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    Hekoten10

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    Hekoten10

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    流リョ。花と恋と涙にまつわる2人の話。
    ⚠️花吐き病パロ。捏造いっぱい。三井が出張るけど恋愛感情はない。

    花降る夜明けのモラトリアム[1] 目の前がパチパチと瞬く。それはまさに閃光だった。
     電光石火と噂されたのも頷ける。深い緑色をした石が太陽の光を反射して視界が弾けた。きゅうっと窄んだ虹彩の隙間から入り込んできたその閃光は縦横無尽に脳内を駆けて、海馬やら前頭葉やら大事な器官のあちらこちらをじくじくと焦がしていった。
     
     雷鳴のようなこの衝撃と衝動は何なのか、答えは持ち合わせていなかった。汗と呼吸と夏の空気で僅かに湿った体育館で、心臓の裏に仕舞われていた導火線の先にボッと火が灯るほど熱い出会い。少なくとも流川はそういう認識をしている。これまで色んな怪我をしてきたが、こんな内側を焼く痛みは初めてだった。ヒリつくのにそれでいてじんわりと染み込んでいくような、近くに居て落ち着くような声と体温を持っている人間は初めてで。また明日会えることが嬉しいと思える珍しい人だった。

     ――ガゴンッ
     
     赤い鉄の輪っかがボールを蹴る。ちっ、外した。窓から入り込んだ太陽光に懐かしい衝動を思い出していたら、気を取られすぎていたらしい。今日は天気がいい。目を刺した光は、閃光と言えるほど眩しいものだった。休日の練習は午前から始まるから体育館が明るくてやりやすい。すっかり秋だというのに退いてくれない熱気が、流川のこめかみに汗を滑らせる。
    「だーかーら! オメーは厳しすぎんだって。適度に休み入れねーとかえって効率悪ィだろうが」
     無駄にデカい声が響く。二つ上の先輩が一つ上の先輩に向かって怒鳴っている。一人は冬まで残る唯一の三年生。もう一人は先月からチームのトップに立った二年生の新キャプテン。流川は床の上をてんてんと転がっていくボールを拾い上げて目を細めた。最近よく見る風景だ。先代の主将でよく激を飛ばしていた赤木やチーム全体に声をかけていた木暮はもう引退したし、やることなすこと全て騒がしい桜木はリハビリで居ない。だからこそ余計に、宮城と三井、二人の口喧嘩はよく目立つ。
    「はぁ? 自分がついてこれねーからって、文句垂れんの止めてくれません? アンタは早く体力付けろよ」
    「ッ、こんの……ッ! あのなぁ、俺はチームを思って言ってんだぞ!!」
    「はいはい、それはどうもアリガトーゴザイマス。そんだけ口が回るんならもう休憩いいよね。じゃあ、次、ミニゲームやんぞ〜!」
    「あ、オイ!!」
     続けようとした三井を無視して、宮城がコートへ走っていく。その後を心配そうに眉を下げた安田が追った。取り残された三井は呆れたように後頭部をガシガシと大雑把に搔いて、「ったく……あー、もう」とため息を零している。流川は三者三様の様子を見届けながらボールを抱えた。手に馴染みきった天然皮革の球体は、グッと込められた力をそっくりそのまま同じ力で押し返す。気の利いた言葉のひとつも浮かばない流川に、長年の相棒は何も言ってはくれなかった。
     
