世界で一番神龍に近いとされている種族。それが竜族。姿形は人の身を形取りながらもその実、人よりも屈強な肉体、力、そして頭脳を兼ね備えた彼らはその持ちうる限りの力をひけらかすこと無く、人知れず静かに暮らすことを選んだ。
何故ならば出る杭は打たれる。
言葉の通り、羨望される力を備えた彼らを愚かな人類は差別し、そして迫害を繰り返した。耐えられなくなった竜族は人間たちの前から姿を消した。この時点で既に人類が愚かしいことこの上ないがこの話にはまだ続きがあるのだから尚のこと滑稽。
誰よりも神に近い者たちを害した呪いか、世界には疫病が蔓延し、戦はとどまることを知らず、挙句の果てには崇め奉る主であるはずの神龍までもが人に仇なすものとしてその姿を堂々と現すようになった。
そして世界が混沌とする中、誰かが言ったのだ。竜族を探し出せと。全ての災いの原因を竜族迫害への罰だと結びつけ、見つけた者にはありとあらゆる財を約束するとまでのたまって、あれほどまでに害した彼らを今度は己らを守る砦にと囲いこもうと必死になっている。今更謝れば許してもらえると思っているのだろうか。迫害の歴史をたったそんなことだけで無くそうだなんて笑い話にしかならない。そもそも人よりも肉体が少し強靭で、井戸水を一気に樽二杯ほど運べるの力があって、算学や兵法に少々長けている者が多いだけの、そんな普通の竜たちに何をそんな超常を期待しているのか。本当に全くもって馬鹿げている。出久は窓の外をそっと覗き込みながらそう思った。
出久の生まれ育った小さい村はとても信仰深い場だった。神龍を崇め、その結果竜族を貶めることばかりに力を注ぐそんな村。その場所で代々細々と薬師をやっている家系に産まれた出久は特別何か秀でたものは無かったがただ一つだけ、村人には絶対言えない秘密がある。
「かっちゃん、もういいよ」
「──っ、たくしっけーンだよ。あのボンクラどもめ」
「西の村に神龍様が降り立ったらしいから必死なんだよね。最近じゃみんな竜族様、竜族様ってとうとう君たち『様』呼びになっちゃってたよ」
「いけしゃあしゃあとどの口がそんなことほざいてやがるンだか。うっとおしいったらありゃしねェ」
トゲトゲとした髪を激しくかきながら勝己は心底恨めしそうに目尻を吊りげる。どこまで上がるんだろうという具合に高まっていく怒りのボルテージを他人事にように眺めながら出久は肩を竦めて静かに笑った。
***
竜族の勝己と人族の出久の出会いはとても小さな子供の頃まで遡る。ある日、森で教えてもらったばかりの薬草の選定に励んでいた出久が怪我をして動けなくなっていた勝己を発見したことが二人の始まりだ。まだ一人で怪我人を満足に運ぶことも出来ない身ながらも勝己を引きずり、大泣きしながら「おかあさーん!」と叫び倒す出久を見つけた時も、助けた子供が実は竜族だと知った時もどっちも心臓止まるかと思ったわと後に母は語ったが出久本人としてはその時のことは朧気にしか覚えていないのでただ「そうなんだ」と頷くだけだった。覚えていることは倒れている子を見捨てておけず、でも一人では助けられないと悟ったあの恐怖感。それだけは今でもハッキリ覚えてるんだけどなと、くだんの件から随分経ったあとに勝己に語ると何故か「ヂッ、三つ子の魂百までかよ」と眉間のシワを三割増にされてしまった。
ともあれ出久と勝己は種族の違いなんて関係のない、世界の全てが二人だけだった頃からの幼なじみである。とは言っても人間である出久から勝己に会いに行くことは今の今まで一度も無く、勝己が森を抜けてこっそり出久の家まで会いに来てくれて深めた交流なのだけれども。出久は「かっちゃん、かっちゃん」とそれはもう毎日のように勝己に後ろを追いかけたし、勝己は「出久は俺よりトロい!なーんもできねェ木偶の坊のデクだ!」なんて酷い渾名を付けてきたりして、楽しいばかりではないけれど尊い思い出をたくさん積み重ねてきた絆が今の二人にはある。
──だから、こんな風に想うのはもしかしたら必然だったのかもしれない。
「オイ。村がこんな空気になってもその硬いミソしか詰まってねェ頭を縦に振らんつもりか」
「……頭は硬くても横に振れるもん」
「ンな屁理屈こいてねぇでさっさと俺に着いてくるって言えやクソデクが!」
「だからそれは難しいって言ってるじゃないか!」
「その理由を教えろって言ってンだろ!何が気に食わねェんだ!ァ?」
「っ、!」
ダン!と激しい音を立てて勝己の逞しい腕が出久の顔を掠める。いつの間にか壁際にまで追い詰められてしまい、睨みを利かせる勝己からは逃がす気は無いと口には出さずとも猛々しいオーラで伝えられる。
「俺とこの村を出ろ。出久」
「かっちゃん…………」
