のお菓子を落としてただろ? この病院にも自販機はあるから、あれでまた、ヌガーでも食べない?」
ヌガーという言葉にジャックの目が爛々と輝き、喜びを表す。
手品なのか? 魔法なのか? ——あの不思議な力をもう一度見たくて、待合室の角にあるお菓子の自販機まで行こうと提案する。
ジャックが快諾してくれたので、善は急げと、自販機まで移動しようとすると、よほど気に入ったのだろう、先程あげた太陽の風船も一緒に連れて行くと彼が持って行こうとする。
「風船はどこにも行かないよ、ここで待っていてくれる」と俺の病室に置いて来させた。
人々から隠れるように、ひっそりと立つ自販機にジャックが手を添えると、ガラガラと音を立ててヌガーが落ちる。誰もここで起きている魔法に気付かない。
「……やっぱりすげえよ!! ねえ、今度はこのチップス食べたいから落としてよ」
大好きなヌガーを手に入れ、ご満悦のジャックに、今度はチップスを落とすようにお願いする。
悪戯心に花が咲き、次々とジャックに頼む。
ジャックも人に頼られることが嬉しいのか、お菓子が沢山取れることが嬉しいのか、両方なのか。無邪気に、はしゃぎながら、どんどんお菓子を落としていく。
初めて出会った日のように、抱えたお菓子を二人で広げる。
保安官事務所の床ではなく、今度は、病院の一角にある自販機前に置いてあるミニソファーの上で、俺は白の入院着を着ているが、彼は何も変わらない。
お菓子を食べながら、たわいない話をする。
新しく夜勤に入った看護師のリンダが、お勧めの本を貸してくれたら恋愛小説だったこと。今まで恋愛小説を読んだ事が無かったから馬鹿にしてたら案外面白くて二日で読破してしまったこと。入院生活での楽しみである病院食にオレンジゼリーがあるとその日は当たりであること。学校がそろそろ恋しくなってきたこと。
ジャックは、サムとディーンが最近まで喧嘩していたが、珍しくディーンが折れて仲直りしたこと。キャスに連れられて、お花畑で蜜蜂を見たこと。四人で見た夜空の星の美しさに感動したこと。
隣に座る彼が、身振り手振りを加えて動くと、お風呂上がりの石鹸のような匂いが、ふわりと香ってくる。とても落ち着く良い匂いだ。ずっと嗅いでいたくなる。
「クラークはとても良い匂いがするね」
頭の中を覗かれたように「匂い」の話をさせて驚く。
彼は、風呂上がりの石鹸の匂いとヌガーの匂いを纏いながら、ここかな? ここかな?と、遠慮する事なく、俺の匂いの元を辿っていく。
「ここから一番良い匂いがする」と首元に顔を埋める。
首元をスンスンと嗅がれていることに、恥ずかしさとくすぐったさを感じる。
情事を感じさせるような、息が掛かるほど近い距離に居心地が悪くなる。
そんなことがチラついた自分を追い払おうと空気を変えるように、「新発売!」と謳われていたチップスを勧める。
「ジャック、これ美味いよ」
ジャックにチップスを勧めると「本当?」と首を嗅ぐのを止め、期待で潤んだ瞳をこちらに向けたまま、俺の手を掴み、手に持っていた食べ掛けのチップスを食べられた。
ネフィリムの唇は人と変わらず、柔らかく、しっとりしていて、その唇が指に当たった。
パリパリと味わうようにチップスを食べると、「美味しい!」と、彼が白く清らかな歯を見せることで笑窪が出来る。
当然新しいチップスを取って食べると思ってたので驚いた。
でも、ジャックにされると何故だか悪い気はしなかった。
以前会った時より距離が近過ぎる、と、チラリと彼を盗み見る。
顔に撫で付けてあった、俺の黒髪がハラリと顔に落ちた。
耳にかけ直そうとするとジャックが「僕がやるよ」と丁寧に、顔をなぞるように、髪を耳に掛け直してくれた。ジャックにはそんなつもりはないのだろうが、恋人にするような仕草に胸がドキリとする。
人間とは不思議なもので一度意識すると途端に止まらなくなる。
先程まで平気だった、チップスの塩を舐めているジャックの指やヌガーを食べる口元を追ってしまう。追っては心臓の動悸が早くなり、音を立てる。
「ねえ、どうしたの? 大丈夫? 顔が赤いよ?」
気付けば、ジャックに指摘させるほど、目で追ってたらしい。確かに顔は火照り、バクンバクンと大きなモノとなった心臓に、意識を支配されていた。
「ああ、大丈夫だよ」
「このチップス美味いな」
ジャックに視線を奪われていた、なんて口説き文句みたいだなと考えながら、適当に取り繕う。
後ろから「ゴホン!」とわざとらしく、大きな咳払いが聞こえてた。
振り返ると、立っていたのは、長身で体躯の良い、大型犬を思わせるような愛らしさを持ち合わせた男前だった。
「あ! サム!」
猫が、捕獲してきた獲物を飼い主に自慢気に見せるように、ジャックは腕に抱えているヌガーを見せる。
長身の男前——サムが小鼻をヒクヒクさせながら俺に一瞥をくれると、彼にまるで小さな子供を諭すように「こんな風に力を使っちゃダメだ」と優しく叱る。
そして、俺に体を向けると「ジャックは分かっていないんだ、頼むよ」と柔らかく言っているが、眉間に皺を寄せ「もうするなよ」と目で釘を刺された。
先程までは、退屈で静かだった俺の病室には、男四人が押しかけており、物理的に窮屈している。
