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    ブンニオ没/別に別れ話ではない

    初詣に行く丸仁 仁王は早朝の訪問者に眉を寄せた。冬の朝は空が白く、灰色がかった景色に燃えるような赤が眩しい。その色彩の持ち主であり穏やかな眠りの闖入者である丸井は、ポケットの中に手を突っ込み態とらしく肩をふるわせている。そして、あからさまに不機嫌な仁王を気にも留めず、いい笑顔を浮かべて初詣に行こうなどと宣ったのだった。

     いつまでも玄関を開け放っていては部屋が寒くなるだけだ。扉に手をかけたまま半歩となりに足を動かすと、丸井は勝手知ったるといった様子でリビングの方へと向かっていった。一瞬ぐらりと世界が回転するような感覚に襲われて額に手を当て、それから芯から凍るような寒さを思い出して震える身体を抱きしめる。仁王は血圧が低く朝に弱いのだ。玄関を後にしてリビングに入ると、丸井がストーブを付け炬燵に足を突っ込んでいるのが視界に入った。随分と他人の家でリラックスするものだと感心したが、一人暮らしの仁王の家だからだろう。突然の訪問者ではあるが、茶くらいは出してやろうと電気ケトルに水を注ぐ。自分用にはコーヒーを、丸井用のココアはきらしてしまってから買い足していないので、仕送りのダンボールに入っていたものの未開封のままであった甘いアップルティーを。
     中学の頃は姉と二人で暮らしていた仁王だったが、今は工業高校の建設科に定時で通い、アルバイトをしながら安アパートに一人で暮らしている。テニスは辞めた。今ではたまにテニスクラブに打ちに行く程度だ。それは柳生とであったり、今ここにいる丸井とであったりする。内部進学した丸井は今でも立海で幸村たちと共にテニスをしているが、柳生は高校三年生に上がると同時に勉学に集中するため部活を辞めたらしい。そのため、気分転換に身体を動かしたくなったときの柳生と打ち合うことが比較的多いかもしれない。
     ――仁王にとって青春のすべてともいえるテニスを辞め、ラケットを手放すというのはひどく惜しいことだった。けれど、当時はそれなりに身体に無茶をさせていたし、立海から出てほかの学校、ほかのチームでテニスをしようとも思わなかった。身体においても心においても、全てがこれまで通り思うように行くとは思えなかったのだ。自分にはちょうどいいタイミングだったのだと言い聞かせているし納得もしているが、丸井の話を聞くとたまにほんの少しだけ後悔や羨ましさを覚えることがある。誰もそうは思わないかもしれないし分かって欲しいとも思わないが、テニスは仁王のうちの多くの部分を占めていた。いや、占めている。今でも。それだけテニスで色々な物事を得て知ったし、それだけ捨てたり失ったりもした。敗北や勝利の輝かしい日々は、その光を失わないまま仁王の中にずっとある。それ望んだ。綺麗なものも汚いものも正しく美しい形のまま残しておくために。今目指しているものが自分の中でテニスに勝るとは全く思わないけれど、仁王はそれを選んだのだった。
     ピピ、という電子音にすっと身体が冷たくなったような心地にさせられる。それぞれ飲み物を用意し、元々来客用にと母が送ってくれたはずの、ほぼ丸井専用になっている赤色のカップを炬燵机の上に置く。その気配に反応した丸井はスマートフォンから顔を上げ、その中身を覗いた。
    「なに?」
    「アップルティー。ココアがええなら自分で買うてきて、俺飲まんから」
    「おー」
