洗濯してあげるベリアン シーツの中で動かした足が冷たくて目を覚ます。部屋の空気はしんと冷えていて、ベッドから下ろした足は床の冷たさに体温を奪われていくようだった。
ぎ、とドアの開く音がして目を向けるとベリアンが入ってくるところだった。私が起きていることに気がつくと、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、それから柔らかく微笑む。
「起きていらしたんですね」
後ろ手にドアを閉めるベリアンを見ながら剥いだ布団を膝に乗せると、まだ十分な温もりが残っていた。布団も、冷えていく足も、抱き込むようにして膝を抱え込む。ベリアンはクローゼットからカーディガンを取ると、私の背中にそれを掛けてから部屋のカーテンを開けた。
「春とは言え、まだ朝は冷えますね」
明るくなる部屋に目を細めながら、私は頷く。窓の向こうに雲ひとつない青空が広がっていて、姿が見えなくとも鳥がちいちいと鳴く声も聞こえる。元の世界とほとんど変わりのない景色を見ているとここが別の世界であることを忘れてしまいそうになる。それくらい穏やかな朝だった。
「今日はお天気がいいので、お洗濯をしてもいいですか」
膝を抱えたベッドの下、脇に寄せていたパンプスをベリアンが置いてくれる。室内で靴を履く文化にはまだ慣れないけれど、丁寧に揃えて置かれてしまうと履かないわけにもいかない。少し高さのあるパンプスに足を入れると屈んだベリアンがT字になっているストラップを止めてくれる。
「ありがとう。でも、これくらい自分でできるのよ」
執事服の肩を押して立ち上がるように促すとベリアンは笑って首を振る。
「これも仕事ですから。それに、私がしたいんです」
立ち上がったベリアンは再びクローゼットに向かい、淡いシェルピンクのワンピースを取り出す。首元は紐で止めるようになっていて、ウエスト部分が絞られているのに対し、裾の広がったボリュームのあるシルエットをしている。
「これにしましょう。丈は少し短めですけど、その分動きやすさはあると思います」
「……ちょっと可愛すぎるんじゃない」
差し出されたワンピースを受け取りながらも不安を口にする私に、ベリアンは否定するように笑みを浮かべる。
「でしたら、きっとお似合いです」
ワンピースに袖を通している間、ベリアンは私が脱ぎ捨てていく服をひとつ、ひとつ拾い上げて畳んでいく。そのあとでシーツや枕カバーを外して、脇に纏めた。首元のリボンが上手く結べずにもたもたしていると、見かねたように背後に立ったベリアンの手が伸びる。長い指が器用に動いてあっという間に蝶々結びができあがった。
お礼を言おうと振り向くと、思いのほか近くにベリアンの顔があった。長い睫毛が頬に影を落としている。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね」
一歩引いたベリアンは私から視線を逸らし、クローゼット横の姿見に目を向ける。
「見てみませんか?」
ベリアンに手を引かれ、姿見の前に立つ。服ばかり可愛らしくて、髪も整えていない、寝起きのぶすくれた顔の私がそこに映る。あんまりひどい有様に思わず顔が引き攣ってしまうほどだったのに、ベリアンは素敵ですね、と当然のように言う。その口調は嘘をついているようではなかったけれど、ベリアンの目に私はどう映っているのかと思うとあまり素直に喜べるものではなかった。
「ロノくんが朝食の準備をしていますから、食堂へ行っていただけますか」
「ベリアンは行かないの?」
鏡越しに問う。てっきり一緒にいくものだと思っていた。
「私はお洗濯をしますので。今日はよく晴れていますから、夜にはふかふかのベッドで眠れますよ」
言いながらベッドに戻り、私の服とシーツとを両手に抱えるようにして集めるベリアンがふと、思い出したようにその手を止める。どうしたの、と聞くよりも先に振り返ったベリアンは眉を下げて不安気な表情を浮かべる。