「……ジャック。こんな力の使い方をしちゃだめだ。…………それに力を使う事で天使や悪魔がまた君を見つけたらどうする? またクラークが天使に刺されても良いのか?」
サムは穏やかだが、静かに怒っている。
ヌガーが伸びるのを楽しんでたジャックだったが、サムの言葉で、自分の行動を省みたようで、軽薄だったことを理解し始めたようだ。
みるみる顔が曇っていく。
これまた堂々した体躯を持つ、端正な顔立ちの男——ディーンが「俺にもくれよ」とジャックの戦利品であるヌガーをひとつ奪うと、もっちもっちと栗鼠のように頬を膨らませながら
「力は正しいことに使うと約束したはずだぞ?」
分かったか? ジャックに目で合図すると、お見舞いの風船のひとつをポーン、ポーンと一定のリズムで叩き、遊び始めた。
トレンチコート姿を羽織り、美しい碧眼を持つ甘い顔の天使——キャスはジャックの背中に手を添える。
「皆、君になにかあれば、と心配しているんだ」と慈しむように寄り添い微笑んでいる。そして、ジャックの少し崩れた髪を整えてあげると、彼を慰めようと丁寧に頭を撫であげている。
ヌガーを食べる手を止め、俯き、曇った顔で反省している様子のジャックだったが、突然何か閃いたようだ。
「正しいことに力を使うのは良いんだよね?」と、ディーンの言葉を復唱するように聞いた。
ディーンが、ああと返事をすると「僕がクラークを治す!」と失敗を取り戻そうと意気込むと、ベットに寝転がる俺の腹に手を翳し出した。
キインという金属音と、ジャックの眼が黄色に光り始めた途端に、ディーンがジャックの翳した手首に軽くチョップする。
「『力を使って追っ手が来たらどうするんだ?』ってサムが言ったばかりだろ? それに、坊やの傷は綺麗に縫合されて、日も立ってる。こんな傷ならすぐ退院だ。この程度なら、あとは絆創膏でどうにでもなる」
ディーンはジャック向かって、にんまりと笑うと、安心させるように続けて「大丈夫だからさ」と言った。
包装紙を剥いて、食べ掛けのヌガーの欠片を「サム、これ美味いから食ってみろよ」と差し出すと、サムは迷う事なく、ディーンの指毎食む。
眉間に皺を寄せて怒っていたサムの皺がパッと消えて「本当だ」と少し和やかな空気になる。
包帯で腹周りを、ぐるぐると巻かれており、刺殺による傷が絆創膏で済むはずないだろ!どんな生活送ってるんだ!
抗議を込めて、ヌガーをサムに餌付けているディーンを軽く睨むが、サムも「そうだよ、ジャック、こんな傷ならもう大丈夫」と援護する。
——この兄弟はなんなんだ? 人間か?
キャスも「人間は私達が思うより強い」とジャックの背中をまだ摩っているが、多分「強い」の意味を履き違えている。
そんな物理的に強くない。
「そっかあ〜、確かにディーンもサムも自分で縫った後に『傷口が開かなかれば大丈夫』って言ってるもんね。じゃあ大丈夫だね!」と聞き捨てならない言葉をジャックが吐いたが、ネフィリムだからまだまだ人間を理解出来て居ないのだろう。
俺は聞かなかったことにした。
そして気付いたことがある。
ネフィリムだから人との距離を測りあぐねている訳でなく、「この家族に囲まれてる」から距離が異常に近いのだ。
ディーンはサムの髪が落ちると耳に掛けてあげるのが当たり前らしく、それを見ているキャスがまた当たり前にジャックの髪が乱れると直してあげる。
サムが当然のようにディーンの手を掴み、指毎ヌガーを食んだ姿もよく見る光景なんだろう。
犬が家族に愛されるように、キャスに、次はサムに、ずっと頭を撫でられては、気持ち良さそうにしているジャックを見て、「俺がドキドキした彼の行動は彼にとっては普通なのか……」と、独りごちた。
今は鼻と鼻が触れそうな距離で、目が痒いというジャックの為に「眼の中にゴミなんて入ってねえぞ、目が痒くても擦るなよ」とディーンがジャックの頬を掴み、目を覗き込んでいる。
サムの「そろそろ帰ろう」という言葉をきっかけに、ジャックが「また遊びに来る」と右手を小さく挙げて「またね」と宣言すると、彼は貰った風船を持ち、大人三人と一緒に帰ろうとした。
「あ、忘れてた」
ジャックが一言呟き、彼が風船を離したことで、高いところにあった風船が重石を使いゆっくりと床に降りていく。
彼の両手で両頬を包み込まれると、目の前が暗くなるほどジャックが俺に近付き、軽く柔らかいものが当たる。
俺のチップスを食んだ時に指に触れたいモノと同じだった。
何が起きたのか分からず、目を丸くさせて固まる俺に「好きな人と離れる時には、こうするってサムとディーンが言ってたから」と俺の唇にキスしたジャックが満面の笑みを浮かべて、答えた。
今度こそ「さあ、帰ろう」とばかりに太陽の風船を握り直すジャックとは対照的に、鬼の形相のサムが銃をこちらに向けて構えており、同じく怒り狂った目のキャスが、トレンチコートのポケットに入ってある天使の剣を取り出すと俺に向かって刃を向けている。
ディーンだけが状況を理解したようで、腹を抱えて笑い転げている。
ジャックのお陰で入院生活に退屈する事が二度と無さそうだが、生きて帰れるのかも分からなくなってしまった。