道ぐだ「減衰」マイルームにて。
マスターの手伝いで事務作業を行っていた道満は、ふと顔を上げた。
「マスター、昼餉の時間は大分過ぎておりますぞ」
「え?あー...」
道満の視線の先を立香も見る。
時計は既におやつの時間へあと30分と迫っていた。
「んーお腹空かないしなー」
立香はふぅ、と息をついた。
「おや?珍しいですな。我がマスターは常々食が随分と楽しみであったようですが」
一瞬、はくりと息を呑む。
「そうそう、エミヤのご飯美味しいからさー。あー今日体動かしてないからかなー」
朝からずーっと書類仕事だし、と笑う立香に、黒曜石がすぅと細められる。
「...食欲がないのは今々のことだけではありませぬな?」
今度こそ、うまく返せる言葉がなかった。
「う...ん...まあね?人間そういう時もあるっていうか...ほら運動不足だとどうしても...」
「ええ。ですがマスターのそれは、運動の有無に関わらないものでしょう?」
観念したように立香はうなずいた。
何もないふとした瞬間。何もなくて気が抜けているからかもしれない。
ふっと基本的な生活意欲が抜けてしまう時があるのだ。
そう、きっと 異聞帯を壊し始めてから。
すうっと若草色の爪が胸の中心をなぞる。
「気が乱れておりますな」
「気?」
「ええ。魔力のようなものです。これが乱れると健康や精神に影響が出るものです」
「へぇ...そうなっ」
ぐいっと引き寄せられて唇が合わさる。
「...っ!」
気がつけば体ごとすっぽり覆われている。
合わせ方の強引さとは反対に穏やかに優しく絡め取られて、離れる頃にはすっかり目の前の体にくたりと身を預けていた。
「な、なに...」
ふわふわとした余韻に平衡感覚が危うくて、錆青磁の衣をきゅっと握る。
もたれかかった体はぬくもりを伝えてきて心地よかった。
「少し強引ですが気の流れを整えさせていただきました。お身体も軽くなったかと」
ぱちぱちとまばたきをして自らの体に意識を戻す。
確かに霞がかかったような頭も、何かがつかえていた胸もすっと晴れて、世界が色彩を取り戻していた。
「ほんとだ...ありがとう!さすがだね、道満」
ぐりぐりとその胸に顔をすりつける。
その頭を撫でながら道満は言った。
「ですが、根本的解決ではございませぬ。...あなたは抱え込むのに向いてはいない。ここまで滞る前に、人でもサーヴァントでも捕まえて吐き出した方がよろしいでしょう。良いことも悪いことも全て」
立香はそっと顔をあげた。
いつも大仰な態度に本音を隠すサーヴァントの、珍しく真剣な面持ちだった。
「...優しいんだね、道満って本当は」
虚をつかれたようにその目が見開かれると、すぐに怪しげに三日月を描いた。
「優しい、等と言うマスターは随分と純粋ですな。拙僧はただ、収穫前の果実がみすみす枯れてしまうのが嫌なだけです」
みずみずしい状態でこそ美味しゅうございますからなァ、とのたまう道満の髪をぎゅっと引っ張る。
「もー!人がせっかく感動したのに!これおひたしにして食べちゃうよ!」
「おやめくだされマスター。拙僧の髪は山菜ではございませぬ。というか呪われますぞ?」
「もー無敵じゃん道満」
「お褒めいただき光栄です」
にっこりと笑う道満に脱力して。
顔を上げたにかっと立香は笑ってまた顔を埋めた。
「もうそういうとこ!」
だから彼女は知らない。
その笑顔が眩しそうに見られていたことを。
「...道満、今度聞いてくれる?良いことも悪いことも」
「ええ、拙僧でよろしければいくらでも聞きますとも」
「...ありがと」
ぎゅっとその体を抱きしめて、立香は身を起こした。
「はー、お腹も空いてきちゃった。食堂行かない?」
「ええ、お供しますとも」
何食べようかなぁと考えて、その思考が随分と久しぶりだったことに気づく。
少し泣きそうになったのを誤魔化してドアを開けた。