『あの、体育館で』『あの、体育館で』
きらびやかな店内を見て回る。
どれにしようか。といっても普段使いするので、シンプル一択。
あ、これいいな。
店員を呼び、実際に手に取る。
うん、これにしよう。
購入の意志と、ふたつのサイズを店員に伝えた。
数か月前に、石井から連絡があった。
今、石井は湘北高校で先生をしている。バスケ部も担当していると言っていた。
話を聞くと、俺がアメリカから帰国したタイミングで、湘北高校で講演会とバスケ教室をして欲しいという話をされた。
正式にはチームに依頼を出すが、事前に相談してみた、ということだった。
母校に貢献できるならと思ったので、俺は二つ返事で承諾した。
が、すぐに思い直した。バスケ教室はいい。プレーをすればいいから。講演会は無理だ。でも、石井の役に立ちたい。うーん、どうしよう。あ、そうだ。
スマホを取り出し、時間を確認する。よし、日本は夜だな。メッセージを打つ。
『先輩、お願いがあります』
しばらくして返信があった。
『なんだよ、急に』
『石井から連絡あって今度帰国した時に湘北で講演会とバスケ教室してくれないかって』
『え?まじで!すげーな』
『先輩も一緒に出て欲しい』
『なんでだよ』
断られないように、講演会で話して欲しいとは言わない。
『人数多い方がいいでしょ』
『そりゃそーだけど』
『石井から正式にチームに依頼がくると思うから』
『まー湘北で講演会と教室なんて光栄だよな。わかった』
やった!講演会のことは石井から先輩に言ってもらおう。
先輩とふたりで仕事するのは初めてだ。ちょっと嬉しい。
……講演会の後少しだけ体育館でふたりきりになれないかな。石井に相談しよう。
先輩、驚くかな。
流川は、ふたりきりの体育館を想像して表情を緩めた。
正直、騙されたと思う。
数か月前に流川から、湘北高校での講演会とバスケ教室の話を聞いた時は、光栄な話だと思った。後から石井から正式なオファーが来て、喜んで返事をした。
が、いざ石井と打ち合わせをしてみると、話が違う。
現役NBAプレーヤーの流川と、昨年Bリーグを引退した俺。明らかに主役は流川だ。
だから、講演会も流川がするんだと思っていた。が、石井から話を聞くと、講演は俺がするらしい。
騙された。
ぜってー流川が講演したくないから俺にも一緒に出ないか誘って押し付けただろ!!
大きなため息が出る。
もう受けてしまったし、どれだけ言ったって流川は講演会で話なんかしないだろう。
あきらめて何話すか考えるか。
流川とは、俺が高三、流川が高一の時から付き合っている。公表はしてないので、知っているのはごく少人数だ。
毎年帰国して、うちに泊まっていくが、やはり寂しい。
仕事とはいえ、1日流川と一緒にいられるのは嬉しい。
講演会なんて数十分話すだけだしな。これで1日流川と一緒にいられるなら安いもんか。
三井は思考を切り替えて、講演会の題目について思いを巡らせる。
かつてのバスケ部仲間にNBAプレーヤーやBリーグプレーヤーがいることは誇りだ。
今、母校の湘北高校で教員をして、バスケ部の顧問もしている身としては、この伝手を使わない手はない!と思い立った。
ダメ元で流川に連絡をしてみると、好感触で驚いた。
そのまま話が進み、正式なオファーを出して、実現することになった。
喜びとプレッシャーを感じていたところに流川から連絡が入った。
『講演会だけど、俺、喋れねーから他の人も呼んでいいか?』
『他の人?その人がいいなら構わないけど』
『ちょっと聞いてみる』
『湘北の人?』
『三井先輩』
『えー!それは来てくれたら嬉しいな』
『聞いてからまた連絡する』
『助かるよ。オッケーだったら正式にオファーするから』
その後、1時間ほどで再び連絡があった。
『三井先輩もいいって』
『ありがとう!じゃあチームに連絡とるよ』
『実はお願いがあって』
『お願い?自分にできることなら』
『講演会のあと、体育館を使いたいんだけど…ふたりきりで』
『…え?ふたりきり?』
『うん、先輩とふたりで』
あぁ、そういうことか。直接何か言われたわけではないが、高校の時からなんとなくそうなのかな〜とは思っていた。
『任せて!何とかするよ』
『悪いな』
『流川、応援してるからな』
『ありがと』
俄然張り切ってきた!講演会もバスケ教室ももちろん、その後のことを考えたらやる気がみなぎる。
よし!まず講演会当日の流れを考えよう。
絶対に、成功させよう。
カバンの中に手を突っ込む。黒い硬い箱が手に当たる。
よし、大丈夫。
絶対に忘れたらいけないから、出発前に何回も確認している。
今日は母校の湘北高校に行く。講演会は午後からの予定だ。
流川は三井の車を待ちながら、時計をチラリと見た。
午前はそれぞれの仕事を終わらせて、一緒に湘北に向かうことにした。
そろそろ先輩着くかな。
そこに三井の車が入ってきた。
「お疲れ」
「先輩、迎えに来てくれてありがと」
「久しぶりの母校だからふたりで行った方が楽しいだろ」
そう言って三井はニカッと笑った。
湘北高校に近付くにつれて、気持ちがそわそわする。
