恋の欠陥論理「……ふぅ」
スナイダーは銃身を拭く手を止め、ため息をつく。
そして、少しの間を置いて、ぽつりと呟いた。
「エンフィールド……」
最近、ふと気が付くとエンフィールドの事ばかり考えている。
スナイダーは、エンフィールドのことを心から尊敬していた。エンフィールドは優秀な銃だ。
射撃の腕も申し分ない。
戦場での勇敢さにも目を見張るものがある。
それに何より、優しい。
身だしなみや食事に気を使い、いつも笑顔を絶やさない。誰に対しても分け隔てなく優しく接し、面倒見もいい。
非の打ち所がないとはまさにこの事だろう。
そんな完璧な兄を、弟として誇りに思う。
だが……。
「…………」
エンフィールドを見ると胸が苦しくなる。
エンフィールドの顔を見るだけで、心臓が激しく脈打つ。
こんな事は初めてだった。
スナイダーには、それが不思議で仕方なかった。
「俺は何か病にでも罹ったのか?」
そう思ったこともあった。
しかし、マスターに相談したところ、
「それは恋煩いですね」
と言われた。
「恋……? 俺がエンフィールドに、か?」
どうにもよく分からない。
そこで今度はエンフィールドに意見を求める事にした。
スナイダーは足早にエンフィールドの部屋へと向かう。
「……」
部屋の扉を開けると、そこには、いつものようにエンフィールドの姿があった。
彼は紅茶を飲みながら読書をしているようだ。
「おや?どうしたんだい?スナイダー」
エンフィールドは本を閉じると、穏やかな声で言った。
エンフィールドは立ち上がるとテーブルの向かいの椅子を引き、スナイダーはそこに腰掛ける。
「あぁ、実は相談があるのだが」
「うん。何だい?」
「俺は、ある人物を見ると胸が高鳴る。マスターには恋煩いだと言われたが、お前はどう思う?」
「えっ!? き、君が恋だって!? 」
エンフィールドは目を丸くして驚いたような表情を浮かべた。
「ああ、たぶんな」
「そ、そうなんだ……。それで、相手というのは……?」
「それは言えない」
「どうしてだい?」
「……恥ずかしいからだ」
「ふーん……」
するとエンフィールドは何やら考え事をしているようだったが、やがて口を開いた。
その顔からは微笑みが消えている。
「まあいいか。君がその相手を好きになった理由は分かるかい?」
「さっぱり分からん」
「じゃあ、どんなところに惹かれたのかな?」
「全てだ」
「全て?」
「あぁ。全てが好きだ」
「具体的には?本当に好きならどこが好きとか、言えるだろう?」
エンフィールドの声が低くなった気がする。
先程までの柔和な雰囲気はなく、どこか冷たく感じる。
「……そうだな」
スナイダーは考えた。
「……顔が好きだ、声も好きだ、戦い方が美しいと思う、射撃の腕前も良いし、何よりも優しい」
「……他には?」
エンフィールドは無感情に尋ねる。
人物の特定に結び付くような特徴を聞き出そうとしているようだ。
「後は……そうだな、笑顔が一番好きだ」
スナイダーがわずかに微笑む。
「……ふぅん」
エンフィールドの眉間にシワが寄る。
「随分と、その人の事が好きなんだね」
「ああ」
スナイダーは迷い無く答えた。
「……でも、それって本当に恋愛感情なのかな?」
「どういう意味だ?」
スナイダーが首を傾げる。
「君は、ただ憧れを抱いているだけなんじゃないのかい?」
「憧れ……?」
「そうさ。僕がブラウン・ベス先輩やジョージ師匠を慕うような、そういう気持ちだよ」
「……」
スナイダーは何も言わずに黙っている。
「つまり、君は誰かに憧れていて、それを恋だと錯覚しているんじゃないかなってこと」
「……分からない」
スナイダーは答えに窮した。
エンフィールドの事は尊敬している。
憧れという感情がない訳ではない。
だが、それ以上の想いもあるつもりだ。
