「ここのお店、すごく美味しいって評判なんですよ」
「へぇ…そぉかぁ……」
結局、俺は断れなかった。揺れてしまった。自分を好きだと全身で語るシンクレアに、喜んでいる自分がいる。あの時もそうだったのだろうか。
順風満帆な生活をして、確かに愛を育んで…幸せだったのに。なのにどうしてか熱さに惹かれて、全てが終わるとわかっていて燃え尽きてしまった。
悪い人間だとは思う。むしろ、この世の中にいい人なんて存在しないだろう。流石に俺のように男と不貞をやらかして離婚した、なんて話は聞かないが、大抵股が緩くなってやらかす奴らで溢れている。だからと正当化するつもりは微塵もないが、でも、ありふれているんだ。
「…あの、僕より意識されるとやりずらいんですけど」
「そんなこと言われたってよぉ………もう自白してるようなもんだろ…」
「こういうのはシチュエーションが大事なんです! …あと、さっきの過去のことってなんですか…? 10年とか言ってましたけど」
「…………。」
言いたくなかった。言って幻滅されて、やっぱなしでとなった方が都合がいい。けど、やはり大事な後輩にこんな話をするのも気が引けるし、お前は二番目のやつと言っているようなもんで。
というか、俺はどうしたいのだろう。これじゃあ、シンクレアと真剣にお付き合いをして、新しい恋に身を委ねるみたいじゃないか。それはダメだ。彼の好意に甘えて、利用するも同然だ。
じゃあ、どうするべきなのか?
やはり、全て赤裸々に話して、そうして。
そうして、どうなるのだろうか。
前みたいに…変わらず、先輩と後輩でいられるのだろうか。
わからない。けれど、これ以外に方法もない。
「…っはぁ………。 長くなるぞ」
「はい」
「マジでその…俺のクズな話だからな」
「貴方がクズじゃない時ありましたっけ…?」
「えぇ……俺そんな酷い…?」
「…ふふ、冗談です。 構いません、アルフォンスさんのことなら全て聞きたいです」
「……」
よくもまぁ、そんなことを、恥ずかしげもなく。
嬉しいと思ってしまう自分が、どこまでも愚かで妬ましい。
「…俺、バツイチなんだけどさ。 …子供もいる。」
「…………………、………はい」
「……離婚した理由が…マァ………その…………………昔の職場の……後輩と……浮気、した」
「…はい?」
「…年下の男だった。 俺が抱かれた」
「ちょ、ちょっと、あの、ま、待ってください」
「奥さんにバレて弁護士と一緒に行為の録音流された」
「あの、いやマジで最低なカミングアウトしないでください」
「ごめん…」
1度言葉にするとズルズルと溢れてしまって、言わなくてよかったことまで出てきてしまった。さすがに想定していた内容の遥かに上を行ったようで、飲み込むのに苦労するシンクレアが可哀想だ。自分のせいなのだが。
いつの間にかテーブルに並べられていた食事に手をつけ、青い顔で頭を抱えるシンクレアを肴に飯を食う。これならばいっそ、酒でも入ってた方がダメージが少なかったと思うけれど、酒の勢いで言うのは違う気がする。
「……………10年…でしたっけ」
「…ウン…10年前………」
「…その、奥さんとは…?」
「それ以来1度もあってないよ」
「…じゃあ、それからお付き合いした方とかは…」
「いねぇよ。 そんなことしといてのうのうと彼女作れるわけねぇだろ…」
でも、僕とは今ご飯食べてますよねという顔は見ないふりをした。しゃくしゃくと口の中で苦味を残す青野菜は、今の彼を表しているようで少し喉が詰まる。
「…男に抱かれたんですか?」
「…そうだけど。 んだよ、抱かれたかったのか?」
「いえ、抱きたいですけど」
「…………そうか」
聞かなきゃ良かったと思った。なんでこう、俺を好きだと言うやつは俺を抱こうと思うんだろうか。男だからか。
…そんな可愛い顔してるか?俺。してるかもな。
「色々と複雑ですけど…それだけですか?」
「それだけって……。 マァ…そうだな。 簡単に説明すりゃそんくらい」
「…そうですか。」
そう言って、シンクレアは思いのほかほっとしたような顔をした。正直もっとすごいことを言われると思っていたし、これはこれで十分度肝を抜かれたが…何とか飲み込める範囲だった。最悪の想定では、昔ヤク中だった。とか、罪のない人たちを惨殺していた。とか。あとは女を取っかえ引っ変えして子供が何人いるか分からないとか。
そのくらいのことをされなければ、案外許せてしまうくらい、アルフォンスが好きなのだ。
これが憧れだろうが、若気の至りだろうが。自分の心は嘘偽りなく彼を好きだと言っているし、言うなれば性的に見ていると宣言している。男が好きなのかと問われれば首を傾げるが、彼が男だろうが女だろうがそこにたいした差はないと思っている。
それくらい、好きだ。
「…アルフォンスさん」
「うん…?」
もそもそと温野菜を食べ、叱られる前の子供みたいに肩を丸めている彼をしっかりと見据える。その言葉を、きちんと伝えるために。
「好きです。 貴方が」
「…既婚者であろうが、男だろうが、浮気してしまうような人であれ。 …好きですよ」
それが本心だ。しかも、この10年間きちんと反省をして、同じ過ちを繰り返すまいと自制していたのなら…もう、時効と言って良いのではと思う。
「…お返事は?」
「…………おれ、お前のことそういう目で見たことない」
「…は? ここまで思わせぶりなことしといて断るんですか??」
「ちげぇよ……最後まで聞けって………。 ないけど、嫌いじゃねぇんだよ。」
どうしたいか。ずっと考えていたけど、一向に決まることは無い。多分、彼に触れられる度に昔を思い出し、夜に誘われる度あの地獄の空間が身を冷やす。それを克服するため、手伝ってくれというつもりもない。ならば、どうしたいのか。
「…師匠の言うとおり、押せば堕ちると思うんだよ。 だから…頑張って口説いてくんねぇ?」
「………。」
「……ごめん調子乗りすぎた?」
「いえ、絶句してるだけです」
「引いてんじゃん…」
それはあまりにも傲慢で、それでいて酷く甘ったれた要求だった。でも、本人が押せば行けるから頑張って堕としてね?と言うんだから、やる以外の選択肢もなく。
「…肯定と受け取りますからね」
「…ぉう…どうせこんなおっさん、言いよるのお前だけだし…」
「そうであって欲しいですけどね」
「怖いこと言うなよォ………」
ぱくりと、締めのデザートを食べれば、程よい酸味のスッキリとした柑橘系の香りが鼻を抜ける。彼の好きだという、お茶のように。
「僕、簡単に飽きませんから」
「……そうかよ」
だって、あなたのためにお茶を淹れ続けられるくらいですから。今更些細なことで折れたりなんてしませんよ。