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    ぜっすき2「生者の特権」全年齢
    バーソロミュー・くまに襲われた直後の話
    すでにできてるゾロサンです。

    生者の特権バーソロミュー・くまに襲われた直後の話
    すでにできてるゾロサンです。

    ===

    海の上を漂う船は、一刻たりとも静止することはない。
    天井から吊るされたランタンは手元を照らすのに充分な明るさだ。外から聞こえてくる寂しげな波の気配と船内の静けさは、サンジの耳によく馴染む。
    その空気を切り裂くように、切れの良い包丁を左の手の平で勢いよく押しこむと、まな板は深みのある木製の音でダンッ!ダンッ!と音を立てて受け止めた。
    普段であれば心地よいその音が、今はただの発散の手段としている自分にも苛立つ気持ちが抑えきれなかった。
    腹の奥で煮えくり返る感情故にいつもより余計な力を込めてしまい、けれどそれにしては手際よく、動き続ける船の揺れに動じることなく、均等に刻んだ食材を火にかけた鍋へ静かに投入した。鍋の中を掻き混ぜながら、溜息をつく。
    その溜息には、自嘲の色が混ざっていた。
    「おい」
    後ろから掛けられた声の主に気付き、一呼吸したあと、「なんだ」と低く唸るような声で返した。
    「酒か?チョッパーからまだ酒禁止って言われてんだろ」
    サンジの言葉を聞くこともなくキッチンの中へ一歩踏み出したゾロに、サンジは叫びそうになる気持ちを抑えた。入ってくるな、おれの領域に。踏み込んでくるな。
    ――ゾロが最初に気付いたのは、わずかな違和感。けれどその違和感は徐々に見過ごすことの出来ないわだかまりへと成長した。
    「飯」と言えば文句を言いながら差し出される美味い飯。声をかければ帰ってくる無愛想な言葉。けれど次第に嫌でも気付く。
    サンジが自分と目を合わせないことに。
    「酒じゃねえ」
    「腹でも減ったか」
    「ちげえ」
    「じゃあ早く寝ろ。まだ本調子じゃねえんだろ」
    「てめえと話にきた」
    「悪かったな。おれは話すことなんかね――」
    言いかけた言葉は肩を掴まれて遮られる。
    無理矢理振り返らされた視線の先には、怒りを孕んだゾロの顔。
    「おい」
    静かに、怒気を含ませた声は腹の底でビリビリと響いた。
    「今お前、何考えてる?」
    ゾロのこのたった一言に多くの感情が含まれていることを、サンジは理解している。サンジが理解していることもゾロはわかっていた。そういう関係だ、決して短い付き合いではない。
    鋭い眼光を受け止め、サンジはなおも睨み返す。いつものように暴言を吐こうとした口はひとつ呼吸をしたあと、何の音も出さずに空気を飲み込んだ。バシッと手を振り払い、再度キッチンへ向き直る。
    「おい……てめぇ」
    「ンだよ、邪魔すんなッ!!!」
    大切なものに触れられた子供のような癇癪。
    その突然の激高に、思わずゾロは押し黙った。
    サンジは若干苦い表情で包丁を握り直すも、溜息をつき、胸ポケットから煙草を取り出した。
    キン、と高い音を出して炎が上がる。落ち着かない指先から煙草の匂いが香る。
    「……悪い」
    「何に謝ってんだ」
    「……」
    作りかけの食材に煙がかかるのを避けて横を向くと、ゾロの姿が視界に入る。チョッパーによってきっちりと巻かれている包帯は今でこそ血が滲んでいないものの、数日前までの酷い怪我はサンジの目の裏にしっかりと焼き付いている。
    「チッ……なんでもねえよ」
    「言わなきゃわかんねえだろ」
    「なんでもねえって言ってんだろ」
    ほら、怪我人はもう戻って寝ろ。
    この話は終わりだ、と言うようにサンジは手の甲をひらひらと振った。この会話の中でもずっと伏せられたままの目に、ゾロは手を伸ばし、顎を掴んだ。
    「目ェ合わせろつってん……」