     試合形式のミニゲーム。巧みなドリブルでデフェンスを掻き乱した宮城が、マークが甘くなった流川にすかさずトリッキーなパスを通す。慌てて向かってきたカバーもなんのその。グンッと跳躍し、ボールを勢いよくリングに叩き込んだ。
    「ナイス、流川っ!」
    「っス」
     促されて流川が差し出した手に合わせ、宮城がジャンプして交わされたハイタッチは、パンッと小気味よい音が鳴った。宮城がキラキラした目でこちらを見上げる。宮城は言葉だけじゃなくて、こうやって表情で伝えてくれる。お前は本当にすごいよ、よくやった、と顔から聞こえてくるようだった。それを見ると、胸の奥のところがぐっと熱くなる。流川はこの感覚が好きだった。
    「ディフェンス! 一本止めるぞ!」
     宮城の力強い声がチームを盛り上げる。バックランをしながら味方がそれぞれ返事を返した。「取り返すぞ!」と相手チームも負けじと三井を主体に声を張り上げる。
    「う゛……ッ」
    「先輩?」
     大声が飛び交う中、小さくえずいたような音が聞こえて振り返ると、宮城が口元を抑え立ちすくんでいる。異変に気がついたみんなが、どうした、何事だと駆け寄った。ピピッと笛が鳴ってゲームが止まる。近くにいた流川も近寄って宮城を見下ろした。練習も後半に入り体温は散々上がっているはずなのに、宮城の顔は青ざめているように見えた。
    「わり、ちょっとトイレ……」
     ぐっと深みを増した眉間の皺。支えようと手を伸ばした流川を、宮城は口元を抑えたままやんわりと制した。スタミナ自慢の宮城にしては考えられないほどの量の汗が額を伝っていて、本格的に体調が良くなさそうだ。大量に汗をかいているくせに、顔色はどんどん蒼白になっていく。なおも心配そうに視線を寄越す流川に、宮城は「気にすんな」と大人びた表情で笑った。行き先をなくした流川の右手が空中をさ迷って、だらりと下ろされる。くそ、一線引かれた。
    「ヤス、この後のメニュー……」
    「リョータが書いてくれた紙見るからこっちで進めとく。それより具合悪いなら早く行ってきなよ。大丈夫? 誰か付き添いとか要る?」
    「だいじょーぶ、すぐ戻る。進めてて」
    「すぐには戻ってくんな」
     三井の一言に一触即発のような雰囲気が漂い始めた。
    「はあ?」
     宮城が唸った。イラつきを隠そうともしていない。宮城から発せられるヒリつきなど気にもしていないように、三井はあっけらかんとしている。
    「キャプテンのオレが部活に居ちゃいけねぇっての?」
    「そうじゃねぇよ。外行ってそのまま休憩して来い。顔色やべーぞ」
    「……アンタだけには言われたくねぇんだけど。本当に大丈夫なんで」
     言い終わるやいなや宮城は足早に去って行った。その背中に向けて「十分は戻って来んなよー! 風に当たって来ーい!」と三井が叫ぶ。一連の流れを見ていた流川は、触れることを許されなかった手のひらを見て、ぐっと握りしめた。
    「三井さん、ありがとうございます」
    「あ? 何が」
    「リョータにしっかり休憩するようにって。あのくらい強く言わないと聞いてくれないので」
     三井にそう訴える安田の目は悲しみを浮かべていた。安田が調子の悪い宮城に声をかけて、「大丈夫だ」と突っぱねられる光景は代替わりしてからよく見るようになった。
    「マジで人に頼んの下手だよな、アイツ。大丈夫大丈夫ってよぉ、逆に心配かけてるっつーことが分かってねぇ。最近体調良くなさそうだし」
    「もっと頼ってくれてもいいのに……」
     宮城が出ていった扉を見つめる安田がぽつりとそう零す。心臓を柔く引っ掻かれたような感覚に軽く息が詰まって、流川はシャツの上からぎゅっと押さえつけた。なんだろう。少し、苦しい。息は切れてないのに、呼吸が浅くなる。胸元を握る、その動作を誤魔化すように、そのまま服を引っ張って汗を拭った。
     開けた窓から舞い込む、ぬるい風が一陣。風に紛れて匂い立つ、むさ苦しい体育館に似つかわしくない新緑の香りが鼻についた。

