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    srzw_kanna

    @srzw_kanna

    サークル名:飴色の海
    悟硝ばかり
    私の環境下ですと使わせていただいていた画像メーカーで一部の文字が編集できなくなってしまったので、一旦更新停止してます🙇‍♀💦

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    srzw_kanna

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    7/22-23開催予定のWebオンリーにて出す予定の新刊冒頭部分です。
    高専三年、何もかも嫌になった夏油が「もう嫌だ!!!現実逃避したい!!!猫ちゃんになりたい!!!」と思ったら、ご都合呪霊の力で本当に猫ちゃんになってしまう話です。
    全編夏油目線の悟硝本。8割シリアス、2割ほのぼの、悟→(←)硝1割位。ハピエンです。
    🛁さんに委託。文庫で104P、900円+税です。

    #悟硝
    gnosis
    ##サンプル

    【新刊サンプル】猫になりたい一、天内理子と夏油傑

    「ハナちゃん、今日もふわふわだね! かわいい〜♡」
     耳馴染みがある、けれど長らく正面からは聞いていない声に気付いて、傑はそっと踵を返した。一瞬だけ、廊下の窓越しに硝子と視線が合ったが、少し呆れたように目を逸らされた。気付かれる前にと、足早にその場を立ち去る。悪夢のような夏からおよそ一年が経った。元・星漿体の少女に合わせる顔は、未だ見つけられていない。
     遠目に伺った理子の顔には、大きな銃創が残っている。大分薄くなってきたとはいえ、こめかみから唇の脇にまで走るそれはとても痛々しい。傷痕は天内理子が怪物の魔の手を逃れた証であり、間一髪で五条悟が介入した成果であり、夏油傑が己の責務を果たせなかった悪果である。

