【今を生きる覚悟】 小さな船の上で騒ぐ中、ダンテはちらりとセパルを見た。やはり彼は変わらずぼんやりと空眺めている。
《…セパルはU社出身なの?》
どうしても放っておけなくて、それらしい事を聞いて気をこちらに向けてみようとした。セパルはダンテの思惑通り、一瞬こちらを見たがキュッと目を細めて頑なに口を開かない。
今思えば、U社に向かっているとわかった時から落ち着かない様子だったし、白鯨に飲み込まれた支部を見て落胆していた様にも見えた。
《この枝は…》
「着きますよ」
ガコン。
小舟が固いものにぶつかる音がして、そのままセパルとの会話も途切れてしまう。マァ最初から会話と言うより、語りかけているだけだったけれど。
「うぉ〜、やっぱ揺れんね〜」
「揺る………建物が…! うぷ…ッ」
「大丈夫ですか…? ここは固定されてないんですね」
「本来規則に従う太湖ではこの形が最適なんです。 恐らく自動的に移動する…いわば巨大な船と同じでしょうね」
イシュメールが興味深そうに言う。この間の街と同じなのだろう。それと比べると規模が小さいため、揺れも大きくなるみたいでイサンが悲鳴をあげていた。
「ダンテ」
《うん、有る。 奥の方に…それと…結構たくさんの幻想体も》
「フォンの居た支部なんでしょ? 何がいるとか分かるんじゃない?」
「そうだな。 先にわかっていた方が対処もしやすいだろう。 おい、落ち込んでないでさっさと情報共有くらいしたらどうだ」
ひょこっとロージャがダンテを覗き込み、ね?となれないウィンクをして笑う。その言葉に同調して、ウーティスが威圧的にセパルを責めるが、返事が返ってくることは無かった。
「…ダメみたいですね〜」
「聞こえてないわけではなさそうだけどな?」
「別に頑ななのはいいけどよ〜………どうせほら、向こうから来るわけだし?」
そう言って、アルフォンスは首をくいっと横を向く。ダンテはその意味ありげな仕草に、視線を辿り、少しづつ近づいてくる気配に背筋を伸ばした。
《みんな、戦闘準備》
◾︎
「なにか…引きずる音…? ですかね…?」
ずるっと何かが引きずられ、鉄のぶつかるような音が近づいてくる。薄暗い廊下からゆっくりと姿が明瞭になり、それはどこか見覚えのある姿だった。
「あれって、ワルプルギスの時の…?」
「あ。 あれにも似てませんかぁ? 社員証をくれる…」
「あぁ! あいつか。 ムルソーのE.G.Oにも似てるな」
「恐らく後悔が原点であり、アレは変異体でしょう。」
ガツガツと頭をぶつけながら現れた幻想体は、両手を鎖で縛られいもむしみたいに這いずっている。彼が通ってきたであろう奥の道には緑の液体が飛び散っており、本来頭の着いている場所にはエンケファリンボックスに類似した何がが着いていた。
「うぉっ、おい、これ触ったら不味いぞ」
「アル! なんでそういうの触るの!」
「いや、だって気にな…おいおい待てドンキちゃん! そんな無闇に突っ込んだら…!」
「覚えていまするぞ! 彼は介錯を懇願していた方であろう! ならば楽に…」
勢いよく飛び出すドンキホーテを止められるものは居らず、意気揚々とランスを突き刺そうとし緑の液体を全身に被る。ぼたぼたと割た箱の中から溢れたそれは、じわじわと彼女の体を溶かし尽くしてしまった。早々に頭から溶けたおかげかあまり苦痛は感じていなさそうだが、それにしたってグロテスクな光景だ。
「…あぁはなりたくないね」
「でも今までだって…トラアンドベアー? だろ?」
「それを言うならばトライアンドエラーだ」
「…!」
珍しく難しい言葉を使おうとして、無慈悲な訂正を食らうヒースクリフは置いておき、目の前の敵の対処に集中する。
