2人のその後今日も庭師としての仕事を終え、彼が待つ家に帰る。
この時間ならまだ残ってるかもしれない。そう思ってパン屋まで走って向かった。夕方で数が少なくなっているパンの横に、お目当てのスイーツがふたつ。よっしゃー!と言いたくなる気持ちを抑えて、食パンも一緒に買って店を出る。もう急ぐ必要はないけれど、早く一緒に食べたいと思うと不思議と足取りは軽くなり、結局家までも走って帰ってしまった。
「ただいまー」
ドアを開けると部屋の奥から一人の青年が顔を覗かせ、にこにこしながら駆け寄ってきた。
「おかえり、今日は早かったんだね」
「そ、時間ピッタリに終わった。なあ見て見て!エッグタルトまだ残ってた。しかも二個!」
「わあ!いつもすぐ無くなっちゃうのに。今日はラッキーだったね」
「なー。もう超嬉しかったから走って帰ってきた」
「そっか、だからか…」
「ん?何が…」
彼は袖で俺の鼻の頭を拭うと「今日もお仕事お疲れ様」と言った。そういえば帰り際に屋敷の人が俺の顔を見て何か言いかけていたような…。うっかりした恥ずかしさを誤魔化すように絵の具で汚れた彼の頬を指で拭おうとしたが、絵の具の方は乾いてしまっていて落ちそうにもなく、ただ指の腹で頬を撫でるだけになるのがおかしくて笑ってしまった。
「あんたも!キリよかったら飯にしようぜ」
「うん。そうしよう」
飯を食いながらお互い今日あったことを話す。
屋敷に新しいコレクションとして俺の身長くらいある甲冑が届いて、広間に運ぶのを手伝った話。彼からは赤の絵の具が足りなくなってしまって、画材屋さんに行ったら売り切れてしまっていた!…と思ったら運良く最後の一個が店の奥から出てきた話。そして、新しく完成した絵の話。
あの劇団がこの街を去ってから俺達の生活は一変した。
描いても描いても間に合わないくらいに彼の絵が求められるようになってはや一ヶ月。豆しか入っていないスープはクリームシチューに変わり、パンにはたっぷりのバターを塗ることができるようになった。
幸せだねと分厚いバタートーストを口に運ぶ彼は本当に嬉しそうで、ついじっと眺めてしまう。昔は「今日はあまりお腹が空いてないんだ」と嘘を付いて自分の分のパンを俺に食べさせようとしていたから。
「あの劇団、また来ねえかな」
「一度来た街にはなかなか来ないらしいけれど…。オレもまた会いたいな」
お礼も伝えたいけれど、今度は二人でショーをみたい。
窓の外を見ると星空が広がっていて、飛空挺の影はもちろん無かった。
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「オレの絵だけを…ってことは個展が開けるってことですか?」
とある休みの日、ベランダで作っている野菜を収穫していると彼と来客者の話し声が聞こえてきた。後で彼から直接聞きたい内容の話だけれど、気になってつい聞き耳を立ててしまう。
「そう!私がつい先日この街にある一つの画廊を買い取ったものでね。そこで初めて開く展覧会にはぜひ君の絵をずらっと展示して貰いたいんだ」
「ずらっと…ってオレ、そんなに早く描けないです。具体的に何枚くらい必要なんですか?」
「まあ…十枚もあれば十分だろう。この部屋にもこんなにあるんだからこれを機に出してみないか?ほら、この絵なんて素敵じゃないか」
「あっ、え…えっとそれは…」
男がイーゼルに立てかけてある絵に触れようとしたその時、気がついたら俺はその男の腕を掴んでいた。
「すんません。それ、こいつの大切なものなんで素手で触んないで貰えますか」
男はびっくりしたように目を丸めると、すぐににこりと微笑んで手を引っこめた。シワがあるスーツ、安っぽい腕時計。そして高価なものに素手で触れようとする無頓着さ。本当にこんな男に画廊を買い取るほどの財力があるのだろうか。じろりと睨むと「失礼だよ」と彼に窘められた。
「いえいえ…こちらこそ無礼を働いてしまい申し訳なかった。また来るよ、その時に返事を聞かせてくれないかな」