「だったら、僕が確かめてあげるよ」
「確かめる……だと?」
エンフィールドがゆっくりと立ち上がった。
エンフィールドはスナイダーに近づくと、指先でくい、と顎を持ち上げた。
そのままスナイダーに顔を近づけてくる。
「おい、エンフィールド、 一体何を……」
「……」
エンフィールドは何も言わずにスナイダーの唇を奪う。
「!?」
突然の出来事にスナイダーは驚く。
だが、抵抗することはなかった。
「……」
しばらく経って、エンフィールドが口を離す。
「……ほら、やっぱり僕の推測通りだったじゃないか。君は恋なんかしてないんだよ」
「どういう……事だ?」
スナイダーはまだ呆然としている。
エンフィールドの言葉の意味がよく理解できないでいた。
「君は僕のキスを拒まなかっただろう?好きな人がいるなら、普通はもっと嫌がるものじゃないのかな?」
「……」
「だから、君は恋なんてしてないんだよ」
エンフィールドは、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
スナイダーは、黙って俯いている。
なるほど、エンフィールドの理屈は正しいのだろう。
ただ1つ、論理の穴があるという点を除いて。
だが、それなら――
「……エンフィールド」
「何だい?」
「もう一度、キスしてくれないか?」
「え?」
エンフィールドは戸惑う。
「……いいけど、どうしてだい?」
「確かめてみたい事があるからだ」
先程のエンフィールドの台詞を真似て返す。
「分かったよ。じゃあ、目を閉じてくれるかい?」
スナイダーは無言で目を閉じる。
エンフィールドは再びスナイダーに近づき、優しく唇を重ねた。
今度はすぐに離さない。
舌を入れ、スナイダーの口腔内を蹂躙する。
「んっ……?」
スナイダーは驚きながらも、されるがままになっている。
「ん……ちゅぱ……」
「んん……っ、む……ぅ」
二人の吐息が混ざり合う。
長い時間の後、ようやくエンフィールドは口を離した。
銀色の糸を引きながら、唾液が垂れ落ちる。
「はぁ……どうだった?」
エンフィールドが尋ねる。
「ああ……やはり俺の推測の方が正しいようだぞ?」
「と言うと?」
「エンフィールド……お前は俺の事が好きなのだろう?」
「っ……!?」
エンフィールドの顔がみるみると赤く染まる。
「……どうして、そう思ったんだい?」
「お前が言ったのだろう?『好きな人がいるなら、普通はもっと嫌がるものじゃないのか』と、な」
つまり、スナイダーとのキスを嫌がらないエンフィールドは、スナイダーの事が好きだという事になるのではないか……とスナイダーは考えたのだ。
「なるほどね……。うん、確かに僕は君のことが好きだよ」
エンフィールドは穏やかな声で告げた。
「あれ?でも、それじゃあ……スナイダーの好きな人って……?」
「もちろん、お前の事だ。エンフィールド」
「えぇーーーーーー!!??」
エンフィールドは驚愕する。
まさかスナイダーの好きな人が自分だとは微塵も考えていなかったのだ。
「そっか……そうなんだ……」
エンフィールドは脱力し、その場にへなへなと座り込む。
スナイダーもその横にしゃがみ込んだ。
「俺はエンフィールドの事が好きだ」
「……うん」
「だから、付き合ってくれ」
「……喜んで」
二人は手を取り合い、見つめ合った。
「ねぇ、スナイダー」
「何だ?」
「もう1回だけ、キスしたいんだけど……いいかな?」
「『もう1回だけ』で良いのか?」
スナイダーは意地悪な笑みを浮かべる。
その言葉の意味を理解したエンフィールドは、慌てて首を横に振った。
「違う! これからずっと、君とキスしていたい」
「ふふ、いいだろう……」
二人はお互いの体温を感じ合いながら、いつまでも抱き合っていた。