ある時を境に勝己は出久を外へ連れ出そうと強引な勧誘を行うようになった。初めは冗談かと思ったそれは日を増す毎に真剣味が増し、勝己がおふざけで出久を誘っているわけじゃないことはわかっている。
そして、その理由だって。
この村はもう長くない。昔、二人で遊んだ森にはもう薬草は育たない。薬師として仕事が出来なくなった両親は出稼ぎに王都へ行ってしまった。家畜も疫病の被害にあい、井戸の水も制限を設けてはいるがいつ枯れても不思議ではないほどだ。毎日の疲弊と不満から日に日に村人同士の争いの声だけが大きくなる一方のところにとうとう近くの村の壊滅的被害が知らされた。
「あと数日持てば良い方だ」
「分かるの?」
「キナクセェ臭いがする。神龍とかいうヤツの面を拝んだことはねぇが十中八九そうだろうよ」
「そっか、あとちょっとで本当にもうここは命が無い場所になっちゃうんね……」
神龍が降り立った場には何も残らない。それはもう決まりきった事柄だ。出久が小さい頃から愛した緑はもちろん、生きとし生けるもの全てがその場から消え去ってしまう。
「西の村、状況は聞いたか」
「何も。……だって無かったらしいんだ、何も」
「…………そーかよ」
「僕の作った薬。よく効くって褒めてくれたおばさんがいたんだ」
「……そーかよ」
「あの日もね、納品に村に行く予定だったんだ」
「……そーかよ」
「最近はなかなか薬が作れないから、僕が渡せる薬はこれが最後ですって言わなくちゃって思ってた。あんなに喜んでくれたおばさんにそれを言わなきゃならないのは凄く悔しかったけど」
「…………」
「でも、言えないよりはちゃんと僕が伝えたかったな」
事実を話しているだけだと言うのに口の中に酸っぱいものが込み上げてくる。
「いずく」
勝己は壁に付いていた手を出久の頬に添える。大きな瞳は今にも零れ落ちそうな程に涙を蓄えてながらも、その眼はギラギラと覚悟の炎を宿している。こうなるから嫌だった。こんな眼をされる前に早く手元に引き込んでしまいたかったのに。
出久は出会った頃のまま何も変わらない。ろくに出来もしねぇのに身の丈にあわないことばかりを背負おうとする姿見ているとイライラする。その度に理解させてやったのに、それで泣いたと思えばすぐに自分の後ろをついて回ってきた。いったいいつまでこの堂々巡りが続くのかと思うといくら勝己とは言えども辟易してくるのだ。
眦にたまった雫を舌で掬うようにしてやると出久はびくりと肩を跳ねさせる。そのまま頬を、瞼を、額を、そして唇を軽く吸ってやるとすっかり雫は零れなくなった。代わりに覚悟を宿しつつも頬を染めるという相反した表情を浮かべる出久が完成したのだが本人は気づかず勝己から僅かに目を逸らし、もごつきながらも口を開く。
「……僕は村を離れられない。迷信深くて嫌になっちゃうこともあるけど、ここには薬師は僕しかいないんだ困ってる人を見捨てて僕だけが別の土地に移るなんて出来ない。それに、痩せた土地に薬草が生えないて言うならそれを正す努力がしたい」
「どんなだ」
「え?」
「御大層なこと言って何が出来るンだよ。おめーに。神龍が来て何するってんだ」
勝己は出久から半歩身体を離し、腕を組むと顎で話の続きを促す。その仕草に幼少期から身に染みついた習慣で出久の背筋はピンと伸びた。
「お願いするよ。こんなこと止めて欲しいって。村の人たちが言う通り罰だって言うなら僕が世界中の人たちのことを説得するよ。竜族は、かっちゃんたちは僕らと仲良くしてくれるんだよって、僕らと一緒なんだって」
「ンで、出来ないときは?」
「……う゛」
「龍なんて口がきけるかどうか分かんねェだろ。俺らの常識が通じねェイカレ野郎の場合、お前はなにすってんだ」
勝己は出久を睨んだまま想定ができる可能性を述べる。出久は予想してなかった勝己に返しに驚き、そのまま唇に手を寄せいつもの通りブツブツと考えにふけこんだ。
これはこれでコイツの悪癖だなと勝己は常々思っているが今はそれは置いておくとする。長い付き合いだから次に出久がどう出るか、勝己にはそれが分かっている。だから今は溢れそうになるゾワムカを無理矢理押さえてやるのだ。
「……その時は、あの伝説の勇者オールマイトみたいに神龍と戦って話を聞いてもらうよ!」
ほらな。
予想通り過ぎて舌打ちすら出ない。
「薬草轢き殺すしか出来ねェくせに」
「言い方!僕だって君と手合わせしたりした経験が、」
「勝てた試しねぇクセしてドヤ顔すんな、クソナード!オールマイトなんて夢のまた夢だわ」
ガッと吼えられると条件反射で身体がビクつく。けれどここで負けるわけにはいかない出久も勝己から決して視線を逸らさない。
「確かに僕は弱いけど、それでもやっぱり何もしないのは嫌なんだ!ここは君と初めて会った場所だ、そんな大切な場所が何もしないままに無くなるなんて、そんなの嫌だ」
「……」
「どうせ僕に無理だって君は言うんだろうけど」
