ゆるりと意識があがり、とっぷりと音を立てて夢から覚める。
ぱちぱちと瞬きをすれば、先程まで見ていた夢が流れじんわりと身が冷えた。
―――シンクレアが、愛想をつかす夢を…夢を、見ていた。
妙にリアルで、けれど夢で。有り得なくない、意地の悪い夢を。いや、きっと自分の罪悪感を再生しているだけなんだ。もしもなんて妄想が、少し肉をつけて、やわく首を絞めた。
どくりと心臓が鳴る。夢だとわかっているのに、あまりにもそれらしいから。どうしようもなく不安になって、申し訳なくなって、死にたくなった。
『―――――』
言葉がとても鮮明に聞こえる。ただの妄想だと言いきれない、現実味を帯びた無慈悲な声。無音なはずなのに、鼓膜を鳴らしている。
こんなになるくらいならば、最初からしなければいいのに。一時の欲に、永遠の後悔なんて割に合わない。でも全て自分が悪いのだから、自身を責めることしかできないんだ。
「ッ、はぁ、あ」
呼吸の仕方がだんだん分からなくなる。バクバクと心臓の音がうるさいのに、何度も再生される幻聴がかき消して、覆い被さる。手が震え、恐怖が指を指して笑っていた。
謝らなければ、そう思った。でも、今更?
過ちを犯した後の謝罪に、なんの意味があるんだ。反省していようがいまいが行動が全てだと言うのに。誠意を見せることに意味があるのか。どうせ、いつか無くなる関係なのに。そう考えると伸ばしかけた手が引っ込み、また伸ばして、繰り返す。
ずっと続くなんて思っちゃいない。思わなければならないのかもしれないし、盲目的に信じた方が幸せなんだろうとは思うんだ。でも、いつだって終わりはくる。必ず、平等に。
ほら、今もずっと、脳内で繰り返されている。
「…ん…ある……どうし………え、どうしたの…?!」
「っはぁ、は、ごめ、ごめんなさ、しんくれあ、ごめんなさい」
吸っても苦しい。吐きそうだ。視界がぼやけて、あぁ、泣いているのか。全て自分が悪いのに、結局醜く謝り縋っていた。こんなことする資格どこにもないのに、自分にばかり甘くて嫌になる。殺したくて、死んで欲しくて、死にたくて。
心配そうに覗き込む顔が余計惨めにさせて、こんなことを考えてしまうのも嫌で、脳裏に焼き付いた光景がずっと、俺を刺して止まない。
シンクレアと向き合ってから、ずっと苦しいんだ。
「どうしたの、落ち着いて…」
「ごめ、ゆめで、ゆめ、ごめんなさい、ごめん、なさい」
「悪い夢を見たの…? 大丈夫、ここにいるよ」
「ちが、んだ、俺が、俺が悪いんだ」
だから優しく、そんな暖かかく包まないでくれよ。救いがあるのかも、なんて錯覚してしまうから。俺は、お前を縛ってはいけない。もっと自由に、好きに生きてくれないと、そうしないと。
「っ、ふ、、ふ、っ。 ぅあ、あ」
「…大丈夫、大丈夫。」
とんとんとあやす様に背中を撫でられ、身動きが取れない。頭が白く、また同じことを。あれ、どうして泣いて、どう、なん、だっけ。わからな、あぁ、白い。止まる。思考が回らな、?
「ゆっくり吸って、吐いて。 ほら、吸って…吐いて…」
「ヒュッ、ふ、ぅ……ヒュ………ふ……ぅ……」
「そのまま、ゆっくりね。 大丈夫だから」
「ん、……ふ………はっ………ぁ……」
まるで、カチカチと同じ映像だけを映し続ける投影機になった気分だった。次第に回路が繋がって、ちゃんと考えられる。あれはなんだったのだろう。何度考えても全て一定で止まって、白く最初から。奇妙な体験だった。もう二度と、経験したくないけれど。
「…おちついた?」
「ぁ、ああ………悪い」
「謝んなくてもいいよ…どうしたの、そんなに怖い夢だった?」
「………あぁ。」
きっと今1番恐れている事だから。夢であってよかったと思う反面、正夢になり得る事実は寄り添って離れない。
後悔、してしまったのだ。シンクレアに好きだと言わなければよかったと、少しでも思ってしまった。それだけは思わぬようにと、胸を張っていようと思っていたのに。
そうして、エミーと歩いていれば良かったとも、一瞬、ほんの一瞬だけ思っていた。
あいつは俺を見捨てない。絶対に、何があっても。どんな手段を使ってでも、俺が愛想をつかしたとしても。絶対に手放さない、そういう女だったから。
ならば、安心して身を投げても良かったんじゃないかって…考えてしまった。
「…ごめん、シンクレア。」
「気にしてないって。 びっくりしたけど…。 ねぇ、どんな内容だったか聞いてもいい…? 話せば少し…楽になるかもよ?」
話して良いのだろうか。これは心の内に秘めておくべきことで、一生抱えて生きるべきだと半身は言う。でも、そのはちみつ色の瞳に嘘はつきたくなくて、もういっそ全てさらけ出してしまった方がいいのかと逃げたくなる。
そんなことをして、また後悔するんでしょう?