     分かっているのか分かっていないのか定かでない気の抜けた返事をした丸井は、アップルティーが七分ほど入ったカップをゆっくりと傾けている。それを横目に、仁王は自分のカップから立ち上がる湯気をぼうっと眺めた。――初詣。最後に行ったのは中学三年生の時だ。よく覚えている。テニス部のメンバーと参拝して、赤也が絶対ぶっ潰してやるから進学しても逃げるなと泣いた。それを見て、皆が笑っていた。誰も仁王が外部進学することを知らなかった。言う必要が無いとも思っていたが、言えなかったのだ。テニスを諦めるのだということを自覚させられたくないという理由が大きかった。けれど、赤也の言うような未来に居られないことに、腹の底の方にほんの少しの罪悪感が積もったような気がして。胃のあたりを抑えると、丸井と目が合った。それから二人で抜け出して、そして、どういうことかその日から仁王は丸井と恋人同士でいるのだ。去年と一昨年の丸井は元旦は家族と、その後に部員と初詣に行っていた。仁王も誘われたがその度に断っていて、丸井もそれ以上は誘ってこなかった。それがどうして今年は家に押しかけてきてまで自分を初詣に誘うのだろうか。揺れる白い影を見つめ、妙に不安な感情に襲われている。そんな仁王を知ってか知らずか、舌が温まったらしい丸井が口を開いた。
    「言ってなかったんだけど、俺、大学は外部進学する」
    「……ほお」
    「それが県外だから、卒業したら実家出て一人暮らしになるわ」
    「そうなんか」
    「だから、こっちの神社に初詣に行くこともなくはないだろうけど少なくなるし、今年の元旦はお前と行こうかなって。家族とは明日か明後日に行くから」
    「……そう。じゃ、今日くらいは朝活しちゃるわ」
     仁王の言葉に丸井は嬉しそうに頷いた。返事は当たり障りのないことを言えるのに、内心は氷水に浸されたように痛みすら覚えている。県外に引っ越すなら、もうこうして会うことはなくなるということなのだろうか。それなら、もしかしたら今日の終わりが丸井と仁王の関係の終わりなのかもしれない。丸井がいなくなることを改めて想像すると、それを上手く受け入れることができない。仁王はここに来て初めてそのことに気が付いた。とっくに一人ではなくなっていたことに軽い衝撃を受けながら、着替えるために寝室のドアを潜った。
     もともと仁王が姉と暮らしていた家を知っている人間もそう多くはないが、仁王が一人暮らしを始めた家を知る者は丸井しかいない。本当は丸井にも教えるつもりはなかったが、どういうことか丸井は仁王の恋人であるので、気付いた時には広くはないリビングに座る姿にも見慣れていた。それを不快だと思っていなかった時点で、仁王はそれなりに丸井のことが好きだったのだと思う。――俺に係うなんてお前は悪趣味じゃ。そう言うたびに、丸井は本当にその通りだと思うぜ、と嫌味っぽく笑っていた。その姿をはっきり頭に思い浮かべることが出来る。丸井のそういう部分が、仁王にとってはひどく心地の良いものだったからだ。だからこそ、仁王は一人きりの居場所に丸井が入り込むことを許した。けれど、自分の思うよりずっとその存在が大きいのだということには、全く気付いていなかったのだ。
     リビングから、丸井が付けたであろうテレビの音が聞こえる。それを悪くないと思う。けれど、きっとこれは今日家を出てしまえばもう二度と経験できないことなのだ。暖かい服を選んだはずなのにひどい寒気がして、仁王はしゃがみ込んだ。涙が出そうな気配はないのに、鼻がつんとして心臓が痛い。それでも何時までも座り込んでいるわけにもいかず、仁王は深く息を吐いてゆっくりと腰を上げた。
    「おまちどお」
    「……おお、似合ってんなそのコート。去年は着てなかった」
    「姉貴からの誕プレ」
    「あー、通りで。女のチョイスって感じ、なんか、あー……かわいい?」
    「はあ。そりゃあどうも」
