🐶煩わしさに意識が覚醒する。
早朝、きちんと遮光がされた広い寝室の、これまた広いベッドの上、虎於はもぞりと身じろいた。
この音はトウマが使っているアラームのはず。フレーズが途切れ、しかし再びおなじメロディーが始まった。叩き起されたに等しい状況に不機嫌さを隠さず枕を抱き込み、眉間にしわを作ってみせる。自分が動くという選択肢はなかったので態度に示してみたけれど、一向に音が止む気配はない。ランニングには持っていくやつだから、シャワーでも浴びているのかもしれない。
消し忘れなんて珍しい、せめて確認してから出ていってくれ。
胸の内でため息を吐きながら手を伸ばそうとした矢先、ちゃか、と頭のすぐ後ろで音が鳴る。
なんだろう、例えば窓やガラスに硬いものが触れたときとか、そんな軽い音。でもそれほど重量はなくて、悠がスマホの液晶を爪でつついている時もこんな音がしているかもしれない。
得体の知れないそれをかき消すようにまたアラームが響く。持ち主を恨めしく思いながら、安眠を妨げる端末へ手を伸ばす。
もふ、
予想外の感触に振り返る。まさか──。
「わんっ」
視界に飛び込んできたのは、見慣れたダークレッド色の毛。
ふわふわした毛に包まれているくせに、爪だけはちゃっかり剥き出しで尖っている。おそらく画面を引っ掻いていたのだろう。
「……トウマ……」
ため息と同時に、目の前のどうぶつが顔に向かって突進してきたので、虎於は慌てて口を閉じた。
「ん、っ……おま、」
わざと顔にじゃれついてくる毛の塊を押しのけて、首をがしりと掴みあげて距離を取った。すこし毛を食べた気がする。片手で口元を拭ったあとで、満面の笑みを浮かべている──ように見える──それを無視して、ひとまず種類の違ううるささを奏でるスマホを雑にタップする。
「どうしてそうなってるんだよ」
人間が動物に、それも犬という特定の存在に化けてしまうなんて、まったく変な世界だと思う。しかし現に、恋人が毛玉に変容しているのだ。トウマのこの姿を見るのははじめてではないし、人間よりも扱いやすいサイズなので悪くはない。特段動物が好きだという訳ではなかったが、こんな姿でもトウマなのだ。可愛がってやりたい気持ちは変わらなかった。
問題は、どうしてこの姿になっているのか、だ。今日はオフだからと、昨日の夜はゆっくり過ごしたのに。それこそ、好き放題に時間を使って。
自慢のシアタールームで映画を観ながら、トウマが持ち込んだそこそこ質の良いワインを飲んで、つまみだと言われて塩気のつよいスナック菓子を食べて、クレジットタイトルが流れはじめた頃、肩に乗ってきた頭を無造作に撫でてやって。キャスティングが好みで、アルファベットを目で追いながら旋毛のあたりの髪を指に引っ掛けていると、その頭がおおきく動いて、首筋に唇が触れてきた。まだ目当てにたどり着いていないので反応を返さずいれば、吸いつかれてぴりっと痛む。
「ちょ、っと待て」
「んぅー」
まだ見たいから、そう言いながら丸い頭を捕まえたけれど、どうしてか調子に乗ったらしいトウマが繰り返し唇を押し付けてきて思わず腰を引く。
「っ……おい」
「なぁベッド行こ?」
随分直接的だなとか、あと少しで良いから待てをしてろよとか、窘めてやろうと顔を向けたのが間違いだった。
ほんのりアルコールに溶けた瞳のなかに熱が混じっているのを見つけてしまって、喉は勝手に音を立てるし、この色に弱い自覚があるので躱す気も失せてしまうし、気がついたら虎於から口を寄せていた。戯れに上唇を啄むだけのつもりでくっつけたそれを割って舌がちゅる、と入り込んできて、あ、と思うより先に首に手がまわってきて逃げるすべを失った。
観たい映画に付き合ってもらう予定だったのに、そこからはトウマの好きなように過ごす夜に切り替わって、離してくれないトウマをなんとか寝室に引っ張りこむのに苦労した。
