【杉尾】胡蝶の夢(1) 尾形がわかりやすくなってしまった。
杉元の目線のさき、ふたり、杉元と尾形は、意味ありげに視線をからませあっている。地についたゆびの、ほんのゆびさきだけをひたむきに結びあい、季節おくれの雪ひらにこごえるくちびる、なにごとかささやきあうしろい息――。
ただごとならぬ雰囲気。音声はない。
あれは俺じゃねえ。否定したいところだが、どこからどう見てもあの軍帽は恩人からもらい受けたもので、顔面を分割する傷跡はふたりといない杉元自身の証拠だ。あれは俺だ。尾形のほうは、いかにもにせものっぽいが……。
まるいしろいひたいから靄がでる。
もやもやのなかにキラキラしたひかりの粒が浮遊し踊りまわり、視線のあちらがわ、岩壁や森の木々、川面、夜空を照らす。図像をむすぶ。照らされた距離に応じておおきさや色の濃さのことなる幻影が、尾形のひたいから、出るようになってしまった。のちに一行はシネマトグラフを知るが、尾形のひたいはこのあたらしい機械の光源のようになってしまっていた。
明るいうちはいい。尾形のひたいのひかりは太陽よりよわく、鬱蒼の暗がりをじっと照らしでもしなければ、その像のなにものかを明確にさせはしない。追手に居場所を気どられるおそれはない。
問題はその映しだす幻影だ。
「気にするな。どうせ私たちしかいない」
にわかじこみの同行者の突然変異にもアシリパは平然としている。尾形が気まずげに外套をひっぱり、隠したがっているのを知るや、しつこく構ったり究明したりしようとしなかった。
すると尾形ときたら、めいっぱいにアシリパの像を映しだす。弓矢をつがえたアシリパと小銃をかまえた尾形がともに獣を追い、解体しチタタプし、ちゃんとチタタプと言えたのか褒められ、まるで相棒のように山野を駆けたかとおもえば、毒矢に穿たれ、笑いながら頭骨を割りさき、率先して脳味噌をさしだすところまで、ありえない物語をながながと垂れながした。
隠そうと目深にかぶった外套のせい、あおじろいひかりは尾形の顔まわりに散乱し、燈台になってしまった頭のまわりにちかちかひかる映像が見えた。
先頭をゆくアシリパがそれを目にすることはなかったが、牛山と杉元はドン引きした。あの幻影は、尾形の願望の映写機なのだろうか。
「俺だって気色わるい」「願望なわけねえだろうが」と尾形は言う。
「似たような夢をアシリパも見たと言ってた。リスが匙もって踊りながら脳味噌さしだしてきたって」
「アシリパさんのは動物だからまだぎりぎりいけるの! 人間の脳味噌はやべえの!」
「その夢のはなしにひっぱられただけだ、たぶん。知らん」
なにをきっかけに、なにをを映すのか。よそさまにお見せできるしろものなのか。やばい映像なら隠してやらねば。いやどうして俺がそこまで気にしてやらなきゃならない。杉元はなぞの責任感で頭を悩ませた。そもそも信用しあったわけではない尾形が、べつの意味で油断ならない、ますます得体のしれない、めんどうな男になってしまった。
とはいえもっとも困っているのは尾形自身だ。みずからかってでた役割、双眼鏡でしんがりをつとめながら、ふかくうつむき、追手の斥候に見つからぬよう、同行者に見られないよう、漏れでないよう、願いともわからない幻をだれにも気どられないよう、細心の注意をしている。
あかあかと夕方、火をおこせば燻煙に幻影が映る。
「あ、ちょうちょう」
火のまわりをにぎやかにひらめく蝶たち、飛びこんで燃えつきるおろかな蝶いっぴき。たかく煙とともに空へ消えていく蝶もあり、尾形のこめかみからはなれない蝶もある。
なあんだ、尾形のか。
「うっとおしいなあ」
原因も対策も、どうでもいい。杉元は「出ている」だけで気にくわない。気になるし、願望があって出しているならそれをはっきりさせたい。自分からはっきりさせろよ大人だろ。まあはっきり言ってきたところで尾形の思いどおりになんてさせてやらないけど。
