時刻はまもなく午後21時。私は2人分のお皿とティーカップを用意する。
程なくして、ピンポーン、とインターホンが鳴り、モニターを確認し私は「はい」とだけ言ってオートロックの鍵を解除する。そのまま玄関の鍵も開けておく。
それから暫くして玄関のドアノブが回る音がし、先程モニターに映っていた人物が遠慮なく部屋へと入ってくる。
「こんばんは、晶。いい夜だね」
「オーエン。今日もスイーツ目当てですか」
「ふふ、そう言いつつもお皿と飲み物の準備をしているね。僕と、君の分」
「だってもう恒例じゃないですか…」
今日は金曜日。
社会人2年目に突入して残業続きで疲労が溜まりに溜まっていた私は最近、週末の夜にスイーツというご褒美を自分にあげていた。今日は駅前にある美味しいケーキ屋さんで買ってきた贅沢スイーツだ。しかもおまけで貰ったクッキーつき。
そうやって金曜日の夜にひとりでスイーツを楽しんでいたのだが、いつの間にか幼馴染で長い付き合いのオーエンに知られ、私のスイーツを奪われるようになってしまったので、オーエン用のスイーツも用意して、毎週金曜日の夜、オーエンと2人で私の家でお茶会をするようになったのだ。
「今日は季節限定の葡萄のモンブランとチョコレートケーキとミルフィーユを買ってみました。気に入ったのがあったら教えてください」
「ふうん」
オーエンは紅茶の用意が出来ていないのも気にせず、さっさとケーキを2つ選び、目の前のケーキをつついて食べていた。
電気ケトルからカチ、とお湯が沸いたことを知らせる音が聞こえ、手早く紅茶の用意を済ませる。オーエンに選ばれなかったケーキを自分のところにスライドさせ、彼の向かいの席に腰掛ける。
「こんな時間にケーキを食べるなんて、太っちゃうかもよ?」
「それはお互い様では…それに私は普段、間食はあまりしていないので大丈夫です」
と、思いたい。
最近は間食をする暇も無いくらい…なんならお昼ご飯を食べながら仕事をする日もあるくらい忙しいし、休日も疲れ果ててベッドで倒れていることが多いから大丈夫だろう。こんなことを言ったらどこからそんな根拠の無い自信が湧いてくるわけ、と言われそうだけど。
ケーキを食べ終えたオーエンはこれまた砂糖たっぷりの紅茶をぐび、と流し込み、帰宅の準備を始めた。
「甘いものだけじゃなくて、ご飯もちゃんと食べてくださいね」
「食べただろ、さっき」
「ケーキではなく、ちゃんと栄養のあるものを…!体壊しちゃいますよ」
「僕のことより、自分の心配をしたら?」
そう言いながらオーエンはぬ、と私の方へと手を伸ばし、顔に触れた。突然の彼の行動に驚き、思わず目をぎゅ、と閉じたが、私の目の下をすり、と指の腹で撫でて、手はすぐに離れていった。
そのままオーエンはじゃあね、とだけ言い残し、さっさと玄関の扉を開けて帰っていってしまった。
(心配…してくれたんだよね?)
オーエンは私の目の下に出来た濃い目のクマを見て言ったんだろう。
オーエンとは長い付き合いだけれど、未だに彼のことはよく分からない。
昔から意地悪なことを言ったり、人のケーキを奪ったりするし、正直なところ、迷惑だな、と感じることはないと言えば嘘になる。
昔、人が嫌がる顔を見るのが好き、みたいなことを言っていたけれど、私が疲れているのを心配してくれたし(勘違いかもしれないけど…)、ケーキだって最初の頃は奪われていたけど、今はオーエン用のケーキも買ってきたら大人しく自分の分だけ食べているし…。
「ふぁ…疲れた…」
カチャ、と食器を洗い終えて水を止める。早くお風呂に入って寝る準備をしよう。折角忠告してくれたのに、体を壊したら心配するより馬鹿にされそうだ。
私は入浴後、髪も乾かさずベッドに横になった。
*
今日は残業長引きそうです。
日は巡り、今日は金曜日。私は残業の合間を縫ってオーエンに連絡を入れた。
もう時間も忘れて仕事をしていたため、連絡を入れるのが遅くなってしまった。もしかしたらもう私のマンションのエントランスで待っているかもしかもしれない。いっその事、合鍵を渡すのもアリかもしれないな…いや、恋人同士でもあるまいし、それは変かな…と考えながら仕事を再開しようとした時、スマホが震えた。液晶画面にオーエン、の文字列が見え、恐る恐るメッセージアプリを開く。
終わるの何時
そう、短い文が返ってきていた。
怒っていないのかな…と考え、手早く返事を送る。
21時を予定していますが長引くかもしれないです。
会社出たら教えて。地元の駅着いたら駅で待ってて
了解です、の猫のスタンプを送るとそれ以降オーエンからメッセージは来なかった。
結局会社を出たのは22時近くで、びくびくしながらオーエンにメッセージを送った。
電車に乗って最寄りの駅に着き、目の前のロータリーに何度か見たことのある車が丁度停車した。
つやつやで汚れひとつない白の高級車の窓をちらりと覗くとやはり運転席に彼が座っていた。中でスマホを見ていた彼がこちらに気づき、助手席をちょいちょいと指差してきた。乗れ、ということだろう。
ドアを開け、失礼します、と言いながら遠慮がちに助手席に腰掛ける。すると急にほっぺたをぎゅう、と掴まれ、強制的に彼の方に顔を向かされた。
「遅い。この辺何周したと思ってるの」
「ひ、ひかたないひゃないれひゅか…」
「ふ、変な顔」
ぱっ、とオーエンは手を離し、正面を向いてハンドルを握り、帰るよ、と言い、車を走らせた。
怒ったり笑ったり、忙しい人だな…とそんなことをほとほとに疲れた頭で、ぼんやりと考えた。
*
駅から徒歩10分程とはいえ、車で送ってもらえるのはとてもありがたい。
金曜日は夜遅くなると道中酔っ払いに絡まれることがたまにあり、いつも早足で帰りがちだ。駅まで自転車を使いたいが、駅周辺の駐輪場はいつもいっぱいで年契約も数年待ちで大人気だ。
マンションの前ではなく、自宅近くの時間貸し駐車場に車を停めたオーエンに疑問も抱きながらも礼を言う。
「今日はスイーツを用意できなくてすみません。送ってくれてありがとうございました。すごく助かりました」
「じゃあ明日用意して」
「え?」
「僕、今日お前の家に泊まるから」