第一王子と聖騎士の将来設計。「別に俺の結婚は大して重要じゃない」
「なぁに言ってンだ第一王子」
いつもみたいに人の部屋に安酒を飲みに来たステイルが、何杯目かのジョッキを空にして言う。そもそもなんでこんな話になったンだっけか?
「俺に価値があるのはせいぜいフリージア王国内だけだ。そして今のところ早急に縁を結んでおかなければいけない貴族はいない。母上と姉君のおかげで不穏な要素は排除されているし、各派閥もバランスがとれているからな」
「フリージアだけって……お前王子だぞ? 普通に政略結婚とか……いや、してほしい訳じゃないからな!? できればステイルが選んだ相手とちゃんと結婚してほしいと思ってっけど! あれだろ? 王族の結婚は……なんか、義務でもあったりすンだろ?」
王族の結婚が好き勝手にできない事くらいは分かってる。それでも、ステイルの事をちゃんと見てちゃんと好きになってくれるような相手がいいって願うのはダチとして当たり前だ。だってのに、重要じゃないってどういう事だよ。
「まあ義務といえば義務ではあるんだが、俺の場合は血が問題だからなぁ」
血、という言葉に思わず顔をしかめる。元が平民だからって意味か。
「……でも第一王子だ」
今さらステイルの生まれを気にしてるヤツなんかいねぇだろ。王城内じゃあのジルベール宰相と渡り合える第一王子だって評判だし、ステイルの優秀さなんて貴族じゃなくたって知ってる話だ。
変な自虐でもする気なら頭突きの一発でもしてやろうかと身構えたら、取り繕うような顔もしないでステイルはため息をつく。
「この国ではそれが通用するが……ああ、アネモネ王国とチャイネンシス、サーシス王国は実力主義な部分もあるし、国としてフリージアには恩がある。それなりに歓迎はされるだろうが、アネモネ王国はレオン王子が姉上の元婚約者という微妙な立ち位置だし、ハナズオ連合国はティアラがセドリック王弟殿下と結婚するとなると、やはり権力バランスとして難しい」
「その三国じゃなくてもフリージアとの友好国は多いだろ?」
国同士の結びつきを強固にするため、ってのを手っ取り早くするのが政略結婚だ。もう縁の出来てるアネモネ王国、チャイネンシス王国、サーシス王国よりも、他の国の方がステイルの事狙ってそうなもんじゃねぇ?
って、思ってる事は大体伝わったらしくステイルは軽く首を横に振る。
「フリージアとは友好でも、大半の国が貴族に求めるのは血筋だ。俺が元平民であることは他国にも伝わっている事実だから、よその国からしたら俺は王族を名乗っているだけの平民でしかない。そんなところに大切な娘を嫁がせるか?」
名乗ってるだけって……ちゃんと女王陛下の子供として認められて、次期摂政としてプライド様の側にいる事が決まってる男だぞ?
「パーティーの時はいつもご令嬢に囲まれてンじゃねぇか」
「あれは大半がフリージアの“ご令嬢”だ。他国の女性も挨拶には来るが……王家主催のパーティーに招待されるようなのは高位貴族だから、中身がどうであれ第一王子という肩書に友好的なのは当たり前だろう。たまに俺に突撃してくるぶっ飛んだお嬢様もいるが、両親が許可しないだろうな」
「そぉいうもんか?」
自分の娘が王子に見初められたら自慢できそうなもんなのに。ああそうか、ステイルは次期摂政としてフリージア王国に残る事が決まってっから、どうしても外国に嫁がせる事になるもんな。それを素直に喜べないのはティアラの時に充分思い知った。家族なら余計だろう。
「考えてもみろ、貴族ってのは血筋が何よりも重要視される世界だ。貴族の男が平民の女性を孕ませる事があっても、平民の男が貴族の女性を孕ませたなんてそうは聞かないだろ?」
ん? なんか話の内容が不穏になってねぇか?