牛山がおおきなため息をする。
「杉元、わざわざ嫌味をいうんじゃない」
「あぁ?」
「チンポ先生の言うとおりだ。尾形だって困ってるんだから」
「アシリパさぁん」
「そうだぜ大人げない」
「てめえはっ! 腹立つな。あっち向いてろよ!」
「そんなくちきいていいのか? おまえを映しだしちまうぞ」
尾形は流し目、紫や黒の蝶が舞う。羽のさきが傷ついたかのようにぎざぎざして、白や青の帯をまとっている。鱗粉と火の粉のみわけがつかない。
睨みあい、ふん、と同時にそっぽを向く。
そっぽを向いたさき、宵闇の森に像が結ばれかけ、はっとして、尾形は伏せるように横たわった。頭かくして尻かくさずだが構っていられない。ふかく外套をかぶったそこ、あおくひかるひかりのなかの杉元が、蝶をつまんで食べた。翅は飴細工のように、ぱきんと割れて砕けて溶けて鼈甲色、杉元の唾液にしみこんでいった。唾液がぴかりとかがやくのを見た。あの蝶はなんだ。だれだ。俺だ。見られていない。
「もう寝んのかよ。哨戒は?」
かまうまい。どうせやつらはこれから楽しいおしゃべりの時間だ。
尾形は、わかりやすくなってしまった。
火をうずめ、寝静まると、三日月よりもあかるくなってしまう。川面をのぞいてみると、ひたいがぼうっとあおじろくひかっていた。不気味だ。
ねむっているあいだは靄がでないらしいのが不幸中のさいわい。狸寝入りはもうできない。
まとわりつく面影を夜空にうつす。そこで尾形は桃よりも濃い、牡丹色の髪になる。眉がしらやまつげには牡丹の、ひだのある花びらのいちまいが縫いつけられたように植わり、緋牡丹色。冬用のしろい外套で、現実の尾形同様、かかえた膝、顔をかたむけ座りこんでいる。
これは夢だ。見たいものを見せてはくれない夢。
眠っていないのに夢を見させられている。夢のなかで狩りに成功しても、実際にはなにも手にしていない。夢のなかではなしをしても、実際はしていない。なにを告げようと、なにをささやかれようとも、夢が夢のなかでどれほど真実でも、現実の世界ではまぼろしだ。
だから俺は信頼されない。
尾形は幻影と目をあわせたまま動けなかった。夏用の保護色の外套に鼻までしずめる。このあとなにが起こるかを知っている。夜ごと見させられた夢。あちらの世界の尾形には待ち人がくる。
雪のなかで紺色はよくめだつ。きた。あっちの尾形がこっちから目を離した。待ちわびていたやつ、すらりとした上背、目深にかぶった軍帽、うつくしい鼻梁、とうめいな瞳で見おろしてきたらあいつで、金色で睨めあげてきたらこいつ、――杉元。
杉元は膝をつく。にじりよってくる。
「尾形」
幻影に音はない。くちの動きでわかる。あっちの尾形はつぐんだくちびるまで朱鷺色、こごえた鼻もあかく、目がなによりものを言う。まつげにちいさな花が咲く。
ゆびさきをのばすのはいつも尾形だ。爪がぶつかりあい、かちんとしろい火花があがる。火種はうまれた。ゆびさきを第一関節のぶんだけすすめるのはいつも杉元だった。
ぎゅう、たがいのゆびを挟みあう。これ以上ちかづけないかわりに、ぎゅうぎゅうにからめあう。それでもどちらか一方がその気になれば一瞬で離れてしまう。手を重ねあってしまえばいいのに、彼らにこれ以上はない。杉元がなにか言う。すこし寄った眉間、切れあがったまなじり、荒寥になれた頬。なにを言うのか、もうくちを読んでもわからない。わからずとも、わかる。やにわに尾形に明瞭な変化が起きるからだ。まばたきすれば目の色はあわくむらさきがかり、髪が変じる、牡丹の花そのものになる。
やめろ、俺の顔でそんな貌をするな。変なものを見せるな。まるであれが、願望のようじゃないか。
眠りのなかの夢とおなじで、この幻影に意志的に介入するのは不可能だ。目をそらしても消えることなくまとわりつき、認知をひずませてゆく。いくどもくりかえされれば、だれだってこうなる。もっと見ていたい。このさきを知りたい。知りたいんじゃない、さきなんてひとつしかない。あれはあいつは、求められている。求められている自分をみてたい。もどきでもかまわない。