     あの日。傑が理子に手を差し伸べたその時、伏黒甚爾は彼女の頭を射抜くため引金に指をかけ、ほぼ同時に悟が彼女を吹っ飛ばした。息をつく間もなく暗殺者への攻撃を繰り出しながら、弾丸が急所を外したことを確認すると、予想外の出来事に固まった傑へ理子の護衛と戦線離脱を指示した。彼は暗殺者の排除を一手に引き受けたのだ。空を飛ぶ呪霊の背に乗り、顔を血塗れにして気絶した少女を抱え、夥しい血溜まりを作った参道を引き返し、何とか高専の処置室まで辿り着いてみると、そこには理子以上に全身を血に染めた黒井美里が横たわっていた。ベッド脇に置かれたモニターと不規則に響く電子音は、ギリギリでありながらも彼女の命が紡がれていることを示している。傑が呪霊から降りると同時に此方へ駆け寄って来た硝子は、説明を聞くよりも早く、腕の中の少女へと反転術式をかけ始めた。医療班が怪我人の治療に右往左往するなか、素早く視線を走らせて理子の状態を確認する友人の旋毛を見下ろしながら、少しずつ頭が冷えてゆくのを感じた。
    「怪我は?」
    「どこも。黒井さんは?」
    「全身に大怪我してた。反転かけてから、少しずつ呼吸が落ち着いてきてる。後は運次第」
    「彼女はどうやって此処に?」
    「五条が連れて来た。そのあとすぐ本殿に向かったけど、行き違いになった?」
    「いや。理子ちゃんがその程度で済んだのは悟のお陰だよ。──あとは任せてもいいかい? 今、あいつが一人で侵入者と戦ってる」
    「勿論。彼女はそこのベッドに寝かせて」
     真っ白なシーツの上へ、慎重に理子の身体を横たえる。硝子の処置により血は止まったようだが、薄く瘡蓋のできた裂傷の周囲の皮膚が引き攣れている。ボウと小さな音がして、彼女を庇っていたあたたかな光が消えた。
    「今は最低限、傷を塞ぐだけにする。一気に治すと痕が残りやすいから」
     非術師の女の子なんだから、傷なんて無い方がいい。言外に告げられ、こくりとひとつ頷いた。そのまま硝子に背を向けようとすると、聞き落としてしまいそうな程の小さな声で、夏油、と呼び掛けられた。
    「五条がさ、君と別れた後に致命傷を負わされたみたいなんだ。そこから、自力で復活した」
    「……反転術式を、使ったってこと?」
    「うん。一瞬話しただけだけど、アイツ一度死にかけたせいか物凄くハイになってる。……今なら何でもやりかねない」
    「何でも」
    「そう、『何でも』。だから早く、行ってやって」
     家入さん、と呼ばれて走り去る彼女の後ろ姿を見送って、今度こそ処置室を後にする。再び喚び出した呪霊の背に跨り、ぐっと膝で脇腹を締めた。びゅうと吹き抜ける風の音を聞きながら、口の中で反芻する。悟が、反転術式を。自分の中から何かが抜け落ちて行くように錯覚して、頭を振る。ただでさえ三日間の護衛任務で神経が張り詰めているのだ、要らぬ考え事をしている余裕はない。自らの手札を数えながら、幾つもの戦闘パターンを練り上げた。
     けれど結論から言えば、傑の行動は無駄骨であった。そろそろ本殿に着くかという頃、どぉんと地鳴りのような音が響き、次の瞬間には全てが終わっていたのだ。木々や建物が吹き飛んで、真っさらになった地面ですっくと立つ悟の後ろ姿を見て、何故だか足が竦む。
    「アイツは、俺が殺した」
     ゆっくりと此方を振り向いて、そう言い放った親友の顔は、今までに傑が見たどんな表情よりも静謐で、冷酷だった。「お疲れさま」も、「助かった」も、「ありがとう」すらも言えずに、そうかと一言だけ返した自分のことを、彼がどんな風に思ったのかは未だに聞けていない。
     それからおよそ一週間後、天内理子の同化は白紙になったと担任から知らされた。予定外の刺客、しかも禪院家を飛び出した天与呪縛により妨害が入ったという事実を、総監部はそれなりに問題視しているらしかった。
    「――なんて理由付けてるけどさ。キズモノに星漿体としての価値は無いってのが本音だよ」
     夜蛾が出て行った後の教室で、苦虫を噛み潰すように呟いた硝子の言葉を、悟は否定しなかった。傑とてスカウトされるまで呪術という言葉すら知らなかったとはいえ、約一年も古き良き(・・・・)呪術界の中で生きていれば、そうした判断が下されるであろうことは容易に想像がつく。
    「ま、天内は同化せずに済んだ。黒井さんも助かった。それでいいじゃねえか」
     気を取り直すように明るい声で呼びかけて来た悟にも、「そういうことにしておこう」と同意を示した硝子にも、傑は笑みを向けることが出来なかった。結局上の連中にとって、理子は星漿体という記号でしかなく、傑たち術師は数多ある駒の一つに過ぎず、黒井に至っては塵芥と同列なのだ。考えれば考えるほど、幼い頃から呪術界に身を置いていながらも、理子を助けて反逆者になる道を選ぼうとした悟の生き方が眩しく、自分からは果てしなく遠い存在のように思えた。