     ◇◇

     ポスンとベッドに転がり込む。高校にあがった時に買い与えられた木製のそれは、標準からだいぶ外れた大きな体でも軋んだ音を立てながら受け止めてくれた。お気に入りの曲をイヤホンを着けて流しながら、いつもそうしているようにそのまま目を瞑る。
     帰宅早々風呂に入り、夕食ではおかわりもした。山盛りの唐揚げ。美味しかった。なんてことのない日常だ。いつも通りのルーティン。だけど、そわそわして落ち着かない。どこか体の中のリズムが狂っているような、そんな感じ。普段ならここで眠たくなって、気が付けば夢の中で次の日になって、眩しすぎる太陽の光を瞼に受けながら朝を迎えているのに。
     閉じていた目を開ける。見慣れた天井。白いその壁に、今日の練習風景が脳を通して映る。結局、あの後きっかり十分後に宮城は戻ってきた。スッキリしたような顔をしていたが、まだ顔色は青白いまま戻っていなくて、でも表情はいつもの宮城リョータ。鬼キャプテンとしての指示出しも、ポイントガードとしてのゲームメイクも完璧。流川は今日も宮城からのパスで何度もボールをリングに叩き込んだ。大きい声を出すことが少ない流川にとって、宮城とのアイコンタクトは大事なコミュニケーションだ。ポジション的にも一番多く合図を貰う。だから分かる。トイレから帰ってきた後の宮城はおかしかった。具体的にどこが、と聞かれても答えられないけれど。
     ごろりとベッドの上で寝返りを打つ。反動で左耳からイヤホンが外れた。外れたイヤホンから漏れる音は気にせずに、横向きのまま体を丸めてベットの上で膝を抱える。
     インターハイが終わり、新主将を任された宮城は強くなった、のだと思う。だけどその強さのせいで宮城が遠くなってしまったような気がして、悔しいような気持ちにもなってしまう。更に危うくなった気がする、とも。のらりくらり交わすのが上手くなった。兄弟みたいなやり取りをしていた桜木は居ないし、三井との悪ガキみたいな応酬も最近では見ない。あれだけ熱を上げていた彩子への対応もそつなくこなしている。あれだけの激闘を共に乗り越えたはずなのに、宮城のことが以前に増して分からなくなった。
     宮城をもってしてもキャプテンという役目は重いと感じるのだろうか。中学で自分がキャプテンだった時はただひたすら突っ走っていただけだった。深く考えるのは性分に合わなかったし、前を走っていれば自然と後ろに仲間が付いてきたから。決して自分の隣に人が立つことはなかったけれど、それでもチームは成り立っていた。あの時はそれで良かった。だけど、高校バスケでは自分が突っ走るだけでは越えられない壁があるのも事実だった。陵南との練習試合しかり、山王戦しかり。やはりバスケはチームスポーツなのだと痛感する場面は多い。
     その点、宮城は横に並び立つ実力を持っているにもかかわらず自らは一歩引いて、流川を含める他の選手の背中をぽんと押してくれるような周りを生かす立ち回りが上手かった。尖った選手が多い湘北というチームにおいて、ああいう選手が必要なんだと思う。あの人のいる空間はすごく息がしやすい。キャプテンになったのはある種当然で必然だったように思う。でも最近は特に身を削っているようで、あの小さな体が磨り減っているように見えて、怖い。しかもそれを全く顔に出さないところが、なんかイヤだ。
     何故こんなにザワザワするのだろう。なんでずっとあの人のことを考えているんだろう。ドリブルが上手いから? パスをくれるから? シュートを決めるといっぱい褒めてくれるから? 考えても答えは見つからない。
     居てもたってもいられなくなって、ベッドからむくりと起き上がる。頭を使うのは止めだ。体を動かそう。そう考えた流川は着の身着のまま、靴をつっかけて外へ飛び出した。
     