「俺も、俺もだ。ふたりきりになりたかった。……たぶん」
あっちの自分が言わない代わり、尾形は身じろぎひとつせず醜悪な妄想に告げてみた。声に出してみたら、本音のようになってしまった。
だから俺は信頼されない。
夢のなかで求めあった事態を朝までひきずってしまう。夢のなかで杉元が尾形を理解したと理解してしまった頭で、現実の杉元が尾形を理解しないことを理解できない。夢幻の織り手である尾形だけがさながら現実においても事態がそうであるように理解してしまう。つじつまをあわせようとして、ぎこちなさにいよいよ腹にいちもつあるを疑われる。
「もっと、寄れよ……。肩だけでも。たぶん……近づきたがってる」
尾形のまばたきから生まれた蝶が杉元の肩にとまる。杉元はそれをつまんでぱりんと食べた。あっちの尾形のなにかが弾けた。
払暁のとき。面影がほどけてゆく。また憎まれぐちばかりの朝。
あるアイヌコタン。一夜の宿を借りに行き、ひと悶着をすぱっと解決。ヤクザもんにのっとられたその村を救い、旅の目当てを失ったり同行者を増やしたりした。
その際、おもしろい現象があった。
アイヌの婦人たちは尾形をしきりに讃える。言葉でなく、身振りや醸す雰囲気でわかるものだ。
さんざん待たされ招きいれられた村長の家、ちいさな明かりとりの窓。杉元は嫌な予感がした。いや、予感ですんでいない。でてるでてる。尾形に合図する。でてるぞおまえ。動いているから像をむすんではいないが、あおく拡散するひかり、もやもやがあたりを照らしている。かといって帽子や鉢巻きで隠すのは礼に反するし、どうしよう、なんて説明しよう。
なんと村長をはじめ男たちは尾形の奇妙なひかりに気づかなかった。見えていないのだ。もう眼前の壁に映像がくっきり動きまわっているというのに。最悪の映像だ。杉元は頭をかかえたくなった。
尾形ははさみを手ににっこりこちらへ笑いかけ、るんるんと村長の息子の弟のほうの顎に刃をいれた。振りかぶりもせず、殺意もみせず、るるる、と歌声でも聞こえてきそうな軽快さでぐるりと脳から背中、尻まで切り裂いた。次!(ニコッ)
村長の上の息子はズドンと腹に刃を入れ、チョキチョキ軽やかに展開図にしてゆく。るるるん。ぱかっときれいにひらいた。次!(ニコッ)とこの調子。
(ぎえええぇ!! 尾形このやろう~!)
それが村長夫人にものすごくうけた。目をきらきらさせ、手ぶりでやっちまえと尾形に示す。奥さぁんどういうこと?
「ヤクザがアイヌのふりか」
結果は尾形の深慮と観察力と強引さの勝利だ。
女たちはすごいねすごいねありがとうとでもいっているのだ。囲まれた尾形はぼけっとつったって頭をなでている。驕りも謙遜もしない。どうだ見たかと偉そうにふんぞり返ったなら、杉元も嫌味が言えるのだが。
食事の席では調子にのったようにぴかぴかひかる。妄想ではさみを入れたときの映像にすればよいものを、杉元が皆殺しにしてまわる凄惨な映像であふれた。
「ええっ、俺あんなに怖くないよなぁ! おい尾形やめろよ、ご飯がなまぐさくなる!」
「そっくりあのまま、鬼神のはたらきだったぜ」
奥さんがたはやんややんや盛りあがっている。村の奪還、秘密の敵討ち、昂揚しているのだ。まともな彼女たちはあとでしずかに後悔するだろう。
「俺で受けをとるなよ」
とはいえ彼女らに村に残ってくれと乞われたのは牛山であったため、杉元は溜飲をさげた。
「おい、尾形。どういうことだよ。見せたくないやつに見せない技あるんじゃねえかよ。俺とアシリパさんにも見せるなよ」
「なにもしてない。囚人どもに問題があって見えなかったのかもしれないだろう。ニセ村長に聞いてみたらどうだ。詐欺師が真実を話すかは知らんが」
ああ! やっぱりむかつく!