明日を気にしなくて良いのだから、繰り返し言われたそれを免罪符に好きにされて、受け入れて求めてしまって、良いようにされた。もう、本当に。
それなのに、眼前に差し出された変身によって、言葉にされるより如実に物足りなさを主張されている。以前、犬の体になってしまう理由を聞いたことがあった。うーん、と首を傾げたあとで、めっちゃさみしい時とかかも、と言われた事を思い出す。
あんなに構ってやって、朝まで隣で寝てたっていうのに。こっちの気持ちなんて微塵も伝わっていないのか、なんて、体質がそうなら自分こそ犬になりそうだ。
は、は、と犬らしく短く息を吐くトウマに顔を向け、掴みあげていた体を胸に乗せる。じたばたと足を動かしていたが、満足したのか顎までぴったりくっつけてきた。
横目に見えたシーツには毛が散っていたが、もう慣れているし、この際見なかった事にする。あとでトウマに取り替えさせれば良い。ちいさい耳の後ろの一際柔らかい毛に指を埋めた。虎於はここの触り心地を気に入っていて、それはトウマも同じようで、ややつり上がった目がふにゃんと緩む。犬のくせに目付きの悪い顔が、どうしようもなく本人のままで愛おしい。
「よしよし」
眠気が後押しするあくびを噛み殺して、意味があるのか分からない言葉をかける。耳裏に触れ続けていれば目を閉じたので、鼻先から頭のてっぺんまで手のひらで包むように撫でる。満足げにふす、と鼻を鳴らすのがおかしくて、虎於も喉の奥で笑った。
密着する部分が熱い。犬の体温は人間よりも高い。けれどいつも以上に熱いような気がして、トウマも眠くなってきているんじゃないかと思った。うんと撫でて甘やかして、さっさと戻ってもらって寝直そう。さみしいなんて思わせてしまったのは事実なんだから。構ってやりたい、与えてやりたい気持ちに際限なんてない。でもそのあとで良いから、触れて欲しい。
胸に乗せているのだから当然だけれど、自分の呼吸に合わせて同じように上下する姿に頬が緩む。
額を指先で掻かれるのが気持ちがいいのか、目を細めるトウマの鼻をつつく。わずかに瞳がのぞいたので、じぃ、と目を合わせてやった。
「はやく俺にも触れよ」
これは、人間のトウマに向けて。はやく満足して戻ってこい。背中に腕を回し合って寝たいんだから。
ふわふわ肌に触れる毛玉を抱えたままでごろりと横になる。口を開けて呼吸を繰り返していたが、頭を包むように撫でる手を往復させていれば次第にその間隔も穏やかになる。これは寝るかな、そう思って虎於もまぶたを緩める。
しかし、首元が濡れる感触に目を開けるはめになった。この感触にも覚えがある。じとりと視線を落とせば、ぴちゃ、なんて音をさせてトウマがしきりに首を舐めている。
「っ、な、そ、そういう意味じゃない……!」
触れろとは言ったが、そんなの当然、人間の姿でそうして欲しいわけで。わざわざ説明してやる必要などないだろうし、するのも癪だし、トウマだってきっと分かってる。
犬化している時の記憶があるのかどうか、学術的に様々語られてはいるが、現状詳細は不明、個人によって異なるらしい。となると、虎於にとって重要なのはトウマがどうであるかなので、聞いてみれば、返ってきた答えは「ふわっと覚えてるし、トラが何言ってんのかは分かる」、というものだった。
つまり、今だって分かってやっている。
人のものより唾液がおおくてぬるつく舌が喉を這って、顎下から下りたそれが鎖骨を繰り返し舐めてくる。小さい舌が行き来する度ぴちゃぴちゃ音がする、だけ。けれどトウマのにおいの残るベッドの中で、彼自身と変わらない鋭い目に見られてしまうと、それだけだと済ますことが出来なくなりそうで。
トウマが何を考えているのか想像できる分、動物にじゃれつかれているだけ、で片付けるにはたちが悪かった。
「トウマ、そんな事するなら離れろ」