     昼の海は人が多くてあまり近づかないけど、夜の海は静かで好きだ。流川の黒髪が潮風に巻き上げられて、ふわりと膨らむ。はっはっ、と軽く息を弾ませながら夜の海道を駆けて行った。耳から流れ込むリズムに合わせて足音でリズムを刻み、海へと続く坂道を下っていく。道路沿いに並べて置かれた街灯が人の生きる空間を明るく照らしていて、対比で海が暗く沈んでいるように見えた。
     足を止めて久しぶりに夜の海を眺めていると、砂浜にぽつんと一人、体育座りしているのが見えた。こんな夜更けに何をしているんだろう。脚の間に顔を埋めて項垂れているようにも見える。白いシャツに短パン姿の若い男のようだった。ふと男が顔を上げる。
    「……先輩?」
     それは流川が家を出てきた原因となった人。男は宮城リョータだった。普段は固められている髪が、今は流川と同じように潮風に揺れていた。
     サンダルを脱いで砂浜に置いたと思ったら、立ち上がってふらりと海に近づいていく。宮城は寄せる波に戸惑いもせずどんどん歩いて行った。
     あの人何してんだ……!?
     ぎょっと目を剥いた流川が慌てて砂浜に降りていき、宮城の影を追いかけた。ドッドッと心臓が速く、力強く脈打った。
     足首まですっかり海水に浸かった宮城が、持っていた袋を逆さまにすると黄色い花びらが海にパラパラと散る。宮城の足元が黄色く埋め尽くされる程の量だった。当の本人は眼下で揺れる花びらをじっと見つめている。
     流川は靴を脱ぎ捨てて、ズボンの裾がずぶ濡れになるのも気にせずジャブジャブ音を立てながら海の中の宮城に駆け寄る。宮城の体と海の境界があやふやになって、なんだかすうっと溶けていってしまいそうだった。
    「先輩っ」
     慌ててパシリと朧気な輪郭を掴む。肩を揺らして振り返った宮城の表情を見て息を飲んだ。
     ――泣いてる。
     あの宮城が、不遜な態度を崩さない宮城が、夜の海で泣いていた。驚きで見開かれたまぁるい目。頬の上をつぅと筋作る水滴は何よりも綺麗で、圧倒された流川の喉からは言葉がつっかえて出てこない。
    「……るかわ」
     幼い子供のような声色。それでいてどこか痛々しい色を孕んでいたその言葉は、小さくも確かに夜に響いて宙に溶けた。海一面に黄色い花弁が散っていて、宮城自身も溢れかえるような緑の香りを纏っている。
    「どうしたんすか、何してるの」
     背中を冷たい汗がつぅっと一筋。先輩が海に連れていかれてしまう。この腕をしっかりと捕まえていないといけない気がした。ゆったりと語りかける。声にちゃんと暖かさが乗るように。耳に届く温度から宮城をじんわりと温められるかもしれないから。先程まで見開かれていた宮城の目は、今はぼんやりと流川と流川の背後を見つめている。涙は流れ続ける。
    「流川、オレ……」
    「うん」
    「花をさ、送りに来たんだ」
     まるで暗く沈んだ色をした絨毯のような波の上を、ふよふよ漂う花々を見下ろして宮城はそう零した。
    「こいつらはもう死んじゃった花だから、水葬してやろうかと思って」
     死んじゃった? すいそう? 宮城が言っていることは難しくてよく分からない。だけど、楽しい感情などでは決してないのだろうなと考える。少なくとも宮城が今流している涙は嬉し涙ではないだろう。
     流川は人生で泣いた記憶が無い。そりゃあ赤ん坊の頃は泣き喚いたのかもしれないが、物心ついた頃から涙とは無縁の人生を送ってきた。感情というものに疎い、とよく言われた。
    こんな場面になっても、宮城にかける言葉は浮かばない。
    「綺麗すね」
    「……そうでもねぇよ」
     波に乗ってどんどん向こうへ流れていく花を見て、素直に感想を言ったら素っ気ない返事が返ってきた。なんで? こんなにきれいなのに。
    「これは先輩の?」
    「うん」
    「買ってきたんすか」
    「吐いた」
     この花を、吐いた? 思わず宮城の顔を見る。
    「オレ病気なんだって」
    「ビョーキ」
