お財布紛失盗難事件 吸血鬼ドラルクは使い魔であるジョンと夜の散歩に出かけた。新横浜の町を思う存分歩き回り、散歩を堪能した彼らは今、ロナルド吸血鬼退治事務所(またの名をドラルクキャッスルマークⅡ)があるビルに向かって歩いている。
「ジョン、今日も楽しかったねえ。まさか腕の人に会えるとは思わなかったよ」
「ヌヌ、ヌヌヌヌッヌ!」
「私の城が爆破しちゃった時はどうしようかと思ったけど、シンヨコにも大分慣れてきたね〜」
「ヌヌ、ヌヌヌヌヌ!」
ドラルクがジョンと和やかに会話を交わしていると、ジョンが不意にハッとしたような表情を浮かべて前方に走っていった。ドラルクは不思議に思いながらもジョンの後を追う。
「ヌヌヌン!」
ジョンは地面に落ちているあるものを指し示した。ドラルクはジョンに駆け寄り、あるもの──財布を拾い上げる。
「んん……? 落とし物か?」
財布を凝視する。シンプルな、何の変哲もない財布だが……。
「何となく、見覚えがあるような……?」
首を傾げていると、ジョンが既視感の正体を教えてくれる。
「ヌヌ、ヌヌヌヌヌンヌ!」
「何? ロナルド君の財布だって?」
財布の匂いからこの財布が彼の物だと分かったのだろう。言われてみれば、事務所でこの財布と同じ物を見たことがある気がする。
「財布を落とすなんて、退治人のくせに抜けてるなああの若造。まあ、それなら交番に届ける手間が省けるからいいけど」
ドラルクは財布を右手に持ちながら歩き出す。
「あの若造に貸しを作れるな。ヌフフ、この財布と引き換えに何をお願いしようかなあ〜?」
ドラルクがニヤニヤ笑っていると、突如上空から巨大な虻が二匹現れた。
「ゲエー!? あれは下等吸血鬼・デカい虻じゃないか!? しかも二匹もいるー!?」
「ヌヌー!?」
巨大な虻×2はドラルク達がいる方向に飛んでくる。
「こっちに来る!? くっ……二匹もいるとは些か分が悪い! ジョン、逃げるぞ!!」
「ヌー!!」
ドラルクとジョンは全速力で走り出す。デカい虻×2が猛スピードで追いかけてくる。
「はあ、はあ……!!」
一匹の虻がドラルクに襲いかかる。ジョンが咄嗟に飛び上がり、ドラルクの左手を引いて虻の攻撃を回避した。しかしその拍子にドラルクの右手から財布が離れた。
「あっ……しまっ……」
宙に飛ばされた財布をもう一匹の虻がキャッチする。
「あ……ロナルド君の財布が、敵の手に渡ってしまった……!」
思わぬ展開にドラルクは唖然とする。財布を盗った虻とドラルク達に攻撃してきた虻がドラルク達を威嚇した。
「どうしよう……取り戻そうにも私ではヤツらには……」
ドラルクが諦めかけた時、ジョンが胸を叩いた。
「ヌーヌー!! ヌーヌーヌー!!」
「自分も戦う? しかしジョン、危険かもしれないぞ!」
「ヌーヌーヌーヌー!!」
ジョンが訴えるように鳴き続ける。ドラルクは意を決すると二匹の虻に向き直り、マントをはためかせて鋭く睨み付けた。
「そうだな……誇り高き高等吸血鬼である私とその使い魔であるジョンならきっとあの吸血鬼に勝てる! それに……下男の所有物が盗まれたままでは私も寝覚めが悪い!」
財布を紛失したことにあの若造がキレて八つ当たりされたら嫌だし。そんなことを思いながらジョンの体を両手で掴み、二匹の虻に向かって思い切り投げた。
「ジョンアタック!!」
ボールとなったジョンの体が財布を持っていない方の虻に命中し、虻は力無く降下する。
「よっしゃー!! 日頃のボール遊びの成果が出たぞ!」
これで残る虻は一体。
戻ってきたジョンをドラルクは財布を持っている虻に向けて再び思い切り投げるが、今度は虻は素早くそれを避けた。下等吸血鬼のくせにやたら速いなコイツ。
「しかし、速くて当たらないなら……動きを封じればいい!」
ドラルクとジョンは互いに目線を合わせ、巨大な虻に突っ込んだ。虻が威嚇して襲いかかってくる。虻の羽が肩に当たり、その衝撃でドラルクの体が砂と化した。