     二人で最強だと、信じていた。数多の呪霊の中から最適なカードを選んで、傑が奇襲を仕掛ける。常識外れの呪力量と戦闘センスを誇る悟が、確実に敵を仕留めてゆく。少し突っ走るきらいのある悟を嗜めて、傑が敵を見定める。慎重すぎる傑に発破をかけて、悟が美しいながらも大胆に辺りを一掃する。互いに全幅の信頼を置いて、背中を預けられる親友を、心底誇りに思っていた。
     三人揃えば無敵だと、疑っていなかった。硝子がいるだけで、戦闘中の選択肢が格段に増える。そのぶん無茶をすることも増えたけれど、無茶を重ねたお陰で効率よく動けるようになり、結果として怪我をする頻度は落ちた。助けられる命も増えて、鬱々とした感情に苛まれる時間は減った。いつも冷静な同士を心底尊敬し、自分達が実力を付けたことで彼女の負担も減ったと自負していた。
     だが、現実はどうだ。悟がいなければ理子を助けられなかっただろうが、自分がいなくとも悟は彼女を助けていただろう。硝子は怪我人の治療をしながらも悟の心配をしていたが、自分は眼前の状況を理解するのに精一杯で、悟へ気を回す余裕など一切無かった。その事実は、大きなしこりとなって傑の心に重くのしかかっている。
     一緒にいて楽しい筈なのに、息苦しく感じ始めたのは何時からだったか。着実に自分自身の力を高めていく二人を見て、焦りすら覚えずに卑屈な感情を抱くようになったのは何時からだったか。親友にしては薄情で、同士にしては心許ない傑を、それでも二人は変わらず友人として大切にしてくれる。
     高専三年生、十七歳。悟は反転術式に留まらず、無下限の常時発動、掌印の省略、瞬間移動等と次々に己の可能性を広げている。硝子はもっと助けられる人を増やしたいからと、医師免許取得に向けて猛勉強をしている。そして齢十四歳の理子は補助監督になると決めて、来年の春から高専に入学する予定だ。

