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    yuzuasahi_sub

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    yuzuasahi_sub

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    終わるか分からない現パロアルセノ
    ⚖️が会社員、🌱がモデル(ただのモデルではないが)やってます。
    ⚖️の推しが🌱でメロメロです。
    序盤だけで3000字くらい…

     残業上がりの午後8時半。会社から最寄り駅に向かう途中のコンビニに立ち寄る。来店を知らせるおなじみの電子音は右の耳から左に流れて働き疲れた頭には届かない。ほぼ無意識でかごをひっつかみ、入口から真っ直ぐ進んだ一番奥へ。陳列されたおにぎりや弁当の中から、なんとなくの気分に合わせてドリアを取り、その横の棚から商品名も見ずに適当にサラダを選ぶ。少しだけ歩いて、ペットボトル飲料がある扉付きの棚からジャスミン茶を引っ張り出し、かごの中へ。あとはレジで会計をするだけ、そう思って横を向いた時に視界に入った雑誌のコーナー。

    「あ……」

     くすんだ色しかなかった世界が、爛々と光る蛍光灯に照らされた元の色の鮮やかさを取り戻す。自然と足が動いて、止まり、今度は手が動く。1冊の雑誌——先日病院の待合室で見たメンズファッション誌。号数を確認した赤い瞳がきらりと光る。
     食事2つ、飲み物1つ、雑誌1冊、合わせて4つの商品をレジへ持っていき、スマホの電子決済サービスのアプリを起動した。

    ***

     セノは小売業界の大手で法務部に所属する会社員である。意欲的な態度と有能さから入社2年目にして様々な仕事を任される期待の若手。期待されるあまり、ここ最近は残業することが多いが、彼は自分の仕事にやりがいを感じているので、それほど苦痛だとは思っていない。それでも肉体的な疲労は溜まるので、息抜きが必要だ。
     趣味を持つことは息抜きやストレス発散にとても効果的である。セノも例外なく、大学時代は法学部の過酷なカリキュラムを、現在は多忙なサラリーマン生活を乗り切るにあたり、趣味の時間を持つことを大切にしていた。セノの趣味はいくつかある。運動やストレッチ、トレーディングカードゲーム『七聖召喚』、面白い(と本人は思っている)ジョークの考案、友人との交流……。それからもう一つ、大学2年生のときから始めたもの——『推し活』である。

     会社の最寄り駅から3駅、そこから歩いて7分、12階建てアパートの8階。ギリギリ夜景を楽しめる高さにある1LDKの部屋がセノの家だ。いそいそと靴を脱ぎ、対面型のキッチンに食事の入ったレジ袋を置く。昼から何も食べていない胃が空腹を訴えているが、今はこちらが優先だ。仕事用の鞄から先程買った雑誌を取り出す。有名ブランドの特集が組まれた、黒と金を基調にした高級感のあるデザイン。ビニールの包装を丁寧に剥がし、布製の手袋をはめるとゆっくりページをめくる。12…、13…、14……。

    「…いた!」

     陶器のように白く滑らかな肌、すらりと伸びた高身長、翡翠を透かした銀色の髪、長いまつ毛が被さる孔雀石のような瞳、瞳孔の周りは鮮やかな赤で縁取られている。この見目の美しい男こそが、セノの推しだ。
     特集でピックアップされている濃いグレーのスプリングコート。中のモックネックTシャツにスキニーパンツ、足元のワークブーツに至るまで、コート以外はすべて黒だ。それがコートを際立たせるためなのか、あるいはそういうコーデなのか、流行に疎いセノには分からない。でも、それらを着こなしポーズを決める男が、頭のてっぺんからつま先に至るまで、とにかく綺麗だ、ということだけは分かった。

    「AL(アル)……やっぱりかっこいいな…」

     ページの隅に小さく、本当に小さく印字されたモデルの名を指でなぞる。しばらく眺めた後、風呂場からドライヤーを持ってきて、無線綴じのページの根元を温める。1点を温め続けて紙をダメにしないよう均等に温風を当て、頃合いを見て慎重にページを引っ張ると、ページが綺麗に切り離される。溶けた糊がどこかに付着しないよう丁寧に扱い、再び糊が固まったことを確認するとホッと一息。クリアファイルに閉じれば保存完了だ。

