重ねる「デンジくん、今日は一緒に帰れないよ」
「あ、そぉ」
放課後、誰もいなくなった教室。
申し訳なさそうに思っているような思ってないような顔で黒髪の青年が言う。
彼__吉田ヒロフミ__はデンジが高校生活を始めてからというもの「チェンソーマンになるな」と言い続け、何かとデンジを追いかけていた。デンジはそんな吉田を最初は只管に煙たがっていたが(今も時々煙たがってはいるが)、紆余曲折を経た結果今の2人の関係はセフレに落ち着いている。
なんとなく一緒にいる機会が多くて、
なんとなく互いの家に行くようになって、
なんとなく行為に及んで、
なんとなく関係を続けて。
する間隔は3日から1週間程度。2人とも一応健全な男子高校生ではあるし、放っておけばそれなりに発散したくなるというもので。
前回が5日前、吉田の家だったのでそろそろ、と思って誘いをかけようとしたデンジに伝えられたのが冒頭の言葉である。
断られたのだからデンジは至って自然な流れで理由を問う。
「なんかあんの」
「何ってわけでもないけど、呼び出されて」
困るよね、と肩を竦める吉田に、デンジはさらに踏み込んだ質問をする。
「誰に?センセー?赤点取ってねぇのに」
「先生じゃないよ___多分女のコ」
のほほん、と言ってのけた吉田。
デンジの思考と動作は一瞬停止し、その数秒後に絶叫した。
「女のコだぁ」
思わず裏返る声。流石に声が大きかったかと、誰に注意されたでもないのにデンジは慌てて口を押えた。
ノーベル賞でIQ3000でモテて然るべき俺がモテないようにチェンソーマンになるなとか言うクセに…とブツブツ言っていると吉田の声が独り言を遮る。
「まぁ、そうじゃない可能性もあるけど。靴箱に入ってた はいこれ」
差し出されたのは小さくて可愛らしい字で<吉田くんへ>と書かれた淡いピンク色の封筒とそのペアになっているであろう同色の便箋で、如何にもラブレターの様相を呈している。
否応無く目に入った便箋には<貴方が好きです。今日の放課後、校舎裏で待ってます>と封筒と同じ筆跡の文字が並んでいた。
仮にも人から自分に宛ててこっそりと渡されたものを躊躇いなく他人に見せるのもどうかと思わないこともなかったが、その思考は吉田があっさりと自分に手紙を見せた事実と、なぜか感じた『手紙の差出人よりも自分は吉田のことを知っている』という優越感から間もなく雲散霧消した。
「で、行くのかよ」
「まぁね」
無視したら可哀想だろ、と胡散臭い笑みを浮かべる吉田。真っ当な事だが、デンジには何故かそれが気に入らなかった。
「付き合うとか?」
「さぁわからないな」
「何で」
喰い気味に言ったところで我に返る。
引き止める言葉が図らずも出てしまった。しかし1度口にした言葉はもう取り戻せない。
吉田はポカンとした顔でデンジを見つめていた。
「デンジくん、どうしたの」
「…やっぱ、俺と帰れ、お前、今日」
回らない頭でどうにかこうにか言葉を捻出する。吉田の表情が困惑に変わる気配を感じつつ、デンジは下を向いて続けた。
「帰らないなら、行くなら、もう、終わりだ」
お前との関係を終わりにする。小さくなっていく言葉尻に含ませた気持ちは、デンジにとって複雑で、小難しくて、最悪のものだった。
寂しさを埋めたい。デンジが吉田に身体を許した理由はそれだけだった。吉田が纏う、人当たりがいいのにどこか寂寥とした雰囲気はアキに似ていると思った。
最初から互いの心を求めて繋がってはいない。だから誰のことを考えようが勝手のはずだったが、いつしか生まれた小さな罪悪感が日に日に膨れ上がり、吉田に渡された手紙を見た瞬間、ついに奪われたくないという気持ちだけが確かな形を持って現れた。
デンジは自分が見ているのは、自分が奪われたくないのはアキに似た吉田なのか、吉田そのものなのか、もうとっくにわからなくなっていた。
しかし、何れにせよ吉田ヒロフミという男が誰かのものになればまた自分を愛してくれる全てを失うことは明確だった。
そのことを自覚した時、デンジは中途半端な自分に嫌気が差してきていた。
