宵すぎ好いどれ酔の口 お風呂上がりに首にタオルをひっかけたまま冷蔵庫を開けた直後、玄関の開閉音がした。
冷気が漏れ出た扉を一旦閉め、帰宅した人を待ち構えてキッチンから顔を出す。
廊下からドアが開いたのはほぼ同時だった。
「ただいま」
「おかえり!」
今日は広報との打合せなど内勤だと言っていたけれど、それでも夜遅めのご帰宅だ。けれど、それほど疲れの滲んでいない顔で安心した。
こちらを見て目元を和らげた焦凍くんが、ほんの少し目を大きくして指先で僕の濡れた髪に触れる。言わんとしていることが分かって、笑って誤魔化しながら僕はちゃんと髪を拭くふりをした。
お風呂上がりの一杯を選ぶのはあとにして、一旦リビングのラグの上に座る。
「出久、よかったらこれ」
そこへ、コツン、と目の前のローテーブルに二本のドリンク瓶が置かれた。どちらもラベルは同じ。ひつじと三日月のイラストが描かれている。
「あっ! 寝る前に飲むやつ?」
物珍しさに、さっそく一本を手に取った。
従来品と異なり、これは眠る前に摂取することが推奨されている栄養剤だ。最近CMでも目にするので僕も知っている。それで焦凍くんもこのタイミングで渡してくれたのだろう。
「宣伝文句によれば、スポーツ選手とかも飲んでるらしいな」
「へぇ〜、今日買ったの?」
「試供品だ。今日そこのメーカーが来ててもらった」
「えっ! 焦凍くん何かCM出るの!?」
「何の依頼かは聞いてねぇけど、俺ではないだろ」
焦凍くんはそういった自分のことには疎いから、どうかなぁと思う。体が資本のヒーローが飲んでいるとすれば品質保証とイメージアップに繋がるだろうし、身体が引き締まった美丈夫の焦凍くんなら印象バッチリだ。
「流行ってるんだな。睡眠の質、ってヤツ」
焦凍くんが冷蔵庫を開けて、作り置きの惣菜を取り出している。早めに夕飯を食べていたとしても、小腹が空いてくる頃合いだ。もし軽く晩酌するのなら僕も少し付き合おう。
「ついてるコードから、専用コンテンツに飛べるって言ってたぞ」
ふむふむ、と早速言われたとおりにスマートフォンで商品ラベルのQRコードを読み込んでみると、キャンペーンサイトに飛んだ。少しスクロールすると、『睡眠の質チェック』という目立つバナーが出てくる。
(あ、これかな)
タップすると、複数の設問が連なったページが表示された。
やってみるか、と商品ラベルと同じく濃紺の背景で纏められた画面を、少しずつスクロールしていく。
(“就寝時刻はいつも大体同じだ”……NO。職業柄こればっかりは仕方ないよね……)
一問目からこれでは、もしかして結構悪い結果が出てしまうのでは、とハラハラしながら短い設問にぽちぽちと指先で答えていく。
(ええと……“布団に入ってから寝付くまでに30分以上かかる”……うーん、結局スマホとかやっちゃうしなぁ……あとは……うん……)
いやいやそういうことを聞かれてるんじゃないだろ、と一人あらぬ想像で赤くなった顔を振ってツッコミを入れる。
(“熱い風呂に浸かるのが好きだ”、うーん……NO。というか、ほとんどシャワーで済ませちゃうし……)
気付けば設問に夢中になって、焦凍くんが簡単なつまみをダイニングではなく僕の目の前のローテーブルに並べだしていることに気付かなかった。
先程の僕の考えを読んだように、一緒に一杯やってくれるつもりらしい。
何も手伝っていなかったので慌てて立とうとすると、いい、と優しく目で制される。
それに甘えて、僕は再び続きの設問に目を落とした。
(“パートナーの寝相が悪い”……ふふ、YESでもいいかな)
共に並んで眠る時、蹴られたり押しのけられたりすることは滅多にないが、一人の時は稀にベッドから落ちているらしい。
(次は……“パートナーと体格差がある”……?)
キッチンへ戻った背中をちらりと見る。まぁこれも、まごうことなく。
(YES、と。いびきや歯ぎしり……は、してないはず……え、してないよね!?)
