燐音くんとにきぬいの出会い そいつは突然現れた、というよりも気付いていなかっただけでもしかしたらずっと近くにいたのかもしれない。
出会ったのは確かホットリミットを終え少しした後だ。いつものようにニキの野郎を冷やかしにシナモンに寄って、俺が居座ってられる程客はそこまで入ってねェってのにニキが構ってくれねェからメルメルとこはくちゃんにメッセ送っては既読スルーされて、暇してるとこに大物プロデューサーとあんまし見たことねェアイドルが打ち合わせだかなんかで入ってきたからウザ絡みしてやったんだ。そうするとな、ニキはお客さんに迷惑かけないで!って俺っちの相手をしてくれるってワケ。一応コーヒーは頼んだし?ニキの金で飯も食ったし今もニキの金で追加注文したし俺っちもお客様なんだけどなァ。んで、邪魔するなら帰って~とかぷりぷり怒ってるニキ見て怒っても全然迫力ねェな、バカっぽいな、可愛いなって思いながらなんだかんだこうやって相手してくれンだからこいつめちゃくちゃ俺っちの事好きじゃん……ってなるわけよ。そん時だったかなァ……
「おい、どさくさに紛れて俺っちの飯食ってンじゃねェよ」
出されたばかりでまだ手を付けていなかったはずのケーキがいつの間にか完食されていた。
「えっ!さすがの僕もいくら燐音くん相手とはいえ勤務中にお客さんの料理食べたりしないっすよ!」
「じゃあ俺っちのかわいいケーキちゃんはどこに消えちまったンだよ」
「知らないっす、無意識のうちに食べたんじゃないっすか?」
一応その可能性も考えた。だが食べてしまったのなら食べたなりにあるはずの口の中に甘さは残っていない。
「んぃっ」
「んぃじゃねェよ、ニキが無意識に食ったンじゃねェの?」
「うわ!ひどい言いがかり……って今僕何も言ってない……っていうか食べたのも僕じゃないっす!あっ!!そいつっすよ犯人!!!」
「あァ?」
ニキが指差す方向を見ると小さなぬいぐるみのような何かが口をもぐもぐをさせている。もにゅもにゅと動いている口元にはスポンジとクリームがぽつぽつとくっついてる。確かにケーキを盗んだ犯人はこいつなのだろうが、そもそも何なんだこいつ。
「んぃ?」
短くて丸い手を顎の縫い目に当て首?を傾げている。
「最近よく出てきては盗み食いするんっすよ、いっつもつまみ出してやろうって思ってるんっすけど結構すばしっこくて逃げられちゃうんっすよね」
頭から生えているゴム紐をブンブンと左右に振りながらデカい目でじっと俺の方を見つめてくる。グレーの癖っ毛にブルーの瞳、よく見ると尻尾のような髪?髪だよなこれ。そして波のような口に全体的に僕はバカですんぃ!と言ってるような何も考えてなさそうな顔。どうも見覚えがある。
「んぃ?どうしたんっすか?」
そうだ、この『んぃ』って鳴き声。なんかあった時にニキがよく言うやつだ。
「……ニキにそっくりだなこいつ」
ニキは捕まえるのが難しいと言ってたが案外あっさりとこいつは手の中に収まった。
「んぃ~♡」
俺の手に頬ずりをしてどこか嬉しそうだ。もしかしたらこいつ、食いモン絡みで喧嘩になりそうなニキの事が嫌いなだけなのかもしれない。
「捕まえてくれたのは助かるっすけど多分ろくでもない害獣っすよ、あんま素手でベタベタ触らない方がいいと思うっす。それはこっちで預かるんで手ぇ洗ってきて」
ニキは他の店員が持ってきたビニール手袋を装着し俺の手に甘ったれている生き物を寄越せと手を差し出す。確かに飲食店に得体の知れない生物がいるのもよくないだろうとそいつをニキに引き渡そうとした時だ、グラグラと大きな頭を揺らしその頭から伸びるゴム紐をぶんぶんと振り回し始めた。
「いやんぃ!!!いやんぃっ!!!」
「ぎゃんっ!!!なんっすかこいつ凶暴すぎっ!燐音くんに触られて燐音くんが感染ったんじゃないっすか?!」
「おいおいおい、ひでェ言いがかりだなァ。てめェに捕まったらろくな事にならねェって野生の勘でも働いてンだろ……ちょっくら外に放してくるわ」
