【治角名♀】シンデレラにショートブーツ駅に直結したそのショッピングセンターは、その利便性から近隣の学生たちの定番スポットになっていた。
それは俺ら稲高生も例外やなくて、やから俺が休日の午後練の前にそこに立ち寄ったのも、そこで周りの女性客からひとつ飛び出た小さな頭を見つけたのも、何も不思議なことではなかった。
(あれ、角名やん)
白のコートとチェックのスカート、その下から覗く黒タイツに履き潰したムートンブーツ。見慣れない私服姿で『冬物大バーゲン』とでかでか記された靴屋の前に佇むのは、同じクラスで同じ部活の友人、角名倫やった。
角名はすらりとした背を丸め、何やら商品とにらめっこしているようやった。ここからやとよう見えんけど、靴屋の前におるんやからその手の中にあるのも当然靴なんやろう。それを上下逆さにしてみたり何度も値札を確認したり、しばらく迷ったあとそっと商品棚に戻した。その後ろ姿が気になって、なんでもないふりをして声をかける。
「よ、角名。こんなとこで何してん、今日女バレ休みなん?」
「っお、さむ?」
驚いた顔をしてこちらを振り向く角名に応えながら、目線だけはその背に隠れた陳列棚にやる。角名が今見ていたものは、たしか、
「そうだよ、だからちょっと……ショッピング。治こそ、めっちゃジャージじゃん。部活は?」
「俺らは午後から。その前にここで腹ごしらえしよ思て。知っとる? ここの地下にあるパン屋、うまい上に安いんやで」
「まためしの話かよ」
そう言って呆れたように笑う角名の後ろには、くるぶし丈のショートブーツが鎮座していた。落ち着いた色合い、シンプルなデザインのそれは角名の長い脚によく似合うやろう。女のファッションには詳しないけど、いま角名が着ている服にも、きっと。
「かわええ靴やん。買わんの?」
背後を覗き込むようにしてそう言うと、角名は一瞬きょとんとした顔をしたあと、かあっと頬を染め「……見てたの」と呟いた。少し悔しそうなその表情になんだか得意な気持ちになる。
「見てた。で、買わんの? 気に入ったんやろ?」
「……いま金欠だから買えないんだよ。靴って高いじゃん」
「これ、セールの札ついとるけど。まだ1月やのに冬物セールなんて、ファッション界もシビアやな」
「……私、足デカいからサイズがなくって」
「そんならあんなに迷ってへんやろ。ここサイズ展開豊富でええよな。うちのオカンもデカいからここよう来んねん」
「……」
片っ端から言い返していたら、すぐに言い訳が尽きたのか角名は黙りこんでしまった。
本当は、角名がこのブーツを買わない理由なんてとっくに見当がついとる。落ち着いた色合いにシンプルなデザインの、5㎝ほどのヒールのあるこのブーツ。
それをひょいと持ち上げて、値札を見てみればやはり良心的な値段やった。サイズも以前聞いたことのあるそれとまったく同じ。「あ、こら!」角名は慌ててそれを奪い取ろうと手を伸ばしたが、俺が腕を更に高く上げればあっさりと躱してしまえた。
「サイズでかくてなかなか見つからんから、履けるもん見つけたら即買いやって前に言うとったのになぁ」
「なんでそんなこと覚えてんのよ……」
からかって言えば、角名はうんざりとため息をつき、やがて諦めたようにぽつりと漏らした。「……履いたらたぶん、追い越しちゃうから」
誰が、誰を。
なんて言われなくてもわかった。この気の強い女が、『MBとしては低い方』な身長をむしろ気にしているバレーボーラーが、その背を追い越すことを気にする相手なんてこの世でたったひとりやから。
「角名の彼氏、背ぇ低いもんな」
「あいつが小さいんじゃなくて治がでかいんだよ。……あと、私も」
角名はそう呟いて、自分の足元に視線を落とした。しゃれこんだスカートには少し不釣り合いな、履き潰したぺたんこのブーツ。
去年の秋ごろに角名が付き合い始めたのは、女子にしては背の高い角名とそう変わらない身長の男だった。5㎝かそこらのこのヒールだって、履いてしまったら簡単に追い越せるほどの。その身長差を侑にからかわれるたびに、もともと猫背気味の背が更に丸くなるのを俺は知っていた。
値引きシールが張られた値札には、バイトもしてない高校生には少し高い、それでも今の俺でも買える程度の値段が記されている。悩んだのは一瞬だった。そのブーツを手にしたままレジへと進む。
「え、おさむ!?」
角名の慌てたような声を背に、さっさと会計を済ます。ラッピングまではせんでもええやろ。店のロゴが入った派手なその袋をずいと差し出して言う。
「やる」
「は、」
「プレゼント。角名、もうすぐ誕生日やろ」
ぽかんと呆けたまま固まる角名に無理矢理袋を持たせる。ガサリとしたその音にやっと我に返ったのか、ハッとして叫んだ。
「も、もらえないよこんな高いもの!」
私なんて購買で買ったパンだったのに。そう言う角名はきっと知らん。あのなんでもない焼きそばパンが、あの日もらった何よりうれしかったことなんて。
「ええねん。お年玉ぎょうさんもろて懐あったかいからな」
「でも……履くかどうかもわかんないし」
まごつく角名の頭ん中には、まだ彼氏がいるんやろう。あいつの前じゃ履けないもんな。なら、
「なら、俺と出かけるときに履いてや」
「え?」
「今度、ふたりでどっか出かけよ。そこでなんか奢って。それでチャラ。な?」
「ふ、ふたりでって、そんなの、まるで——」
デートみたい。頭に浮かんだろう言葉は結局音にはならなかった。それでいい。今はまだ。
「俺ならそんくらいのヒールあっても、背、追い越されへんで?」
最後にそれだけ言い残して、俺はひらりと手を振りその場を去った。いい加減部活の時間も近い。角名やってもうすぐ待ち合わせの時間やろう。
こないに寒いなか、寒がりな角名がわざわざスカート穿いて会いたい相手を察せないほど鈍くはない。俺からもらった靴を手に、角名は一日どんな気持ちで彼氏と過ごすんやろか。パンを買うつもりやった金は使い果たしてしまったのに、なぜだか空腹は感じんかった。
次、女バレと休みが合うのはいつやったかな。気恥ずかしそうな顔で俺の贈ったブーツを履く、5㎝だけ距離が縮まった角名とどこへ行こうか。ああでもその前に、オカンに小遣い前借りしとかんとなあ。
ガラスの靴がセール品じゃ、カッコつかへんからな。