鈴川聖弘、刺青の囚人。朝から「うるる……」とうなるアシリパに脳味噌の匙をつきつけられていた。腕っぷし自慢のヤクザどもを従える首領が暴力においてはただの雑魚。とるに足らないようでいて、ならずものを口八丁と贋金の財力で従わせていた油断ならない老人、「本当の俺なんてない」とうそぶいた。非力な老人に見えるのも真実かどうかわからない。詐欺師はしゃべらせないにかぎる。大人しいのもこちらの人間関係、集団内の均衡をうかがっているにすぎないのだ。
樺戸監獄ちかくの旅籠で永倉と家永に合流したいまもそうだ。尾形は家永に知られたくない。ただただ面倒くさい。屋内ではひなたぼっこのふり、窓からの採光が顔面にあたる位置をとり、ひかりをごまかす。
巨躯の牛山は光線をじゃましないよう、さりげない身のこなしで尾形をかばった。症状のではじめには「オバケ? 心霊現象?」とビビっていたが、適応すると頼りになる。
アシリパはありがたい。あいかわらず「特別なことじゃない」という態度をつらぬいた。彼女がなんでもない顔をしていると、ほんとうになんでもないように思える。またアシリパのそばにいれば杉元が家永避けになる。さすがに土方歳三からは隠しきれないだろうが……、どこか開きなおるさままで、鈴川は横目ですべて観察している。
杉元は鈴川にことを問いたださなかった。尾形の映写機のふしぎにさほど興味はない。本人に文句をつけて終わったはなしだ。それを牛山は「杉元はガキだ。からみたかっただけだろう」という。「尾形とはすなおにおしゃべりできないなぁ」とアシリパに叱られてもいた。
いっぽう、尾形は鈴川に興味があった。
ほんじつは旅館で一泊。牛山は年寄り組の部屋へ。鈴川もそちらへ、となるところを尾形がひきとめた。じゃあ尾形もそっちに、いや狭すぎる。牛山を戻すか(いや家永をどうする)。そこであらたに借りた一室に残りの四人がはいるはこびとなった。
見張りと隠しごと。みなが起きているあいだに眠り、寝しずまったころに起きだす習慣は変わらない。
尾形は鈴川を叩きおこした。人ながら電灯の発光、さながら生きた行燈。鈴川はぎょっとちいさな目をみはり、ごしごしこする。
「ふうん。見えてるな」
「あんた、おでこがひかってるよ」
「知ってる。ちょっと、見ろ。やつらを起こすな」
尾形はもういちいちアシリパの寝言におどろかない。ぎりぎり歯ぎしりまではじめたのは逆に安心だ。杉元はこちらに背を向け、たぶん夢のなかでもちゃもちゃ脳味噌を食べている。ふたりには見られたくない。見せられない。映写幕との距離はちかいほうがいい。ずかずかと鈴川の布団にあがり、座りこみ、壁にちいさく画像を映しだした。ちいさいと色が濃く映え、やっかいなほどあざやかだ。
「どうだ」
「はっ? えっ? これ、あんたかね」
やはりこの時間帯はいつものあの面影が像をむすぶ。雪のなかで、尾形は牡丹だ。癖のようなもので、身体がぎこちなくかたまる。膝をかかえて目が逸らせなくなる。鈴川がいるからほかのものが映る可能性も考えていたが。
「あっちは、不死身の……?」
「……そうみたいだ」
「え? え? え?」
あちらの世界のふたり、ゆびを絡めた。しろい息、音もなく、ささやきあう。
鈴川はたてつづけに問うた。なんでこんなの出せるの? どうして見せるの? ふたりはそういう関係?
