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    minorushim

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    minorushim

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    支部にも上げてるのですがこちらでも。初投稿でございます。
    ソファと棺桶9開催おめでとうございます!
    無自覚両片思いからのモダモダのお話です。よろしければご覧下さいませ。

    #ロナドラ
    Rona x Dra
    #ロナドラ小説
    lonadoraNovels
    #ソファと棺桶9

    アイワナホールドユアハンド【今日も明日も明後日も】



    クソ砂と喧嘩した。
    喧嘩だけなら毎分毎秒しているので珍しくもない、が、今回はちょっと違う。
    ジョンとあいつがここに住むようになってからちょうど一年経った日、そんなことを俺はすっかり忘れていた。恋人との交際記念日とかでもないのだから、それを責められる筋合いはない。それをあいつはめちゃくちゃ覚えていて、何なら特別に思ってた、ってことを後から知った。

    「お、おま、このクソ雑魚砂!! 何回言ったら分かんだよ! 俺の前にそれを出すなあまつさえ食事に混ぜるな殺すぞ!!!」
    「殺してから言うなこの暴力特化型単細胞ハゲゴリラ!! このドラちゃんが手間暇かけて作り上げたディナーだぞ? いい加減好き嫌いとか克服してスマートに食えるようになれ五歳児! ああそうか五歳児だから食べられないんでちゅね〜」
    「殺す」
    「報告したからって殺して良い訳ないだろこのバカ造!」
    「〜〜〜〜っ、もう我慢ならねぇ! 俺は今日飯食わねぇからな!」
    「ハァァァ?! 何だ真面目に子どもか君は! 子どもの方がもっと賢いまであるわ! せっかくの料理を無駄にするのか?!」
    「そうさせたのはお前だからな?! 俺は悪くねぇ!!」
    「徹頭徹尾悪いのは君だろうが!!」
    ジョンが俺たちの間でずっとおろおろしている。すまないジョン、だけど俺たちはもう引っ込みが付かなくなってる。いつものことだが、どちらも謝るということが出来ないのだ。
    そもそも俺は悪くない。食事だって別に頼んだわけじゃない。めちゃくちゃ美味いけど。食えと言うなら、緑の悪魔など食卓に並べなきゃいいんだ。
    ……というか、マジで何で混ぜたんだ俺はこんなにも食いたいのに!!
    「……本気なのかね」
    「……あ?」
    突然トーンダウンしたクソ砂は、無表情のまま俺に問い掛ける。
    「本気で、食べないのかね?」
    「……そう言っただろうが」
    「そうか。…………残念だ」
    めちゃくちゃ小さい声で呟く。泣きそうな顔。そんな顔してるの初めて見た。
    ディナーとか言っただけはある。絶対食えねぇアレが混ざったサラダを除けば、たっぷりソースのかかったハンバーグや食わなくても分かる上手く揚がったからあげ、具沢山のスパゲティ、良い色に焼けたパンみたいのが乗ってるスープ、どれもこれも美味そうで、腹の音が鳴るのを必死に堪えている。
    黙ってキッチンに戻ったドラルクは、タッパーとかラップとかを抱えてテーブルに戻って来た。
    俺の分の食事が、手際良く冷蔵庫に仕舞われていく。
    気遣わしげにドラルクを見守るジョンに、目配せして微笑む姿を見て、どうしてか胸が痛くなる。
    「ジョン、食器は後で私が片付けるから、置いておくんだよ。……ロナルド君」
    「……何だよ」
    冷静に呼び掛けられるとどきりとする。そんなこと気取られたく無くて、顔を背けたまま続きの言葉を待つ。
    「……もし食べる気になったら、温め直して食べてくれたまえ」
    何と返したものかと一瞬迷って、だがそれを言う前にドラルクはエプロンを外し、事務所への扉を開けて出て行ってしまった。

    「……ヌヌヌヌヌン」
    主人を追い出したみたいになった俺に、責めるでもなく、だが寂しそうにジョンが声を掛ける。
    「ヌヌヌヌ」
    どこから出して来たのか、折り畳まれた紙を渡される。開いてみれば、料理の名称がいくつも書かれて、線で消されたり丸が付けられたりしている。その横には、味は濃い目に、とか、生姜を効かせる、とか、小さく書き込まれている。
    よく見ると、丸で囲われたメニューは、今しがた片付けられた今日の献立だった。
    「……ヌヌ」
    小さな手が指した先は、その紙の下の端。
    『20XX年XX月XX日 ドラルクキャッスルマークⅡ爆誕』とこれも小さく書いてある。
    俺のスマホを持って来たジョンが、ロック画面を横に並べる。今日? ……もとい、書いてある日付は、ちょうど一年前だ。
    「そうか……あれから一年か……」
    「ヌン!」
    「ジョンが来てくれてそんなに経つんだな、今日は記念日じゃねぇか! なぁジョ……ン、……え、ひょっとしてあいつ」
    「ヌー……」
    「…………っ、あのバカ砂」





