死に場所探し半田桃は死に場所を探していた。
ここ数日、メンタルの異常を強く感じていた。ぼんやりとした希死念慮が付き纏う。何故死にたいのかもわからないが、本当に死にたかった。
理由もわからないから、人に相談する術も無かった。
そんな靄が爆発したのが今日の夕方。
本当に些細な陰口だった。若くして吸対のNo.3という立場を妬む人々による、普段なら気にも留めない陰口。
今日はそんな些細なことで号泣してしまった。周りが駆け寄って心配してくれるなかで、半田は死ぬことを決意した。
ざあざあと雨が降る夜道を、傘もささずに徘徊する。自分がどこに向かっているかもわからなかった。ただただ死にたいという気持ちだけで歩き続けた。
なんとなく、路地裏に足を踏み入れたらロナルドがいた。パトロール中だろうか、声を掛けずに元きた道を戻ることにする。
腕を掴まれた。
振り向くとロナルドの顔があった。
「何してんだ?」
「……」
「なんで傘さしてないんだよ!びしょ濡れじゃん」
ロナルドは少し周りを見渡してから屋根のあるところに俺を引き入れて、さしていた傘を畳んだ。彼は、あーあー、と声を上げながらタオルで俺の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱すように水気を取っていく。
「すまない、……手を、煩わせてしまった」
今まで俺はどうやって表情を作っていただろうか、ロナルドは俺の顔を見て驚いた顔をしていた。きっと酷い顔をしているんだろう。鏡を見なくてもわかった。
「どうしたんだよ?何かあったんなら聞くぜ」
優しい言葉をかけられて涙が出そうになった。堪えろ、今泣いてしまったらこの男はもっと心配してしまう。
「何でも無い、ちょっと考え事をしていて、歩いてただけだ」
本当は自殺しようとしていた、なんて言えるわけがなかった。
ロナルドは不安げな顔でこちらを見つめてくる、俺はそっと目を背けた。
「……せっかく会ったしさ、飯行かね?奢るよ」
「行かない。貴様はパトロール中だろう」
「……?こんな雨の日に吸血鬼は出ねえよ、今は依頼の帰りだよ。この道通れば事務所まで近道だから」
ロナルドは不思議そうに首を傾げると、カラッとした表情で笑った。
「まあなんでもいいや、俺ちょうどこれから暇だし、奢るから飯いこうぜ」
「……いや、」
「遠慮すんなって!」
そう言って朗らかに笑うロナルドを見ていたら、自分が惨めに感じて苦しくなった。
泣くな、泣くな、と必死に念じる。泣きたくない、これ以上優しくするな。
「……すまん、……」
「おう!何食べようかなぁ」
ロナルドは俺の言葉を肯定と受け取って嬉しそうな笑顔を浮かべている。
その顔を見ると余計辛かった。
こいつは眩しい。土砂降りの雨の中で傘を掲げて太陽のように明るく笑うロナルドに腕を組まれながら、ぼろぼろと涙が溢れた。
俺を見ないでくれ。
死にたい。
半田桃は死に場所を求めている。
ついにロナルドがこちらを振り返ってしまう。
「は、半田!?どうした、どこか痛いのか?」
「いや、違う、大丈夫だ」
咄嵯に出た嘘だったが、心の底から死にたかった。
死にたい。
「大丈夫じゃないだろ!」
「本当に大丈夫なんだ」
「でも、」
「殺してくれ」
つい溢れ落ちてしまった本音に、ロナルドは目を見開いた。
「え……」
「殺してほしい」
「どうして」
「死にたいからだ」
「いや、……だから、なんで」
「わからない……でも、死にたくて、仕方ない……。今も、死に場所を探して歩いていた……」
「そんなことしたら駄目だって!」
「うるさい!!!!!もう嫌なんだ!何もかも全部!生きていたくない!……苦しくて、死にたいんだ……、楽になりたい……」
叫んでいるうちにどんどん悲しくなってきた。なんで俺はロナルドにこんな返事のしにくい欲求を一方的にぶつけて怒鳴っているんだ。ロナルドに対して申し訳ない気持ちで溢れて、早く一人になりたいと思った。
「………すまない、今日は、帰る……忘れてくれ」
涙が溢れて止まらない顔で、なんとか無理やり口角を上げてロナルドから離れる。
怖くて顔は見られなかった。
「待ってくれ」
ロナルドに腕を掴まれた。
「放せ、もう構うな!」
手を振り払おうとしたが、力では敵わない。必死になって暴れたがロナルドがその手を離すことは無かった。
「お前が死んだら悲しい奴がいるんだよ!!」
「誰だそれは!!知らない奴のことなど知った事か!!」
「俺だよ!!!」
思わず目を見開いてロナルドの方を振り向いた。
「……当たり前だろ、何年の仲だと思ってんだ」
ロナルドは真剣な目をしていた。
「お前がいなくなったら寂しいよ、だから死ぬんじゃねえ」
「…………っ、……」
うまく声が出なかった。
「半田、……俺んちに来ないか?
