風にさらわれたのは。「わ!」
強風で、干してあったシーツが空へ舞い上がる。しなやかな布地に頰を張られたミチルはよろめいて尻餅をついた。
「シーツが!」
朝からいい天気だったので外に干していたが、風が強くなってきたので様子を見にきてみたら案の定だ。ピンチを弾き飛ばして風に誘われるように空へ飛んだそれはあっという間に小さくなっていく。
と。
「ブラッド!」
ミチルの斜め後ろ、ネロが短く叫んだ。え、と視線を辿った先で、箒から片手を放したブラッドリーがシーツを掴みとめた。
ネロの言葉に反射的に動いたらしい彼は、掴み止めたそれを広げて大きく首を傾げた。
風にバタバタと激しく揺れていたそれが、静かに動きを止める。まるでシーツの周りだけ無風にでもなったかのように。
だがいまだ、風は強い。ネロの髪だってバサバサと風に弄ばれ、彼は邪魔そうに耳の横のあたりを押さえている。
「なんだあ? あ、シーツかよ」
「助かった!風に煽られて飛んじまったんだ!」
ネロが笑って手を大きく振った。答えるようにブラッドリーがシーツを片手に近づいてくる。その手の中でシーツがシュルシュルとひとりでに畳まれていくのが遠目からでもわかって、ミチルは立ち上がりながら目を輝かせた。
「ミチル、平気か?」
「はい!ちょっとあたっただけですから平気です!」
もともと、自力でやれることは魔法を使わず自力でやる生活だったので考えもしたことがないが、こうして見ると、魔法を手足のように使う北の魔法使いはかっこいい。些細な日常生活に魔法を使えるのは、日頃から消費しても困らないほどの魔力を身体に蓄えているということだ。
「俺様の手間賃は高いぞ」
ほうきを消してすとん、とネロの前に降りたブラッドリーがシーツを彼に差し出した。
ネロは緩く笑って受け取りながら、北の魔法使い様はそんなに狭量なのかよ、と笑いを含んだ声音で言って寄越す。
「たかがシーツを受け止めただけで駄賃おねだりするなんて、餓鬼でもあるまいに」
反射で動いたくせに、とネロが肩をすくめた。その気安い空気に、ミチルは何か見ては行けないものを見ているような気がして息を詰めた。
ブラッドリーはまぁ、と困ったように、ふと眉尻を下げた。そんな柔らかに表情が緩むなんて、ミチルは知らなかった。
「お前に……」
ブラッドリーが小さく何か囁いた。
それは風に邪魔されて音にならずにかき消される。
お前に呼ばれたからな。
唇の動きを読んだネロが、目元を緩く染めた。
「あほか」
何を言われたんだろう。気になって見上げているこちらの視線に気付いたのか、ブラッドリーが大きな手で頭をガシガシとかき混ぜた。
「わ!なにするんですか!」
「風で鳥の巣みてえになってるぞ。春一番に遊ばれたかよ」
「はるいちばん」
「春の引き金を引く風だ」
北にはなかったけどな、と、彼はくしゃりと子供のように笑った。