声をかけても当然返事はないし、力づくで止めようとしても、いつもわし掴んでいる丸い頭は無い。ふわふわした手触りのせいで、加えてサイズも小さいせいで、力任せに押しのけることに罪悪感を覚えてしまってどうにも加減をしてしまう。引っ掻かれたことはないけれど、きちんと仕舞われた爪が何かの拍子に胸元に食い込んでくるんじゃないかと、骨の形がわかる分遠慮なく掴める足を引っ張った。それでも柔軟なからだは自在にのびて、頭だけぐいぐい押し付けられて変わらずべろりと舐め上げてくる。
こいつ、と舌打ちが漏れる。せっかく丁寧に外してやったのに、また触れてくる小さな爪がすこし痛い。待てと躾て離れてやろうかとも思ったが、いまの問題はこの犬の身体な訳で、満足させないと人間に戻らないのだから、そうなると好きにさせるしかない訳で。虎於は半ばヤケになって、再び頭を撫でる手を動かした。ふわふわの毛を撫で付けているうちに顔も緩んでくるけれど、トウマが満足そうに鼻を鳴らすのでなんとなく面白くない。
懲りずにじゃれついてくる舌にぬるん、と喉仏を覆われて、意図せず鼻にかかるような声が漏れる。
「ン、」
ぎゅぅと耳をひっ掴んで、続けて咳払いをして誤魔化した。バレていないだろうか。変かに出てしまった声に気が付かれたら調子に乗られそう。
ぴちゃぴちゃと鳴る音がいたたまれない。何も無かったように目を閉じて、今さらだけれど逃げるように首を捩る。たっぷり甘やかしてやろうとしているのだから、せめて大人しくしていて欲しい。
不意に、しきりに舐めていた舌がぱっと離れて、ベッドが揺れる。瞼を開ければ、つり上がった深紅の瞳とかち合った。
ようやく犬から戻ったか、と睨みつけるが、トウマの頭の上にはまだ耳が居座っている。こんな姿は見たことがない。物珍しさに凝視していると、虎於の視線を追ったトウマが自身の頭に手を乗せた。
「え? 耳? なんだこれ」
「……犬の……初めてか?」
「うん。うわっ尻尾もある!」
並んで横になっていたトウマが肘をついて起き上がる。大きさこそ人間の頭に見合うくらいだが、耳の形は犬の姿と変わりない。尻尾も同じなのだろう、寝転がったままでは見えなかった。
「まあいいや、戻れてよかった」
「半端だけど……なにがきっかけで戻るんだ、おまえ」
一段落したらどっと疲れが押し寄せてきて、枕に頭を乗せ直す。わざとため息混じりに聞いてやったのに、再び絡んだ視線は悪戯っぽく細められる。
「トラのかわいーとこ見て元気でた」
これは調子に乗ってるな、と思う。犬になってまで甘えてきていたのだから仕方がないが。
「焦ってただろ」
にやつきを隠さない口元が憎たらしい。ほったらかして寝てやるからな、とじとりと見上げた。
「分かってるならや、ぁ」
反論をひとつ返そうとしたところで、トウマの手が胸元に伸びてきた。手のひらが肌にぴったりくっついてくる。ひとの手で、トウマの手で触れられて、体がひくんと跳ねる。
「トラおっぱいでかいから、横向いてると、こう」
その手が胸筋のあいだに割り込んできて、片方の胸を手のひらで掬うように持ち上げられる。
「やっぱり。手で持てんだよなぁ、きもちい」
「あッ」
揉みこむみたいにぎゅぅぅと指先が食い込んできて、よわい痛みに声が漏れた。
「犬って目線低いからさ、気づいちゃった」
「犬のくせにそんなの見るな!」
「見るよ、甘えたくてああなってんだもん」
甘えたいって、甘やかすってもっとこう、好きだとか愛してるとか言葉を口にしたりとか、優しく抱きしめたりとか、寄り添ってゆったり過ごすことじゃないのか。
というか、胸なのはそうだけど胸筋だ、その訂正文句も何回言ったか分からない。
しつこく揉みこんでくる手を剥がそうとうつ伏せになる。けれど逃げを打つときトウマの手を巻き込んでしまって、シーツと胸のあいだに手のひらを挟むようになってまるで意味がなかった。揺らすように手が上下して、なんとも言えない刺激に腰が浮く。