     しゃー、じゃあ行くか。そう言って伸びをした丸井がゆっくりと炬燵から出ている間に、冷えたカップを片付ける。丸井のカップは空になっているが、仁王のコーヒーは半分も減っていない。それは丸井と仁王のお互いへの未練の差のように見えて、死んでしまいたくなった。自分がこんな女々しくて慘めったらしい思いをすることになる日が来るとは、今まで思いもしなかったのに。

     家を出て徒歩十分程度の駅から電車で二十分ほど揺られた場所に、地元の住民が初詣に行く神社がある。その三十分、丸井と仁王の間にほとんど会話という会話はなかった。丸井が最近の元チームメイトの話をして、それに仁王が曖昧に頷く。そんなことの繰り返しだ。それでも丸井は仁王に何かを話そうとした。それを嬉しいと思うし、心地良いと思う。電車の中でこっそりと話しかけて来る普段より優しげな丸井の声に、仁王は俯きながらずっと耳を傾けていた。
     電車を降りる頃には車内もそれなりに参拝客で賑わっていたし、参道までの道もこれから行く人と帰って行く人が行き交っている。この様子では目的地もそこそこ混んでいるだろう。駅を出た途端吹き付ける風に分かりやすく震えると、丸井はくく、と笑って仁王の手を握った。何事だと口を開くより先に手のひらに感じる温かさに気付き、それからすぐに丸井の手が離れていく。宙ぶらりんになった仁王の手にはカイロが残されていた。丸井には中学のころからこういったところがある。三年前に同じ学校の同じ教室に通っていたときも、やたらとこうして世話を焼かれていたような気がした。その度にこいつはモテるのだろうなと思ったし、実際丸井は女子生徒からの人気が高かった。そのうえ、人当たりがよく男子生徒にも好かれていたのだから無敵だった。欠点を上げるとするならば少し背が低いところだな、と当時の仁王は思っていたが、今の丸井は三年前よりもいくらか背が伸びて、高校三年生男子の平均身長程度はある。仁王よりも三センチほど低いくらいだろうか。顔だって、今でも童顔ぎみではあるが大人びた。きっと付属高校ではあの頃よりもずっとモテていることだろう。それが何をとち狂ったか、三年間女子のひとりやふたりと遊びもせずに仁王を選び、ずっとそばに居るのだから本当に勿体ないことだと、内心自嘲した。
     三年前の初詣で告白のようなことをして来たのは丸井の方だ。離れるのがなんか心配だから今後も俺と一緒にいろ、みたいな、そういう告白だった。丸井としては別のクラスになったらだとかそういうつもりだったのかもしれないが、あの時の仁王は教えてもいない外部進学のことを知られていたのかと酷く動揺して(詐欺師失格である)、だんまりの後につい頷いてしまったのだ。それから。それからずっと、仁王は丸井の人生を無為に浪費してきた。あの時仁王が頷かなければ、丸井はこんな血の迷いを三年もの間続けるようなことにはならずに可愛い彼女を作って、そんな彼女のために甘くて可愛らしいケーキを作ってやるような未来を迎えていたかもしれない。仁王は丸井とキスもしたしセックスだってした。抱き合った後には何もせず何も言わず肌に触れ合ったりもしたが、それでもそれが愛や恋であることは終わりを感じるまで分からなかった。仁王は丸井に好きだと言ったことがない。そんな甲斐性の欠片も可愛げもない仁王のことを、丸井はどう思っていたのだろうか。隣を歩く丸井は顔の半分をマフラーに埋めて、まっすぐ前を見ている。
    「思ったより人居るな」
    「まあ、朝とはいえ元旦じゃけえ」
    「押し掛けた俺が言うことじゃねえけど、お前よく付い来てくれたよな」
    「……おまんが家族より俺を優先した初めてのデートじゃろ。断るのも可哀想になっての」