    夏らしく暑さの残る夜。月もきれいに見えているから、暫くは雨が降ることは無さそうだ。
    私は今、いつもはジョンと共に訪れる公園にひとりでいる。
    完全に勢いで、財布も持たずに出て来てしまった。店やホテルに入るわけにもいかない。夜が明ける前に、若造が寝入る頃には帰ることにする。
    畏怖練でもするか、と思えど、今の私は畏怖練に欠かせないマントも、ベストすらも身に着けていない。代わりにアームバンドは着けているが。
    「……ふふ、喧嘩して家を飛び出すなんて、子どもなのは私の方か」
    そう、私は勝手に浮かれていたのだ。
    退治人の住まいに押し掛けて、お人好しの彼に付け込み居着いてから、早や一年が経つ。記念すべき日の少し前から、如何にして祝おうかとあれこれ思いを馳せてきた。
    こんなにも狭い部屋に住んで下さってありがとうございますドラルク様、ぐらい言ってもらいたいが、まずそんな都合良くはいかない。ならば逆に、家来としてのロナルド君の労を労おうと、考えた結果が特別な食事だ。
    ……などというのは建前だ。
    単純に彼が喜んでくれたらいいなぁと思った。
    一年なんて、我々にとっては瞬きする間に過ぎてしまうものだ。それがここに来てから、目まぐるしくて楽しくて大変で面白くて、たった一年なのに何十年も過ごしたような感覚で。
    それに気付いた時に、私は理解してしまった。
    実際に何十年と経てば、私の時間を変えてしまった昼の子は、私を置いて居なくなってしまう。
    想像しただけで一度死んだ。そんなのってない。だがそれはどうしたって自然の摂理で、彼が吸血鬼にでもなるか、私が心中でもしない限り、決まり切った未来である。
    お祖父様が言っていた、人間の友人を大切に、の言葉が少しだけ腑に落ちた。
    大切にしようと思った。彼の人生、我々からすれば短過ぎるその時間を、せめて楽しくて幸せなものにしたいと思った。
    「思ったんだけどなぁ……」
    私のお茶目でキュートなところが仇になってしまった。ストレートに喜ばせるだけでは物足りなくなった。彼だってきっとそうに違いないと、少しのスパイスとしてセロリを忍ばせたのだが、結果はご覧の通りである。
    食わねぇ、と言われた時には、本当に死ぬかと思った。何とか踏ん張ったけれども、今思い出して死んでるので相当堪えたらしい。
    出来立てを食べて欲しかったなぁ。
    美味い美味いと言外に言いながら食べてくれるのを、いつものように傍で眺めたかったなぁ。

    「……何で死んでんだよクソ砂おじさん」
    「……は……何で……?」
    聞こえるはずのない声に、事態が飲み込めない。
    ジョンが駆け寄って来て、涙を流している。早く戻らないと、でもなかなかうまくいかない。
    「早く再生しろよ。……帰るぞ」
    「……やだ」
    「やだじゃねぇよ。ジョンもまだ飯の途中なんだぞ」
    「じゃあ何でこんなところまで来たんだ。ジョンまで連れて。……私が戻らなければ、晴れて君の願い通りじゃないか。追い出したいんじゃなかったのかね」
    迎えに来てくれたのが例え少し嬉しくても、素直に帰れる訳ないだろうが。そんなの君だって分かってるだろうに。
    「……そうだけど、そうじゃないっていうか」
    「え?」
    「ち、ちげぇし! 俺がうまく温め直しとか出来ると思ってんのか?! 責任持ってお前がやれよって言ってんの!!」
    「……君さぁ、将来お嫁さんが来てくれたとき、そんなこと言うなよ……?」
    素直になれないからって、照れ隠しで乱暴な言い方なんて、私でなきゃ愛想尽かされて出て行かれるだけだ。
    「何わけの分からんこと言ってんだよこのバカ。……いい加減帰るぞ」
    再生し始めた私の手を掴み、そのまま引きずり上げられてしまう。うーんやっぱり乱暴。
    「レンジの使い方も分からないかわいそうなゴリラのために、仕方ないから帰ってやるか……」
    「ゴリラじゃねぇし使い方くらい分かるわ! そうじゃなくて、……せっかくのお前の美味い飯、適当にやって不味くしちまったらどうすんだよ」
    予想外の発言に、眼球が落ちるんじゃないかってくらい目を見開いてしまった。
    ずいぶんかわいいこと言ってくれるじゃないか。
    簡単に浮かれてしまう自分がチョロいと思う、君に似て来たのかも知れない。
    「な……んだよ。笑ってんじゃねぇぞ」
    「ンフフ、別に? さぁ帰るぞ若造! 行こうジョン!」
    ヌン! と元気な返事を聞いて、完全に再生した足を踏み出す。
    掴まれたままの手は、特段嫌ではないのでそっとしておいた。彼も違和感を覚えたりしないらしい。何だかくすぐったくて、でも後で揶揄ってやろうと決めた。





    「おい。途中でスーパー寄るぞ」
    「何だ? バナナなら買ってあるが」
    「牛乳だよバカ。お前があそこのが美味いって言ってたんじゃねぇか」
    「…………明日は雪が降るな」
    「何だよいらねぇのかよ」
    「ついでに生クリームも買うか。バナナケーキも焼いてあるからホイップを添えてやる」
    「バナナケーキ……!!」
    「ヌー♡」
    「急ぐぞジョン!」
    「ちょ、おい! あんまり引っ張るな!!」





