お人好しのドミノ 人間が消えうせ化け物がうろつくこの町で、その化け物どもを退治して、いたずら好きな妖怪たちを懲らしめて、困っている霊たちを助けてくれる奴らがいると聞いた。そいつならあの子を助けてくれるかもしれない。その一心で俺はこの不気味な街の中を必死にその姿を探し歩いた。
そうしてやっと見つけてその人影は清浄な空気の神社に入っていくところだった。これは良い時に見つけられたと、俺は辺りに気をつけながらその背中を追った。
姿は見失ってしまったが、気配を確かに感じる本殿に慎重に近づき扉をすっとすり抜ける。
「何の用だ?」
こちらから話しかける前に鋭い詰問が飛んでくる。
「ま、待ってくれ!あんたらをどうこうしようなんて気は無い。助けてほしいんだ」
「うるせえ。コイツが起きるだろうが」
慌てて弁明する俺の前に不機嫌そうな顔をした黒い靄をまとった男が姿を現した。声も鋭ければ、目つきも鋭い。さながら番犬か、子を伴った野生動物のような気配だ。
人の好さそうな青年にお願い事をするつもりでやってきたが、状況は俺の想定とは違っていたらしい。
姿を追ってきた青年は部屋の隅で体を丸めるようにして動かない。その体から付かず離れずの辺りに男が立ちはだかっている。
「すまない」
声を抑えて詫びれば、男はこちらに害する意思がないことを察したのか、わずかに気配を緩めた。
「悪いがコイツは今寝てるぜ。無茶ばかりしやがるから、やっと休ませたところだ」
「そうか。それは間の悪いところに来てしまったな」
この体になってからすっかりそう言ったことに疎くなってしまったが、この子は生きている人間なのだ。それを無理強いするのは気が引ける。
「オマエ、地縛霊ってわけじゃないな。わざわざオレたちを追ってきたのか」
「話を聞いてくれるのか?」
「コイツが眠っている間に聞くだけは聞いてやる」
この男の方もなんだかんだと面倒見が良く優しいというのも聞いている。霊ってやつは、もう飲み食いもできないし、生きてる奴らに干渉できる奴なんかもほとんどいない。噂話くらいしかすることが無いからそう言ったことが伝わるのは早いのだ。
「実は、助けてやってほしい子がいるんだ」
無言で先を促す男の様子を見ながらあの子の事を話す。
俺は生きていた頃から、たまにだけどそういうモノを感じる性質だった。しばらく前から見かけるようになった子がいたんだ。どこかへ行こうとしているらしいんだがどうにもそこにたどり着けないみたいで、いつもそのあたりを規則性なくさまよってるんだ。それで、悲愴な声で謝り続けてるんだよ。
「謝る?何にだ?」
「それはわからない。でも、『ごめん』『許して』ってぶつぶつ言いながら、時々途方に暮れたみたいに『どこにいるの』『帰らなきゃ』『一人ぼっちだ』って立ち尽くしてふっと消えてしまうんだ。それがあんまりに悲しそうなのが気になって、つい気もそぞろになってオレも事故に遭って死んじまって」
「おい、そりゃ同情で引き込んであの世送りにする悪霊じゃねえか」
男はわかりやすく不快そうに眉を寄せる。
「違う!事故に遭ったのは、本当に俺の不注意なんだ」
「見惚れさせたり、同情を誘って引きずりこむなんざ悪霊の常套手段だ。仮に本人にその気がなくてもオマエみたいなやつが増えて噂が広がって力を持てば、それが凝って変質する」
「だからそうなる前に助けてほしいんだよ」
俺と同じようにあの世に渡り損ねてる奴らの中にそういう輩がいるのもの知っている。最初は普通だった奴が、何かの拍子にすごく嫌な気配をまとうようになってしまったのも見たことがある。でも、あの子はそれらとは違う。それは間違いない。
俺の必死な訴えのおかげか、男はまだ疑っている顔だが取り合えず「悪霊=祓う」は止まってくれるらしい。
「あの子の未練には当てがあるんだ。俺はこっちと話す意思があるようなやつにしか干渉できなくて、あの子を何とかしてやることはできないけど、あんたらならきっとあの子を助けてやれる」
男は眉間に深い皺を刻んだまま数秒無言を貫いたが、諦めたようにため息を吐く。
「話してみろ。だが、どうにもならないと判断したら祓うからな」
「ありがとう!」
俺が俺の知る『当て』について話し終えると、男の顔はより難しいものになり何も言わずに姿を黒い靄に戻して消えてしまった。ダメだったのかと思ったが、諦めるにはまだ早い。青年が目を覚ましたら、彼を説得しよう。
そう思っている間に、固い床に丸まっていた青年が身じろいだ。そして身を起こし、その目が開いた。
俺が話し出そうとすると、左掌がずいとこちらを止めるように向けられた。そして両肩を順に回したり、感触を確かめるように手を開閉する。
そのどこかぴしりとした雰囲気に吞まれたように無言で見つめていると、一通り確認を終えたらしい青年がこちらを見た。
「待たせたな。さて、その霊のところのに案内してもらおうか」
その声はひどく落ち着いた調子で、柔さや未熟さなどは感じられず、これからするべきことは全てわかっているというような様子だ。
「…まさか、あんたか?」
「ああ、オレだよ」
さも当たり前のように答えたのは男だった。同じ体でも中身が違うだけでこうも違うものかと目をむく。いや、そんなことよりもだ。
「この子はどうしたんだ?」
「まだ寝てるよ。その方が都合が良い」
男は立ち上がると、そのまま本殿の出口へと歩き出す。
「とっとと済ませるぞ。案内頼むぜ」
