プロデューサーの仕事は嫌いじゃない。むしろ、大好きなアイドルたちを輝かせるお手伝いのできるこの仕事が好きだ。でも、それはそれとしておやすみは楽しみにしている。それも、好きな人と一緒に過ごせるおやすみとなればなおさら。なのに。
「はぁ……」
下腹部の重いような感覚と、脚の間の不快感。もしかしてと思ってトイレに駆け込めば、案の定アレが来てしまっていた。予定日はもう少し先のはずだったけど、ここ数日仕事を詰めていた影響もあるのかな。
『その日』が来るのは憂鬱だけど、十数年もこれと付き合っていれば、あぁまたか、くらいにしか思わない。けれど、何も今日じゃなくても。
どうしよう、と思う。明日は久しぶりにふたりそろって完全オフの日で、だから、今日の夜からジュンくんがお泊まりに来てくれることになっている。私の家にジュンくんがお泊まりに来たことは今までに何度かあって──その時、『そういうこと』にならなかったことは今まで一度もない。……だから多分、ジュンくんは今回もその気だと思う。私も明確に拒否したことはないし……と言うか恥ずかしいだけで、私だって『そういうこと』をするのは嫌いじゃない。ジュンくんがいっぱい私を求めてくれるのはやっぱりうれしいし、その時ばかりは恥ずかしいという気持ちを忘れて、私もジュンくんのことが好きだといっぱい伝えられるから。
でもさすがに今日はできない。となると、お泊まりも断った方がいいのかな。でも急に断るのも変だし、第一なんて言えば……なんて考えているうちに、『仕事終わったんであんたの家向かってます』なんてメッセージが届いてしまった。さすがに今からお泊まり自体を断るのは無理だ。なら、やっぱりそういう雰囲気になってから伝えるしかない、よね。
◇
はぁ、とため息なのか精神統一のためのものなのか分からない息をひとつ吐いて、自宅の鍵を回した。ガチャリと音を立てて開いた先、見慣れた自宅の中は既に明かりがついていて、私にはひとまわりもふたまわりも大きい靴が玄関にきちんと並べられて置かれている。
「おかえりなさい、あんずさん。お疲れさまです」
「……ジュンくん。ただいま」
パーカーにスウェットというラフな格好に身を包んだジュンくんが奥の扉を開けて出てきて、私を迎えてくれた。軽く広げられた腕に引き寄せられるように近づけば、ぎゅう、と抱きしめられる。あたたかくて、好きな匂いがして。しあわせ、と素直に思う。
「キッチン借りて、ご飯作ってました。もうちょっとかかりそうなんで先お風呂入ります?」
さっきまでシャワー借りてたんで、浴室はあったかいと思いますけど……あ、勝手に借りてすんません、なんて。もう何度も来て、勝手に使っていいよって何度も言ってるのに、律儀に謝ってくるジュンくんは本当にいい人だと思う。本人に言えば「んなことねぇですよ」とちょっとむくれるのが分かっているので言わないけど。
「ありがとう。……じゃあお風呂入っちゃおうかな」
「そしたらお湯沸かしますね」
「……いや、いいよ。ささっとシャワー入ってきちゃうから」
ジュンくんのご飯楽しみだし、と言えば、うれしいですけどゆっくりして欲しいんすけど……と言ってくれるジュンくんに曖昧に笑う。やっぱり自分から生理だと言うのは恥ずかしくて、言わざるを得ない状況にならない限りは言いたくなかった。
◇
「上がったよ。ご飯ありがとう」
「ん、おかえりなさい」
ちゃんとあったまれました?と聞きながら席を立つジュンくんは、勝手知ったる様子でお皿を出していく。それがうれしいようなくすぐったいような気持ちになりながら、私も後に続いた。食器棚にはいつの間にかふたり分の食器が収まるようになっていて、その分だけジュンくんが私の家にいることが当たり前になっていく。
「……髪、まだ濡れてません?」
「……そうかな? 一応ドライヤー使って乾かしたんだけど……」
「オレにはちゃんと乾かせって言うくせに、ほんと自分のことには無頓着ですよねぇ、あんずさんって」
むす、と言うジュンくんがかわいくて、ひどいと思いつつも心配してくれるのがうれしくてふふ、と笑ってしまう。自分のことなんて二の次でいいと思っているけど、ジュンくんが大切にしてくれる分、心配してくれる分はきちんと大切にしなくちゃなぁとも思う。
「ごめんね。でもこれくらいだったらご飯食べてるうちに乾くよ」
「謝るくらいなら最初からちゃんとしてくださいよ」
まぁ前より少しは気にしてくれてるみたいなんで今日はこのくらいにしときますけど、と呟いたジュンくんがしっかりと手を合わせて「いただきます」と言ったのにならって、私も手を合わせた。今日も変わらずジュンくんが作ってくれたご飯はおいしそうだ。
「ん、おいしい。ジュンくんのごはん、本当に好き」
「……そりゃどーも」
大口を開けてご飯を食べるジュンくんは照れてしまったみたいで、視線が合わない。けど、「オレはあんずさんのご飯が食べたいですけど」なんて言われれば私も照れてしまった。加えて「あんたに負担はかけたくねぇですけど、オレはあんたが作ってくれたご飯食べるの好きなんで」なんて言われれば余計。
「……ありがとう。明日、ご飯作るね?」
「え、まじすか」
やった、じゃあアレがいいです、オムライス、チーズのやつ、なんてリクエストまでしてくるのがおかしくて、でもかわいい。
「分かった、オムライスね。材料あったかなぁ」
「さっき卵は買ってきたんで、あると思いますよ。……あーでも、それなら今日はあんま無理させられねぇですね?」
ちら、とこちらを見ながら「あんたのご飯もですけど、あんたも楽しみです」と笑うジュンくんに、どきりと心臓が跳ねる。……やっぱり、そうだよね。
「……あのね、ジュンくん。言わなきゃいけないことがあって」
「なんですか」
覚悟を決めてもやっぱり言いづらくて、ごくりと唾を飲み込む。そのつもりで来ているんだと分かったから、なおさら。
「……その、今日、女の子の日、で……だから、『そういう』のはできない、って言うか…………だから、ごめんね」
言い切った瞬間、下げていた視線を上げれば、むっとした顔のジュンくんと目が合った。不機嫌と言うか、怒ってる?
「……なんであんずさんが謝るんすか」
「……えっと」
「あんたはなんも悪いことしてねぇですよね。それともなんですか、オレがあんたとヤりたいだけだと思ってんすか?」
「……いやそれは」
違うけど、と言えば、ぎゅうと抱きしめられた。相変わらずあたたかくて好きな匂いがして、安心する。
「あんたがあんたのことを大事にする以上に、オレはあんたのこと大事に思ってるし、大事にする自信あるんで。そんなオレが、あんたが辛い思いしてる時に無理させるわけねぇでしょ」
「……うん。ごめんね、ありがとう」
そうだった。ジュンくんは、私以上に私のことを大切にしてくれるひとだった。
思い違いをしてごめんね、大切にしてくれて、ありがとう。
そう思いながら、今度は私の方からぎゅうと抱きしめる。私もこのひとを、大事に、大切にしていきたいと強く思った。