    無事に食事もデザートも食べ終えたひとりと一匹は、はしゃぎ疲れて早くに寝てしまった。
    出来るだけ静かに片付け、ぐっすりと眠ったままのふたりに寄り添う。
    揶揄い損ねてしまったので、今度は私が彼の手を握ってやる。……起きるなよ?
    「……明日も、その先も、楽しいことがたくさんあるといいねぇ」
    喧嘩はもう少しだけ控え目に……、たぶん無理だが、みんなで面白いことしよう。
    それで来年もまた、今日みたいにご馳走を食べてくれたらいいな。その次の年も、その後も、ずっと。
    「っ?!」
    寝ているはずの彼の手が私の手を握り返した。驚いて死ぬかと思った。
    「……何してんだよ」
    暗い部屋でも、青く輝く瞳がこちらを見ている。
    「え、っと、仕返しっていうか何ていうか」
    「はぁ? 何だよそれ」
    穏やかな声、怒るのかと思えば、ずいぶん優しく笑うじゃないか。
    「なぁ。……お前がいれば、さ。ポンチなこともやたら起こるけど、楽しいこともまぁあるんじゃねぇの」
    「聞こえてたのかね。……君がいれば、の間違いだろ」
    「ちげぇよバカ」
    「フフ、めちゃくちゃ眠そうだぞ。早く寝たまえ」
    「お前が起こしたんだろ。……おやすみ、ドラ公」
    「おやすみ、ロナルド君」
    長い睫毛がゆっくりとまた閉じられる。手を握られたままだけれど、もう少しだけこうしておいてあげよう。
    良い夢が見られますように。


    *****


    次の日、寝入り端のやり取りを思い出したロナルドは、いや何であんなことしたんだ、そもそも帰り道も手繋いじまってたよな、いやそれ同居人相手にすることじゃねぇだろ俺! とひとり大いに慌てるのだった。






    【Do You Want to Hold My Hand 】



    一周年記念の大喧嘩から一週間ほど経った。
    あの日、俺は何故だかドラルクの手を握ってしまった。……何なら手を繋いで歩いたりした、のだ。
    あれから俺は、ドラルクの手を見ることが出来ないでいる。
    決して小さいわけじゃない、だが俺とは明らかに違う華奢な手、整えられた爪の意外な美しさ、そして何よりもあいつ。
    「……死ななかったんだよなぁ」
    思わず口に出てしまった言葉は、メビヤツ以外には誰も居ない空間に吸い込まれた。
    半分寝惚けていたから、というのは言い訳だ。気付くと握られていた手が少しだけ冷たくて、あいつのだって分かってたけど全然嫌じゃなくて、どうにも離したくなくて、握り返してしまった。振り払われなくてホッとした。
    手を握って交わす言葉は、その日大喧嘩していたとは自分でも信じられない程に優しかった。だけど妙に胸の辺りが苦しくて、それは思い出している今も同じで。この感情が何なのか、名前を付けてしまいそうになって、慌てて止めた。
    「いや、……いやいやいやいや……っ! 痛ぇ……」
    頭を抱えて下を向けば、開いたままのラップトップにぶつけてしまった。画面はこの一時間ほどの間、景色を変えていない。
    原稿どころではない、これは非常に不味い。このままではカラッと揚げ物になるか、大事なものを失うことになる。

    「……何をしてるのかね?」
    「ミ゙」
    要らぬことを考えていたら、声が掛かるまで全く気付けなかった。
    「み、見れば分かんだろ。原稿してんだよ」
    「パソコンに頭突きするポンチってことしか分からんかったが?。……相変わらず難航してるな。 見事に真っ白じゃないか」
    「う、うるせぇな。これから筆が乗るところだったんだよ。邪魔すんじゃねぇぞ」
    「ハイハイ。これから絶好調になる予定は未定のロナルド先生、コーヒーを淹れて来たんだがいるかね?」
    「いる」
    「わぁ即答」
    「……そっちの皿は」
    「気付いた? 君の好きなバナナ揚げたヤツだよ」
    「バカにすんな。それぐらいはもう俺にも分かるぜ。あれだろ、バナナフリッターだろ」
    「そうだけど、そんなドヤ顔になれることじゃないと思うが……」
    ブツクサ言いつつもデスクにそっと置かれた皿には、言った通りにバナナフリッターが乗っている。
    続けて置かれるマグカップを、止せばいいのに俺はつい見てしまった。当然目に入るのはずっと避けていたドラルクの手だ。どくん、と心臓が跳ねる音が聞こえた。
    「君、本当にこれ好きだよねぇ。おかわりあるけど程々にしたまえよ? 後で夜食も食べるだろ?」
    気のせいに違いないのに、言葉のひとつひとつがやたらと優しく聞こえる。あの夜のことがまた蘇ってきてしまう。胸を掻きむしりたくなるような、ずっと浸っていたくなるような、頭の中が、お前のことだけになるような。
    どうしようもなくその手に触れたい。
    「……お、おう! 食うに決まってんだろ! それ置いたら早くあっち行けよ!!」
    「相変わらず当たりキツいな。まあいいけど。精々頑張りたまえよ」
    ひらひらと手を振りつつ居住スペースに戻るあいつの後ろ姿を、罪悪感と共に見送った。

    邪魔をされたわけじゃない、むしろ気遣われたというのに、酷い言い草だと自分でも思う。
    勝手に俺が意識してるだけで、あいつは何とも思ってない。むしろもう忘れてるまである。
    意識されていないことに安心するし、どこか残念にも思っている。
    「……何やってんだ俺」
    触れたいって何だ。頭おかしくなってる。それもこれも、頭をおかしくしてくる張本人が四六時中傍にいるから。
    バナナフリッターを齧り、コーヒーを啜り、深呼吸をした俺はスマホを手に取った。