     なんでもないように告げる宮城の目は凪いでいた。流川の方も振り返らずに、ただ黄色い花たちを見送っていた。流川は一人、唇を噛み締める。最近、宮城の体調が悪いように見えていた理由は、病気に罹っていたからだった。
    「花吐き病ってやつ。片想い拗らせるとなるんだってよ。なんだそれって感じだよな。ファンタジーかよって」
     その場には似つかわしくない笑い声も混ぜながら、宮城はそう話した。泣くくらい苦しいのに、なんで無理して笑うの。空元気なことは見え見えだった。
    「それ治るんすよね?」
    「さぁ……、どうだろ」
     宮城は足元の花弁を見てそう吐き捨てた。治るかどうか分からないほどの難病なのだろうか。それとも治らなくてもいいってこと? どっちにしろ宮城は完治を半分諦めかけているように見えた。その顔、好きじゃない。
     共にチューリップを見ていた流川が、しゃがんで波に揺蕩う花弁を優しく掬いあげる。ひょいひょいと摘んでは手に収めていった。
    「流川なにやってんの……!?」
    「もったいねーと思って」
     集めた花びらを両手に抱えて、更に波にさらわれて沖の方に流れてしまったものも追いかける。ちゃぷ、ちゃぷん。海の底が深くなって、ふくらはぎの辺りまで水に浸かった。
    「ちょっ、流川! 戻ってこい!」
     背中に声をかけられたけど止まる気はない。夢中になって花を捕まえる。欲しいと思った。海にあげるにはもったいない。捨ててしまうんだったら、欲しい。宮城の感情の発露が。それが見知らぬ誰かに宛てたものであったとしても。流川は本能で手を伸ばしていた。
    「触んなっ、汚ぇから」
     追いかけてきた宮城にグンっと肩を掴まれて、やっと振り返る。
    「汚くねえ。先輩の好きな相手が誰か知らないけど、こんなに想われてんのはすげー幸せだと思う」
     月の下で両手いっぱいに黄色い花びらを抱えた流川が、真剣な顔をしてそう言った。宮城は唇を震えさせて小さく唸る。
    「幸せなわけあるかよ……誰が好きか知らないくせに。勝手なこと言うんじゃねぇ」
    「だって、これすげー綺麗だし。アンタの想いが綺麗ってことなんじゃないの」
     拾い集めた花を見ながら流川が放った一言に、宮城は深く傷ついたような顔をした。
    「こんなの、全然綺麗なんかじゃない。これはお前を――……」
     そこで言葉を区切った宮城の目の縁から、また水滴が零れた。流川は涙の意味を知らない。だから慰め方も分からない。それでも、口を固く引き結んだまま濡れる頬に手を伸ばす。流川は今、流れる涙を拭ってやることしか出来ない無力な手しか持ち合わせていなかった。触れた手は拒絶されることなく、むしろ擦り寄る猫のように流川の手のひらを受け入れる。だけど指で優しく瞼に触れ水滴を掬い上げる度、苦しそうに細められた宮城の目尻から、世界一小さな海がぽろぽろと新たに産み落とされては海水に沈んでいく。
    「どうしたの。先輩、泣かないで」
     返事は返ってこなかった。宮城はただ静かに泣いていた。月光を背負い影がかかった顔の中で、涙で溺れそうな瞳だけがやけに輝いている。黄色いチューリップが浮かぶ海の真ん中。波打つ音色と風が吹き荒ぶ音が二人の間の空間に鳴り響いていた。
    「流川」
    「……ス」
    「……るかわ、るかわ、ごめん」
     何に対する謝罪なのかは分からない。それでも宮城は小さく震えながら、何度も「るかわ」と「ごめん」を繰り返す。涙を見ていられなくて、その小さな体を守ってあげたくて、冷たくなっていく手足を温めてあげたくて、ふわりと覆い被さるように流川は夜の海で宮城を抱きしめた。ぎゅっとぎゅっと抱き締める。
     そこで初めて宮城は流川の胸の中で嗚咽を上げて泣いた。おでこを流川の厚い胸板にぐりぐりと押し付けて、宮城は強く縋り付く。幼い子供のようにわんわん泣いていた。流川の服が宮城の涙を吸って僅かに重くなる。流川はひたすら抱きしめた。迷子の子供のように、親を探して彷徨い歩いているような宮城を何も言わずに抱きしめた。涙も慟哭もその体の中で暴れ回る激情も。宮城の全て受け止めたかった。
     しばらくそうしていると、呼吸が落ち着いてくる。宮城は目の縁に残った涙を拭って、スンと鼻を鳴らした。
