いやー、さっきは面白ェもンが見れたぜェ。
ついさっき起きた出来事を思い出し、バールゼフォンは筆を動かす手を止めないまま肩を震わした。仲間であるラウムの父から済まないんだが……と誘われた舞踏会。舞踏会自体には興味は無いのだが、行き倒れになりかけた所を助けて貰った恩がある。それに別嬪さんと会えるかもしれないと思えば、まあそう悪くも無い。
そう思い、了承の返答をしたのだったが、やはり特に面白味も無く、好みの美人もこれと言っていない。これはもう諦めて、壁際で適当に酒でも飲んでいるかと思った矢先のあれだ。
ラウムの性格を知っている身としては意外でもなんでも無かったのだが、他人から𠮟られ慣れていない『貴族様』にはそうでは無かったらしい。どこぞの貴族の馬鹿息子を凄い勢いで説教し出したラウムを唖然とした表情で見ていた。
何人かの貴族はラウムの方を無礼と見なし止めようとしていたが、圧倒的に正論なのは彼の方だ。止める事も出来ずにまごついていた所、駆け付けて来たのがラウムの父。これでラウムも終わりだと小馬鹿にした笑みを浮かべる貴族達だったが、なんとも甘い。最終的に親子揃って説教を始め、結局その馬鹿息子が反省するまで続いたのだった。
「本当にあれは傑作だったぜェ」
元々舞踏会が始まった頃から目に余る行為が多かった馬鹿息子とその取り巻き達だ。故に、ラウム達親子の説教を見咎める者はその取り巻き達以外はほぼおらず、なんならその後は拍手喝采だったぐらいである。自分もまたこれは是非アジトの奴等にも教えてやるべきだろうと思い、早速その光景を描いていた。
「……んー、こんなもンか?」
完成した絵を遠目で見て、バランスを確認する。本当なら色も塗りたい所だが、生憎ここには道具が無い。スケッチブックと筆だけは用意していた事だけでも、褒めるべきだろう。しょうがない。仕上げは帰ってからするか。バールゼフォンはスケッチブックを閉じると、大きく体を伸ばした。
バルコニーでこそっと描いていたのだが、そう言えば誰一人として来なかった。恐らくはラウムの父が人払いをしてくれてたのだろう。確証が無いが、彼ならばそんな気遣いをしてくれていてもおかしくない。絵も無事完成したし、少し肌寒くなって来たから一度中へと戻るか。面倒だと思いつつも、バールゼフォンが立ち上がろうとした瞬間ーー。
「ーーやあ、そこの格好良いお兄さん。良かったら、オレと少し話でもしないかい?」
「下手くそなナンパだなァ。それじゃァ、釣れるもンも釣れねェぜ?」
馴染みのある声に、バールゼフォンは苦笑いしながら後ろを振り返ったのだった。
「こんなとこで会うなんざ『運命』って奴か?」
「単なる偶然だと思うよ? 後、オレの名誉の為に言っておくけど、普段はもっとちゃんとナンパしているからね。キミならあれでも釣れるかなと思っただけだよ」
「人をちょろい扱いすンなよ」
相変わらず己に対する扱いが酷い。まあ、だが、こうしてホイホイ釣られてしまった以上反論しようも無いが。バールゼフォンはヒュトギンに横に座るように勧めるが、汚れるからと彼は手すりに腕を乗せては頬杖をして立ったままだ。
「でも、キミがこんな所にいるなんて本当に珍しいね。どう言う風の吹き回しだい?」
「ラウムの父親から頼まれてなァ。助けて貰った恩もあるし、別嬪さんに会えるかもと思って頷いたンだよ。実際、こうして俺好みの美人からナンパされたしなァ?」
そう言ってニヤリと笑いながらヒュトギンを見上げると、ちょうど彼のお尻が目に入る。女のように肉付きが良い訳では無いが、形が良い。つい手を伸ばしてしまうも、寸での所でヒュトギンに妨害されてしまう。
「キミもラウムに一回お説教されて貰った方が良いんじゃない?」