「分かってンじゃねぇか。なら俺が今からナニ言うかもとっくにお前にはお見通しってわけだよなァ」
「え、………………無理だって解るまでぶん殴ってやる、とか?」
バンッ!!またしても勝己の腕が顔を掠める。
「ホントにやってやろうか?」
「わー!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「っとに、テメーはなんっっっも分かってねェな!この俺がお前と一緒にクソ神龍にケンカ売ったらァっつーんだよ」
「は?」
「分かったか、このクソボケナード」
「は?は?はぁー!?いやいやいやかっちゃん、ちょっと待ってよ神龍様にケンカって僕別にそんな」
「どこの世界に話の通じる破壊者がいんだよ、お前の論破なんてアテにすらならんわ」
「いや、でも」
神様だよ?なんてこの期に及んで呑気なことを宣う出久に勝己のイライラは最高潮まで高ぶる。もう良いだろう、ここまでよく我慢したとばかりに慌てふためく出久の肩をがっしりと掴みそのまま喚く唇を無理やり塞いでやる。
「ちょ、ン!!」
最初から舌を入れて、そのまま口腔内を荒らし回ってやれば出久はすっかり鼻の抜けた声を漏らすことしか出来なくなる。そのまま何も考えられなくなっちまえばいい。そんな悪どい思考は伝えずに必死に勝己に追いつこうとする舌を絡めとってやると出久はまた「ンっ、」と声にならない声を出す。
「っ、おい」
「……っは、なに、かっちゃん」
ようやく話された唇に飲み込み切れなかった唾液をまとわりつかせた出久はすっかり腑抜けたまま勝己に耳を傾ける。
「神龍のヤローをぶっ倒すぞ、出久」
「……っ、うん!」
ふにゃりと出久は笑みを零す。少々強引の度合いが過ぎていても勝己の心は出久を本当に心配してくれているのだ。嬉しくないわけが無い。
かたや勝己はと言えば出久がほんわかしていることなどお構い無しに先程の返答を聞くやいなや、出久とは正反対のまるでおとぎ話の敵役のような恐ろしい笑みを浮かべ小声で「言質は取った」などと言っている。
頭が回り切らない出久はそのまま聞き流してしまったが。
「出久。まず王都へ行くぞ」
「うん。……って、ええ」
「こんなクソみてーなド田舎じゃ武器もろくなん手に入んねぇかんな。まず王都で諸々を備える。ンで、次に情報と匂いを頼りにまずは西へ行く」
分かったらはよ準備しろ。
勝己はそう言いながら出久の家の中を勝手知ったる動きで物色し始めるので慌てて出久はその後ろをついて待ったをかける。
「ちょ、ちょっと!この村にすぐ神龍様は来るんだろ王都なんてそんな遠いところ行ってる場合じゃないよ!」
「ンなもんいつなんて分かるわけねェだろうが!気分であっちこっち移動してる奴に合わせて待っとったらそれこそ何も出来ずにブッコロされるわ!」
「でも、かっちゃんが言ったんじゃんか!」
「合理的虚偽」
「合理的虚偽ィ」
勝己の言うことを飲み込めず唖然とするだけの出久を放って、勝己自身は用意していた荷袋へ必要になるものを詰め込む。周到すぎるその準備に出久はようやくハッキリとした頭で到達した答えにもしかしてと震える指を勝己へと向けた。
「かっ、ちゃん。キミ、もしかして最初っから」
「出久。テメー言ったな?俺と神龍を倒しコロすって」
「いや、僕はまず対話がしたいって」
「じゃあその準備のためにこの村出なきゃなんねぇなァ」
「それは、確かに武器が必要なら王都の方が良いとは思うけど」
「ならとっとと準備しコロせや!村の奴らには今ある薬ありったけ置いてけ!文句言うやつは俺の前に連れてこいや、アイツらの言う竜族様の力見せつけてやっからよォ」
「分かった!分かったから準備するから!かっちゃんやめて!!」
ボキボキ指を鳴らす勝己の姿は完全に敵のそれだったが恐怖する出久にはもはや何も言うことは出来ない。
急かされるまま慌てて準備に勤しむ出久を勝己はニンマリ笑って見つめる。
「はよ出るぞデク!冷静になんな、神龍コロし尽くすんだからよ!」
「殺さない!物騒!って、冷静って何」
こうして(勝己の)計画通り始まった神龍への旅路は出会った仲間たちや、より絆を深めた二人によって完全勝利を納めこの世は平和になったとか。
* * *
「ぜんぜん計画通りじゃねェわ!なんだあの馴れ馴れしいヤツらは!」
「キミが無理やり連れ出した旅の中でみんなに出会えたのは良かったよね」
「無理やりって言うなや……」
「村にいたら二人で一緒になれないからずっと外に連れ出そうとしてたって素直に言ってくれれば良かったのに」
「言えば素直について来たンかよ」
「うーん、どうかな?」
「テメェはほっっとにそういうヤツだよなァ!」
「でも、キミのことが好きだったから絶対に一緒にいるために努力したと思うよ」
「……そォかよ」
「そうだよ!」