「あ…はい。あの、ありがとうございます」
男はお辞儀をすると帰って行った。なんだかもやもやとした気分が晴れなかったが、そんな俺の顔を見てか彼は「お茶にしようか」と優しく声をかけてきた。
「あの話、受けんの?」
「うん…。君は嫌?」
「嫌…って言ったらあんた困るだろ、心配はしてるよ。なんかあいつからは胡散臭い金持ちみたいな匂いがしたから」
「そうかなぁ、オレはあんまりわからなかったけれど…。君はお屋敷でああいう人をたくさん見てるからわかるのかな」
そういうと彼はティーカップを両手で持ったまま俺を真っ直ぐと見つめて「でもね」と言葉を続ける。
「オレの絵をもっとたくさんの人に見て貰いたい。そして今まで君に無理をさせてしまった分、恩返しもしたいんだ」
…そう言われたら嫌だなんてますます言えない。俺だってあんたの絵を世界中の人に見てほしいと心の底から願ってるんだ。その夢に近づこうとしている今、俺が足を引っ張ってしまうなんてことあってはいけない、よな。
「…わかった。ごめんな変なこと言って。応援してるよ」
「ううん。君が優しいのは知ってるから。ありがとう。……と、それでね、君に一つお願いしたいことがあって」
「なに?何でも言って」
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「これも俺すげえ好き。売るのが勿体ないくらい」
「えー?それかなり昔に描いたやつだよ、恥ずかしいよ」
「そうかなー、じゃあこれも家に飾っておくか」
彼のお願いは、家の中にある数多くの作品から展覧会に出すものを一緒に選んで欲しいというものだった。こうして見るとものすごい量の絵を描いてきたんだな。別の部屋にあるスケッチブックの山も含めたら美術館すら埋めつくしてしまうほどの量だ。二人で出かけた時に描いた風景画もあって、手放してしまうのが惜しいものばかり。
「こうしてみるとここにある作品があんたの日記みたいだな」
「そう言われるとちょっと恥ずかしいな、でもそうだね」
「これ、ここに引っ越してきたばっかりの絵だろ?まだテーブルも無い時の」
「懐かしいね。これは覚えてる?ツバメが作った巣に次の年に帰ってきた時の…」
「覚えてる!あれ嬉しかったなー」
すると何枚も立てかけてあったキャンバスの一番後ろに布が掛けてある小さめの絵があった。なんだろうと思って布を捲ってみようとすると、慌ててその絵を取り上げられてしまう。
「だっ…駄目!これは!」
「なんで、恥ずかしいやつ?」
「恥ずかしいやつです…」
「じゃあどんなのかだけでも教えて、気になる」
すると彼は耳まで赤くして黙り込んでしまった。こんなになるなんて珍しい。
「……もしかして、ハダカの絵?」
「〜〜っ違う!!き、君の絵だよ!!」
「えっ」
そんなの、何度も見せてもらったし何度も描いてもらってる。今更恥ずかしがるようなものじゃないはずなのに。
「一番最初に、こっそり描いたやつだから…下手だし全然君に似てないんだ」
「絶対そんなことない」
「そんなことあるの」
「見せて」
「駄目」
傍に寄ると、彼は絵を抱き抱えたまま俺に背を向けた。回り込むようにするとまた反対を向いてしまう。ぐるぐるとそれを繰り返してるうちに段々楽しくなってきて、目が回るまでやって最後には二人ともへとへとになり床に座り込んだ。
「あはは…も〜駄目だってば…」
「はは…うん。その絵は諦めるけどさ、また新しく描いたのは見せてな」
「うん、それならいくらでも」
頬にキスをするとくすぐったそうに彼は微笑んだ。
結局選んだ絵は彼が仕事のために一人で外で描いてきたものばかりになり、この家で描いてきたものはまだ大切に飾っておくことになった。
もったいないような、でも嬉しいような。そんな気持ちだ。
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いつかは完成させる予定です!
読んでくださりありがとうございます。