まずあれの緑の液体には触れてはならない。先陣を切ったドンキホーテが証明してくれたのだから、無駄にせず念頭に置いておこう。そしてこちらから手を出さない限りなにかしてくる様子は無い。とはいえ前を塞いでいるし、横を通り過ぎるにしても緑の液体を辺りに飛び散らされては難しいだろう。道も狭いし。
《…あの緑の液体に触れないように攻撃しよう》
しばらく頭を捻ったけれど、やはり戦ってみないと何も浮かばない。トライアンドエラー。まさにその通りで、そうする他ないのだ。
「いッ、クソ、やっぱあの消化液みてぇなのが厄介だよ旦那」
「う〜ん。 あの中身を出し切ったらもう出ないんですかね?」
「き・し」
「全身を縛る鎖が固く拳が通らない」
刃物を武器に使う囚人たちの攻撃も通らず、ムルソーのような拳やファウストの重たい重撃も効果が薄いようだった。
ムルソーの言う通り、腕をはじめ胴と足を拘束する鎖も固く、合間を縫って布を突きさそうにも緑の液体が頭上から溢れ出てくる。ああすればこうくる、そんないたちごっこのような持久戦を強いられていた。
「ねぇ、あの真ん中の硝子から見える中身、減ってない?」
「先程より溢るる度中身が減りているように見ゆ」
「無限じゃねぇってこと? でもまだ半分以上あるように見えるけど…」
確かに言われてみれば、たぷんと揺れる液体が少なくなっている。頭を床にうちつける度にヒビから出ているようだけれど、いっそもっと割って全てをさらけ出してしまえば…。
《イサン、狐雨を》
「承知」
《イシュメール、桃色の欲望打てる?》
「はぁ、否定権なんてないんでしょう。 行けます」
なるべく距離を置いて、それでいてあの頭を貫いてしまうものを選ぶ。その点に関しては2人のE.G.Oは優秀で、みるみる幻想体の頭がぼろぼろに割れて中身が壮大に零れ出した。
液体に浸かってよく見えなかったが、どうやらきちんと中身があったらしく、怒りと悲しみにくれた表情でこちらを睨んでいる。
彼の首にはゴム製のリングが着いていた。エンケファリンが漏れるのを防ぐためだろうか?アレを切れば、もっと早く中身を出すことが出来るかもしれない。
《…セパル》
暗い表情のまま、当たり障りなく攻撃をしていた彼を指名する。彼ならば、これの対処法を知っているだろうから。
一瞬ダンテに静かな殺意を向け、セパルは大人しく従った。
パチリと以外にも脆く、ゴム製のリングは切れる。今まで切れなかったことが不思議なくらい呆気なく、そのまま重力に従い箱ごと頭から外れた。
「ごほ、ごほっ」
「だ、大丈夫でござるか…?」
「どけろ」
全身が溶けて無くなったにもかかわらず、ドンキホーテは変わらず幻想体に手を伸ばした。彼はもう人では無いけれど、まだ人であろうとしているみたいで。
「これが唯一の方法だったのに。 余計なことを」
こぽっと口から溢れる液体は、血も混じっているのか黒く濁っていた。あの液体の中にいたのに、溶けずにいることが全ての証明で、きっと彼の努力は泡のように消えてしまっているだろうに。
「なぜ今更救おうなんてする。 もっと、もっと早く来ていれば…!」
「そ、そんな、我らは…!」
《ドンキホーテ、それはもう人間じゃないんだ》
そう言い放たれた言葉は、別の誰かにも刺さっているみたいだね。
「…殺して差し上げるのが、唯一の手向けだったりするんですよぉ…」
セパルは表情のない顔で幻想体の首を落とした。その動きに迷いはなく、ただ美しく、儚げに。
「…そうで…ありまするか…」
「はは、溶けて殺されたのに…とても優しいんですねぇ?」
「…それは…」
表情がないのではなく、あまりにもたくさんの感情がありすぎて、どんな顔をすればいいのか分からなくなっているのだと気づいたのは、前を歩き出したセパルの背中を見てからだった。
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