急かすような男を追って俺も神社を後にした。
浮遊霊の言う「あの子」を探すのは簡単だった。
規則性無く漂っているという話通り、霊にはその居場所がわからなかったらしいが、近づいてみればオレには自然とそれがわかったからだ。
ソイツは話に聞く通りしみったれた空気をまといながら彷徨い歩いている。その影はすっかりうなだれていて今にも泣きだしそうに見えた。まるで迷子じゃねえか。
「おい、どこ行こうってんだ?」
オレが声をかけてもソイツは気づかないかのように歩き続ける。
目的に執着し過ぎて周囲を認識できないとこまでいっちまってるらしい。舌打ち交じりに、どうしたもんかと考えていると声が聞こえてきた。
「ごめん、ごめん・・・一人ぼっちに・・・・帰らなくちゃ・・・どこ?・・・」
とぎれとぎれでつながりもはっきりしない。魂ってやつはそういうもんだ。そいつが一番心を寄せている物事に理屈もなく執着する。だが、おかげでコイツの執着するものがわかった。
「オマエの家はそっちじゃないぜ」
彷徨っていた足が止まる。
「オマエの妹もな」
影がこっちを振り返る。
「どこに、いるの・・・?」
他の霊と同じように薄青く曖昧に光っていた影が、何か形をとろうとするように不規則に明滅したりその姿を薄めたりする。
既にその命を亡くした霊に取るべきはっきりとした姿は無い。その影はやがて天に昇るか、忘れ去られ擦り切れて消えるか。だが、コイツはそうじゃない。
「オマエが助けるんだよ。だからオレと来い、暁人」
『俺の家の近くで少し前に火事があったんだよ。夜中じゃなかったから被害にあった人数はそんなに多くないらしいんだけど、巻き込まれた人もいたらしい。きっと火事で亡くなって家も燃えてしまったから帰れなくなって迷ってしまっているんだと思うんだ。だからきっと、帰るべき場所に導いてあげられればあの子は成仏できる。頼む、助けてあげてくれ』
とんだお人好しがいたもんだ。そう思いながら、オレはこの件に関わることを決めていた。
暁人が妹の病院で見ていた幻視、時折垣間見た暁人のトラウマが顕在化しただろう断片的な悪夢。それらから得られた情報だけで、暁人の関りを断じることは理屈で言えば性急と言えるかもしれないが、魂がゼロ距離で存在しているからこそわかる。そこに引かれる何かがあるということが。
思えばそもそもおかしかったのだ。一つの体に魂は一人分。いくら死にかけだったとは言えオレのような異物が入り込むことができたのは、そこに隙間があったからだ。
それが埋まっちまったらどうなるかなんてわからない。だがそれでも、巻き込んでしまったコイツはせめて普通に返してやりたい。あの気に食わない野郎の計画をぶち壊すための仮の体なんて思うにはどうにも情が湧き過ぎた。
オレもとんだお人好しになったもんだ。
在るべき所に還ろうとするこの迷子を、オレは拒否するわけもなく受け入れた。
ふっと意識が浮上する。
「…ぅん。…あれ?」
きょろきょろとあたりを見回す。
体をもたれさせていたのはどうやらブロック塀だ。座っているのもコンクリートの上。
最後の記憶では確か、KKに休息をとるように説得されて、穢れを祓った神社の本殿で仮眠をとっていたはずだ。なのに今いるのは屋外。こんなことができるのは。
「KK」
半分確信を持ってその名前を呼ぶ。
……返事は無い。
「え?KK、KKいないの?」
慌てて目をやる右掌に黒い靄は無く、光る亀裂もない。
「っ!!KK…!」
吸い損ねた呼吸では掠れた声にしかならなかった。
思わず走り出しそうになった足を止めたのは、背後から聞こえてきた呆れを含んだような声だ。
「そんな声出さなくたってここにいるよ。一人でお留守番もできねえのか、お暁人君は」
勢いよく振り向けば、聞こえてきた声色通りの表情のKKがいた。それにとても深い安堵がこみ上げてきて、喉で渋滞していた息を目いっぱい吐き出す。
「脅かさないでよ。KK、また攫われたのかと思った」
「そんなヘマ、…たまにしかしてないだろうが」
後半に連れて尻すぼみになっていったのはこれまでの前科を踏まえれば、本人も認めざるを得ないというところだろう。その気まずさを誤魔化すようにKKはこちらに歩み寄るとそのままその体を靄に戻して僕の中に戻ってきた。
在るべきものが在るべき場所に納まったような安心感と充足感が広がる。
「もう、どこに行ってたの?ていうか、僕が眠ってる間に勝手に体動かさないでよ。目が覚めた時びっくりしただろう」
「わざわざオレたちを追っかけてきて助けてくれって霊がいたんだよ。さっきもソイツを送りに行ってたんだ」
もう習慣になった動きで右掌に目を向ければ、靄は言い訳するように燻ぶった。
そんなことなら起こしてくれれば良かったのに、休んでいる僕を気遣ってくれながら霊を見捨てることもなく助けてあげるKK本人は認めないがやっぱり優しい。
「そんなことより、体の調子はどうだ?」
眠っている間もKKが体を動かしていたなら結局休めていなかったことになるのではないかと思うが、少しでも横になるのはやっぱり大事みたいだ。
「うん、ちょっと体が軽くなった気がする」
「そりゃ、何よりだ。回復したんなら次に行こうぜ」
「OK」
KKに促されて札や矢などの装備を確かめながら歩き出す。
ふと、あることが気になった。
「幽霊の困りごとってなんだったの?」
「大した事じゃねえよ。迷子を送り届けてやってくれだと」
「へぇ、優しい霊もいたんだね」
end