「ん、ぅ、おい」
「なんか今回すげぇ覚えてる。さっきの声かわいかった」
「なに……っン! んん、」
浮いた腰に指が沿って、太ももの付け根をそうっと撫でられる。肌触りの良いルームウェアは昨晩トウマに放り投げられて、身につけているのは下着だけ。その気ならいっそひとおもいに触れてくれれば良いのに、そうされたら自分だって好きにさせてやれるのに、掠めるみたいに指先が中心のそばをいったりきたり、もどかしさにシーツを握りしめた。口から出ていく声が嫌で枕に押し付ける。寝て起きたまま、梳かしてさえいない髪がさらりと落ちて視界を暗くする。
まだ体の下にある片手に両胸の間をつぅと撫でられて、トウマの爪が乳輪をやわく引っ掻いていく。
「ン、」
鼻から抜けた声が聞こえてしまったのか、まだ反応してもない先端に爪を立てられる。揺れた体がその手を押し潰して、指がぎゅっと乳首に埋まって腰が跳ねた。トウマがぴったり覆いかぶさってきて、背中があつい。
「かぁわい、俺の指使ってんの?」
「ちがっ……ぁ、」
先端は押し込んだまま、すぐそばを別の指で引っ掻かれて、体がじわじわ熱を帯びる。犬のときはしっかり爪を立てないようにしていたくせに、戻った途端これだ。
熱を逃がしたくてもトウマがのしかかっていて、触れられていない片胸も尖ってきて、シーツにずり、と擦れて腰が疼く。
「は、ぁ……やだ、これ」
「なんで?」
だってもどかしい。トウマの声は掠れていて、そっちだって止める気なんてないだろうに、太ももを這う手はいまだ中心に触れなくて。
やけに近くで聞こえた声に、手を後ろにのばして頭に触れる。髪を撫でるとまだやわらかい耳が残っていて、ほらやっぱり満足していないんじゃないか、なんて、焦れったさを正当化させようとする自分に笑う。俺は良いけど、トウマのために、なんて。
力が抜けそうになる体の向きをくるんと変える。向かい合うように仰向けになれば、不意をつかれたらしいトウマと脚がぶつかる。盗み見てから腰を浮かせて、互いに昂りを見せる欲同士を擦り合わせた。
「触っていいぜ、満足してないんだろ」
「そ、……お、れが聞いてんのに……」
「甘やかしてやるって言ってる」
「んぐ……」
眉をしかめて鼻先にシワを作るトウマが犬のようで笑いが漏れる。首に腕を絡めて、まるい頭を撫でてやった。
口に出してから、トウマの言う"甘やかす"が自分のそれと大きく違うことを思い出した。
甘いキスをして、触り心地のいい耳に触れるついでに髪を梳いて、抱きしめて──そう考えていたのに、好きにさせて、と早々に首に回した手を取られてしまった。
立ち上がった胸の飾りに繰り返し舌が触れてくる。シーツに擦れたせいで僅かに赤く腫れたそこにねっとり唾液が絡められ、たったそれだけで体が震えた。
両手を捕まえているせいでトウマも手がふさがっていて、口だけの愛撫が続く。いつもなら口に含むくせに、きょうは繰り返し舐めるだけ。犬の姿で舐められて動揺したのを思い出して居心地が悪い。
舌でぐぅ、と押し込まれて、その刺激で敏感に尖ったらまた軽く舐められて。
「ぁ、あっ、なめすぎ、ってば……」
腕をぴんと伸ばしているせいで身動きが取れない。快感を逃がす先がなくて息が上がる。どんどん体が熱くなって、腹のあたりはもうずっと重たくて、涙がにじんで視界がぼやけた。
「いぬだもん」
「ばかっ、もうもどってるくせに……っ」
満足げに口角を上げるトウマの頭上で、耳がぴくりと向きを変える。
まだ犬の耳が消えてない。それが何を意味するのか、そもそもこの現象がはじめてなのだし、もう分からなかった。ぴこぴこ動く耳に気を取られていれば、焦れた先端にぢゅぅぅと痛いくらい吸い付かれる。
「っ、あ──ッ♡」
