『摩訶不思議の舞・猫』
元々一人でふらっと何処かへ行ってしまったりしていたから、そういう方向で苦労しそうだなと思っていた。テメノスさんが摩訶不思議の舞か何かで、猫にでもなってしまったとしたら。
猫の自由気ままな性格とか好奇心旺盛さとか足されたら、もう何処に行ってしまうか予測がつかない。姿を消したあの人を探して、僕は全力で街中を探し回る羽目になるのだろう。…滞在してる街から外に出てしまう可能性?必死に目をそらして考えないようにしてるんだ、思い出させないでくれ。
ともかく苦労するだろうなという覚悟はしてたから、心構えは出来ていた。けれど、こういう事態は想定していない。
「テ、テメノスさん、落ち着いて…。」
「フシャァアアア!!」
とある街の宿屋、その一室。
頭に猫の耳、そしてユラユラと揺れる白い尻尾。今のテメノスさんは、摩訶不思議の舞の暴発で猫になってしまっているらしい。どうなっているんだ、摩訶不思議の舞。どういう仕組なのか、摩訶不思議の舞。
テメノスさんの現状を最初聞いた時は、尻尾で法衣がめくれ上がってしまうのでは?と危惧したけれども、そこは摩訶不思議の舞。調度良い場所に法衣自体に穴が空いているらしく、尻尾で裾がめくれあがってとんでもない姿を晒す様な事態にはなっていないらしい。舞の効果が切れた時、是非とも破けた法衣も元に戻って貰いたい。
「駄目ですって、テメノスさん!本当に落ち着いて、僕は大丈夫ですから!!」
「みぎゃぁああああ!!」
テメノスさんが先程から激怒して手がつけられない状態なのだが、僕が何か失礼な事をしたから怒っている…だったらどんなに良かったか。この人から怒られるというか、チクチクお叱りの言葉を貰うのは慣れているし。慣れたくはないけれども。
何故かテメノスさんは、さっきから僕を抱きしめて一定以上近付いて来ようとする人間に向かって威嚇し続けている。何に怯えているのか、何をそんなに警戒しているのか。僕には何が何だか全然分からない。
「駄目です、止めてください、テメノスさん。あの人は、貴方の様子を見に来てくれたキャスティさんです。」
「んにぃういうなぁうなあうぅあう…。」
「そんな可愛く言い訳しても駄目です、僕は負けませんよ!」
何かうなうなと言い訳をするテメノスさんに、うっ…と思いつつも止める様に必死に訴える。
苦い薬を飲まそうとする時もあるけど、敵ではないです。それは貴方が一番分かっているのでしょう?キャスティさんの薬は、とても苦いですけれども。
「あらあら。今のテメノスは、まるで子猫を守る母猫みたいね。」
「子羊の次は子猫ですか…。僕はいい加減、恋人として見てもらいたいです。それかせめて、隣に立つ事を許してもらいたいです。」
「ふふ、そういう苦情はテメノス本人に言わないとね。」
また来るわねと言って、キャスティさんが部屋から出て行った。次は様子見ついでに何かご飯を持ってきてくれるらしい。
様子見しかない、というのが彼女が出した結論だ。下手に何かしてもっとおかしな事になるのは避けたい、それは僕も同意する。摩訶不思議の舞の効果はいつ切れるのか、僕としては早急に切れてもらいたい。
「んにぁう。」
「はいはいテメノスさん、僕はここにいますよ。…というか、貴方のせいで全然動けないのですが。」
「にぃあうなぅ。」
さてどうしたものかと、僕は溜め息をつく。でも僕にとって、真の問題はこの後だ。テメノスさん、誰も一定距離以上近付いて来ないのを確認するとまた態度が変わる。
「あああ、テメノスさん。その、僕を毛繕いしようとしないでください。それにさっきもしたではありませんか、もう充分ですって。」
「んにぃ。」
「お構い無しですか?今猫だから尚更容赦無しですか?勘弁してください。あの、いい加減僕の話を少しは聞いて下さい…。」
制止する僕に構うことなく、テメノスさんは僕を毛繕いをしだすのだ。せめて完全に猫の姿になっていたら良かったのに、耳と尻尾が生えている以外普段と変わりないテメノスさんに毛繕いされるって、その、変な気分になる。理性と忍耐力を総動員して耐えているけれども。
今のテメノスさんは、正常ではないのだ。普段より距離が近いのも、僕に普段より甘える様な仕草をみせてくださるのも、全部全部そのせい。勘違いしてはいけない、勘違いしては…ー。
「ああああもうっ、僕に押し倒されたくないなら早急に可愛い仕草をするのを止めてください!」
「…んなぅ?」
「だぁあああ!不思議そうな顔をして、首を傾げないで!!可愛いな…じゃなくて、僕の理性は焼き切れる寸前だって言っているでしょうテメノスさん!!」
摩訶不思議の舞の効果は翌日には消え、猫となっていた時の記憶はテメノスさんには少しも残っていなかった。
そして僕の理性が最後までもったのか否かについては、その、黙秘させてもらう。
【終】