ヒスムル(仮)14あれから2日経つとヒースクリフの熱は下がり、時々咽せたりはするものの喉の調子も戻って来た。
事務所の定休日にムルソーとヒースクリフは買い物に行く事になり、グレゴールは2人が買い物に行っている間に家で荷造りをしていた。
子供の頃に描いたノートは大人……と言ってももうおじさんになった今でも続いており、グレゴールは改良案をメモしたりデザインを考えたりしていた。
「……」
グレゴールは突然神妙な顔をしながらソファのクッションを剥がし、箱を取り出して中身を見た。
「……これだけはあいつらに見せる訳にはいかないな……」
苦い顔をしてそう呟くと、引越し用の段ボールの最下層に入れ、適当な荷物をその上に積んでいった。
* * *
「……なんか……ずっとTシャツにパーカー着てたからすごい違和感……」
「これからはちゃんと着替えるように。これは後で洗濯しよう。」
新品の服に身を包んだヒースクリフは慣れない匂いと着心地にそわそわとしていた。
「……て言うか着替えろとかあんたに言われたくないんだけど……あんたこそ何日あの服着てるんだよ。」
「汚れが付いたら洗濯するようにしている。」
「……下着は?」
「……」
ムルソーは地面を見つめた。
「……どうしたんだよ?」
「……昨日、風呂に入った時に履き替えた。」
「あんた風呂に入った日思い出せなくて考え込んでたろ。」
「……むぅ……」
ムルソーは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「なんか子供っぽくなってねえか?あんた。」
そう言って笑いながらヒースクリフは紙袋を肩に担いだ。
何店舗か回ってかなり買っていたのでムルソーは両手に、ヒースクリフは片手に紙袋を持っていた。
「……一度家に荷物を置こう。それから昼食を食べに行こう。何が食べたい?」
「うーーん……ハンバーガー食いてえなぁ。」
「……分かった。ハンバーガーにしよう。」
謎の間があったのが気になったが今はとりあえず流す事にした。
* * *
混んでいる店内で目敏く見つけたカウンターの空席に素早く座ってヒースクリフとムルソーは注文したハンバーガーを食べていた。
ヒースクリフが頼んだのはチーズたっぷりのハンバーガーで、ムルソーが頼んだのは野菜たっぷりのハンバーガーだった。
(……最後に食ったのいつだっけ……)
じいさんが死んだ後も一応外食に連れて行ってもらった事はあった。
あの時は子供だったからかもしれないが、近所の目も気にしていたのかもしれない。
……義兄弟のせいで台無しになった事もあったが。
ポテトをつまんで不意にムルソーの方を見てみると、ムルソーは分厚いハンバーガーを潰す事なく綺麗に齧り付いて食べていた。
……そう、開いた時の口の大きさが半端じゃなかったのだ。
「……」
この人、自分の拳口に入るんじゃ……?
いや、流石に無いかとハンバーガーを覆っている手を見て考えを改めた。
「……ん?どうしたんだ?」
「いや……あんためちゃくちゃ一口デカいな。縦に。」
「縦に……?」
昼食を済ませた後は歯ブラシや食器などの日用品を買いに行った。
ベッドはグレゴールが持って来る物と連節させて3人で並んで寝る事になったので枕と掛け布団だけ買った。
「……そう言やおっさん、荷物ってどうやって持って来るんだ?手伝った方が良いのかな……」
「ああ、ヂェーヴィチ協会に頼むと言っていた。」
「協会に?金使いたくなさそうなのに。」
「量にもよるが今回は多少雑に扱っても良い荷物だから安く済むだろう、と言っていたな。」
「そんなもんなのか……事務所ならもっと安く済みそうだけど……あ。」
ムルソーはヒースクリフが同じ考えに至った事が分かったようで補足しなかった。
「事務所だと何されるか分かんねえからか……」
「そうだ。場所にもよるが基本的にフィクサー個人が建てているような物だからな。協会は上の目があるし契約書もしっかり用意するから事務所よりも信頼出来る場所なんだ。……逆に言えば暴力沙汰や暗殺なら事務所の方が費用が安いから請け負う量は多い。その代わり機密性は低いが。」
「色々あるんだな……」
「ああ。だから……」
ムルソーが声を低くしたので不思議に思って見上げると……
「……貴方は協会に所属した方が良いと思う。」
「……」
「協会のフィクサーに命の危険が無い訳ではないが……少なくとも、事務所よりはしっかりとした訓練を受けられる。」
ムルソーはヒースクリフを見つめていた。
その目は真剣だった。
「……やめといた方が良いって?」
「……決めるのは貴方だが、私はそう思っている。」
「……」
「……仮に事務所に所属するとしても、事務所は選んだ方が良い。」