     丸井は頬を染めていたが、元より寒さのために赤みがかってはいたのでそれが仁王の言葉によるものなのかは分からなかった。どこか嬉しそうではある。というよりは、むず痒そうな感じだ。頬を掻きながら、丸井は「デートなんて今まで一回も言わなかったくせに」とぼやいた。そして「いまさら実感が湧いたから」という仁王の言葉には、ほんの少し複雑そうな顔をした。やはり、今日で終わりなのだろうか。手放したくないというより、手放されたくない。きっと丸井も仁王もお互いが居なくたって平気な顔をして生きていける。いくら友人や知人が少なくても、人一人が生活の上から消えたところで突然立ち行かなくなることなんてない。親元を離れた時期が早いだけ、仁王は自立している方だ。姉と暮らしていた時期も家事はほぼ別々だったし、丸井に頼って生きている訳でもないのだから当然だ。それなのに丸井に置いていかれることに不安を感じるのは、踏み込んできたくせに途中で放り出されることへの不快感に近いように感じた。何も返してやった事がないくせに、身勝手で傲慢な話だ。
     丸井はゆったりと歩く仁王に合わせて隣を歩いているのに、すぐにでもずっと先の方へ行ってしまうように思えた。手を伸ばしたいような気持ちに駆られたが、今更そうするのはずるいことのように思えて腕が竦む。仁王は小さくため息をついた。そんな事をせずとも、わざわざ一緒に行こうと誘ってきた丸井が置いていくはずがない。それに、参道を通りようやく境内に足を踏み入れ、目的の場所までもう幾ばくもないのだ。追いつけなくなるような距離が生まれたりはしない。様々な家族連れやカップル、グループが暖かそうな服を着て白い息を吐いている。朝早くから歩き疲れて父親に抱かれる子供、少し恥ずかしげに腕を組む少年少女、スポーツバッグを肩から提げた男たち。新年の浮ついた空気の中で、丸井と仁王だけがそれに馴染めていないように感じた。賽銭箱の列に並びながら同じように上着のポケットに手を突っ込んで、身体と身体の間に隙間風を流している。仁王はそれに寂しいような虚しいような思いになって、心臓の真ん中にまで冷たい風が流れ込むような心地がした。右の手だけを丸井のものだったカイロが暖めていて、それすらもどこか気まずかった。
     順番待ちの列も気付けば前には数人しかおらず、じっと石畳を見つめていた顔をゆっくりとあげる。丸井はスマートフォンを弄っていて、その目は少し眠たそうだった。わざわざ家から仁王のことを迎えに来た丸井は、早朝に起こされた仁王よりもずっと早く起きていたのだろう。そう思うとすこしかわいそうだった。聞く限り、丸井の家から仁王が今暮らすマンションまでは大体自転車で二十分ほどかかるらしい。らしいというのは、仁王が丸井の家に行ったことがないからだ。いつも会うのは仁王の部屋か外ばかりだった。それなりに泊まりに来たりしていたあたり、厳しい家でもなく、客人を歓迎してくれるような家庭なのだと思う。丸井もそのようなことを言っていた気がする。けれど、仁王は丸井の家には行かなかった。単純に興味がなかったのもあるし、家族と交流を持つことにどこか気が引けていた部分もある。それに、どういう立場のつもりで丸井の親に顔を合わせればいいのかも分からなかった。一度くらい行ってみれば良かったとも思うし、行かなくて良かったとも思う。手放すのならば、記憶に巣食うものが少ないほうがいい。
     ついに列の先頭に立ち、ポケットによけていた小銭を投げ入れる。こっそりと隣を盗み見ると丸井は真剣な表情で手を合わせて目を瞑っていた。丸井のことなので、飯のことか、それこそ家族のことを願っているのだろう。正面に向き直り、箱に吸い込まれて行った百円玉のことを想う。百円ぽっちで叶えられる願いとはなんだろうか。家族のことも、将来のことも、丸井とのことも。たったそれだけの価値で願うことなど、なにも見つけられない。仁王は流れを汲んで手だけは合わせ、けれど顔はまっすぐ前を向いたまま、ただ立ち尽くしていた。

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