「今夜はこちらではなく、向こうの世界でおやすみになられますか」
こういうときのベリアンは、いつも捨てられてしまう寸前の、落ち込んだ子犬のような顔をする。わざとではないのだろうけれど、普段は落ち着いて見える分、その表情を見るとなんだかおかしくて、つい笑ってしまう。
「明日も予定はないから、ここにいるよ」
そう言うと途端にほっとした顔をするから、余計におかしくなってしまうけれど、ここにいて欲しいと思われるのは素直に嬉しかった。
「よかった。では、私はお洗濯を済ませてしまいますね。主様はゆっくり食事をなさってください」
集めた洗濯物を抱えて部屋を出るベリアンの背中を見送ってから、もう一度鏡を見る。服が似合う、似合わないはもう置いておくことにして、せめて髪を整えてから食堂へ向かった。
ロノが作ってくれた朝食は相変わらず美味しかったし、お皿の上から消えていく料理を見て、ロノが嬉しそうに笑うから、食べている私もつられて笑顔になる。
「主様、今日はどこかに出掛けるとか、そういう予定はないんですか」
食後に紅茶を淹れてくれながら聞いてくるロノに首を振る。出かける用事もないし、買い物に行くほど必要なものもない。そもそも、こちらで使えるようなお金も持っていなかった。そうですか、と少し残念そうにするロノに何かできることはないかなと考えて、そういえば、と思い出す。
「ベリアンが私のシーツを洗濯すると言っていたんだけど、終わったかな。やることもないし、手伝ってこようかな」
そう言うとロノはベリアンさんが? と不思議そうに首を傾げる。
「洗濯は大体フルーレがやるんですけど。ああ、そうか。ミヤジ先生に着いて行ったのか」
「ミヤジに?」
今度は私が首を傾げる番だった。
「ほら、ミヤジ先生は子どもたちに勉強を教えに行くじゃないですか。人見知り克服のためだとかで、たまに着いていくんですよ」
「ふうん、頑張ってるんだね」
カップの中の紅茶を飲み干し、片付けようと手に持つと、慌ててロノが俺がやります、と止める。それはいつものことだったけれど、食事を出してもらって片付けまでしてもらうことにはどうしても慣れない。それでもロノは決して私にやらせようとはしてくれない。片付けも含めて調理係の仕事だと言い張る。
「それなら、やっぱりベリアンの手伝いでもしてこようかな」
「ベリアンさんの? うーん、ベリアンさんも断ると思いますけど。でも、そうですね。行ってみてください。ここにいても退屈かもしれないですし、俺は絶対に主様に片付けだけはさせないんで」
最後の一言がなければ完璧だったなと思いながらも頷いて席を立つ。ごちそうさまでした、と言うとロノは満足そうに笑った。
食堂を出て、廊下を突き当たった所。物干し場に顔を出すと真白なシーツを抱えたベリアンの姿があった。丁度、洗い終えて干すところだったようで、開け放した掃き出し窓から入り込む風に髪が揺れている。
「今から干すんでしょう、私にもやらせて」
入口から声を掛けると、驚いたように目を丸くさせたベリアンがこっちを向く。
「主様、もう食事は終えられたのですか」
「うん。美味しかったよ。ベリアンもまだなら食べてきたら。ここは私がやっておくよ」
ベリアンの手からシーツを取ろうとすると、慌てたようにベリアンが腕を引く。
「主様にそんなことさせられません」
「そんなことって。私だって、向こうの世界では洗濯くらい自分でしてるんだよ。それに、やることがなくて退屈なの。いやだって言うなら、向こうに戻っちゃうから」
半分、いや、ほとんど脅しだった。そして、それはベリアンによく効いた。しばらく悩んだ末にわかりました、と答えたベリアンは私の手にシーツではなく、一回りも二回りも小さい枕カバーを手渡す。
「シーツは少し重たいので、こちらでお願いします」
大人しく枕カバーを受け取る私を横目に見ながらベリアンは安心したように息を吐いた。