ひとり、ふたり、つながり あれからそれなりの月日が過ぎた。僕はどういう訳か甦ったKKと一緒に祓い屋をやっている。あの夜を越えても、僕はエーテルやワイヤーなどの能力を扱うことはできた。と言ってもあの夜の力はKKに借りていたものだったからか、僕自身に発現した力はそよ風みたいなものだったけど血反吐吐くような訓練をしてなんとか一端の祓い屋になった。その時に反対するKKとひと悶着あったのも今となっては良い思い出だ。
平和とは言い難いけど、それなりに充実した日々を送っていると思う。両親や麻里に約束したようにちゃんと生きている、つもり。
でもそんな日々の中で、ふと物思いに耽ることもある。
渋谷という町はいつも人に溢れている。老若男女、外国の人々に人知を越えたマレビトたちまで裏も表もあらゆるものに溢れている。地下でも地上でも、全力疾走するなんてとんだ迷惑行為になるほどには。車道の真ん中を突っ走るなんてことも、車の上に跳び乗るなんてことも論外だ。
でも人波を遥か眼下に見下ろすビルの屋上だけはあの夜の面影を感じることができる。ここにいる時だけは、僕は一人ぼっちになることができる。
屋上の縁に腰掛けて両足をぶらぶらさせてみる。目が眩むような高さのはずだけど、特に何も感じない。地上から運ばれた空気は生温くて、見上げた空の分厚い雲と併せて爽快感とは程遠い。それでも何をするでもなく夜風に当たっていた。
最近の祓い屋の仕事のこと、出会った妖怪や霊の未練に、呪いや祟りの類かと思えば狐狸のいたずらだった話、普通に就職した友人から聞いた職場の愚痴にSNSでバズっていたニュース。取り留めも無い話が泡のようにぼんやりと浮かんでは消えていく。
こんな日々を送るなんて、あの夜の前は全く思っていなかった。そもそもあの頃は目の前が何も見えないような気がして、足掻いて藻掻いて先のことなんて何も考えられなかったから予想もしてなかったのは当然なんだけど。
「考え事か?」
唐突に声がかかるけど、別に驚きはしない。何となく近くに来ているってことは感じていたから。姿は見えないけど声だけが聞こえて、なんだかあの夜を彷彿とさせる。でも、ちゃんと空気を通して聞こえる声はすこし違って響く気もする。
「僕の考えてることはわからないんだ」
「考えそうなことはわかっても、わかった気になることは別だからな」
少し古い物言いをしがちだった相棒もすっかり変わったものだ。2人それぞれの体を持って改めて一緒にやっていこうと思った当初は、始まりがイレギュラーだったせいですれ違ってしまうことなんかもあったからちゃんと言葉にして伝えようと決めた。相棒は素直じゃないおじさんだし、僕自身も正面から向き合うことは決して得意じゃなかったから最初はなかなか苦労したけど。
ふわりと嗅ぎなれた煙草が香って、空に向けたままの視界に黒い靄ではなく白い煙が漂った。腰を据える気のようだから、返事を急かされてはいないのだろう。沈黙に気まずさは無い。姿は見えないけどお互いの気配を近くに感じ合っている状態は僕にとってはあの夜みたいで落ち着くけど、KKにとってはどうだろう。
「KKはこうやって、僕とそれぞれに生きることになってどう?」
いい機会だからと、聞いてみた。実は気になっていたんだ。
「そんなもん、今の方が良いに決まってるだろ」
そうだろうなってわかっていたけど、こうもはっきり言われるとそれはそれでちょっと不満に思う自分もいる。憑りついてきたのはKKの方で、おまけに僕の人生をこんなに変えておいて。
「同居人は生意気なガキで、ちっともいうこと聞きやしない」
「それは最初の頃の話だろ。それにKKだって最初は丸っきり悪霊だったじゃん」
「ムカつく野郎をぶん殴ることもできないし、化け物どもにやられっぱなしでよ」
「攫われちゃったアンタを何回助けに行ったっけね」
「何より煙草が吸えないからな」
「アンタらしいよ」
あの夜も度々煙草を吸いたがっていたけど僕は断固拒否していたから、KKにとってはそれこそ死活問題なのかもしれない。
KKが大きく息を吐く音がして、また視界に煙が漂った。