    閉じた扉の前で、小さく溜息を吐く。
    私らしくもない。揶揄いも煽りもせず戻って来てしまった。
    彼のキーボードに置かれた手を見たら、心臓が苦しくて死にそうになってしまったのだ。
    一週間前の大喧嘩からずっと忘れられずにいる。彼の手の温度とか、かさついた感触とか、私とは明らかに違う、逞しい手のひらと指とか、思いもよらない優しい力で手を包まれたこととか。
    寝惚けていたからこそ、私に対してあんなことが出来たのは分かっているし、彼はまるで覚えていないだろう。
    私だけが覚えていても、彼に知られなければ良いのだ。……バレたらめちゃくちゃ引かれるに違いないけれども。
    あの夜、私は確かに幸せを感じていた。
    このままここに、彼の傍に居てもいいのだ、という安堵。これからも一緒に、面白く楽しく生きられる、という期待。だってたぶん、嫌われてはいない。半分寝ながらでも、あんなふうに穏やかに優しく笑いかけてくれたのだ。
    それを嬉しいと思うこの気持ちには、きっと名前が付くけれど、気付かぬふりをする。
    あわよくばまた触れ合いたい、などとは言わないから、共に過ごすことを許してほしい。喧嘩しても殺されても、時々は一緒に笑ってほしい。
    「……私にしては随分と控え目じゃないか」
    苦笑いする私を、ジョンが心配そうに見守っていた。





    「え、明日から?」
    「おう。だから当分の間、俺の飯は作らなくていいぜ」
    「当分て」
    「締め切りが七日だから、遅くてもそれまでだな」
    「……脱稿出来たら、だろ?」
    「するに決まってんだろうが」
    「缶詰執筆になる時点で君にはドヤ顔する資格ないと思う」
    「うるせぇ!」
    ドラルクの言う通り、原稿の進捗は芳しくない。
    だが、缶詰執筆になったのは、俺がフクマさんに頼み込んだからである。こいつには言わないけど。
    「……ギルドには伝えてあるし、事務所も休みにするから、お前も好きにしてていいぜ」
    「君に言われるまでもない。ていうかいつも好きにしてますけど?」
    「知ってますけど??」
    パトロールだったり退治依頼を受けることがなければ、こいつが同行することもない。どうせ、俺が居ない間はいつも以上に好き放題、クソゲーとかクソ映画とかに興じるんだろう。
    「もっと早く言ってくれれば、米とか水とか醤油とか買いに出掛けたのにねぇジョン」
    「ヌン」
    「どれだけ俺に持たせる気だボケ砂」
    「むしろそれらを私が持てるとでも?」
    「何だよそんなにどれも無くなってんのかよ」
    「いやまだ全然めっちゃある」
    「じゃあ帰ってからでもいいだろうが」
    そうだけど、と聞こえないほどの声で呟いて、ドラルクはそっぽを向いてしまう。
    え、何その態度。ひょっとして拗ねてる? 俺が居なくなるの寂しいとか思ってたりする?
    「か……」
    「……か?」
    俺は今、何を言おうとした?
    かわいい、って口走りかけてなかったか?
    え、何が、誰が?
    「か、か、帰って来たら、からあげ作れよな」
    「はぁ? こないだ食わせたとこだろうが」
    「いいじゃねぇか! 俺様を労え」
    「ヌンヌ!」
    「何と言う横暴ゴリラ……え、ジョンも食べたいの? も〜〜」
    危なかった。もう少しでドン引かれるか死ぬほど揶揄われるかのどちらかだった。
    俺の判断は間違ってなかった。
    このままのテンションでこいつと居たら、どんどん頭がおかしくなる。
    「……からあげ作って欲しいなら、帰りはちゃんと連絡したまえよ。ラインでいいから」
    「……おう」
    ジョンのお陰もあるけど、結局こうして応えようとするのだから、俺は甘やかされている。心が満たされるのを感じてしまう。
    「……ん? ていうか何か足りなくなっても、腕の人とかショットさんとかに頼んで荷物持ちしてもらえばいいじゃないか。いや〜良かった。うむ、君は安心して缶詰されて来たまえ」
    「…………は?」
    「いや今何で殺した?!」
    俺以外と買い出しに行くって何だ? 俺が居ないここに誰かを連れて来て、お礼にとか言ってお茶どころか飯まで出して、もてなしたりするのか?
    ……そこまで考えて想像したら手が出ていた。
    「あ、あいつらに迷惑掛けるんじゃねぇよ。買い物は俺が戻って来てからでいいだろうが」
    「好きにしろって言ったの君じゃないか」
    「他人を巻き込むなってことだよバカかお前」
    これは建前。
    お前に他の誰かと出歩いて欲しくないし、他の誰かと二人きりになったりして欲しくないし、お前の作るものを出来ればうち以外のやつに食わせて欲しくない。全部俺でいいじゃん、て叫びたい。
    これが独占欲というやつだろうか、こんなこと感じたことなかった。
    「……君ってば時々よく分かんないこと言うな。フフ、そんなに私と居たいのか、寂しがり屋だなぁ。オータムにも着いて行かなくていいのかね?」
    「絶対着いて来んな」
    「素直じゃないなぁ」
    揶揄われてるだけなのは分かってるのに、見透かされた気がして焦った。
    ニヤニヤし続けてるドラルクを再び砂にして、ジョンの泣き声を聞きながら俺は風呂場に向かった。





