ナユタが犬たちの散歩から戻ってきた。腹部に繋がれている散歩用のリードをひとつずつ外していく。デンジにくっつく犬もいればヒロフミの傍に行きジッとヒロフミの顔を見つめる犬もいてそれぞれ違う反応を見せる。
「げぇ、吉田がまた来てる」
ヒロフミを認識するとナユタは心底嫌な顔をする。ヒロフミは動じずにナユタに笑みを向けた。目は笑っていない。
「デンジ今日の夕飯なに」
「唐揚げ」
「やったーデンジが作るんでしょ」
「うん」
「よし」
ナユタの親指を上げ気持ちは一気に明るくなる。鶏の唐揚げはナユタの好物のひとつだ。一度だけ帰りが遅くなり夕飯を作る時間が無くてお惣菜の唐揚げを出したことがある。ナユタが一口食べて「デンジが作った唐揚げが良いこんなのやだ」と駄々を捏ねて食べなかったことがあった。時間的に唐揚げを作ることは無理な為卵焼きを作ったら機嫌が良くなり事なきを得た。それ以来、鶏の唐揚げは時間があるときにデンジが作るようにしている。
ヒロフミも夕食を一緒に取ることを伝えるとナユタの機嫌は一気に急降下した。わかりやすい。悪魔といえど子供である。
デンジはテキストを閉じた。立ち上がってエプロンを着けると台所に立つ。
いつ見ても新妻のようで愛らしい。学校では十円で女子の椅子になる彼。「早川って馬鹿だよね」「扱いやすいし」等女子たちからいい様に言われ利用されている彼が一緒に住んでいる少女の学費のために金を稼いでいることを知っている者はいるだろうか。家に帰れば掃除、洗濯、食事の準備などひと通りの家事をこなして少女一人を養っていると知っていることを知っている者はいるだろうか。
知らないだろう。誰も早川デンジに関心がないのだから。仮に関心を持って近づいても傍にいる支配の悪魔に目をつけられ記憶を改竄される。
支配の悪魔ナユタはデンジに執着している。二人は親子のような関係だ。子供が親を独占したがるのは当然である。でもデンジは親からまともな愛情を与えられていないから甘やかす加減がわかっていない。叱るときは叱るが結局はナユタの思い通りに物事が進むのだ。支配されているのはどちらだろうか。
「ナユタ、食いてぇなら手ぇ洗って鶏肉モミモミしろよ」
「わかった」
ナユタはデンジに言われた通り手を洗いジップロックの中に入った味が付いている生の鶏肉をデンジに言われた通り揉んだ。夕食を何度か共にしてわかったことはデンジはナユタによく料理を手伝わせる。包丁と火をを使わない簡単な作業だけ。それはきっと早川アキと血の悪魔との生活で培った影響だろうか、とヒロフミは考えた。
早川アキの手伝いをデンジは彼の隣でしていたのだろうか。そう考えるとヒロフミはイラついてしまう。過去の事に嫉妬していても仕方がない。わかっている。けれど今のデンジの生活の基盤を作ったのが早川アキだと考えるとヒロフミは腸が煮えくり返った。
早川アキがいなければ料理なんて覚えなかった。だからデンジが作る料理はみんな早川アキの味なのだ。
今のデンジは早川アキに染められている。生活も身体も心もみんな早川アキのモノなのだ。
狡いなぁ。本当に。
「デンジ吉田にも手伝わせてよ働かざる者食うべからずでしょ」
ナユタが座って犬たちと戯れてるヒロフミを指さす。
「ナユタは難しい言葉知ってんなぁ。すげぇなぁ」
「そんなの知ってて当たり前なの」
ナユタがデンジの尻を叩く。心做しかナユタの声が弾んでいた。
「あと人に指さすなよなぁ。吉田はオレの勉強見てくれたからいいんだよ」
ナユタは憎たらしげにヒロフミを睨んだ。すぐにデンジの隣に立ち、ザルに入ったレタスと胡瓜とプチトマトを洗う。デンジはナユタに揉んでもらった鶏肉に粉をつけていき油の中に投入する。ピチピチといい音がしてきた。味付けした鶏のいい匂いがしてくる。
ヒロフミはデンジが料理する後ろ姿をずっと見つめていた。
「一個頂戴」
「いいけど熱いから気をつけろよ」
ナユタは揚げたての唐揚げを一個手に取り「熱っ」と言いながら息を吹きかけて唐揚げを冷ました。口の中にいれて唐揚げを咀嚼する。
「美味しいっ」
「当然」
笑い合うデンジとナユタ。
甘やかす加減をわかっていない、と思いながらも上手くやっている二人を見てヒロフミは安心する。支配の悪魔が前回のようにならないで済みそうだから。デンジがちゃんと支配の悪魔の首輪を繋いでいれば全てが上手くいく。デンジが上手く機能する限りナユタが自ら首輪を壊すことはないのだから。
それはそれとしてナユタがいる限り物理的にデンジを独り占めすることは難しい。
デンジと関係を深めるには障害が多すぎる。
チェンソーの悪魔の心臓。デンジが生きているのはその悪魔のおかげだ。彼の中にずっと生き続けている。
パワー。死んで地獄へ戻った血の悪魔はもうパワーではない。けれどデンジの中に確実に生き続けている。
支配の悪魔。マキマとナユタ。ずっとデンジのなかでマキマは生きている。彼の初恋。マキマを愛してるからナユタが産まれた。まるでナユタはデンジとマキマのこども…。
おぞましい。そんなわけあるか。
ヒロフミは内心毒づいた。
早川アキ。デンジは彼と恋仲だった。本人からは何も聞かない。ただ、護衛をしていたときに二人で抜け出したのを見てヒロフミは二人の後をついて行ってしまう。
離れた先で二人はキスしていた。ただ唇をくっつけ合うような可愛らしいキスではなく何度か唇の角度を替えてリップ音が聞こえるような濃厚なものだ。
「舌…いれねぇの…」
「家に帰ったら…な」
「むぅ…」
早川アキに抱きついて擦り寄るデンジはあの憎たらしい生意気な少年の顔をしていなかった。頬を赤らめて目を潤ませるその顔は好きな男に欲情する雌のようだった。
果たしてあの後、無事に舌を入れたキスは出来たのだろうか。任務が終わった後で聞いた話は早川アキは片腕こそ繋がったがもう片方の手は繋がらずに隻腕になったと。パワーも闇の悪魔との戦いで精神が不安定になり使いものにならなかったと聞いた。
アキとパワーの末路は聞いている。勿論デンジではない別の誰かに聞いたのだ。
結果、デンジは恋人を自分で手にかけた。
それはなんて哀れだ。
けれどデンジに恋をしたヒロフミはそれが幸運だと思ってしまう。幸運と思っていたのに一生自分の想いが叶わないかもしれない恐怖に陥る。