     デビュー5年目に突入したALはあまり名の知れたモデルではない。テレビ出演等はなく、アパレルショップのカタログとかに掲載される商品写真で見ることが一番多い。2か月に1度くらいの頻度(すべての雑誌を見ているわけではないのでもっと多いかもしれないが)で何かしらの雑誌に出ているが、目玉商品を着た写真はあっても表紙を飾ることは絶対になく、名前も隅の方にひっそりと掲載されるだけ。当然ながらファンの数も少なく、SNSでしか見かけたことがない。しかしながら、国内のファッションショーでこれまで3度ランウェイに登場している。そんな実績があるのに有名になっていないのが不思議だ。

     セノの寝室の小さなキャビネットには、過去の雑誌やカタログに載ったALの写真の切り抜きなどが保存されている。とはいえ、コレクション数は少なく、ブックエンドに支えられたクリアファイルの束は1段の3分の2を埋める程度である。ただでさえ神出鬼没なレアキャラである彼の写真は少ないのに、セノは普段は雑誌を読まないタイプなので、病院や床屋の待合室で読んだ雑誌で偶然見かけなければ購入することがない。
     今回はとても運が良かった。会社の健康診断の日にたまたま出張が入って、ここで個別に受けるようにと指示された病院でたまたまALが出てる雑誌を見つけたのだから。ここ最近七聖召喚のカードパックの引きがあまり良くなかったのは、このためだったのかもしれない。
     切り抜いたばかりの写真をキャビネットにそっとしまう。フラップ式の扉を閉めると、そこにはOPP袋に入れられた4年前の雑誌が立てかけられている。表紙の、先程切り抜いた写真と同じ顔の頬のあたりを優しく指で撫でた。

    「次はいつ会えるだろう……」

     それはセノがALを推すきっかけとなったものだった。ALが表紙を飾った、最初で最後の雑誌。4年前の春初め、大学構内の書籍部で教科書を探していて偶然目にしたファッション誌。その表紙の男を見た時、ガツンと頭に、心臓に重い衝撃が走ったのを鮮明に覚えている。要は一目ぼれをしたのだ。恐ろしく整った彼の美貌と、カメラを見据える鋭い視線に釘付けになって、雷に打たれたかのように動けなくなった。教科書と一緒に購入したそれを見て、モデルの名前がALだと知って、ネットで検索してもほとんど情報が出てこないことにショックを受けて、1ヶ月後に立ち寄ったアパレルショップのカタログにいたのを見つけて、それから色々なファッション誌やカタログを可能な限り漁るようになって……気がついたらどっぷりハマっていた。というか、恋をしていた。
     好きになったなら性別はなんだっていいと考えていたセノにとって、恋した相手が同性であったことには何の驚きもなかった。でもまさか、1度も会ったことがない人に、顔と名前しか分からない媒体の向こう側の人間にのめり込むなんて思っていなかった。それと同時に、初恋が始まった瞬間に終わったことを悟った。
     初めての甘酸っぱい想いを持て余した結果『推し活』に走ったのだが、これが本当に充実していた。雑誌の綺麗な切り抜き方法や保存方法を調べ、コレクション用の棚を買い、イメージカラー(勝手に決めたものだが)の翡翠色のアイテムを集めるようになった。テレビに出ているモデルのように出現率が高い訳ではないので、姿を見るたびにその瞬間が宝物のように感じた。もう4年も経つが、その熱は冷めるどころかどんどん燃え上がって収まる気配がない。

     ピコンッ、というスマホの通知オンで、うっとりふわふわしていた意識が浮上する。明日の予定を通知してくれたカレンダーアプリ。ロック画面に映し出された時間は22時――。

    「あ、夕飯……」

     限界を迎えた胃が鳴く。これからご飯を食べて、お風呂に入って……明日も会社だった。ヤバっ、と思わず口から出て、急いで買ってきたドリアを電子レンジに突っ込んだ。

    ***

     スプリングコートを着た彼の写真をゲットしてから1ヶ月と少し。セノの心は浮ついていた。もうすぐ夏になるということで、幼馴染みのティナリと、高校時代の後輩であるコレイの3人で「海に行こう」と誘われた。他にも大学時代の友人から海水浴に誘われているため、今年は水着を新調しようとネットショッピングの新作水着特集のページを開いて——。