     あの夏の日から、傑の時間だけが止まっている。


    ***中略***


    「何の話をしてたの?」
    「高専の説明を少し。あとは、猫ちゃんが可愛いって話です!」
    「確かに。猫は世界を救う」
     大真面目な顔で一つ頷いた硝子を見て、双子は小さく吹き出した。猫は同性に懐かないケースもあると聞くが、ハナちゃんは彼女にも例外なく愛嬌を振りまいている。繁忙期、医療班のヘルプに駆り出されて精魂尽きた硝子が、ハナちゃんのお腹に顔を埋めて寝落ちている現場に何度も出くわしている。以前は硝子の世話を傑に丸投げしていた悟が、文句ひとつ言わずに彼女を部屋まで抱きかかえる姿も見慣れたものだ。
    「美々子ちゃんと菜々子ちゃんは、猫ちゃんを飼いたいの?」
    「えっ、と……はい。その、この子が嫌じゃなければ」
     問い掛けられた少女達は、少し言葉を詰まらせてから答えた。そっか、と呟いた灰原は逡巡するように傑を眺めている。運良く悟と会えたのにここで引き離されるわけにはいかない。ニャーンと鳴いた声を同意と受け取ったのか、七海が口を開いた。
    「もし本当にこの子を飼うなら、予防接種とか受けさせないとまずいですよね」
    「僕、明日一日フリーですよ。動物病院に連れて行きましょうか」
    「そうだな、診察だけでも早めに受けた方がいい。見たところ成猫のようだし、早目に去勢手術もした方がいいな」
    「えっ」
     硝子の言葉に双子が上擦った声をあげる。傑の口からも無意識にウニャ、と音が漏れた。困ったように二人が此方を見つめるが、予想外の展開に傑も戸惑うばかりだ。猫に憑依したならともかく、夏油傑の肉体は、猫のそれに変わってしまっているのだ。もしもこの姿で去勢されたら──人間のそれも、無くなると考えるのが自然だ。理解した途端に、サアッと血の気が引く。まだ十代の内に、こんな訳の分からない理由で子どもを諦めなければならないのは流石に堪える。猫の姿でも焦ったことが伝わったのだろうか、少女達は慌てて口々に反論した。
    「あの、大丈夫です! ちゃんとおうちの中でお世話するので!」
    「他に猫ちゃん飼う予定もないです!」
    「毎日お風呂に入れるから、汚くなんかなりませんし!」
    「しつけもしっかりします! だから予防接種だけで十分です!」
     二人に同調するように、ミャーと低く喉を鳴らす。いきなり語勢を強めた双子に困惑したのか、三人は顔を見合わせている。灰原が宥めるように、あのね、と話しかけた。
    「かわいそうだって思うのは分かるんだけど。でも、猫ちゃんのためには手術した方がいいんだよ。手術しないと病気に罹りやすくなったり、ストレスがたまりやすくなったりしちゃうんだ。男の子なら尚更。飼いたいなら、猫ちゃんが暮らしやすいようにしてあげないと」
    「……そう、なんですけど」
    灰原の主張は正しく、反論の余地はない。傑だって、こんなおかしな状況でなければ賛同するに違いない。シャッと少女達の足元をすり抜け、あっと声を上げた七海の横を通り過ぎて、洗面所の扉へと駆け寄る。そのまま体当たりすると、どん、と鈍い音が響いた。
    「何ィ? うるせぇんだけど」
     シャワーの音が止み、くぐもったような悟の声が響いた。ウーッと唸り声を上げた直後、両脇とお尻を抱えられて視界が急に高くなった。ふに、という背中の柔らかい感触に気付き、硝子に抱き上げられたのだと察する。もう一度唸ると、安心させるように頭を優しく撫でられた。
    「猫が扉にぶつかっただけ。気にしないで」
    「猫ォ? こんなところに?」
     浴室の壁に、怪訝そうな声が反響する。ニャーンと相槌を打つと、一瞬の沈黙の後にガチャリと音がして、扉の隙間から悟が顔を覗かせた。物音に手を止めただけなのだろう、全身がずぶ濡れで前髪からぽたぽたと湯が滴っている。ガンを飛ばしてきた悟に負けじと、眉間のあたりに思い切り力を込めた。
     そういえば六眼は動物の術式も感知できるのだろうかと、今更ながらに不安が過ぎる。猫らしからぬ呪力量を備えていることを把握したとしても、生得術式を判別出来なければ、傑とは結び付けられないだろう。低級呪霊の、先っぽくらいなら出せないだろうか。なけなしの呪力を絞り出し、フンヌと腹に力を込めてみるが、先っぽどころか毛の一本すらも実体にはならなかった。だがその瞬間、悟はぴしりと固まった。祈るような心地で、しっぽをぴくぴくと動かす。
    「……そういえばあの病院、暫く休みじゃなかったか? 確か院長先生がぎっくり腰になったって聞いたような」
    「えっ、そうなの? ……あ、だからさっき通った時に看板出てなかったのか。先生が治るまでは待った方がいいかな」
    「私も窓の人から聞いたけど、休みに入ったのが一昨日くらいからなんだろ? まだ当面かかるよ。診察してもらうだけなら、他の病院でもいいんじゃないか」
    「でも、猫ってちょうど今が繁殖期ですよね? 手術するにせよしないにせよ、飼い方とか早めに相談しておいた方がいいんじゃないですか」
    「そうなんだけど、かかりつけにするならやっぱりあの病院がいいからな。近いし、高専(うち)の事情も分かってるし。まあ、当面ケージから出さないようにして、ハナちゃんと絶対に接触させなければ大丈夫じゃないか」
    「いや、待って! それ、傑!」
     唐突に会話を遮って、大声を上げた悟に硝子が向き直る。「ハァ?」と訝しむと同時に腕の力が少しだけ緩んだ。するりと地面まで降りで、勢いよくジャンプし、悟の剥き出しの脛へと飛びつく。「いてぇよ! 爪、立てるなって!」と文句を言われながら、傑を抱えようと折り曲げられた腕の隙間に収まった。扉で隔てられた向こうは見えないが、後輩二人は固まっているようだ。
    「……本気で言ってんの?」
    「俺が間違えるわけないだろ」
    「そりゃそうだけど」
    「さっき、一瞬呪霊が出そうになってた。コイツは傑だよ、間違いない」
     なあ、という呼び掛けに相槌を打つように、ニャーンと鳴いた。こちらを覗き込んできた硝子は「言われてみれば、この額の毛とか夏油の前髪っぽいかも……?」とぶつぶつ呟いている。だから言ったじゃん、と少し得意げな悟の腕に頬を摺り寄せた。普段の振舞いはさておき、緊急事態では本当に頼りになる男だ。とはいえもしも無事人間に戻れたら、まず最初に、女の子の前に立つ時はタオルの一枚でも巻けと説教することにしよう。