「それはなんか……すげぇ大恋愛の結果、って感じだな」
「そうだな、まあなんだかんだ上手く結婚までこぎ着けられた夫婦だったから話題にも乗るんだろう」
貴族と平民の結婚つったら物語になるレベルだ。努力の末に相手の親御さんに認められて婿入りとか、あとは駆け落ちとか。
「貴族のご令嬢は身辺警護がしっかりと固められている事も大きいんだろうが、普通はそんな醜聞滅多に広がらない。相手が貴族の男であれば無理矢理だったとしてもその家に嫁げばいい。子供だけ差し出すという事もあるだろう。だが相手が平民であれば、たとえ互いの気持ちが通じ合っていようが親が許さない。うちの国でそこまでの愚か者はいないと信じたいが、場合によっては家の恥だと娘に自死を迫る事もあるそうだ」
ステイルの口から出た言葉に対し、勢いよく机にジョッキを叩き付ける。
「自死って、親だろ!? なンで子供にそんな事!」
「一族に汚れた血が混じるからだ」
「汚れた……血?」
ジョッキの中身をゆらゆら揺らしながら、つまらなさそうに言うステイルに思わず絶句した。バカみてぇに口が開けっ放しになってる自覚はあったけど、それを気にしてるほどの余裕なんかない。
「国によっては、平民は貴族と口をきく事すら許されない。平民は人間と換算されていないからな。そんな国からしたら、和平のために俺に嫁ぐというのは獣へと生贄を捧げるのと同じ行為だ。こちらがいくら友好的に接したところで、嫁いでくる女性もその家族にとっても、人質に取られた挙句に平民ごときに凌辱されるという最大の汚点となる。それを承知で寄越されるって事はその国にとってよほど目障りな家なんだろう。平民に娘を差し出さねば存続もできなかった程度の家柄だ、と語り継がれる事になるんだから。国内ではいい見せしめになるだろう」
「そんな……ステイルはっ……!」
「酷い話だろう?」
「酷いどころじゃねぇだろ!?」
自分との結婚がまるで刑罰扱いだと言いながら、やっぱりステイルはつまらなさそうに鼻で笑う。ってぇ事は、もしかして今までこいつは……外交として他の国のお偉いさんと会ってた時、そんな目で見られてたって事か?
「だから母上も姉君も、そんな国との縁談は持ち込まない。今のところそこまでの恨みを買ってまで関係を繋げておかなきゃいけない国もないし」
「当たり前だ! ステイルが蔑ろにされるような結婚なんか認めねぇからな!?」
女王陛下とプライド様だけじゃない。俺だって認めねえし、そんなんフリージアの国民全員が許す訳ない。
「と、なると俺のお相手はかなり減る。というか諸外国との政略結婚とした場合、どうしても『フリージアという大国に人質として無理矢理嫁がされた』と周辺国にみなされる可能性が高いんだ。どれだけ相手のご令嬢が望んでくれたとしてもな」
淡々と説明してはくれっけど、やっぱり納得がいかない。ステイルはたとえ本人が望んでない結婚だったとしても、嫁さんにした相手を不幸にするようなヤツじゃない。それなのになンで関係ねえ外野が適当な事言うんだよ。
「残念だが、庶子ならともかく生粋の平民を養子に迎え入れるこの国の方が珍しいんだ。ヴェスト叔父様なら元は貴族の生まれらしいから、その辺りの問題も無かったんだけど……生まればっかりは俺の努力でどうにかなるもんじゃない」
腹立たしい顔を隠さないでそのままにしてたら、なんでかステイルの方が俺を慰めるみたいに言う。
「という訳でおそらく母上と姉君が認める結婚はフリージア国内の……そうだな、カラム隊長が婚約者候補になった事実が広がらなかったとしても、近衛騎士として姉君に重用されているのは変わらない。ボルドー家に近い家門だけは除外されるだろうが、まあそれ以外なら好きに選べと言われそうだ。あの人達は俺にも甘いから」
ステイルはジョッキの残りを一気に煽って、だから自分は結婚しようがしまいが構わないんだと自嘲するみたいに笑った。
「それよりもアーサー、政略結婚というのなら俺よりもお前の方がよっぽど有益なの分かってるか?」
「ぶっ」
不機嫌さをそのままにしてジョッキを傾けようとしたら、思いもよらぬ発言が飛んできた。なんだって?