「あんたに言われると説得力すげーな。」
そう言って笑ってからヒースクリフは神妙な面持ちで話した。
「……俺、あんた達の事務所に行こうと思ってるんだ。」
「……」
「前まではさ……他に行ける場所無いような気がして、事務所に行こうと思ってたんだけど……やっぱり、あんた達と一緒に働きたいって思ったんだ。」
「……」
「おっさんが自分の腕完成させて、資金も集まったらおっさんの工房に移ってさ……皆でやって行くの、楽しそうだなって思って。」
「……それは……依存に、なるのではないか……?」
ムルソーは眉を下げてヒースクリフを見つめた。
「……ヒースクリフ。あまり人1人に依存しない方が良い。その1人だけを支えにしてはならない。」
「おっさんとあんたで2人じゃねえか。」
「……少な過ぎる。頼る先が絞られていればその分貴方は道を見失いやすくなる。」
「……」
「……昔、愛した人間が死んで、後を追うように死んだ者が居た。貴方はそうなりやすい人間だ。……分かるだろう?」
ヒースクリフは眉を寄せて口角を下げた。
「……あんたが死んだら、俺がおかしくなるって話か?」
「そうだ。……私は死に様がどんな物であろうと必ず死ぬ。いつその日が来るのかは分からないが、必ず死ぬんだ。……貴方は、その事実を忘れている節がある。だから……今の内に言っておかなければならないと思っている。」
私が死んだら、私の事は忘れるんだ。
「決して私を貴方の人生の中枢に組み込んではいけない。……分かってくれたか?」
ムルソーの瞳は揺れていた。
「……もう手遅れだよ、そんな約束。」
「……、」
「……言ってる事はよく分かるよ。でも……俺、どうしてもあんたとおっさんを切り離せないから。」
ムルソーは暫く何かを考えているようで黙り込んでいたが、やがて「分かった」と言って頷いた。
(……それに……もしあんたが死んでも、おっさんは嘘ついてくれるだろうから。)
ヒースクリフはムルソーの後ろ姿を見上げながらそんな事を考えた。
家に帰ると、ヒースクリフはすぐさまソファに倒れ込んだ。
「……寝るのならベッドの方が……」
「いや、なんか飛び込みたくなって……」
そう言いながらヒースクリフはソファの上でもぞもぞと動いて肘掛けに脚を乗せた。
「……」
何となく、撫でたくなったのでヒースクリフの腹にそっと手を置いた。
グレゴールのように脂肪の殆ど付いていない、薄い腹だった。
……私も同じような物だろうが。
「なんでお腹?」
「……何となく。」
ヒースクリフの腹を撫でているとヒースクリフが唇を尖らせてぽつりと言った。
「………頭は撫でてくんねえの?」
「……」
今までは頭を殴られたような衝撃と言う表現がいまいち理解出来なかったが、今は理解出来るような気がした。
……撫でなければ。
そんな義務感に突き動かされてヒースクリフの頭を両手で撫でた。
「うわっ……!わざわざ両手で?……って、」
ついでにヒースクリフの頬にキスをした。
ヒースクリフは大笑いして目尻に涙を滲ませた。
……思えば、ヒースクリフがこんな風に笑うのを見たのは初めてかもしれない。
そう思い至った時、途端に胸がきゅうと締め付けられるような感覚がした。
これが愛おしいと言う感覚なのかもしれない。
ヒースクリフを抱き締めていると、匂いを嗅いでいるような音が聞こえた。
そして少しするとヒースクリフに肩を押して体を離された。
「……嫌な匂いがしたか?」
「いや……なんか……その……変なのに、目覚めそうで……」
「……?」
よく分からなかったがヒースクリフが耳を赤くしているので渋々身を引いた。
「……おっさん、ちゃんと荷造り出来てんのかな?」
ヒースクリフが何かを誤魔化すように話題を切り替えた。
「ちょっと様子見に行こうぜ。おっさん、荷造りにも時間かけてそうだし。」
「……」
すぐには頷けなかった。
これを許可してしまったら、ヒースクリフがグレゴールに取られてしまうではないか。
私はグレゴールに電話をかけた。
『ん?もしもし?』
「荷造りの進捗はどうだ?」
『ん〜〜……まあ、大分進んではいるけど』
「では私が仕上げに行く。」
『え?ちょっ』
そこで電話を切り、ヒースクリフの方を見た。
「……貴方は行かなくても良い。私が手伝いに行く。」
「え?俺留守番かよ?」
「……、だが、決して貴方が邪魔だからではない。……貴方とグレゴールの時間をこれ以上増やしたくないだけだ。」
「別にあんた達そんな頻繁に帰って来ないんだから変わんないだろ?」
「だが、今会いに行ったら貴方と私の時間にグレゴールが入って来てしまう。」
「あんた、実はおっさんの事嫌いだろ。」
まあ良いけど、と少し唇を尖らせながらヒースクリフが言うのでその唇にキスをして家を出た。