腰がかくんと浮いて、トウマの硬い熱にぶつかって、下着の中がまたぐちゅりと濡れる。散々焦らされた中心には刺激が強すぎて、反射で腰を引いた。
「ぁ、ふ」
じんと響いた快感が余韻に変わればまた足りなくなって、トウマの腰を脚で引き寄せて触れ合わせる。
小さくなった時に脱げ落ちたらしく、トウマは何も纏っていないけれど、こっちは下着を身につけたまま。
布が張り付いてくる気持ちわるさになんてもう構っていられなくて、直接的な刺激を求めて腰を動かした。
「さっきからさぁ……自分でしてんのヤバいって」
「や、うまくできな、あッ」
下着の中でたち上がる先端にごり、と擦り付けられて悲鳴じみた声が出た。きもちいい、もっとしてほしい、けどずっとされたらだめかも。
「や、っあ! あ、あ、だめっ、とぉま、」
繰り返しトウマが腰を動かして、こすれて、気持ちいいのが止まらない。せめて少しでも堪えるために目を閉じる。手首を捕まえられたまま体重をかけられて、体がベッドに沈んでしまえば逃げ場なんてない。
触れたい、散々触れているけれど。
そうだった、はやくトウマに満足してもらわないと。手を離させて、抱きしめ合いたかったんだ、朝からずっと。
「トラ、きもちい?」
「ん、んっ……とうま、は、やく満足して」
ええ? おかしそうに聞き返してくる声は弾んで、甘く鼓膜を揺らす。ちゅっと耳朶にキスを落として、かと思えばまたべっとり舐められる。
「っい、やだ、それ」
「やなの? きもちくない?」
「ん、っ……」
「なあ、言ってくんねぇと満足しないよ」
嘘だ。現にもう人型なのだし、この声色はきっと、もう機嫌なんて直るどころか上向きで、顔だってにやついているに違いない。
それでも俺が目を閉じているうちは真実なんて分からないから、あふれる涙で浮きそうになる瞼をぎゅうっと閉じて応えてやる。
トウマは知らない、俺がこんなに気をつかってやっていること。どんなに好き勝手されて、嫌だなんて口にしてみても、その言葉が本心ではないってこと。
結局、何をされても良いんだ、トウマになら。
むかつく、なんて酷く幼稚な悪態が頭の中にこだまする。いつでも応えてやりたいのに、トウマがわざわざ口に出させたがるせいで与えきれない。
いたずらな唇が耳を食んで、鎖骨に吸い付いてから首を舐め上げる。犬の姿のうちに何度も辿られた首元にもう触れられたくなくて声が出る。
「ん、だめ、ってば」
「やぁだ。なぁ、言って」
しつこい。言ってなんてやりたくない。けれど、甘やかしてやりたいのだし、与えたい気持ちはあって、言って、なんて縋るような声に絆される。
トウマが言わせたいこと、聞きたいこと。俺が言いたいこと。
「んっ…すき」
「へ、」
「すき、とうま、すきだから…っ」
「あ、は……」
乾いた笑い声が聞こえてからは、揺さぶられながら、トウマに頭を撫でられて、キスが降ってきた。溶け合いそうなくらい舌を絡めて、まぶたを浮かせればトウマが見えて、もうなんでも良くなった。
掻き抱いた頭にもう犬の耳がないなんて、そんなの気が付くわけがなかった。
.
今さら外に出る気にもならないけれど、と辛うじて起こした体をベッドサイドに預けてみている。空には太陽が昇りきっていた。なんとなしに窓の外に目をやりながら、なんか食おうぜと部屋を出たトウマの帰りを待っていた。
口に出してこそいないけれど、せっかくの休日だからとぼんやり浮かべていた期待はあった。ドライブだったり映画だったり、それらの実現の機会を奪われたわけだが、朝から慌ただしくて落ち着けずに過ごすなんて、トウマとじゃないと出来ないだろう。
ふわりと漂うコーヒーの香りを吸い込んで、そう言えば、犬化の原因がなんだったのか聞きそびれていることに気がついた。別にこんな日も悪くないけれど、歯がゆい思いをさせていたなら知りたい。
のろのろ床に足をつけて、背伸びをひとつ。トウマの待つリビングへ向かうことにした。