「なに、を……?」
「俺は王族だがアイビー王家の血は流れていないから子孫を増やす義務もないし、もちろん王位継承権の発生する子供は生まれない。精々が王族に娘を嫁がせた家として、俺と……そうだな、俺の孫くらいまでは国から無碍にされる事はないって程度だ」
「王族に嫁ぐってのはすげぇ事だろ?」
「その時はな。だが言っただろ? 王女が降嫁したならともかく、養子の王子に嫁入りした程度じゃその栄光も精々数世代だ」
そんなもんか? いやあれだけパーティーで囲まれてンだぞ? 引く手数多っつーか、ステイルと結婚したいって思ってる女性はいくらでも……いや、今はステイル個人じゃなくて政略結婚の話だったか。
「ガーター・ベルリヒンゲンとベルトラン・ロイヤル・アイビーはもう誰の事か分かるな?」
「っ……分かる。鉄腕の騎士と百年騎士で、過去に聖騎士の称号を得た騎士、だ」
行儀悪く頬杖をついて、ステイルはにやにやと笑う。あれからきっちり聖騎士については勉強したから、何を聞かれても及第点の返事はできるはずだ。
「よろしい。じゃあアーサー、実は自分が百年騎士の子孫だったと聞かされたらどう思う?」
「どうって」
「彼らは何百年経っても語り継がれる英雄だ。その血を引いているのは誇らしいだろう」
「それは、まあ」
おとぎ話に出てくるようなすげぇ騎士が先祖だって聞かされたら、そりゃぁ……嬉しい、よな?
「分かってるのか、アーサー? お前も今はその立場なんだぞ」
「はぁ!?」
何がだ? 聖騎士の子孫が? なんだって?
「自分は“あのアーサー・ベレスフォード”の血を継いでいます。その言葉がこの国でどれだけの価値を持つのか。子供、孫どころじゃない、何百年後でも充分に誇れる事だ」
「いやっ、でも……ンな事言われても……」
いきなり言われても頭が回らない。俺の血縁者だって事が自慢になンのか? いやいや。
「俺の方こそ完全な平民だろぉが。平民の男と結婚する貴族はいないんだろ?」
「いないとは言ってない。珍しいというだけだ。それにフリージア王国の貴族にとって重要なのは、血よりも地位だ」
「じゃあなおさらだ」
ステイルと違って、こっちは生まれも育ちも立派な平民だ。血筋どころか地位もない。騎士に憧れる女性がいても、代々騎士を輩出してる貴族もいるのにわざわざ平民の俺を選ぶ事もないだろう。なんだ、ステイルにからかわれただけか。そう思って苦い顔をしてみせると、ステイルはステイルで微妙な顔をしてた。
「叙勲の時、母上はお前に褒美を与えると言ったのを覚えてないのか?」
「覚えてる。忘れられる訳ねぇだろ」
何時如何なることがあろうとも騎士としてプライド王女殿下のお傍にいる御許可を。
俺がようやく手にした権利だ。
「あの時アーサーが爵位を求めたら、その場で叙爵されていてもおかしくはなかった」
「は?」
「お前が望めば、今頃アーサー・ベレスフォード男爵になってたって事だ」
「いやいやいや、それはねぇだろ。さすがに俺が貴族はねぇって」
「国内に男爵が何人いると思ってるんだ。数百年に一人の聖騎士の方がよっぽどだぞ」
ぐ、と言葉に詰まりステイルの目を見る。
からかってる、訳じゃねぇな。
確かにあの時、今なら富も地位もと思ったのは確かだ。でもその時に思い描いてた地位ってのは俺が貴族になるとかそういうんじゃなくて、プライド様との間にある壁を一個乗り越えさせてもらえるような、そんな物だった。
でもそうか、普通地位って言ったら爵位って事になンのか。
「アーサーならこれから先いくらでも功績を残すだろうし、その都度叙爵を求めて許される機会が来る。愛する妻に出世を望まれれば、清貧な聖騎士でも爵位を願い出る事もあるだろう」
自分の手でジョッキに酒を注ぐステイルが、妙に他人事みたいに言う。
「と、まあ一部の貴族の間で交わされてる囀りの一つだ」
「そんな話出てンのか!?」
「それはそうだろう。有能な騎士団長のご子息、最年少騎士隊長、次期王位継承者の最初の近衛騎士、そして聖騎士。将来有望株以外のなんだっていうんだ」
今度こそぽかんと開いた口が塞がらない。本当にそんな事考えてんのか!? こっちはほんの数年前まで、一生鍬握って生きてくつもりだったンだぞ!?