    たった今私のことを殺した男があまりにかわいくて、ニヤニヤしたまま復活を遂げた私、傍から見ると畏怖いのではないだろうか。
    何だあれ。『俺以外の奴と出掛けるな』って言ってなかったか? めちゃくちゃかわいいな。
    嬉しくなって思わず揶揄ってしまったが、若造にはただただ面白がられたとしか伝わっていないだろう。

    「と言うか、明日から居ないのか……」
    こんなにもかわいくて面白い若造が暫く外泊するなんてつまらない。しかもこのタイミングなんて。
    「ヌヌヌイヌ……」
    「……うん、そうだね」
    泣いていたジョンを抱き上げ、さみしいね、との言葉に素直に答える。慰めるように頬を寄せてくれるので、私もその小さな頭をそっと撫でる。

    ……若造め、自分の誕生日のこと忘れてやしないだろうか。
    締め切りのことは私たちも知っていたから、無事に脱稿して、且つ退治依頼が無ければ、誕生日はゆっくり出来ると期待していた。好きな物を好きなだけ作ってやろうと思っていた。それなのに缶詰執筆など受け入れてからに。
    まあいい。本人も締め切りの日には帰ると宣言したのだ。私もそのつもりで準備するだけだ。彼が不在にするのは、ある意味好都合かも知れない。
    そう考えれば楽しくなってきた。切り替えの早さ、さすが私。
    とにもかくにも、あれはどこにしまったとか若造が騒ぎ出す前に、優しい私は外泊の準備をしてやるのだった。





    「……終わった……」
    フクマさんに無理を言い、オータムに缶詰させてもらった甲斐もあり、何とか締め切りには間に合った。メイデンも辞さない覚悟で頼んだのだが、オータムにもまともな部屋はあったんだと知った。まともって何か分からなくなってるけども。

    集中のために切っていたスマホを三日ぶりに立ち上げた。日時は八月七日23時55分。
    既に終電はないらしく、明日の朝まで滞在の許可は取ってる。フクマさんは別の仕事でオータムには居ないので、いつもの亜空間移動で帰ることは出来ない。いや、むしろ避けたい手段なのだが、今日だけは違う。
    電源が切れていた間の通知がまとめて表示される。いくつもある通知の中に、あいつからのメッセージを探す。……あった。真っ先にタップしてしまう。

    『忘れ物はなかったか?』
    『ちゃんと食事はしろよ』
    『生きてるのか?』
    『集中して書いてるんだな、良いことだ』
    『充電切れてるのか? 充電用のコードは入れておいたんだが』
    『早く帰って来ないと、事務所の看板書き換えるからな』
    『ジョンが寂しがってる』
    『返事くらい寄越せバカルド』

    トークルームには気遣いの言葉がいくつも並び、でもそれが時間と共に様子を変えているのを見て、俺は自惚れる。思わず口元が緩んでしまう。
    めちゃくちゃ寂しがってるじゃねぇか!

    「脱稿した。明日の朝帰る」

    そう返事すると、その2秒後に既読になる。
    しばらくそのままで返信を待つが、一向に何も表示されない。
    堪らなくなって、受話器のマークをタップしてしまう。しばらく呼出音が続き、それが止むと少しの沈黙。
    『…………何だ若造』
    スマホ越しの声は聞き慣れなくて、少しだけ不安になる。だがその呼び方はいつものあいつで。
    「返事が遅ぇから電話した」
    『はぁぁぁ? 遅いのは君だろうが! いつまでも未読無視しておいて……』
    「電源切ってたんだよ。心配させて悪かったな」
    『別に心配なんかしてませんけど?』
    いつもの調子にほっとする。機嫌は良くないらしいが、俺は逆に気分が良くなってきた。脱稿ハイ、ってやつだろうか。
    『ていうか、あ! 日付けが変わってしまったではないか!!』
    「は?」
    部屋にある時計に目をやれば、確かに0時を回っていた。
    『クソ……君、明日というか今日の夜、覚えておきたまえよ!!』
    「何なんだよ……ん……?」
    今日は八月八日。すっかり忘れてた。原稿とか他の色んなことで、自分の誕生日どころじゃなかったから。
    だがこいつは俺が居なくても忘れることなどなく、恐らくは祝おうとしてくれている。

    ぶわり、と体温が上がったように感じた。
    頭を冷やすために離れたのに、今は1秒でも早く会いたくて仕方ない。
    ラインが来てたことで浮かれて、でもそれだけじゃ足りなくて声も聞きたくなった。
    誕生日を覚えてくれていたことが、その日に祝おうとして帰って来るのを待ってくれていることが、こんなにも嬉しい。

    言い逃れなんて出来ない。
    名前を付けようが付けまいが、俺があいつに向けている気持ちは、そういうあれ、なのだ。

    『……忘れてただろ』
    「うん」
    『バカ造め。代わりに私が覚えていてやったんだ。感謝したまえよ』
    「なぁ。プレゼント、何くれんの」
    『……からあげ、食べるんだろう。もう仕込んであるから安心したまえ』
    「それもだけど」
    『何だね、他に欲しいものでもあるのか?』
    「……後でラインする」
    『今言えばいいだろ? そんな勿体ぶるようなことか?』
    「もう寝るから切る」
    『勝手過ぎるぞ君』
    「うるせぇ。電話は掛けた方が先に切るのがマナーだぞ覚えとけ」
    『はいはい。君にマナーとかの概念があって少し安心したよ五歳児ルド君』
    「……ラインはするから。じゃあな、おやすみ」
    『分かった。おやすみ』
    ドラルクが電話を切るのを確認し、終話ボタンをタップした。……マナーとか言っといて、あいつの言葉をひとつも取り零したくなかったので。





