部屋に入ると、飛び込んできた光景に目を疑った。ぴたりと歩みが止まる。荼毘は眠っていた。ホークスが仕事をする机の足元、床に寝そべるように、膝を折り曲げて。なんでこんなところで……
「おい――」
起こしてやろうと口を開いたその時、ホークスは見てしまった。額を預け、枕の代わりになっているその腕の先――椅子の足に、遠慮がちに置かれた左手を。
どくんと心臓が跳ねる。この状況は一体なんだ? 当てつけか? 嫌がらせ? また試されているのか? さっさと起こしてやろうと思うのに、身体が縛り付けられたように動かない。今の今までDomとして振舞っていたというのに、欲求は収まるどころか疼き出し、自然と昨夜の熱を呼び起こす。やめろ。やめろ。あれは事故だ。
「ん……」
小さく身を捩り、目の前の男が上体を起こす。ぱち、と目が合った。
「あぁ……、戻ってたのか」
「うん、たった今ね」
「……どうした? そんな顔して」
掠れた声が身体の奥を撫でる。それはこっちの台詞だ、と思った。なんだ? その安堵と不安の入り交じったような目は。毒気のない無防備な顔は。触れられてもいないのに、身体が熱を持ちそうになる。ぐらりと引きずられるよりも早く、ホークスは顔面に笑みを張り付けた。
「そんなところで転がってるから死んでるのかと思ってさ」
「縁起でもねぇな。せっかく誰かさんが生かしてくれたんだ、そう簡単にくたばるかよ」
「そっか、それは何より」
荼毘は座ったまま壁に背を預けると、さり気なく床に視線を落とした。
「……顔色いいじゃん。公安のプレイは良かったか?」
「別に。あんなのに良いも悪いもないよ」
「ふぅん……。そんなふうに言われたんじゃ、相手のsubも報われねえな」
「やたら突っかかるね。もしかして寂しかった?」
少しからかってやろうと思った。一方的に心をかき乱されるのは癪だった。しかし、その試みは不発に終わる。
「そうだって言ったらどうする?」
男は顔を上げない。調子はいつもの軽口だった。それなのにどこか様子がおかしいように思えて、言葉に詰まる。
「……上書き、してやろうか?」
「は?」
「欲求不満。顔に書いてる。ヤッてきたばっかなのになァ?」
突如、男がニヤリとこちらを見上げる。鋭い青に図星を射貫かれ、思わず顔を背けた。騙し討ちに会った気分だ。
「デリカシー」
「んなもん知らねー」
「もう……! こら、寄ってくんな!」
「やだ」
「おい」
「何か言ってみたら? 試しにさ」
「じゃあ、“やめて”」
ピタリ。言葉に反応して男の動きが止まる。
「何のつもりか知らないけど、君とはしないよ。そういうの、やめた方がいい。必要なら公安経由でDomを斡旋できるけど、どうしたい?」
「……そっか。そうだよな。そっちのほうが、“安全”だもんな」
「無理にとは言わない。必要だと思ったらいつでも言って」
「ああ……わかった」
「Goodboy. 」
リワードと共にぽんと肩に手を置くと、青い瞳が一瞬揺れて、それからぐっと一点を見つめて固まった。
「部屋、戻ろうか」
執務室と同じ並びに、荼毘が寝泊まりをするために用意された部屋がある。鍵の管理はホークスが行い、許可のある時以外は出ることが出来ない。部屋とは名ばかりで、実質は独房のようなものだった。
たったの数十メートルを、ホークスに監視されながら歩く。静かな廊下に2人分の足音だけがこだまする。部屋に着くまで、荼毘は一言も発さなかった。
「それじゃ、また」
お決まりの言葉とともに、静かにドアが閉じていく。
なぁ、俺はお前がいい。
その一言が、どうしても言えなかった。