愚痴でも文句でも一晩中なんでも聞くよ、それでも落ち着かなきゃ病院行けばいい」
本当にこのまま甘えていいのだろうか。
「ほら、行くぞ」
返答を待たず、ロナルドは俺の手を取って歩き出した。
いつのまにか雨は止んでいた。
ロナルドに連れられるがまま、事務所に入った。彼はメビヤツにただいまと声をかけると居住スペースに俺を引き入れた。
「あぁおかえりロナルドくん、……おや半田くん、いらっしゃい」
ドラルクは半田の顔を見て少し眉を動かしたが、特に何も言及せず優しく笑った。
「シャワー浴びるか?」
「いや……すぐに帰るから、いい……」
「…………タオル取ってくるから、ソファに座っててくれ」
「あぁ……」
ロナルドは脱衣所にタオルを取りに行く。
小走りですぐに戻ってきた彼はドライヤーとタオルを手にしていた。
また俺の髪を乱すように水気を飛ばして乱雑にドライヤーをかける。ひどく頭を揺らされたが、されるがまま黙っていた。
「寒くないか?」
「大丈夫だ」
「そうか、腹減ってないか?」
「………、……大丈夫だ」
「そっか」
沈黙が流れる。何を話せば良いのかわからなかった。ロナルドは少し考え込んでから口を開いた。
「適当につまめるもの持ってくる、なんか口にしながら話そうぜ」
「それならさっき作ったバナナフリッターがあるよ」
ドラルクが一緒に立ち上がってロナルドについていく。俺のために行動してくれているとわかっていても、2人が仲睦まじく家族同然で喋る様子に普段は絶対に感じないような疎外感を強く感じて、涙が出た。
声を押し殺して目を伏せる。
「おい、どうした半田、……泣いてんのか」
「大丈夫かい?どこか痛むのかね?」
首を振って涙を誤魔化す。
「違う、何でも無い、気を使わせてしまってすまない」
2人は顔を見合わせた。そして、彼らは俺の両隣を囲うようにソファに座った。
「俺が勝手にやっただけだよ」
「私達にとって半田くんは大切な友人だ、だから当然なのだよ」
また泣きそうになったが今度は堪えた。
「ありがとう」
「お、やっと笑ってくれたな!半田」
「もっと笑いたまえよ、辛気臭い顔なんざ君らしくないだろう」
「ウハハハ、たしかにそうだ!」
声を上げて泣き笑う。苦しい気持ちは消えずとも、今はただ幸せだった。
***
死にたがる半田を連れてきた後のこと。
3人で談笑していると事務所の扉が開いた。
「ロナルドはいるか?」
ちょっとごめんな、と一言伝えて半田の頭を撫でると居住スペースを出た。
あれ、今俺なんで半田のこと撫でたんだろ。
「ヒナイチか」
「厄介な吸血鬼の目撃が報告された。催眠を使うもので、そいつの攻撃を受けた者は情緒が不安定になり外を徘徊しはじめる」
「えっ……?それって」
半田の行動を思い出していた。あまりにも行動が一致する。
「半田がその催眠を受けてるかもしれない」
「なに!?それは本当か!」
「さっきずぶ濡れで歩いてるところを保護したんだ。死にたい、苦しい、って言ってて様子がおかしかった」
「……たしかに、今日の夕方の勤務時間中も突然泣き出した……」
ヒナイチはハッとした表情で最後に半田に会った時のことを語った。
「半田はどこにいるんだ?」
「奥の居住スペースで落ち着かせてる、会うか?」
「頼む」
居住スペースのドアを手に掛けた瞬間、ドラルクの悲鳴と泣きじゃくる声が聞こえた。