     いたのだ、ALが。新作だという、黒地で、裾の方にかけてピーコックグリーンが濃くなっていくサーフパンツ。ヤシの葉っぽい黒いパターンが色を切り取って、水着が派手にならず、でもかっこよくなるように仕上げられたデザイン。ネイビーの薄いパーカーや輝く銀の髪を風に靡かせ、エメラルドグリーンの海を見つめる顔のいい男の写真。
     セノが1番に魅入られたのは、着ている服でも、ましてや綺麗な背景でもなかった。パーカーの間に見える、日焼け知らずの真っ白な肌。彫刻のように美しく浮き出た腹筋に、スッと切れ込む臍、想像以上に逞しい胸筋……。
     自宅にいて良かった、文字に起こせないような奇声をあげてしまったから。咄嗟に手のひらで顔を覆って視界をシャットアウトする。どのくらい経っただろう、多分たっぷり20秒くらい。人差し指と中指の間を開いて、隙間からもう一度画面を確認して…指を閉じた。うん、現実だった。心臓に悪すぎる、俺を殺す気か?なんだってALがこんなグラビアみたいな……水着特集だった、そうだ。
     ALが脱いだ姿(語弊がある)を見たのは初めてだった。本当に美しい、男として羨ましくなるような身体をしている。やっぱり鍛えているのか?特に胸筋が半端ない……あ、ダメだ、やっぱり直視できない。そう考えつつも自然と体は動いていた。すぐさま画像を保存し、プリンタを立ち上げて印刷画面に移る。A4サイズの印画紙をセットして最高画質で印刷開始。インクが乾いてから保存用の袋に入れる。できた新しいコレクションを呆然と眺めながら、一連の作業をほぼ無意識で行っていたことにやっと気づいた。

     そういうわけで、心の内が大型台風並みに荒れまくってるセノは、嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔には出ないがとにかく興奮していた。幸い、切り替えの上手なセノは仕事モードに突入すればしっかりタスクをこなすのだが、デスクに向かっていないと頭の中はALの上半身で埋め尽くされてしまう。今だって、コピー室で印刷した大量の資料を運びながら、思考はいつも以上にかっこよく見えた表情と胸筋の間で反復横跳びをしている。

     その時、通り道にある応接室の扉が開いた。営業部門にいる同期の女性が扉を支え、そこから客人と思われる男性が出てきた。

     バサバサ、バサ——

     音に驚いたのか、同期と客人がこちらを向いて、視線を少し下へずらして、足早にこちらへ向かってくる。

    「あ……」

     一瞬のフリーズののち、セノは自分が抱えていた資料を全部落としたことに気づいて、急いで拾い集める。その横で、同期の女性が屈んで資料を集めようとする。

    「セノさん、大丈夫ですか?手伝いますよ!」
    「いや、俺は大丈夫だ。それよりも、あ、あちらの方を送った方が…」

    「外部の者が見ても問題ないのなら、私も手伝いましょう」

     低く、よく通る声。左隣、距離およそ50 cm。床についたグレーのスーツの片膝が見える。顔を上げて、ヒュッと喉が鳴る。昨日見たばかりの、否、4年間ずっと見続けてきた翡翠と紅の瞳がこちらを見つめていた。

    「え、あ、問題はないのですが…、きゃ、客人にこのようなことをさせるわけには…」
    「構いません。人数が増えた方が早く集められるでしょう」

     そう言って、セノから遠いところに落ちた資料を拾い始めた。

    「あ、ありがとうございます……」

     セノも作業を再開するために視線を床へ戻し、同時に機能停止していた脳をフル回転させる。間違いない、ALだ。跳ねた銀髪も、キリッと上がった眉も、シュッと通った鼻筋も、シャープな顎先も……。見間違えようがない。何よりもあの瞳、人外じみたあの瞳はこの世にきっと1対しかない。
     モデルの彼がこんなところで何してるんだ?スーツ似合いすぎる!マネージャーとかいないのか?見目だけじゃなくて声まで良いなんて聞いてない!CM撮影とかなら普通スタジオで打ち合わせするのでは?昨日に続いて今日まで奇跡のエンカウント……昨日…。
     ぶわっと顔が熱くなる。顔どころか耳や首のあたりまで熱い。資料を持つ手が震えて、手汗までかいてきた。資料、濡れないかな。

    「はい、これ」

     綺麗に角が揃えてある資料の束が視界に入ってきた。形の綺麗な爪、親指を見て、反射的に顔を上げて、また顔に熱が集まる。やめてくれ、こんな、目の前で顔を赤くしてたらものすごくおかしな奴だって思われる。

    「あ、りがと…ございます……」
    「ん、順番がバラバラになってしまいましたが…」
    「い、いえ!集めていただいただけでも、とても助かりましたのでっ!」

     声が上擦ってる気がする。同期からも資料を受け取って、深々と頭を下げる。これ以上顔を見てられない…。

    「セノさん最近お疲れですか?ちゃんと休憩はとってくださいね?」
    「あ、あぁ…」
    「では、私はお客様をお送りしますね」

     翡翠色の男は、写真通りの無表情でこちらに会釈をすると、同期に連れられてエレベーター扉の奥に消えていった。
     その後、デスクに戻るまでの記憶がない。気がついたら椅子に座っていて、向かいのデスクの先輩に話しかけられるまで、机の上に積まれた資料をただぼんやり見ていた。