「あ!あのラーメン屋懐かしいな」
「よく部活の帰り寄ったよね」
「看板そのままだから、まだやってるのかな」
「駐車場にも車が停まってるから、やってそうだね」
懐かしい場所に、先輩のテンションがあがっている。かわいい。
この道はよく遠回りするときに使ったな、あそこの家の犬がかわいかったな、このファミレスもよく来たよな、と昔話に花が咲いていたら、あっという間に湘北高校に着いた。
車から降りると、スーツ姿の石井が駆け寄ってきた。
「流川!三井先輩も!今日はありがとうございます」
「いや、こっちこそ声掛けてもらえて嬉しいよ。な、流川」
「うん」
「こんなスターふたりが来てくれるなんて感無量だ」
石井がもう涙ぐんでいる。
控え室に向かいながら、流川は三井に話しかける。
「先輩、講演会で話すこと考えてあるんすか」
「考えたに決まってるだろ!本当はお前がするはずだったのに」
「俺は喋れねーから。先輩の方がいい」
「俺だって緊張するんだからな!」
そんなふたりのやりとりを石井が微笑ましく見ている。
簡単に打ち合わせをして、講演会までは控え室で待つことにした。
講演会はスーツを着て行うので、バッチリきまった先輩を見る。
視線に気がついた三井が流川の方を向く。
「なんだよ」
「先輩のスーツ姿カッコイイ」
「お前に言われてもな。お前のスーツ姿すげーかっこいいよ」
「先輩のためにキメてきたから」
そう言うと流川は三井の頬をそっと撫でた。
三井の頬が、瞳が、少し熱を帯びる。
もどかしい。すぐにでも抱きしめたい。キスしたい。スーツを脱がせたい。何もかもを暴きたい。
自分を落ち着かせて、ふぅ、と大きなため息を吐く。
「先輩、帰ったらいっぱいしようね」
「おまえっ、なんてこと言うんだよ、」
耳から首まで真っ赤になっている。今はとにかく我慢。
「早く先輩に触りたい」
三井の耳元で囁く。
「……俺もだよ、」
三井が真っ赤になりながら、小さな声でつぶやいた。
はぁー、我慢、我慢。
控え室のドアがノックされた。
「そろそろ時間です。三井先輩、流川、よろしくお願いします」
「ハイ」
「あー緊張してきた」
ゴニョゴニョと独り言を言っている先輩の肩をぽんぽんと叩くと、恨めしそうな顔で睨まれた。
あー、早く帰って先輩とくっつきてぇ。
流川はそんなことを考えながら、石井と三井に続いて会場へと歩いていく。
体育館の片隅で行程表を片手に、次の段取りを確認する。
このバスケ教室が終わったら、速やかにみんなに出てもらわないといけない。
今日1番の大仕事だ。
目まぐるしく過ぎていく時間を一旦忘れ、今日の講演会を思い返す。
三井先輩の講演は、素晴らしかった。
あんなに緊張すると言っていたのに、いざ壇上に上がれば、すらすらと話し始めた。
さすがだ。
控え室から会場の体育館に向かう時は、緊張のせいか、顔や首が赤くなっていたので少し心配していた。だが杞憂だった。
そんな三井先輩を流川はずっと見ていた。
三井先輩の話も、寝ることなく、ずっと真剣に聞いていた。
流川は高校の頃から比べたら、ずいぶん表情が柔らかくなったと思う。
特に三井先輩といる時は、雰囲気が柔らかくなる。
あのふたり、お似合いだな。
ハッとして時計を見るといい時間だ。みんな真ん中に集めて、一言締めの挨拶をして、バスケ教室は終わり。あとは速やかにみんなを体育館から出す。
さぁ、これからが本番だ。
石井が体育館の扉を閉めている、俺と流川を残して。
バタン、と扉が閉まる音が響いた。
「流川、どういうこと?」
「俺が石井にお願いした。体動かしたいから、しばらく体育館使いたいって」
「ふーん」
「先輩、久しぶりにワンオンする?」
「現役NBAプレーヤーの相手しろってか」
「…ハンデいる?」
「……いらねぇ」
流川がボールを投げ、それを受け止めて三井は不敵な笑みを浮かべて言った。
「負けねぇよ」
「俺も負ける気ねー」
負けず嫌い丸出しの流川の返事を聞いて、ニヤッと笑う。
30分ほど夢中でワンオンをしていた。
流川がシュートを決めたところで、突然三井に向かって言った。
「先輩のスリー見たい」
「お前アメリカで散々うまいやつ見てるだろ」
「見てるけど、先輩のシュートフォームが1番キレイ」
そんなこと言われたら悪い気はしない。
流川は三井にボールをパスする。それを受けた三井は、シュートを放つ。
ボールはキレイな弧を描いて、ゴールに収まる。
「やっぱりきれい」
流川がぼそっと言って、もう一度三井にパスを出す。
三井は再びシュートを放つ。
こちらもキレイに弧を描いてゴールを通る。
それを流川が真っ直ぐに見つめている。
体育館の床にボールが落ちる音が響く。
「せんぱい、」
「ん?」
流川が何が言いかけたまま、体育館の脇に置いてある自分のパーカーのところへ行った。
ゴソゴソと何かを取り出して、こちらへ向かってきた。真正面に立った流川を見つめる。
「先輩、好き」
「え?」
「ここで先輩に出会えてよかった。これからも一緒にいてください」
「…え、」
手には黒い箱を持っている。
え?何が起こってるんだ?