「半田!?入るぞ!!」
「早く来てロナルドくん!」
ドラルクが返事した。
慌ててドアノブを捻り、部屋に入った。
半田はソファの上でぼろぼろと泣いて嗚咽を漏らしていた。目は虚ろだった。
普段のはつらつとしていて元気な半田とは想像もつかない様子にヒナイチは驚愕した。
「半田、大丈夫か?しっかりしろ!」
「……ごめんなさい、ごめ、なさい…………」
ドラルクは砂からゆっくりと再生しながら困った顔で話しかけてきた。
「ロナルドくんが事務所に戻ったとたんこの調子なんだ、彼はいったいどうしてしまったんだね」
「おそらく吸血鬼の催眠のせいだ」
「半田、大丈夫だよ。謝らなくていい、大丈夫だから」
ヒナイチがドラルクに事情を説明している間、俺は背中を撫でながら必死に語りかけた。しかし半田はただ何かに謝り続けるだけだった。
しばらく経っても半田は落ち着かないどころかソファの上で体育座りをして蹲ってしまった。かと思えば泣き腫らした顔を上げて、薄く口を開く。
「そうだ、いかなければ、……死に場所を」
そう呟いた半田は立ち上がって出ていってしまった。
「は、半田!どこにいくんだ!……ロナルド、追いかけよう」
「待て」
今すぐにでも追おうとするヒナイチを制止する。
「半田が洗脳されているんだとしたらおそらくその吸血鬼がいるところに自然と足が向くはずだ。半田にバレないよう後を追って吸血鬼を誘き出すぞ」
俺がそう言うとヒナイチとドラルクは不安な様子だった。
「普段の彼ならまだしも、大丈夫なのかね」
「大丈夫。俺もあいつも強いから」
メビヤツから帽子を受け取り、ふらふらと歩く半田の背を追った。
ヒナイチが2本の刀を腰に挿して着いてくる。ドラルクは半田が戻ってきた時のために事務所に残ると言ってジョンと共に料理を作り始めていた。
半田が少ない街灯を頼りに暗闇の中を歩き回りたどり着いたのは人気のない小さな公園だった。
今は深夜3時ごろ。
「……ここなら、誰も来ないだろう」
半田はブランコに座ってゆらゆら揺れはじめた。
「どう、したら…死ねるだろうか」
遊具を眺めながらそう呟く。ロナルドたちは胸が締め付けられる思いでその様子を眺めていた。
そして。
「来たぞ」
ロナルドが公園の入り口を見つめた。黒いローブを着た吸血鬼が半田にゆっくりと近づけていく。大鎌を持ちゆらゆらと動くその見た目はさながら死神のようだった。
「ヒナイチ、俺が空砲を撃つからそれを合図に突撃できるか?」
銃を構えたロナルドは刀の持ち手に手を添えるヒナイチに小さく声を掛けた。
「任せてくれ」
ヒナイチは自信満々に答えてみせた。
「頼んだぜ」
ロナルドはニヤリと笑ってブランコで弱々しく揺れる半田を見た。
「絶対助けるからな」
銃声が響いた。
同時に走り出したヒナイチが吸血鬼に斬りかかる。ロナルドは半田の元に駆け寄って抱きかかえた。
「もう大丈夫だからな!」
半田は綺麗なものを見たように一瞬目を見開いてから失神したように意識を失った。
半田を抱えたロナルドは吸血鬼から離れるように公園の外へ歩いた。それからヒナイチの猛攻に姿勢を崩した吸血鬼に向かって引き金を引く。公園に灰が舞った。
ロナルドは半田を公園の地面に横たえて、息があることを確認すると安堵の溜息を吐いた。
「よかった、ちゃんと生きてる……」
ロナルドの腕の中で半田は意識を取り戻した。