一発ニキを絞めてやりてェとこだが手が塞がってちゃどうすることもできねェ。仕方なく一旦店を出てESビルの敷地から出た茂みにそいつを放す……つもりだったんだがやけに懐かれてしまったのか離れようとしない。無理矢理引き剥がしてもすぐにひっついてくる。昔の俺なら興味本位でこいつを切り刻んで解体していた可能性はあるがもうそんな事をするようなガキでもない。今はこいつとなんとかしないと店に戻れない、つまりニキの仕事の邪魔もできねェワケだからさっさとなんとかしてしまおうとファンの間で股下20mなんて言われてる俺が駆け足すれば流石に追いつけまいと思ったが物凄い速度で追いついてきやがった。そして俺の足にがっしりとしがみついてきた。
「はぁ~……頼むからここらで大人しくしててくんね?」
「いやんぃ……」
引っ付いている力は思った以上に強い。ぷるぷると震えながら必死にしがみつく姿を見てもしかしてこいつは誰かに捨てられたか、この近辺から離れられない何かしらの事情があるのではないかと察した。
「参ったな」
きゅるきゅるとこちらを見つめる真っ直ぐな瞳。どこからどう見ても動くぬいぐるみでどうしてそんなぬいぐるみが動き出しているのかも不明だが何よりもどこかニキの野郎に似ているのが引っかかる。
「後で迎えきてやっからよ、今はちいとばかしここで留守番しててくンね?」
小さい子供をなだめるように頭をぽんぽんと撫でて俺の足にすがりつく力が緩んだ好きにそっとそいつを足元に放す。
「いい子ならできるよなァ?」
「んぃっ!」
頭を撫でられると気分をよくするのか素直に言うことを聞いたそいつを後に俺はニキの職場に戻る。正直この時はこのまま放置して何事もなかったかのように流してしまおうと思っていた。本当に害獣であれば駆除されるべきだし迷子ならば探している飼い主がいるかもしれない。捨てられたならご愁傷さまだ。まァ、この近辺をうろついてりゃきっと動物の世話好きな人間に拾われて暖かい生活を送るだろう、俺が関わる分野じゃねェ。
なんて考えていたのは甘かった。
「んぃ」
「うわっ!この害獣また来たっす!!燐音くんが駆除してくれたんじゃないんっすか?!」
「ン~……駆除っつーか……」
ニキのバイトが終わってESビルから出た時、そいつは待ってましたと言わんばかりに現れた。
「んぃ~っ♡」
そして俺の足に飛びついてきた。妙に懐かれちまった。少しばかり親切にしてやったのが仇になったか。それならいっそこのまま蹴飛ばしてやった方がいいのかと思ったがここで運悪く週刊誌のカメラマンに撮られて『天城燐音、動物虐待!』なんて記事を出されたら最悪だ。せっかくニキがアイドルやる気になってきてメルメル大佐もこはくちゃんも心を開き始めた頃にスキャンダルはないっしょ。
「んぃ~、んぃんぃ~」
余程俺っちの事が好きなのかよじよじと足を登ってくる。もしかしてアレか、俺っちのファンか。ファンとプライベートの交流とかそれこそ炎上案件なんでできれば避けてェんだけど。っつーかよく分かンねェ生き物も虜にしちまうアイドル天城燐音様最強すぎて困っちまうなァ。ファンなら仕方ねェかとちぃとばかしファンサービスをしてやるとんぃ~と鳴きながらぶんぶんと頭のゴム紐を揺らして喜んでいる。正直気分としては悪くねェ。その様子を見てニキも駆除してやろうという気は収まったらしい。
「こうなったらもう燐音くんが責任持って面倒見て欲しいっす。とりあえずお店荒らしにこなければどうでもいいんで」
「ファンをお持ち帰りはまずいっしょ」
「何言ってんっすか……ただの害獣っすよ」
はぁ、とため息をついてニキはそのまま仕事に戻った。どちらにせよこいつを連れたまま飲食店に長居するのは難しい。寮の同室者は今更ペット一匹増えたとこでどうこう言う相手ではないだろう、つーかこいつが同室のペット達と仲良くできるかが不安ではあるが。
「んぃ?」
怪訝な目で見ていたらきゅるんっとした瞳で真っ直ぐに俺の方を見つめてくる。
「……とりあえず風呂だな」
確か寮には犬用のシャンプーがあったはずだ。愛玩動物なんぞ洗ったことねェから詳しいやり方は日和ちゃん……いやジュンジュンに聞いた方が早そうだな。
こうして俺、天城燐音とニキによく似た奇妙な生き物との生活は始まった。