「……僕が関わること、なんだよね。」
「……」
「もしかして…別れる、とか……言われた夢?」
「ッ……そ、れは」
「…大丈夫だよ。 大丈夫。 手放す気なんてないよ」
ぎゅっと握られた手に、少し汗ばんだ温もりが伝わる。
嘘だと思った。シンクレアはそういうタマじゃない。こいつは、いずれ愛想をつかして振り向きもせずに前を行く。自信があった。何もかも信じられないくせに、自分の思い込みだけは一丁前に信じている。そうなるように振舞って、いずれ真実になるよう行動してしまうから。
こんな不確かなものに、確実さを求めてしまう悪い癖。そうやって、エミーとも違えたというのに。
「…あのね、僕、アルの酒癖の悪い所も好きだよ。」
「…? 急に…なに、言って?」
「あとね、時々不器用に迷ってるところも。 相談してくれないのは悲しいけど」
「シンクレア…?」
「他には…そうだなぁ。 信じてくれないのも、案外平気なんだよ。 慣れたなんて言うのも変だけどさ…それがアルだって分かってるつもりだから」
シンクレアはぽつりぽつりと語り、こちらの反応なんて気にせず笑いかける。どれも自分の嫌いなところばかりで、愛せないところだった。シンクレアがそう思ってくれていたなんて知らなかったし、怒っているとばかり思い込んで納得していた事。
「アルがしてくれたことだよ。 僕の嫌いな所を…真っ直ぐに好きだって言うんだから」
「…」
「…どうしたらいいかわかんないから、真似してみたんだけど…どうかな。 すごい恥ずかしいね、これ…よくやるよ」
そんなこと、あっただろうか。俺は……あぁ。確かに前…綺麗なところばかり好きだと言うのはあまり好きじゃないって話を…した。でも、それとこれとは話が、次元が違うじゃないか。
「…嘘、じゃねぇのか」
「アルは嘘だったの?」
「いや………シンクレアの、全部……好き、だけど」
「じゃあ僕も。 アルの全部が大好き」
シンクレアはとろんと、甘ったるい顔で笑う。そこに嘘はなくて、何度見ても、思い出しても本心からの言葉だと思えた。
こんなに愛されているなんて思ってもみなかった。本当に俺は、いつまでも目を逸らしてばかりだ。
「まだあるけど…聞く?」
「………あぁ。」
きゅうっとシンクレアに抱きついて、静かに心臓に耳を当てた。心地の良い音がする。さっきまで責めていた声は聞こえなくて、全てが自分の妄想でしかないことにやっと、気がついた。
「…誰かと寝てくるのも、すごく嫌だったけど…嫌いにはならないよ。 今度からは僕のところに来て欲しいけど」
「…ごめん」
「他には…髪の毛セットするの面倒くさがって、寝癖で酷い時とか。 可愛いなぁって思ってる」
「それは………朝はダメなんだよ…」
「知ってる。 最近は寝ぼけながら抱きついてくれるのすっごい嬉しいよ。 なんか懐かない猫が甘えてきたみたいで」
「…猫………。」
「結構気分屋だもんね。 あー、あとね、周りには明るく振舞ってる癖に、本当は根暗でじめってしてるのも好きだよ? 僕しか知らないアルみたいで。」
「…そうかよ」
これは…。案外、悪くないん、だな。自分が言いたいことだけを言い続けていたから、どう思われてるかなんてどうでもよかったのに。確かにこれは…心にくるし、嬉しい。
こんなに心が救われる事だったなんて、知らなかった。
だって、欠点も愛おしいから、気にしてるその仕草がたまらなく可愛くて、だから。
「…もう少し寝る?」
「……あぁ。 ……ありがとう、シンクレア」
「うん。 どういたしまして」