    「おーい、セノ?セーノ?」
    「っ!は、はい!」
    「ぼーっとしてどうした?珍しく残業続きになって、疲れてるのか?」
    「あ、いや、大丈夫ですっ」
    「あんまり無理すんなよ。お前は期待のエースだけど、しんどくなったら周りを頼っていいんだからな」
    「…はい、ありがとうございます」

     ようやくセノは正常な思考を取り戻した。今は仕事中だ、しっかりしなければ。そう思って、とりあえず資料の順番を直そうと紙の束を持ち上げた瞬間、名刺くらいのサイズの小さな紙がひらりとデスクの上に落ちた。白紙だった。メモを挟んだ記憶はない。不思議に思って紙を裏返した瞬間、再び思考停止した。

     株式会社スメール出版 ライター ALHAITHAM

    「ライター…?アル、ハイゼン……AL……?」

     今度こそ脳内回路がショートして椅子からずり落ちたセノを、同僚たちは過労だと思い本気で心配した。

    ***

     手のひらが恐ろしく湿っている。手だけじゃない、脇の下とか、背中とか、首とか、とにかく尋常じゃないくらい汗をかいてる。多分寝巻きは後で替えた方がいいかもしれない。座り込んだベッドの上、震える手にはスマホ、傍にはあの名刺。

     1週間前、意図的なのか偶然なのか、あの銀髪の客人の名刺と思しきものをゲットしてしまったセノは、帰宅後着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。名刺を見れば、出版社の名前、名刺の持ち主の職種と名前、会社の電話番号、携帯電話番号とメールアドレスが書かれていた。床に落ちた資料を集めていた時に、同期かあの客人が落として紛れ込んだのだろうか。いや、名刺は名刺入れに入れるのが普通だから、1枚だけ出てきた、なんてことはありえない。でも……。
     というか、彼は本当にAL本人なのだろうか。モデルじゃなくてライターって書いてあるし。実は双子です、とか?でもテレビに出ないモデルが副業をしているなんて話は珍しくないし。名前がアルハイゼンだから、そこから文字ってAL。ありえるな……いや、そんな憶測で決めつけるのは良くない。

     そんな悶々とした思いを抱えながら、1週間が過ぎた今日のお昼。再び応接室の前で同期に連れられた彼に遭遇した。今度は抱えていた書類を落とさずに済んだが、逆に力が入りすぎて皺がついてしまった。彼はセノを覚えていてくれたようで、2、3言葉を交わしたけど、何を話したかは覚えていない。そして別れ際、同期に連れられてエレベーターホールへ向かっていた彼はこちらを振り返り、右手の親指と小指を立てて顔の横に近づける動作をした。電話、のポーズだと思う。電話しろってことか……?ほんの僅かに口角が上がった彼は、また前を向いてスタスタと歩いていってしまった。初めて笑ったところを見た。
     やはりあの名刺は彼が意図的に紛れ込ませたものだったと気づいて、電話して欲しいという意図のサインを受け取って。セノはひどく混乱した。何のために電話するのか。あの時、資料を拾ってもらった時の態度に何か問題があったのだろうか。でもとにかく、電話して、という要望には応えなければとても失礼な気がする。

     名刺に書かれた携帯電話の番号を確認して、震える指でスマホに表示されたテンキーを押す。指先が手汗でぬるついて滑る。打ち終わった番号を3回確認して、5回深呼吸をして、30秒指先をウロウロさせたのち、ようやく通話ボタンを押す。

    プルルルルル、プルルルルル、プルル——

    『はい』

     低い声。先週初めて聞いた、柔らかなバリトン。
     先日名刺を受け取りました、株式会社スラサタンナのセノです。スメール出版のアルハイゼンさんのお電話でお間違いないでしょうか?——という、予行練習で考えておいた台詞は吹っ飛んだ。あ…、とか、う…、しか出てこない。きっと喉から飛び出そうな心臓が気道を塞いでるせいだ。そんなことは絶対ないのだけど。

    『……もしもし?』
    「……あ、………っ…」

     沈黙が痛い。これじゃただの迷惑電話だ。何か言わないと、何か………。

    「し、失礼いたしましたっ!!」
    『え———』

     プツッ———————

     き、切っちゃった……。やっぱり無理だった。電話しないより失礼なことをしてしまったかもしれない。どうしよう……。
     スマホを放り投げて枕に顔を埋める。なんだか泣きたくなってきた。今日はもう寝ようかな。汗が気化してちょっと寒いけど、まぁいいか。