    ***中略***


    八、五条悟・家入硝子と夏油傑

    「ゲトー、餌の時間だぞ」
     そう揶揄しながらちゃぶ台にことりとペット用の皿を置いた硝子に向けて、ミャーと低く唸った。この体になってからも、基本的には人間と同じ食べ物を摂取している。昨晩、悟がハナちゃん用のキャットフードを出してきた時、猫パンチを何発も食らわせた成果だろう。葉物や魚、チーズなど、食べられるものには制約も多いが、慣れ親しんだものを口にできるというだけで随分と気楽だ。
     コンコン、とノック音が響くと同時に、ガチャリと扉を開けて悟が顔を出した。ただいまァ、と言ってドサリとベッドに雪崩込む。女の子の部屋でそんな不躾な態度を取るなんて、と文句を付けようとするが、生憎言葉を発することはできない。シャーッと鳴いてみせると、うつ伏せになったまま顔だけを此方に向けた悟と目が合った。当の硝子は、気にした風もなく素麺を啜っている。
    「あれ、傑いるのかよ。ミミナナは?」
    「診察が長引いてる。保険証とか無いから、受付で手こずったっぽい」
    「形式的に行くってだけだろ? 一瞬顔見せて終わりでいいんじゃねぇの」
    「……あの村、虐待以外にも色々際どいことやってたみたいで、本格的に警察が介入するんだって。逃げて来た二人を高専で保護して、病院を受診させたら色々と分かったって体にしたいらしい」
    「ふうん。硝子は? 着いて行くって言ってなかった?」
    「行く予定だったけど、朝イチで怪我人が運び込まれたからさ。ほら、先々月準一級に昇進した」
    「ああ。先輩風吹かせてきた割に、七海に一瞬で投げ飛ばされた雑魚ね」
    「あれは七海も大人気なかったよ」
     初めて知る情報に、パチリと目を瞬いた。それに気付いた硝子が「シバタさんって言うんだけど、先週くらいかな。二年坊主に組手の指導してやるって息巻いて。やたら長々と講釈を垂れるもんだから、徹夜明けだった七海がキレたんだよね」と補足してくれる。ニッと高めの鳴き声を上げると、悟が「七海とそこらの雑魚を一緒にするな、ってな」と同調した。彼も大概後輩贔屓だ。
    「双子の引率は?」
    「ヤガセンと、おまけで灰原。灰原がリハビリに通ってる病院で手を回してもらうことにしたって」
    「マジ? 通報されねぇ?」
    「美々子も菜々子も、灰原にはすごく懐いてるから。ヤガセンは……一応それっぽく見えるようにスーツ着てた」
    「逆効果だろ。到底カタギには見えねーよ」
    「やんわり指摘したけど、全身黒ずくめよりはマシだろうって譲らなくてさ。灰原の癒やし効果に期待するしか無い」
    「ギリアウトじゃね」
    攻防の現場には傑もいたが、ポロシャツで休日のお父さん感を出した方がいいと硝子が何度進言しても、夜蛾は仕事の依頼なのだからカジュアルな服装で行く訳にはいかない、の一点張りだった。階級社会の呪術界、形式もそれなりに重視しなければならないのは分かるが、不審者扱いされては元も子もない。こういう時は、呪術界に長くいる人間と一般社会に馴染みのある人間との隔たりを感じる。男子学生で唯一職質とは無縁の男・灰原が「大丈夫です、何とかします!」と意気込んでいたが、おおらか過ぎるきらいのある彼の「何とかする」はあまり信用ならないことを傑も硝子もよく知っている。


