頑張れ!クラークくん!バレンタイン編 冬休みが終わり、学校の授業が再開される。新年の空気がまだ少し漂う一月上旬というのに、各企業は次のイベントである「バレンタインデー」に向けて風船や花束、カードにスイーツと少しでも売上をあげようと、もう商品の宣伝が始まっている。
そういう俺もジャックに向けて、企業に負けない熱量で宣伝が始まっていた。
恋人であるジャックの家に呼ばれ、親公認という新しいステップに進めると浮かれていたのは俺だけで、ジャックの父親三人に「友達」として紹介されて落ち込んでいた。
初めて会った日は薬でラリってるのか? と思ったほど、噛み合わなく頓珍漢だったやり取りをしたことを踏まえて、恋愛感情の「好き」を意識して貰う為、カップルの王道である花束や遠回しな言い回しは止めて「好き」を積極的に伝えてきた。
行ったことがないという動物園や水族館、学校の友人カップルから聞いたお勧めのカフェと考えうる定番デートをし尽くしてきたつもりだったのだが、いまいちネフィリムには響いてなかったらしく作戦の練り直しが考えられていた。幸い、彼に友達として紹介された後も、手を繋ぐやハグを嫌がることはなく「好き」という愛の言葉に「僕もだよ」と答えてくれる。
バイト仲間に「そこまでして『友達』と紹介されるなんて」と哀れみを向けられつつも、このバレンタインというビックイベントを利用して、ジャックと「恋人」になる! と意気込んでいた。
季節感のない企業の宣伝に乗っかり「日本だと好きな人にチョコレートを渡して、愛の告白をしたりするんだって」「ジャックはバレンタインの日予定ある?」とバレンタインは愛と感謝を伝える日であり、恋人には特別な日なのだと刷り込みに刷り込んだ。
あとは神のみぞ知る、いや、ネフィリムのみぞ知る。祈りが届いたのか、勝利の女神ではなくネフィリムの微笑みで、バレンタインデートの約束を取り付けたのだ。
失敗は許されない。花言葉は「愛してます」の意味を持つ、三本の赤い薔薇と愛を綴ったカードは勿論、少し奮発した有名菓子店の高級チョコを片手に、忘れ物はないか? と何度も確認し、母さんから借りた車でジャックを迎えに行こうと家を出るため準備していると、母さんに声を掛けられた。
「Happy Valentine’s Day 私が遅く帰るからって好き勝手しないで。門限守ってね」
バイト先の店長でもあるデイブとディナーデートに行くらしく、珍しく着飾って機嫌が良い母親は車の鍵とバレンタインのお菓子である、ヌガーを渡してくる。
「Happy Valentine’s Day いつもありがとう。綺麗だよ、母さん」
車の鍵とヌガーを受け取り「母さんもデート楽しんで。じゃあ、いってきます」とジャックへのプレゼントを忘れずに持ち、待ち合わせ時間に遅れまいと車に飛び乗った。
待ち合わせ場所に居たジャックはただただ愛らしく、可愛かった。
ベージュのチェスターコートに白のタートルネック、黒のスキニージーンズに同じく、黒のサイドゴアブーツとシンプルな服装が彼のスタイルと顔の甘さを引き立てていた。モデルのような出立ちと言いたいが、きっと心配性の父親にぐるぐると巻かれたのだろう、黒のマフラーに小さな顔が半分は埋まっている。
彼が呼吸する度に、寒さで小さく白い息が出る。寒空の下、待たせたくないと待ち合わせ時間の十分前に着いたのだが、待たせてしまったようでジャックの鼻の頭と頬が少し紅く染まっている。
ジャックが車に乗り込むと、冷えた外気も一緒に入ってくる。
「ごめん、待たせちゃったね」
「大丈夫だよ。僕が早く来ちゃっただけだから」
ジャックが座る為に片付けた彼へのプレゼントである——三本の赤い薔薇、愛を綴ったカード、有名菓子店の高級チョコをなるべく平常心を保ちつつ渡した。
「Happy Valentine’s Day」
「ありがとう」
柔らかく微笑んだジャックが受け取り、チョコの箱が入った小さな紙袋を覗き込むとパッと花が咲いたように、いっそう笑顔を深くする。
「ヌガーだ!」
(ヌガー? そんなもの入れてないぞ?)
ジャックを迎えに行く為に慌てて車を走らせたものだから、母さんがくれたヌガーをひとまずプレゼントの紙袋に入れたのだ。それは違うよ、と声を掛けようとするも、キラキラと目を輝かせたジャックを目の前に「違う」と言うのは余りにも酷な気がした。
「ねえ、食べてもいい?」
いいよと答える前に、袋を開けて伸びるヌガーを頬張り、楽しんでいる。
「その箱は何?」
本来のプレゼントである、バレンタインらしいピンクの箱に赤いリボンで結ばれたチョコについて聞かれる。
「バレンタインだから。プレゼントだよ」
「一緒に食べようよ」
伸びるヌガーを片手にジャックがリボンを解き、箱を開ける。
一緒に食べた方が美味しいから、と高級感溢れるピンクの箱に映えたチョコが芸術品のように、つるんと光っている。ヌガーを食べ終えたジャックは中央にある赤いハートのチョコを口に含む。
「美味しい?」
どうやら口に合ったらしく、舌鼓を打つジャックが頷く。
「どんな味?」と聞くと、両手で頬を包まれて唇を塞がれた。
驚きで開いた口の中に、酸味の効いたストロベリーチョコが流れてくる。チョコの甘さか、キスの甘さか分からないが、甘さで脳が溶けていく。チョコではない、ぬるついた舌を追いかけているうちにストロベリーチョコの唾液が、口の端から垂れそうになる。キスの合間に、口の中で溶けた唾液を飲み込むと、ストロベリーチョコが喉を流れる。すっかり消えてしまったのに、キスするジャックの口の中は甘く、鼻にチョコの香りが抜けていく。
頬を包んだジャックの手がするすると移動して、腕を首に巻き付けると口付けがさらに深くなる。
もうチョコの味など残っていない舌をちゅうと吸い付くと、肩を強く押された。
「ごめん、息苦しい」
ジャックの顔が酸欠で赤くなっている。息苦しさからか、子鹿のような目が普段より潤んでおり、ひどく悪いことをした気持ちになる。悪いことをしているのに、同時に興奮している。キスなんて初めてじゃないのに、チョコ味のキスで多幸感に満たされている。
「鼻で息をするんだよ」
「ディーンにキスってどうするのか聞けば良かった。クラークのこと話したら『クラークだろ? お前の場合はキスすりゃすぐさ』と言われたんだけど、好きになった?」
清らかに笑って出来た彼の笑窪が憎い。
「俺は前から『好き』って言ってたよ」
ジャックの柔い唇に触れるだけのキスをする。ストロベリーチョコの味がしないキスも十分甘く、寧ろ甘過ぎるくらいだった。どんな有名菓子店のスイーツも敵わない。
バレンタインデーのカードに書いた「恋人になってくれませんか?」の返事は聞かなくてもよさそうだった。