思わず不安になって箸を並べてくれた焦凍くんに尋ねると、「してないと思うぞ」と返ってきて胸を撫で下ろした。
(パートナーも、これはNO。次、“パートナーとの就寝時間は大体同じだ”……初めの設問と似てるな)
でも、だんだん自分自身よりパートナーに関する設問も増えてきた。
あ、これはもしかして、と思うと同時、すべての設問を終えて『結果を見る』の大きなボタンに辿り着いた。
それをタップして、果たして予想通りの診断結果が表示されたところで――焦凍くんが缶ビールを手に僕の背後に立った。
「お。それ、終わったのか」
「――――!」
咄嗟に画面を隠し、ぱっと笑顔で振り返る。
「あっ、準備ありがとう! ごめんね、全部やってもらっちゃって。食べよう、食べよう」
画面を覗き込もうと首を傾げていた焦凍くんが、不可解そうに瞬きする。それに気付かないふりをして、隣に座るよう促すと片手の缶ビールを受け取った。
茹でたブロッコリーをマヨネーズと粒マスタードのソースで和えたものに、きゅうりとチーズをハムで巻いたもの。
温かいものでは、ピーマンともやしを塩昆布で味付けて炒めただけのもの。
そんな簡単な品ばかりだが、食感が飽きないし胃もたれもしにくい。何よりおつまみが健康的な野菜ばかりだと、お酒を飲んでいても許される気になる。
トマトをくり抜いて中に小さく切った玉ねぎとサーモンを詰めたサラダは、焦凍くんが目を輝かせてお皿の上でくるくる回していた。
「これ、しゃれてるな」
「でしょ? 簡単なのにおいしそうだし、冷えたトマトって夏らしくていいよね」
少し考えた素振りの末、焦凍くんは手掴みでトマトにがぶりと大きく噛み付いた。その男らしい仕草にどきりとする。うん、でも僕もこれにはその食べ方が正解な気がする。大半がその大きく開けた口内に消えたが、ん、と漏らした声と共に唇から赤い汁が滴った。それを皿で受けて、もぐもぐと咀嚼しきると「うめぇ」と呟く。
ティッシュをテーブルの近くに引き寄せて置いてから、僕も同じようにかぶり付いた。
トマトの中に詰めた具材のドレッシングも、すべてネットから拾ったレシピだがおいしく出来ている。
「ん、冷えてておいひ」
ちょっと手と口が汚れたけど。
齧りかけを皿の上に戻していると、焦凍くんがティッシュを引き抜いて口元を拭ってくれた。
「う、ありがと」
ティッシュを受け取って指先は自分で拭う。子どもにされるみたいで恥ずかしくなるけれど、焦凍くんはこういう“世話”を僕にやきたいんだそうだ。以前聞いたその言葉通りに、ちらりを目線を上げると満足そうな笑みがある。
それを見た途端、やっぱり恥ずかしくなって、誤魔化すように缶ビールに手を伸ばして口をつけた。
すると、ラグに投げ出して空いていた右手をするりと取られる。
思わず心臓が跳ねて、隣の表情を確かめるより先に右肩に重みがかかった。アルコールで熱くなってきた身体が、触れ合った場所だけ燃え上がる。
「あの、しょうとく……」
ふと、後ろから腰のあたりに回った手に違和感をおぼえた。
はっと左側を見るが遅く、伸びた大きな手のひらが僕が先程隠したスマートフォンを掴むところだった。
「あっ、ちょっ!」
阻止しようにも僕の左手は缶ビール、右手は焦凍くんに捕まっている。
慌ててテーブルに缶を置くも、ひょいと軽くスマートフォンを奪われてしまった。
そして画面ロックもなんのその、するりと絡んだままの右手を持ち上げて、流れるように指紋認証に触れさせられる。見惚れるような手腕だ。
「もっ、……君さぁぁ……!」
酔っているせいもあるだろう、突然の強引さと抜け目なさに、怒るより呆れてしまう。
すっかり忘れていたのに、さっき咄嗟に隠してしまったことを気にされていたんだな、と思う。だからってこんな手段に出なくても、と思うが、追究されたところできっと僕はまたはぐらかしただろうとも思った。
本当に疚しいこと、というか、僕が知られたくないと思っていることには焦凍くんも強く出ない。でもそうじゃないと分かっているから、たまにこういうことをする。
そして大抵は僕が「焦凍くんのため」に隠そうとしたものを、どういう嗅覚をしているのか的確に探り当てられて僕は結局さらけ出してしまうのだ。
画面を見た焦凍くんは、ぽかんとした顔をしていた。それがみるみる萎んでいく。