「ああ、ついでに次期摂政である第一王子からの覚えもめでたい」
くっくっくと笑い声も隠さないステイルは、ぜってぇさっきの貴族の話聞いても否定しないに違いない。なんなら聞いてて恥ずかしくなるくらいに褒めちぎりそうだ。
「俺は騎士になった時点で結婚なんか考えてねぇよ。っつーか聞かれてもそう返事してンの知ってんだろ」
言いながらも、政略結婚て言葉を頭の中で転がす。もし、もしも俺が、どっかの偉い家の娘さんと結婚する事で、プライド様の危険が一つ取り除けるなら。それが俺にしかできない事なんだったとしたら……。
「ステイル・ロイヤル・アイビーが便利な道具になれるのなら断るつもりはないが、そうでないのなら俺は結婚しなくてもいいと思ってる」
「そ、っか」
ステイルも同じ事を考えてたんだと知って、思わず口元が緩む。
多分俺も同じだ。「アーサー・ベレスフォードとの結婚」ってやつがプライド様にとっての武器になるなら、いつでも喜んで受け入れちまうに違いない。でもあの人の事だから、そんな使い方はしてくれねぇんだろうな。
「それにその方が、こうしてアーサーと飲む時間を邪魔されないで済むしな」
ひょいと目線まで掲げられたジョッキに、今日二度目の乾杯をした。どこまでが冗談かは分からないが、こうやって俺と飲む時間がステイルにとって有益になってるならよかった。
「嫁さんの事邪魔とか言うなよ」
「だからだ結婚は無理だと言ってるんだ。アーサーとの時間が削られても惜しくないと思えるような人間が、見つかるとは思えない」
「俺もまぁ、そうだな。プライド様を最優先にするのは騎士として当然の事だけど、その次に優先するのが第一王子の愚痴を聞く時間だなんて言ったら早々に愛想も尽かされンだろ」
次第に軽口に変わっていく内容にそっと胸をなで下ろし、さっきまでの苦い気持ちを酒で飲み流す。
「あと血筋がどうとか言ったけど、騎士なら血よりも技を受け継ぐ方が誇れるんじゃねぇか?」
「技?」
「俺は父上の息子である事に誇り持ってるけど、こうやって実際騎士になれたのはガキの頃から父上が稽古つけてくれたからだ。血だけで騎士にはなれねぇよ」
第一王子の無茶振りもあったしなと付け加えると、ステイルはまた真面目な顔をしてジョッキを机に置いた。
「アーサー」
「なんだ?」
「俺と結婚しないか?」
ごふっ
「冗談言う時はっ……タイミングを選べ。あー……くっそ、酒もったいねぇ」
口から勢いよく零れた酒がびちゃびちゃと机を濡らしていく。服まで汚さなかったのはラッキーだったなと思いながら、タオルを取るために席を立った。
「子供をつくる事を重要視してないなら俺が相手でもいいだろう?」
「よくねぇよ。男同士で結婚なんか聞いた事ねぇぞ」
「ならできるようにすればいい。草案だけ作ってジルベールにでも投げておくか」
「さてはお前酔ってるな?」
俺の動きに合わせて顔だけ向けてくるステイルに、水差しを取って押し付ける。酔ってんならもっと分かりやすく顔に出せ。
「おら、水飲め水」
「アーサーは俺が相手じゃ嫌か?」
「まあ嫌じゃねぇけど」
タオルで机を拭きながら、パーティーで話しかけてくれるような全身手入れされた女の人よりは、ステイルと一緒の方がよっぽど気楽だしなと生返事を返す。いや、話しかけてくる女の人たちより、こいつの方が偉いんだけど。
「ああ、そうか。アーサーは兄弟がいないから、騎士団長たちに孫を抱かせてやれないのは困るか」
「だからそもそも結婚する気はねぇって言ったよな? 聞いてなかったか?」
「じゃあ養子でももらうか」
「俺の話聞いてねぇな?」
「ならいっそ孤児院でも経営するか? 政策としても悪い話じゃないし」
「聞けよ」
「それで、勉強は俺がみて剣はお前が教えるんだ」
ふ、と笑うその顔が本当に柔らかくて、なんつーかこんな言い方したら変だってのは分かってるけど、実家に戻った時に母上が俺に見せる笑顔にも似てて。
それは随分と幸せそうな未来に聞こえた。
「その中で優秀な子を引き取ってもいいし、ああでもそれだと優劣をつけるようで姉君がいい顔をしなさそうだな」
「だったら全員ベレスフォード名乗らせりゃいい」
こぼした分の酒を追加して、ステイルの夢物語に乗っかる。
「うちは代々伝わる平民だ。王族のアイビーは名乗らせらんねぇけど、ベレスフォードの名前なら問題ねぇと思うぞ」
なんとなく想像するのは、少し大きめの家で一緒に生活する子供たちだ。ちゃんと全員顔も性格も覚えられるくらいの人数で、普段は子供たちの面倒を見てくれる人を雇って。んで日中はプラデストに通わせて、午後は俺達がその家に顔出して。
「それはいいな。どこの家よりも子だくさんだ」
そう言ってくすくす笑うステイルと、その日三回目の乾杯をした。