    ***中略***

     ザァザァと雨が窓に叩き付けている。二人は並んだまま、それぞれにぼうっと空を眺めていた。カチ、カチと時計の秒針が立てる音が響く。ちらりとそちらを見やり、悟は徐に自分のYシャツに手を掛けた。一つずつ、ゆっくりとボタンを外していっても、硝子は何も言わない。最後の一つを外し、ばさりと枕元にシャツを放り投げ、インナーを脱いでから、悟はやっと硝子、と彼女の名を呼んだ。その声は、少しだけ甘みを帯びている。
    「治して」
    「……やっぱり、限界じゃん。コレ、相当痛いでしょ」
    「痛い。滅茶苦茶痛い。帰って来る途中で、何度も吐きそうになった」
    「そりゃそうだよ。いつから?」
    「最後の任務で、反転回し切れなかった。何とか外側は塞いだけど、内側の傷は閉じられなくて」
    「いつも言ってるけど、手遅れになってからじゃ遅いんだからな。ほら、お腹出して」
     へその上のあたりを撫でられ、悟は思い切り顔を顰めた。言われてみれば、彼の顔はいつもより血色が悪い。白い掌が三往復ほど這ったあと、彼の身体はボゥと温かい光に包まれた。深呼吸する間に痛みが和らいだのだろう、徐々に悟の頬に赤みが戻って来る。はい終わり、と言った硝子は、軽く彼の腹筋を叩いた。ありがとう、と言った悟の声は、先ほどよりも随分と軽い。
    「やっぱすげぇよな、硝子は。俺も反転使えるようになったけど、何度やってみても他の奴の傷は治せない」
    「私からしたら、呪霊や呪詛師を倒せる五条達の方がずっと凄いと思うよ。私にはできないもん。お互い、隣の芝生は青いってことでしょ」
    「そうだなぁ」
     足をブラブラと揺らしながら悟はそう呟いた。──私からしたら、どちらも凄すぎて着いていけないと思うけれど。この一年間、何度も口にしかけては飲み込んだ言葉を反芻する。「センス」が無い傑には無縁の話だ。じりじりと焼き付けるような痛みに耐える。
    「硝子なら、こんな傷痕残さなかったんだろうな」
     自分の身体を見下ろして、悟は平坦な声で言った。「もしも」の話をあまりしない彼にしては、珍しい発言だ。横たえていた身体を、わずかに持ち上げる。意図せずぴくり、と両耳が動いた。
    「どうだろうな。ここまでザックリやられたとなると、完治させるのは難しかったと思う。現場に私が居て、すぐ反転かけない限りは。……まあ、その状況なら私が先に殺されただろうけどね」
     肩を竦めてみせた硝子の顔を、悟はぼんやりと眺めている。やっぱり傷痕、気になる? という問いかけには答えず、数秒間逡巡するように黙り込んでから口を開いた。硝子はさ、と呼び掛けた声はほんの少し震えている。
    「気になる? ……たとえば、好きな男の身体に、デカい傷痕があったとしたら」
    「理由次第かな」
    「たとえば?」
    「それがヤンチャとか、痴話喧嘩とかで作った傷なら引く。そうじゃないなら、気にならない」
    「俺のは、ヤンチャに入る?」
    「違うだろ。それは、五条が五条として生きているから出来た傷だ」
    「そっか。……じゃ、いいや」
    するりと口にした悟に、硝子は僅かに目を瞠った。駆け引きでも何でもなく、こういう言葉を吐けるくらいに悟は素直な男なのだ。周りが思うほど、彼が自分の容姿に頓着していないことを、硝子はよく知っている筈だ。気が晴れたような表情をした悟は、隣で視線を彷徨わせている彼女の様子に気付かない。締まらない男だなぁ、と思う。ふとした瞬間の言動で、決して惚れやすくない想い人の心を掴んでいる癖に、その事実を見逃していつまでも独り相撲を続けているのだ。


    ***続く***
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