そういうもどういうも関係なんかねえ。なんで出せるのかもわからん。どうしてかは、ちょっと他人の意見を聞いてみたくなったから?
もうすぐ尾形の目から生まれた蝶が杉元へとび、食われて、幻影が止まる。鮮明だからか、杉元のくちびるにとけた金の唾液があまそうだった。尾形の咽喉がごくんと鳴った。
「……すっ、好きなの?」
「……やっぱり、あっちの俺は、そうっぽいよな」
鈴川は尾形をうかがい、冷や汗した。夢幻にとりつかれた人間の顔を観察する機会はそうそうない。なにがあっちの俺、だ。非情な兵士の表情じゃない。無表情なのだ。銃を撃ちはなったとき、飯を食うとき、不死身と憎まれぐちを叩きあうときと同じ。表情が変わらないのに変化があるということは、色がのったということだ。演技なら相当な悪だ。詐欺師の才能がある。
かたまっていた映像がはじめからもういちど流れだした。雪中にこごえていた花が秘密の恋人の睦言に八重咲きにあでにほころぶ。季節はずれの胡蝶はきっとまごころだ、鈴川の持たない、鈴川のもてあそんできた。
「あっちのあんた? きれいだよ」
尾形はびくっと鈴川をみた。
「まぶしっ!」
幻影の杉元が禿げあがった頭で湾曲する。尾形はもとの壁に視線をもどした。これを言って殴られたりしないよな、鈴川は上目にそろそろと様子を伺う。きれいだよ。くりかえす。
「晴れすがたさ。好きなひとには自分のいちばんきれいな姿を見てほしいもんだろう」
好き? 見てほしい?
「それなら別のひとが映るはずだ」
ぼわぼわぼわと面影がゆがみだした。霧がかかってゆく。
もっとわかい男、将校服、何色だろう漆黒のようである。目もとは見えない。そいつは花束でもあつかうように両手いっぱい牡丹をかかえる。ふかく彼の肩に顔を埋め、匂いをかぐ。
「やめろ! おまえじゃない!」
またゆがむ。また将校服だ。口髭、端正な白鶴のようなみやびな男だ。
「あ……」
尾形が眉をひそめると、ひたいがゆがむ。すると幻影は消えるのではなく、ゆがみにあわせて分散した。画面がもやもやとふたつにわかれた。左は変わらず白鶴の男。右には同一人物だ、だがいいようもなく禍々しい。皮膚の削れたあかい肉をむきだしにした怪人だった。牡丹はケシの花となり、白、紫、赤、黒、黄、朱もあれば、青もある。ひたいに、まぶたに、首筋に、ケシはつぎつぎ咲いてゆく。まつげのさき、黒髪のあいだからは白濁の乳液が漏れる。肉体がケシ坊主になっている。
白鶴と怪人の動きは同期している。優美な手つき、筝を弾くように花を掻く、擦る、掬い、また掻き、はじき、はらい、押し、翻弄し、ふるえさせ、響かせ、啼かせ、余韻たっぷり、筝がまだ歌っていてもほほえみとともに去ってゆく。
エロティカじゃねえか……。膚があらわにならずとも、これは窃視だった。この小銃野郎はどうしてこれを見られて平気なんだ。
「あのひとは洋琴も堤琴もするから……」
「から?」
「……いや。筝が弾けてもおかしくないな、と」
「好きなの?」
「あのひとは、ホンモノの詐欺師だ。騙されてると気づかせない。気づかれても法的に犯罪になることはしない。信じさせる天賦のなにかを備えている。ハハッ、ホンモノのニセモノっておかしいな」
その夜の尾形はもうくちをきかなかった。鈴川の頭から布団をかぶせ、もう寝ていいと言うように数回ぽんぽんと叩いた。殺されなくてよかった。鈴川はありがたくうとうとしながら、尾形が自分の布団に戻りあのまぼろしを見続けている気配を感じていた。
なんだろう、あれ。爺さんどもからは隠したがってたから、見せてまわっているわけじゃねえな。なつかれた……? やはり連続結婚詐欺師は伊達じゃあねえぜ。意図せずひきよせちまうとは。へへへっ、最悪。