「ン……、は?……な、なんだこの状況は」
半田は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ろ、ロナルド、貴様ッ!離れろ!」
ロナルドは半田を抱き寄せたまま放さなかった。
「半田、もう大丈夫だからな、よく頑張ったな」
「やめっ、離せっ!なんの話だ!!」
赤くなった顔で困惑する半田、どうやらさっきまでの酷く死にたがっていたときの記憶は抜け落ちているらしい。
「半田、もう大丈夫だから」
「何が大丈夫なのだ!!俺から離れろ!」
「嫌だよ、お前が無事で本当に良かった……」
ロナルドは半田を強く抱きしめた。半田は混乱して何も言えないまま黙ってしまった。
「な、何かよくわからないが、…俺はなにか心配をかけたのか」
半田は後ろで眺めるヒナイチに目線で助けを求めた。
「そうだ、半田、お前は催眠を受けていたんだ」
「催眠?一体どういうことだ」
「吸血鬼の被害者を精神的に弱らせ、外を徘徊させて襲い血を吸う悪質な吸血鬼。半田はその被害者だ」
「そんな、馬鹿な、」
半田は動揺しているようだ。
しかし、確かに言われてみれば、今日はパトロールでもなんでもない非番にも関わらず深夜に出歩いていたことを思い出していた。普通に日常を送っていたつもりだったが、なぜかここ数日の記憶が曖昧だ。
ロナルドに抱えられたままの半田はヒナイチの説明を聞きながらみるみる青ざめていった。
「俺はその催眠のせいで……自殺をする一歩手前までいっていたのか」
「たまたま俺と会って止めたからそんなことにはならなかったけど、運が悪ければ危なかったかもな」
ロナルドの言葉に半田はさらにショックを隠せない様子だった。
「それは、すまない……、たいへんな迷惑をかけてしまって」
半田はロナルドに抱かれたまま俯いて謝った。よく見たら半田の手は死への恐怖で小さく震えていた。
「気にすんなって、助けられてよかったよ」
ロナルドは優しく半田の頭を撫でてやった。半田はその手を振り払うこともせずされるがままにしていた。
「……ありがとう」
半田はロナルドに礼を言うと、ロナルドを抱き返した。
「ロナルド、感謝する」
半田の素直な言葉を聞いて、ロナルドは思わず笑みを浮かべた。
「おう、元気になってくれて嬉しいぜ」
ヒナイチはその様子を温かい眼差しで見守っていたが、ふとスマホで時計を見ると慌てて二人に声をかけた。
「すまない、そろそろ署に戻って報告書を書かないとまずい」
「げ、もうこんな時間かよ!ドラ公もう寝てるだろうな」
時間は早朝5時だった。太陽が昇り始めている。ロナルドは半田に手を貸し、二人は立ち上がった。
ヒナイチは半田に言った。
「半田、今日は休んでくれ。隊長には私から話をしておこう」
「だが、催眠を受けていたなら被害報告と日誌を書かないと、」
「なにも覚えてないないんだろう?私がロナルドから話を聞いて書いておこう」
ヒナイチの言葉にロナルドは任せな、と頷いた。
「ほら、半田!事務所に戻ろうぜ、ドラ公が飯作ってくれてるって!」
「本当か?!私も食べる!」
「お前は吸対に戻るんだろ〜?」
「ウハハ!全部食べ尽くしてやるわ!」
「〜〜っ!!」
「嘘嘘、残しといてやるから早く行ってこい!半田、行くぞ!」
「ああ!」
半田は腕を引かれながら走った。
早朝のシンヨコに3人の笑い声が響いていた。