今のKKの生活はさぞや快適だろう。やっと僕が一人でも仕事を任せてもらえるようになったからガキのお守りも無く自由に行動できるし、その力を十分に発揮して化け物を退治して人々を救ってる。そして満足そうに煙草をふかすんだ。
「KKは将来やりたいこととかある?」
僕が関わらなくても満足げなKKに少しモヤモヤするところもあるけど僕も自立できた方が良いのかなとも思うから、仕事でも人生でも先輩であるKKに問いかけてみる。
「ハッ、将来なんてこんなおっさんつかまえて言うことかよ」
KKのこんな言い草も慣れたものだ。口が悪いのも素直じゃないのもアジトのみんなも僕もわかってる。
「今は平均寿命80歳超えてる時代だよ」
「こんな仕事してるんじゃ、そんなもんあてにしてもしょうがねえけどな」
全く不謹慎なことを口にするものだと思うけど、それも事実だから言い返すことも無い。老い先短いなんて言いはしないが、人がいなくなる原因は加齢ばかりじゃない。それはこれまでの人生で嫌ってくらい痛感している。
「そういうお暁人くんの将来の夢は何なんだよ」
「何だろうなぁ」
子供の頃に満面の笑みで口にした夢は何だっただろう。進路のこととか実現性なんて考えもせずに画用紙いっぱいに描いた夢、KKに比べればずっと最近のことのはずだけど思い出せなかった。
将来像なんてものは月日を経ていくらでも変わるものだし、現状からの人生設計を考える方が建設的かもしれない。
教科書にでも出て来そうなテンプレート的な人生と言えば、大人になって働いてパートナーを見つけて結婚して子供を作って育てて。それも今となってはあくまで選択の一つでしかない。多様性の叫ばれる現代では結婚したところで子供を持たない夫婦も決して珍しくなくなったし、そもそも独身のまま人生を終える人もいる。結婚したとてその人と添い遂げることはなく別離を選ぶ人もいる。
明確な答えを返せないまま言葉は途切れて切れ端も宙に漂った。掴み損ねたそれを追いかけるように視界の外から白い煙が追いかけた。
「たく、オマエは本当に真面目だな。知らねえのか?来年のことを言えば鬼が笑うんだぜ。もっと先のはっきりしない将来のことなんて考えてもどうなるもんでもないだろ。それに悩むくらいなら、来週の依頼のことでも考えろよ」
「KKが聞いてきたんだろう」
少し身じろぐような音がしたと思うと足音が近づいてきた。僕は前を向いたままだったから完璧には視界に入らない。
「今日の仕事は終わったんだろ。だったらもう帰ろうぜ」
その言葉に方を振り返れば隣に立ったKKが手を差し出してくれている。もうだいぶ見慣れた手、ところどころに古いものから新しいものまで傷がある少し節が目立つ男らしい手。その手を取ることができるのも、それぞれが体を命を持つからこそだ。
手を差し伸べてくれたKKだけど、とっとと非常階段の方に向かってしまってもう背中が向いている。
その背中を見ながら考える。
明日は報告書を書かなくちゃ。どうせ片付けもしないといけないから、アジトに行って書こうかな。KKにも手伝ってもらおう。
スーパーの特売を確認して自宅用とアジト用と合わせて買い出しにも行かないと。放っておくとアジトのみんなカップ麺やインスタントばっかり食べるんだから。エドがまた健康診断の結果を見て何かボイスレコーダーに吹き込んでいたから健康重視のメニューで考えた方が良いかもしれない。
暑さが落ち着いたらツーリングにも行きたいな。最近は残暑が長引くから紅葉の季節を狙う方が良いかもしれない。凛子さんも最近走りに行けていないと言っていたし誘ってみてもいいかもしれない。
たくさんの人といても孤独に感じた日もたった一人で駆け回った夜も越えて、人とつながりができて先のことも考えられるようになった。絶対なんて誰も言いきれないし、わからないこともたくさんあるけれど。
祓い屋の毎日は鬼が笑う暇もないくらい大忙しで賑やかだ。
そうだ。一つだけどうしても外せない用事がある。
「次の休みに墓参りに行こうと思ってるんだ、麻里の。お盆はバタバタだったからさ」
KKも一緒に来てくれる?
END