「スナァ……しかし、これは計算済みだ……!」
砂の姿のままドラルクが虻に飛びかかった。砂が盛大に飛んで虻の体にかかる。
「フハハハハ!! 名付けて必殺・目眩ましだ!!」
砂が目に入ったようで、虻は怯んでいる様子だ。
「今だ、ジョン!!」
ドラルクに応えるようにジョンが鳴き、体を丸めて動けずにいる虻に猛然と突っ込む。ローリングアタックを正面から食らった虻は財布を落としてフラフラと地面に倒れた。
「やったぞ、ジョン!!」
ジョンが素早く砂をかき集める。程なくして再生したドラルクはジョンを抱え上げ、虻が落とした財布を拾った。
「ロナルド君の財布を取り戻せたぞ、良かった……」
ドラルクが安堵の息を吐き出した時。
不気味な鳴き声が辺り一帯を支配した。
「……!?」
ドラルクは上空を見上げる。数え切れない程の大量の虻が現れ、此方に飛んでくる。
「まさか、仲間を呼んだのか!?」
迫りくる大量の巨大な虻の群れ。
「無理無理!! あんなに大量の虻と戦うなんて私には無理無理無理ー!!」
「ヌヌヌヌヌー!!」
余りにおぞましい光景にドラルクは座り込んで号泣し、財布とジョンを胸に抱えながら目を閉じた。
瞬間。
何弾もの銃声の音が辺りに鳴り響いた。
ドラルクはゆっくり目を開ける。
右手に銃を、左手にハエ叩きを持ったロナルドがドラルクとジョンの前に立っていた。
「ロ、ロナルド君!?」
「ヌヌヌヌヌン!?」
ドラルクとジョンが驚愕に目を見開くと、ロナルドは振り返り、ニッと笑う。
「足止めご苦労さん。お前にしてはやるじゃねーか。後は吸血鬼退治人ロナルド様に任せな」
銃とハエ叩きを握り直し、ロナルドが大量の虻の群れに突っ込んでいく。右手で銃を撃ち、左手でハエ叩きを振り回す。ロナルドの怒涛の攻撃により大量の虻が次々と倒れていく。
「すごーい……ロナルド君って優秀な退治人だったんだ」
「ヌヌヌヌヌ〜」
普段はポンチな吸血鬼達の相手をしているために忘れがちな事実を改めて実感し、ドラルクが感嘆の声を上げる。ジョンも感心した様子でロナルドの戦いを見ている。
銃とハエ叩きの二刀流により、やがて全ての虻が倒れた。ロナルドは座り込んでいるドラルクに駆け寄って右手を差し出した。
「大丈夫か!?」
ドラルクは差し出された右手をじっと見る。
「私は大丈夫だ。何だロナルド君、私を心配して……」
「ちげーよ!! 今のはジョンに聞いたんだ!!」
ロナルドが慌てた様子で右手を引っ込める。
「全く、事務所の中を探しまくっても財布が見つからねーから外まで探しに行ったら、とんでもねー吸血鬼の群れに遭遇したもんだぜ」
「財布ならここにあるが?」
「あー!! 俺の財布!!」
ロナルドはドラルクから素早く財布を奪った。中身を確認すると、お金もカードも無事だった。ハアーッと安堵の息を吐き出すロナルドを見てドラルクはフフン、と胸を張った。
「その財布はジョンが見つけて私が拾ってあげたんだぞ? その上あの虻から取り返したのだ。心優しい私達に感謝したまえ」
ロナルドは財布とドラルク達を交互に見て、呆れたような眼差しをドラルクに向ける。
「ジョンはともかく、お前の何処が心優しいんだ? ……まあ、ありがとな。お前とジョンが頑張ってくれたお陰で……助かった」
ロナルドが優しい表情で財布を見つめる。
ドラルクはゴホン、と咳払いをして視線を泳がせる。
「私の方こそ……その……私とジョンを助けてくれて……」
「ああー!!」
ロナルドが突然素っ頓狂な声を上げたため、驚きからドラルクは死んだ。
「財布にデケー傷が付いちまった!! 気に入ってたのに!! お前のせいだこのクソ砂アー!!」
「何でー!?」
揉め始めた主人達の様子を、ジョンがやれやれと両手を上げて見守っていた。
【吸血鬼解説】デカい虻
下等吸血鬼。デカい蚊よりもちょっと強い。群れを作って人を襲うことがある。