セフレというのは、結局利用し合う関係でしかないのだろうと吉田は常々思っていた。
正直な所、デンジが自分を通して違う人間を見ていることは火を見るより明らかだった。
尤も、デンジは気づかれていないと思っていそうだが。ただ、自分が彼のその気持ちを利用していることもまた揺るぎない事実だった。
だからこそ、デンジの抱えるものに触れないこと。それがこの歪みきった好意を本人にぶつけて昇華できるこの関係を続けるための無言の契約なのだと割り切っていた。
そう、割り切ったはずが、今目の前のデンジの言動が全てを狂わせようとしている。
キミの気持ちが俺に向くことは決して無い癖に。小さな恨みにも似た愛情を押さえ込みながら、吉田はデンジの次の言葉を待っている。
「どうするんだよ、吉田」
「…」
吉田は考えていた。今デンジは自分への執着心を持ち始めている。それはまだ好き、嫌い、愛している、といった感情に姿を変える前の未成熟なものだ。それを生かすか殺すかは自分の返答次第だったから。
少しの沈黙の後、吉田は口を開く。
「…行くよ。キミとの関係は終わり」
意外な答えだっただろうか?と思いつつデンジの顔を見つめる。デンジの顔はみるみるうちに歪み、苦々しい表情へ変貌した。
荷物を掴み、デンジが吉田の横をすり抜けようとした刹那、デンジの手首が掴まれる。
「話、最後まで聞きなよ」
「…まだ何かあんのかよ」
言葉こそは刺々しいが足を止めたデンジに、吉田は蛸を使う羽目にならなくてよかったと場違いな安心をした。
「…セフレは終わり。新しく始めればいい」
「は?」
「だから、な、デンジくん、恋人になろうぜ」
「…は?」
意を決して、と言うには余りにも軽過ぎる声色で、いとも簡単に告白は行われた。
「俺は君が好きだし、なるなら俺は今からこの子に断りに行く。そういうことになるわけだよな」
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が静かな教室に響く。
「そういう、って」
「…どうする」
立場が逆転した。今度は吉田が問うた。
同じように沈黙した後、デンジは首を縦に振ることで告白に応えた。
なんと言えばいいのかどうしてもわからなかったから、そうやって了承の意思を示す事で精一杯だった。
「そう、それなら…今度はちゃんと仲良くしようぜ」
「…そうだな」
自分が過去に縛られていることは自覚していたし、全てを忘れてのめり込むことは出来そうになかった。
しかし吉田はそれをわかっていたのだろうと今思った。もしわかっていなくともそれに関わらず彼は自分を愛してくれるという確信があった。好きだと口にした吉田がいつもの胡散臭い笑みではなく、心から愛おしむような微笑をたたえていたからだ。
「じゃ、行ってくるけど、待ってる」
思考の海から引き戻される。
過去の、思い出の中ではなく目の前にいる男に自分が向けている感情の正体を知るその日まで、吉田の優しさに甘えても許されるんじゃないか。
そんなことを思いながらデンジはまた頷いた。
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蛇足 こだわりの話
デンジくんが周りを気にして口を押える描写と、ラブレターを見せられたことに疑問を抱いた描写にアキくんの影をチラつかせました。アキくんの手で常識人になったデンジくんです。
上手く告白に答える言葉が分からなかったのはアキくんのときはコテコテのイベントがなかったからという裏設定があります。好きだー、あー俺も、みたいなそういうノリで恋人やってた感じ。
生唾を飲み込む、というのは目の前のものが欲しくてという意味合いを込めているのでデンジくんは気づいていないだけで既にちゃんと吉田くんを好きになり始めています。
それから、デンジくんはいきなり関係をやめようと思い立ったわけではなくずっと前から吉田くんに対してもアキくんに対しても罪悪感を持っていたし、自分も幸せな気持ちになれてなかったので、自分が愛されるか、愛されないなら自分から突き放すかというところを見極めようとしてそう言いました。