「いやー、そいつは勘弁願いてェーーって、お前ェもあれを見てたのか?」
見物人の中にヒュトギンは居なかったような気がするのだが。首を傾げるバールゼフォンに楽しげに笑うと、
「直接は見てなかったけど、良い話の種になっていたからね。キミよりも前に声を掛けたご令嬢から聞いたのさ。それで、面白そうだからラウムを探したら、キミも出席しているって聞いてね。ここに案内されたんだよ」
成程、親子揃って本当に気遣いが凄い。ここまで来ると、感心して良いのか、呆れた方が良いのか。バールゼフォンが柄でも無く悩んでいると、横に置いてあったスケッチブックにヒュトギンが気付いたらしく、彼はそれを手に取ると、パラパラと開き始めた。
「わざわざ持って来てたんだ」
「あァ、良い題材はどこに転がっているか分からねェからな」
興味深そうにページを捲っていたヒュトギンだったが、その手はあるページではたと止まった。恐らく『あそこ』だろう。
「キミが男を描くなんて珍しいね」
「そうか? お前ェの絵とかはこれまでに何枚も描いてるだろ?」
「それじゃあ、訂正しようか。キミが自分からオレ以外の男を描くなんて珍しいね」
そう言われも。今までにもアジトの面々に頼まれて描いた事もあったし、この前はソロモン王の絵も描いた。確かに珍しいと言えば珍しいが、ゼロと言う訳では無いのだ。わざわざ指摘される程のものでは無いと思うのだが。
「もしかして、妬いているとかか?」
「いや、全然。純粋な感想だよ」
本音が読めない。しれっと涼しい顔で言葉を返すヒュトギンに、バールゼフォンは心の中で大きく溜め息を吐いた。本当に単なる感想を言っているだけなような気もするし、誤魔化しているような気もする。まあ、どっちにしろ、ヒュトギンがそう主張しているのだから、本音かどうかは別として『そう』なのだろう。だとすれば、この話題はここまでだ。
「流石にもうそろそろ戻るか」
時間的にもそろそろお開きな筈だ。バールゼフォンは立ち上がると、ズボンについている汚れを手で叩く。
「そうだね。あっ、ネクタイも曲がっているよ」
「わりィな。っと、そういやそこの美人な兄さんよ」
「なんだい?」
否定はしないのか。ネクタイを直す手を止めずに当然の事だとばかりに返事するヒュトギンにバールゼフォンは軽く苦笑いするが、彼のそう言った所も好みなのだから、我ながら仕方がない。
「もしこの後時間が空いてるンなら、ちょいと俺のお相手をしてくれねェか? ーーその綺麗な姿を是非とも絵にしたくてなァ」
そう言うと、ヒュトギンはようやくネクタイを直す手を止め、顔を上げた。そんな事を言われるとは思っていなかったのか、子供のようなきょとんとした表情が可愛いらしい。
「俺の絵のモデルになってくれやしませんか?」
「……」
彼の手を取ると、手の甲にそっと口付けをしてもう一押し。我ながら気障ったらしいと思うが、一応様になると言うのはヒュトギン自身のお墨付きだ。服装も服装だし。セーフの筈だ、うん。無言のままのヒュトギンにバールゼフォンが少しばかり心配になって来た頃ーー。
「ーーしょうがないから、モデルになってあげるよ」
そうヒュトギンは柔らかな笑みを浮かべると、嬉しそうにこちらの手を握った。どうやらこれで『正解』だったようだ。本当に焦らしてくれる。だが、そうとなれば善は急げだ。
「だったら、早いとこここからおさらばしようぜ!」
「ちょ、ちょっと、バールゼフォン!」
バールゼフォンはヒュトギンの手を握り返すと、貴族達が呆気に取られる中、大広間を早足で駆け抜けて行ったのだった。
バゼさんには好きなように絵を描いていて欲しいけど、内心ではちょっとだけ複雑な気持ちだったヒュト。この後のフォローはラウムくん親子がしてくれました。