    スマホのスピーカーを通した若造の声は、たった三日空いただけなのに別人のように聞こえて、でも、三日前と変わらぬ甘えた物言いは彼に間違いなくて、本当はもっと聞いていたかった。それが私を罵る言葉だろうが、叱る言葉だろうが。

    切り替えたはずの私の心は、実際には全く切り替わっていなかった。
    食事の準備は余分にしてしまうし、主が不在の事務所のデスクに向かって忘れて声を掛けてしまうし、寝る前のルーティンにしていた寝顔を見ることも出来ず、寝付けない朝を迎えていた。
    あれやこれや理由を付けて、ジョンをダシにしてまでラインしたがナシのつぶて。せめて既読でも付けば諦められたがそれもなく。
    七日には帰ると言ったから、そのつもりで食事も段取りして、ケーキも焼いて後は仕上げるだけ、ジョンと一緒に鳴らすクラッカーも彼に被せるポンチな帽子も準備万端だった、それなのに!
    帰るのは八日だと言われて、やっと会える嬉しさと、0時を迎えた瞬間を祝えない悔しさを、電話越しにぶつけてしまった。
    私は怒っていた。だけど、三日ぶりの『おやすみ』を聞けたことで、怒りはすっかり消えてしまった。何てチョロい私。
    惚れた方が負け、ってこういうことだろうか。
    そう思ったと同時にその相手からメッセージが来た。

    『I Want to Hold Your Hand』

    手をつなぎたい? 私と?
    「……しかも何で英語なんだアホルド君。これ、どこかで見たフレーズだな……あ」
    イギリスのバンドが、五十年以上前にそんなタイトルの歌をヒットさせていた気がする。
    止せばいいのにネット検索した私は、歌を聞き、タイトルと邦題を見て、歌詞を読み、静かに死んだ。





    後悔というのは、先には立たないから後悔なのである。
    やってしまった。あんなの、もう明け透けに伝えてしまったようなもんだろ。
    そもそも何で唐突に英語なんだよって話で。
    深夜のテンションで打ち込んだメッセージを悔やみ暴れ出しそうになりつつ、俺は事務所兼自宅に帰って来た。

    「ただいま」
    ビ!! と嬉しそうなメビヤツの頭を帽子の上から撫でる。
    朝の事務所は静かだ。この先の居住スペースも同じく。
    寝入ったばかりであろう同居人たちを起こさぬように、物音をさせぬようにそろそろと歩く。
    「…………おかえり」
    くぐもった同居人の声が聞こえてびくついてしまう。
    「!! ……起こしたか?」
    「……いや、まだ起きてた」
    何だよ、棺桶の中で起きて待ってたのかよ。
    ……いや、そんなわけないか。たまたま朝更かししてただけとか。
    「ご馳走は夜までお預けだからな。寝る前にシャワーくらいは浴びたまえよ。食事はサンドイッチなら作ってある。あと……カーテン閉めてくれる?」
    ひと息に捲し立てられて俺は素直に、遮光カーテンを出来るだけ隙間のないように閉める。
    棺桶の蓋が開き、寝間着に身を包んだドラルクが起き上がってこちらを見詰める。微かに漏れる光のお陰で薄っすらと姿が見える。
    「……こんなもんか?」
    「うん、これくらい暗ければ……。こっち来てくれる?」
    「……臭いとか言うなよ」
    「思ってても言わないから大丈夫」
    「思ってるのかよ! ええ……昨日ちゃんとシャワー借りてきたのに……」
    「フフ、嘘だって。ほら、早く」
    細い腕がこちらに伸ばされているのが見える。恐る恐る、棺桶のすぐそばまで歩み寄り、しゃがんでみる。
    「……これでいいのかよ」
    「誕生日のプレゼントのことだけど」
    「うぇっ!! ……あ~~えっと、あれ、は、忘れろください……」
    ああ、現実に突き付けられるととてつもなく恥ずかしい。情けない顔をしている自覚しかないので下を向いてしまう。
    「……やっぱり要らなくなった?」
    囁くような言葉にがばと顔を上げた。笑顔に寂しさが滲んでるように見えて、心臓のあたりがぎゅっとなった。
    んなわけないだろ。
    あれからずっと、原稿に向かってる間も、お前の手に触れたくて仕方なかった。
    元々おかしかったテンションが、輪をかけておかしくなってたとは言え、あんなとち狂った言葉を送りつけてしまう位には。 
    「……要らなくない」
    引っ込めようとしている手を、そっと掴もうとしたその瞬間、俺の視界からドラルクが消えた。代わりに俺の好きな匂いが強くなった。
    「……誕生日おめでとうルド君」
    耳元で声が聞こえて、ハグされていることにようやく気付いた。
    柔らかさなんてない身体が、それでも優しく俺の身体に触れている。ハグには癒やしの効果があるなんてどこかで聞いた気がする、今それをめちゃくちゃ実感している。
    同じだけ返したくて、俺も真似して腕を背中に回す。ドラ公の腕に、少し力がこもる。
    ハグというか、これは、抱きしめ合ってる。
    「……こんなのが誕生日プレゼントでいいのか?」
    「いいって言うか、俺が思ってた以上なので動揺してる」
    「何言っとるんだ。君さ、『I Want to Hold Your Hand』ってラインしたよな?」
    「んんっ……はい、確かにしました……」
    耳から聞くと恥ずかしさが蘇ってしまう。こいつが言うと妙に流暢なので余計にいたたまれない。出来ればもう言わないでほしい。
    「これって歌のタイトルだろう?」
    「……え?」
    ドラ公が枕元に置いていたスマホを持ち上げた。身体を横に向けて何やら検索を始めるのを俺も眺める。
    歌のタイトル……?
    スマホの画面には、俺の生まれる遥か前にめちゃくちゃ人気があって、今なおファンが多いらしい有名な某バンドが写っている。
    俺が打ったのと同じ言葉の横に、邦題が。
    「……『抱きしめたい』」
    「うん、だから、その通りに」
    「え?! いや、俺、そそそそんなつもりは」
    「……騙したのか?」
    「ち、ちげぇよ!! 本当に、俺はただ、お前の手を握りたくて」
    「ンフフ、そうなの?」
    「! …………お前分かってて……」
    「そうだが? 嫌だった?」
    「……嫌じゃないから腹立つ」
    「ふふふ、正直になりたまえ。寛大で聡明なドラちゃんの計らいに感謝して畏怖するといい」
    ころころ笑うのがかわいくてムカつく。……正直になっていいのかよ。
    スマホの画面には英語の歌詞と、和訳までご丁寧に併記されてるらしい。
    「……畏怖はしねぇけど」
    「おい」
    「手も握りたい」
    「……誕生日だからな。特別に許してやろう」
    俺は覚悟を決めた。せっかく煽られたのだ、正直になってやることにした。