     ♪~♪~

     着信音……。電話っ!?
     放り投げたスマホの画面には、先程打ち込んだ番号が表示されていた。反射で電話を取る。

    「もしもしっ!」
    『あぁ、繋がったか。良かった。何かのトラブルに巻き込まれてるのではないかと思ったが、どうやら違ったようだ』

     会社であった時とは違う、ラフな話し方。これが素の彼だろうか。

    『確認したいのだが、君はスラサタンナ社のセノ、であっているか』
    「は、はい……」
    『やはりそうか。あぁ、君の名前は担当の女性から聞いたものだ。先程の声が君のものだと気づいたのだが、確かめなければ確証が得られない』
    「あ、さっきは、その、すみませんでした……」

     目の前に彼がいるわけではないのに、ぺこりと頭を下げてしまう。

    『構わない。自己紹介が遅れたな。スメール出版でライターをしているアルハイゼンだ。よろしく頼む』
    「よ、よろしく……?」

     よろしく、するんだろうか?別に取引の担当者でもない俺が、彼と?

    『君とコンタクトを取ったのは、一つ確認したいことがあるからだ』
    「何を…ですか?」
    『単刀直入に聞こう。俺が副業で何をしているか当ててみろ』
    「!?」

     副業、この男、今副業と言っただろうか?思い当たる職業は一つしかない。

    「も、モデル……?」
    『ご名答』
    「やっぱり、AL……なのか?」
    『そうだ』

     ひっ、と変な声が出た。何度ここ1週間の出来事が夢なんじゃないかと思ったことだろう。推しに会えたこと、話したこと、連絡先をもらったこと、名前を知ってもらったこと…。

    「……そっくりさん、ではないですよね?」
    『ふっ、盲目的に相手の話を信じず、真偽を確かめようとする姿勢は素晴らしいな。警戒せずとも、君を騙すつもりはない』
    「はぁ……」
    『君はALのファンなのではないか、という俺の予想は当たっているか?』
    「あ、え、その…っ」

     バッチリ当たっている。でも本人に聞かれて答えるのは気が引けた。なんで聞くんだ?公開処刑か?何の拷問だろうこれは。

    「あってます、けど…。そ、それを聞いて、どうするんですか?」
    『別に深い意味はない。ただ初めて会ったときの君の反応がとても興味深かったから、確かめたかっただけだ』
    「は……?」
    『君も知っていると思うが、俺はメディアで取り上げられることはほとんどない。だから、ファンという存在がどのようなものかを知る機会がなかった。君のおかげで有意義な体験ができたよ。礼を言う』

     なんかこの男、かなり失礼なことを言っているのではないか…?と思ったものの、推しだから許してしまう。これがきっと惚れた弱みなのだろう。

    『俺は君に興味がある。もう少し話をしたいのだが、お互い明日も仕事だろう。この時間から長電話をするのは適していないように思う。君さえよければ直接会って話がしたい』
    「え……!?」
    『週末は休みか?俺は日曜日なら空いているが』
    「ま、待って、え、会う?」
    『……ふっ』

     笑われた。今絶対笑われた。人が供給過多で混乱しているときに……。って、そうじゃない。推しに、興味があるって言われた。しかもプライベートで会おうと誘われている。発狂しなかっただけでもすごいと思う。
     すぐに答えられなくて、多分1分くらい唸っていた。その間、アルハイゼンは待っていてくれた。

    「日曜、1日空いてます…。行けます」
    『そうか。時間を作ってくれること、感謝する。場所は君の職場の近くでも構わないか?離れたところに住んでいるのならそちらに合わせるが』
    「あっ、会社からは近いので……大丈夫、です」
    『分かった。場所と時刻は追って連絡する。では、失礼する』
    「あ、あぁ……」

     プツッ、ツー、ツー、ツー、————

     放心状態から抜け出せず、手からスマホが滑り落ちた。一連の出来事が現実とは思えなかった。今、俺は一体何をしていたんだろう……。

     その後の記憶はなく、明かりをつけたままいつの間にか眠ってしまっていたらしい。いつもの起床時間から30分遅れて起床し、大慌てで支度をして、なんとか電車に乗り込んで。やっぱり昨夜のあれは夢だったのではないかと思ったその時、メッセージアプリから通知が来た。画面を開くと、会社から1駅のところにあるカフェの位置情報と、「12:30でどうだろうか」というメッセージだった。送り主の電話番号を見て、あの電話のやり取りが現実だったことを思い知らされた。
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