(ああもう、ほら)
苦笑を飲み込んで、焦凍くんの手からそっとスマートフォンを取り返した。
「そういう顔しちゃうかなって、思ったからさ。こんなの、全く気にすることないのに」
僕の回答した『睡眠の質チェック』の診断結果では、『あなたの睡眠の質が悪いのは、パートナーのせいかも』という見出しが踊っていた。
予想通り、というかこれには僕が回答した内容のせいである。
パートナーと同じベッドで眠ることを想定した設問で、体格が違ったり、その寝相が悪かったり、就寝時間が違ったり。夜中に何度も目覚める原因となりうる選択肢を選んでしまったせいだろう。
そう予想がついたので、改めてそのあたりを考慮しながら診断をやり直そうと思っていたのだ。
だが僕がそれを説明するより先に、焦凍くんはテーブルに置きっぱなしだった件のドリンク剤を手にとって、自分のスマートフォンでもそのQRコードを読み込んだ。
同じ診断をやってみているのだろうか。
するとだんだん沈痛な面持ちになっていき、ついには項垂れてしまった。
「俺の……せいか……」
「いやいやいや、だから違うんだって、気にすることないんだよ! 僕のにこう出ちゃった原因はわかってるから!」
ちらりとこちらを向いた目が、でも、と自身のスマートフォン画面を指差す。
「いつも、俺が無理させてるからだろ……」
「無理?」
ベッドのサイズも大きいものを選んだし、先に寝ているときは起こさないように細心の注意を払ってくれるし、就寝時間のズレなんて今更だ。どちらかというと顔も見られずに朝を迎えてバラバラに出勤するより、起こしてもらって少しでも顔が見られたほうが嬉しい。それは伝わっていると思っていたのだけど。
そんなモヤモヤとした不満をつい顔に出しそうになった時、焦凍くんがまた沈痛な声を出した。
「体格一回り以上も違うのに、何時間もやってるし………」
「んん?」
「お前の体力とか睡眠時間とか、始める前はちゃんと考えてるけど、最中はどうしても吹っ飛んじまうから……」
「いやまっ、何、何の話!?」
思わず真っ赤になって声を荒げると、きょとんとした目が見返してきた。
「これそういうことじゃねぇのか? セッ」
「企業のキャンペーンサイトでそんな設問入ってるわけないだろぉ!?」
思わずめでたい紅白頭をはたいてしまって、焦凍くんの身体がぽーんと傾いだ。あっごめんつい! ごめん!
「睡眠の質って、そういうことじゃないから! そのっ、それに、それだと毎日のことにはっ……」
自分でも何を言っているかわからなくなってきて、首から上がとてもあつい。
暴れて一気にアルコールが回ってしまったようだ。
「ていうかいつもその後僕ぐっすり寝てるじゃん!」
いやそれもそういうことじゃない、と自分で突っ込んでから焦凍くんを見ると、起き上がり小法師のように難なく復活して「よかった」なんて笑っているから一人で恥ずかしがっているのが悔しくなる。
アルコールが入った頭ではもうまともに思考も働かない。ストンと腰を落ち着け直して、先程はたいてしまった頭を手を伸ばして撫でた。
「その診断、やり直そうと思ってたんだ。ともかく効果があるなら、今日一本ずつこれ飲んで寝てみようね」
けれど手を伸ばしたドリンク剤は、すんでのところで焦凍くんの手によってまとめて遠ざけられてしまった。
疑問を浮かべて顔を向けると、少しバツの悪そうな、子供みたいな顔をしている。ほのかに目元が赤いから、多少は酔っているとは思うのだけど。いたずらだろうか。
「焦凍くん?」
「……悪い、やっぱりこれは明日にしねぇか」
「明日?」
明日はよくて、今夜は睡眠の質を上げない理由にやっぱり思い当たらない。
「明後日でもいい。お互い日勤だろ」
「うん、そうだね」
「明日は休みだろ」
「そう、だね?」
いまいち意図がわからずに首を傾げると、ぐん、と熱を孕んだ瞳が間近に迫ってきた。
射抜かれたみたいに心臓がぎゅっとなる。
「今夜は」
唇に吐息がかかる寸前での囁きに、思わず息を止める。
「……俺が、ぐっすり寝かせたい」
その意味がわからないわけはなくて、視線の先から焦がされたみたいに、全身熱くてたまらない。
アルコールよりも余程翻弄してくる君の存在が、酔いなんてどこかに吹き飛ばしてしまった。