    検索結果の邦題が直訳と違うのが面白くて、若造がどちらの意味で送って来たか、いやでもアイデンティティ:童貞の彼がまさか、手を握る以上のことを言えないだろうと決め打ちをしたわけだが、見事に正解だった。
    いつものように、照れや怒りで殺されてネタばらしして終了、だと思っていた。
    ハグの状態から体勢を変えて、横を向くようにしたのに、彼の手はまだ私の背中……もとい、腰の辺りに回されたままだ。完全に離れる気はないと、痛くは無い力加減で抱き寄せる手が語っている。
    手を握りたいなんて改めて言われて、え、こんなことしてる君がそれは許可を取るんですか? などと密かに動揺しつつ許した。だって誕生日だから。
    私の手ごとスマホを握られてしまうと、もう逃げられない。……何から逃げたいのか分からないけれども。
    「……俺はこの歌知らねぇんだけどさ」
    「……そうみたいだね」
    手が熱い。意識しないようにしていたが、触れている身体も熱い。低くて穏やかな声が私の鼓膜を震わせて、顔もすぐ近くにあることを嫌でも感じる。
    「お前は知ってたの?」
    「知ってた、けど歌詞をちゃんと読んだのは昨夜が始めてだな。それが?」
    「俺にも読ませてくれ」
    「何でそんなこと……、っ」
    画面を見詰めてるだろうと思った彼の目は、こちらに向けられていた。逃がしてやるものか、と言わんばかりの眼差しで。顔が熱くなる。きっと赤くなってる。慌ててスマホに顔を向ける。
    諦めてゆっくりとスクロールを始める。
    「……‘’お前に話したいことがある、多分お前は分かってくれる。……俺がその話をする時には、お前の手を握っていたい‘’」
    彼は何故か、映し出されている和訳とも違う、自分の言葉で訳し始める。
    「……何なの、翻訳の勉強でも始めるのか?」
    「いいから続き見せろよ」
    「あっ、ちょっと、せっかちルド君!」
    私の操作を待たずに若造の親指が画面に伸び、そのままスクロールされる。
    「…………‘‘頼む、俺を恋人にするって言ってくれ。俺に手を握っていいって言ってくれ。お前に、握らせて欲しいんだ’’」
    英語の歌詞をただ訳しているだけなのに、まるで私に向かって言っているように聞こえる。恐る恐る表情を窺えば、それに気付いた若造の目が、またこちらに向けられる。
    目を合わせたままで‘‘翻訳’’が続く。
    「‘‘お前に触れると幸せな気持ちになる。……この気持ちは隠せない’’」
    ねぇ、ロナルド君。君は今、歌詞を読んでるだけだよね? そんな真剣な眼差しで私を見詰めてすることじゃないだろ?
    そう目で訴えるけれども、伝わったのかそうでないのか。
    「……俺が書いたみたいな歌詞じゃん」
    「……それは……私には分からんけど」
    「分かんねぇの?」
    「……分かんねぇです」
    「こんなことしてるのにか?」
    腰に回された手がまた少し私を引き寄せる。
    自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。彼に聞こえてしまっていないだろうか。
    「それでも分かんねぇなら、今から事細かに説明してやろうか」
    「! いや大丈夫、今めちゃくちゃ分かったから!!」
    「遠慮すんなよ。てか説明させろ」
    「アホ。絶対止めろ。説明始めたらもれなく死ぬからな」
    まさかとはまだ思っているが、どうやら私と同じような気持ちらしいのは嫌でも分かった。分かっただけでこんなにも居た堪れないのに、話して聞かされたりしたら恥ずかしくて死んで当分生き返れる気がしない。
    ご意向に沿えずご機嫌を損ねるかと思えば、この男、逆にニヤニヤしている。
    「お前、照れてんの?」
    「……君はデリカシーってやつをオータムにでも忘れて来たのかね」
    「かわいいなお前」
    「……本当は吸血鬼に催眠とか掛けられてない?」
    「残念ながら正気です」
    「残念ってなんだ不承不承かわいいとか言ったのか」
    「不承不承だったら言うわけないだろうが。お前が言った通り、正直になってるだけです」
    そんなこと言った? 言ったな、ついさっき。
    暗い部屋の中で我々の顔を照らしていたスマートフォンが、役目を終えたと言わんばかりに、彼の手で枕元に置かれる。
    その手が、一度離した私の手をまた捕まえ、そうしてそのまま彼の胸元へ引っ張られる。
    「……なぁ、手にキスしてもいいか」
    キス、なんて言葉が彼の口から聞こえて、今度こそ死ぬかと思った。……黙ってるけれども、今日だけで何回死にそうになったか分からない。
    「手にだったら……いいよ」
    誕生日だからな、と小さく付け加えたが、その免罪符はどこまで通用するのか、私にも分からなくなってきた。