    「……かっこわりーとこ見せた。ごめん」
    「気にしてねー」
    「おれが気にすんの! あーもう、後輩に泣きつくとか……」
    「先輩の役に立てたんなら嬉しいスけど。これからもおれにできることがあれば言って欲しい」
     怪訝な顔をした宮城がそろりと見上げる。
    「……じゃあ、寒いから上着貸して」
    「うす」
    「あははっ、ウソウソ、冗談。こんなとこで上裸になんなよ。腹はしまっとけ」
     上着を羽織っていなかったためにスウェットを脱ごうとした流川の手を、宮城が笑いながら止めて服の上から腹をポンと叩かれる。話を逸らされそうになった。
    「他には?」
    「他にぃ? ん〜、明日の自主練付き合って、とか」
    「それはいつでもやるスけど……」
     違う。そうじゃない。言いたいことが言えなくて、喉がむず痒くなる。
    「珍しく歯切れ悪ぃな、どうしたんだよ」
     疑問符を顔に張りつけた、宮城の左の眉がくっと上がる。流川がその両肩を強く掴むと今度は驚きで目が見開かれた。
    「わっ、なに」
    「もっと頼って欲しい」
     真っ直ぐで確かな流川の声が強く海に響いた。
     そうだ、これだ。おれはもっとこの人に頼られたい。苦しかったら言って欲しいんだ。おれが何とかしてみせるから。アンタがこうやって一人で泣かなくていいように。
    「……はは、流川は優しいな」
     呆気に取られていた宮城が、眦を下げて困ったように小さく笑う。優しい、なんて初めて言われた。
     流川は眉間の皺を深くして、「早いとこ帰ろうぜ」と少し前を歩き出した男のつむじをじっと見つめる。ひょこりひょこりと風に揺れる宮城の柔らかなクセ髪。街灯の光を透過して、焦げ茶色に煌めいていた。自分のものとは全く違う。その髪に手を伸ばし、指先にふと触れたところで慌てて引っ込める。宮城が寄越す軽い口調の話に相槌を打ちながら、勝手に動いた右手の手のひらを見つめる。完全に無意識だった。どうも、今日のおれはおかしい。
    「オレこっちだから、また明日な」
    「うす、おやすみなさい」
    「おやすみ〜、寝坊すんなよ」
     ひらりと片手を振った小さい体はあっという間に闇の中へ消えていく。別れを告げた十字路で、既に見えなくなった宮城の背中を見送った。目尻に乾いた涙の跡さえなければ、先程まで泣いていたことなど分からない態度だった。
     しばらく道路に突っ立ていた流川は、ようやく家に足を向ける。一人きりの帰り道でも頭の中を占めているのは海での宮城のこと。初めて見た、先輩のあどけない泣き顔。あんなに縋りついて泣いてくれるのなら、「助けて」くらい言えばいいのに。近づくことを許されたように見えて、ふと気が付けば離されている。押し寄せては返す波のように、ゆらり揺れる距離感に焦れる思考が止まらなくて。
     ――優しいな。
     慈愛のこもった声が、砂利とアスファルトが擦れる音に混じって頭の中で再び響く。きっと嬉しいことを言われたのに、素直に喜べない。また一歩、距離を置かれてしまった、ような気がする。せっかく宮城が泣いているところを見つけられたのに。偶然とはいえ弱っているところに駆けつけられたのに。これじゃあ弱みに漬け込んだ、みたいな言い方になってしまうけど。それでも流川は宮城に何かを期待していた。宮城の涙を見た事で何処かの隙間が少し満たされて、笑顔を見たことで胸の端がしくしくと痛んだ。フツウは逆のハズ。涙は悲しいことで笑顔は良いこと。でも宮城の表情ではそう感じなかった。涙を見せてくれたことが嬉しくて、笑顔を見せられたことが悲しい。この感情の振れ幅が何を示すかは分からない。未知の感覚に戸惑う。
     ただ一つ言えるのは、宮城の何もかも放り捨てて諦めてしまったような、そんな綺麗で乾いた笑い方が流川は嫌いだということだった。

    つづく


     黄色いチューリップの花言葉
     【望みのない恋】
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