ひみつのひとときグランサイファーで旅をしていた頃、たまたま寝ぐせを跳ね放題にしている団長とすれ違ったことがある。依頼をこなした後などは別として、艇で見かける彼女はいつでもきっちりと身だしなみを整えている印象があったものだから、当時の俺はデリカシーなく「酷い頭だ」と素直な驚きを口にしてしまった。年頃の少女に向かって失礼にもほどがある。もしも横に親友がいたのなら、呆れ顔と共に叱られていたことだろう。その親友を、討ち取らんと奔走していた時期だったが故。荒れた態度は許してもらいたいと思う。言い訳でしかないが、誰かを気遣う余裕など到底なかった。証拠に、ユリウスと共にグランサイファーに顔を出すと角が取れたと口々に感心される始末である。
ともかく失礼な口を叩いた団員に対し、団長はハッとした顔で寝ぐせを撫で、次いでむくれながら俺の尻に容赦のない蹴りを入れると、「ビィが早起きして買い物に行っちゃったから」と言って最後は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。彼女が年相応に寝汚く、毎朝の身支度はビィ君とルリアがせっせと手伝ってやっているというのは後からこっそりビィ君に聞いた話だ。どんな時でも決して弱音を吐かない子供が、きちんと甘える場所を持っているのだという事実に何故だか安堵したのをよく覚えている。
「ふぁ、あ……」
呑気なあくびの声が響く。今となっては懐かしい記憶からふと意識を戻せば、ソファに身を預けたユリウスが眠そうに目を擦っているところだった。
「ふ……、随分な大あくびだな? もしかして、このところあまり眠れていないとか」
「眠りの心配か。君にだけは踏み込まれたくない領分だね。どこかの誰かが休め、眠れと喧しいから生憎寝不足とは無縁の生活さ。規則正しくなりすぎて、こんなに健全な時間に欠伸が出てしまうくらいにはね」
「ほう、ありがたい誰かがいたものだ」
「本当にねぇ。欲を言えば誰か自身もしっかり眠ってほしいものだが」
揶揄うように肩眉を上げるユリウスの視線は、しっかりと俺を貫いている。ごまかす様に笑ってみたが、背から伸びてきた触手が「お前のことだ」としっかり頭をはたいていった。友が寝入るのを見届けた後、その隣で寝顔を見つめながらしばらく夜を過ごすというのがこのところのルーティンと化しているのだが、どうやら密かな楽しみは友にバレているらしい。
「あいて。いいじゃないか。独りでいた夜よりよほどきちんと眠っているよ」
「まぁ、最近は隈もマシになってきたが。……ふふ、小言をいいつつこき使っている私も私だな」
うっとりと細められた瞳は上機嫌だ。つられて俺もうっすら笑い、掌に収めた薄桃の髪に視線を落とす。癖の強い長髪に、保湿のためのクリームを塗り込むのはこのところすっかり俺の仕事だった。療養中、思うように身体が動かない彼に頼まれて面倒を見ていたのが癖づき、今でも俺の役割になっている。
(……団長と同じ、なのだろうか。……そうならいいな)
生死を彷徨った怪我は癒えきって、今やユリウスも激務に身を置く仕事人だ。星の力も従順になり、髪の手入れをするのにもう不自由などないはずだった。それでも友はクリームの小箱を俺に手渡してくる。はにかむ少女と同じように、友もまた我慢強く甘え知らずの人間だ。だからこのなんてことのない和やかな時間は、無くしてはいけない大事なもの、なのだろう。彼が他人に何かを託すというその意味を、見逃すほど俺はもう鈍くない。
「なぁ。今度の休みは商店街を見に行かないか」
「急になんだい、欲しいものでも?」
「花の油やら、少しいい櫛やら、髪の手入れに使う道具はたくさんある。お前が使うのはこのクリーム一つだろう? せっかくならぬかりなくやりたいんだ。揃えに行こう」
「ふ……。夜の時間を奪われることに抵抗はないのかい」
「ない。俺のものにしたいという欲求なら、余るほど」
「ああ……もう。酒も入らないのに、本当に君はいつだって饒舌だなアルベール」
掌に掬った髪束に口づける。ユリウスは僅かに目を見開くと、少しも経たずにけらけらと軽快な笑い声を転がした。ようやく肉付きの戻ってきた頬が少しの赤に染まっている。その表情を一言で表すのなら歓喜だ。薄ら昏い死の願いは、柔らかな笑みの向こうに最早見えない。
「せっかくだ。昼飯はおばさんの店で食べるかい」
「いいな、そうしよう。鍛冶屋も覗いていいだろうか、天雷剣のホルダーを調整したくてな……」
休みの予定をつらつらと決めながら、長い夜をゆっくりと噛み締める。丁寧に手櫛を通すたび、しなやかな艶を帯びていく友の髪はどんな宝石より美しい、特別な宝物に見えてならなかった。