    捕えられている手が、彼の口元にそっと引き寄せられる。ちゅ、と音がして、彼の唇が手の甲に押し当てられる。挨拶と呼ぶには情熱的だ。唇や手のひらから熱が伝わる、私の手も熱くなっているかも知れない。上目遣いで私を見詰める眼差しまで熱く感じる。
    ぐぐ、と手を掴んだまま上に少し引っ張られて、ネグリジェの袖が捲れて肘まで曝け出される。
    指先に、手のひらに、手首に、腕に、順番に口付けられ、熱がその場所へ広がる。目の前で見せつけられるその行為に、顔も身体も熱くなってしまう。
    「っ、ロナルド君、そこは、もう、手じゃない……だろ?」
    彼の唇が触れる度に言葉が途切れる。情けないがどうにもならない。
    「……止めないとだめか?」
    「……だめ」
    ようやく口付けが止んで少しホッとする。
    向けられた彼の目が何だか潤んでいる。泣いてるのとは違う、こんな目をしたロナルド君を見たことがない。
    「お前を見てたら……全部にキスしたくなってきたんだけど」
    「……ぜんぶ……?」
    それを許したら、もう何も止められない予感がした。何をかは分からないことにするけれども、きっと、その予感は当たっているので。
    「……いや、悪い、もう寝てくれ。俺が蓋閉めてやるから」
    ずっと触れたままだった手や腕が離れる。温もりを失うのが惜しい。……そんな考えが出てくることが良くない気がするので、言われるままに棺桶に身体を横たえる。
    「ドラルク」
    「……ん?」
    「その、ありがと、な」
    「…………うん」
    「起きててくれて嬉しかった」
    「フフ、もっと感謝したまえ。まぁ私も、起きてるうちに帰って来てくれて嬉しか……、!」
    私の手や腕に口付けした彼の唇が、今は私の唇を塞いでいる。触れ合うだけの、思いの外に優しいキスが心地良くて、目を閉じてされるがままに受け入れる。
    少しして唇が離れて、ゆっくり目を開けば、顔を真っ赤にした若造が、嬉しさを隠し切れない顔で蓋を構えていた。
    「お、おやすみ!」
    ガコッ、と音をさせて蓋が閉められ、完全な暗闇が私を包む。
    「…………あの、卑怯者め……!」
    諦めたように見せ掛けて油断させるとは。
    熱を持った唇にそっと指で触れる。
    上手くなんてないけれど、気持ちだけは込められたキス。
    声は堪えてひとしきり身悶えたあと、眠れなくなってしまった私は、次こそ彼をぎゃふんと言わせるために思考を巡らせるのだった。


    *****


    自分から仕掛けておきながら、恥ずかしさと嬉しさとで静かに身悶えているロナルドの背後に、丸いシルエットが近付き、ヌーと声を掛ける。ぎくりと身体を揺らしたロナルドが振り向くと、そこには眉間にシワを寄せたマジロが立っていた。
    「……えっと、ジョンさん、いつから起きて……?」
    「(ロナルドくんが帰って来た時からヌ)」
    「始めから……? ひょっとして……怒ってます?」
    「ヌ゙」
    低い声で返事するマジロにロナルドは頭を垂れることしか出来ない。
    「申し訳ありません……」
    険しい顔のままで手招きされて、ロナルドが恐る恐る顔を近付けると、愛くるしい小声で耳打ちされた。
    「(ドラルクさまがうれしそうで、とてもかわいかったから許すヌ。でもまず、ロナルドくんは告白するべきだと思うヌ)」
    「はい、ごもっともです」
    「(今夜ちゃんと決めるヌ!!)」
    「こ、こ、こ、今夜?! そそそそそんな急に……えぇ……」
    今日一番の顔の赤さで動揺しきりのロナルドに、ジョンはため息を吐く。さっきまで主人の腰を抱いたりキスしたりしていた男とは思えない。

    我が愛する主人のために、自分が監督してやるしかないと、密かに心を決めるジョンだった。
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