流川がその箱を開ける。中のものが、きらりと輝いた。
箱の中の片方を手に取る。
「先輩、これちょっと持ってて」
三井は箱を渡されて戸惑っている。
そんなことなど気にもせず、流川は三井の左手を取り、指輪をはめる。
「先輩、こっち見て」
三井が、視線を薬指から流川に移す。
目には今にも溢れんばかりの涙が溜まっている。
「るか、わ、これ、」
「ここでプロポーズしたかった」
「ぷろ、ぽーず、」
「ね、これ、つけてくれる?」
流川は三井が持っている黒い箱の中を指した。もうひとつの指輪がきらりと輝いている。
「あ、これ…」
「ここに、つけて」
流川は自分の左手を前に出した。
ああ、もうダメだ。涙で前が霞む。指が震える。
かろうじて指輪を手に取って、流川の薬指に持っていく。
手が震えて、うまくはまらない。
流川は何も言わず、じっと待っている。
ようやく薬指の根元まで指輪をはめた。
流川が俺の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。
指輪が入っていた箱が手から落ち、からん、と音がした。
涙が溢れて、頬を伝う。
腕を流川の大きな背中に回して、ぎゅうと力を込める。
「る、かわ、」
「先輩とここで出会えてよかった。もう先輩なしの人生は考えられない。今までも先輩がいたから頑張れた。これからも俺の横にいて欲しい、デス」
胸が苦しい。嬉しくて、嬉しくて、胸がいっぱいで苦しい。
「おれもだよ、るかわ。お前と、ここで出会えて本当によかった。お前がいてくれたから、ここまでやってこれたんだよ」
涙が止まらない。
「先輩、これからも一緒にいてくれる?」
流川の優しい声がくすぐったい。こころが満たされる。愛おしい。
「もちろんだよ、もう、お前を離さねぇからな」
体を離して流川の目を見つめる。黒い美しい瞳を見据える。
「もうお前なしの人生なんて考えられねぇよ」
涙がどんどん溢れてくる。三井はにかっと笑った。
流川は三井の頬を両手で包み込んだ。そして唇にそっと触れるキスをした。
再び三井の背中に腕を回して、隙間がなくなるほどにぎゅうぎゅうと抱きしめた。三井もそれに応えて、ぎゅうと抱きしめた。
「これでいいの?」
「うん、あってるよ」
流川は今年、プレーヤーを引退した。
話し合い、これからはふたりでアメリカで生活しようと決めた。
俺は日本を発つ手続きに追われながらも、アメリカでの流川との生活が楽しみだった。
この機会にと、ささやかなパーティーを発案したのは俺だ。
しばらく日本へは帰らないだろう、かつての湘北高校バスケ部のみんなに挨拶をしたいと流川に言った。
流川はすぐに同意してくれた。
今はパーティーで渡すメッセージカードを封筒に詰めている真っ最中だ。
封筒の中には、ふたりでバスケをしている時に撮ったツーショット写真と、それぞれのメンバーへのメッセージをつけている。
「次は、石井だ」
「石井か、懐かしいな」
「あの日、湘北の体育館でプロポーズできたのは石井のおかげ」
「だよな」
お互い顔を見合わせて笑い合う。
『石井 体育館のあの日ありがとう。嬉しかった。おかげでプロポーズできた。流川』
『石井 講演会の日に体育館ありがとな。いろいろ手を回してくれたらしいな。感謝してる。高校の先生とバスケ部顧問がんばれよ。三井』
メッセージカードを封筒に詰める。
パーティーでみんなに会うのが楽しみだ。みんなと思い出話をたくさんしたい。
これからの流川とのアメリカでの生活に不安がないわけではない。
でも、大丈夫だ。横に流川がいれば大丈夫。それだけで、こんなにも強くなれる。
三井は横にいる流川を見つめた。
「流川、俺いますげぇ幸せ」
「俺も幸せ。これからはずっと一緒だから」
流川が唇に、ちゅっ、とキスをした。三井も流川の存在を、体温を確かめるように、何度も唇にキスをした。