    怯え。
    サンジの瞳に映っていた感情に、ゾロは思わず息を吞む。
    自分と肩を並べてルフィの傍に控え、どんな強敵にも共に挑んだ仲間。憎たらしいが、背中を任せられる男かどうかと問われると迷いなく肯定できる男。
    その男が今自分の目の前で、自分と目を合わせるだけで、煙草の挟んだ薄い唇はこわばり、睫は恐怖を紛らわせるかのように震えていた。
    感情を悟られたことが伝わったのか、サンジは暴れるように手を振り払う。ゾロも動けなかった。
    「―――何に、なんで」
    「違う、おれは」
    サンジは首を振って舌打ちをし、荒々しく煙草を携帯灰皿に押しつぶした。
    「早く行けって」
    「行けるわけねえだろ」
    サンジは大きく舌打ちをして、「お前はいつもそうやって」と小さく独りごちる。
    しばらく押し黙ったあと、ゾロがこの場を立ち去る気がないことがわかったのか、サンジはふーと深呼吸をした。
    「おれは、お前がアイツにされたことを知ってる」
    ゾロは片眉を上げた。「くまだよ」とサンジが付け加える。
    「あの時何もなかったってテメェは言ったな……。だが……一歩間違えたら、普通だったら、テメェは死んでたんだ」
    静かな声の奥から漏れ出しているのは、燃え滾る怒りと悔しさだ。拳を握りしめる指が、あの時を思い出して揺れ動く。
    「生きてるのが、奇跡みてえなもんだ」
    「奇跡だろうがなんだろうが、生きてるんだったら喜べばいいじゃねえか」
    「おれはお前のそういう、自分の命ひとつすぐ差し出しちまうところに怒ってんだ!! テメェは大剣豪になる男なんだろうが!」
    「それはテメェも同じだろうが! あんときおれが止めなきゃ、お前も同じことしただろ! お前だって、オールブルーを探しだすんじゃなかったのかよ!」
    ゾロがカッとなりサンジの胸ぐらを掴み、壁へ叩きつけた。
    怒っていると言ったはずの瞳は今にも泣きそうで、いつもだったら睨み返してくる双眸は伏せられている。
    身体を痛めたゾロを瞳に映す目の前の男が、一番傷ついた顔をしている。
    「……離せよ」
    「もう一度聞く。何に怯えてんだ?」
    「うるせえ。もうおれに触んな」
    「ああ?」
    「……もう、こういう関係をやめようつってんだ」
    わずかに震える手で、サンジはゾロの腕を押し返そうとする。離す気が無いゾロはその手もすらも壁に縫い付けた。
    「どういう意味だ……」
    低く唸るような声で、問いただす。
    「どういう意味だつってんだよ!」
    ゾロにとってサンジは、ようやく手に入れた男だった。
    戦う姿も、料理をする姿も、女に向ける視線も、すべてを押しのけて自分のものにしたはずだった。自分が死にそうになっても、この男がこの海賊船にいる限り戻ってこれた。
    サンジは急に静かになって、
    「……テメェの言う通りだ」
    と一言零した。
    「あ?」
    「船に命預けて乗ってる以上、船長を守るためにクルーが命を差し出すのは正しい」
    ふーっと、長い息を吐く。
    そしてサンジはゾロの目をまっすぐに見た。
    「けど、怖くなっちまったんだ」
    そこに浮かんでいたのは、少しの笑みと、諦念だった。
    「あの時、お前が死んじまったんじゃねえかって思って。怖くなっちまった自分が、情けなくなった」
    目の前の男が震えているのは、気のせいではない。
    そのことに、ゾロは頭を打たれたような衝撃を覚える。
    「こうも人は弱くなるのかって……。おれ――」
    言葉を遮ったのは、歯と歯がぶつかるキスだ。
    「なっ…!」
    「お前だけだと思うなよ」
    歯の隙間から唸るように出す声が、サンジの鼓膜を揺らす。
    「おれだって――!!……っ、おれを押しのけてお前が名乗り上げたとき、どうしてお前を殴ってまで沈めたのか、わかんねえのか。ルフィだけじゃねえ、お前も含めた仲間を守ろうとしたからだ!!」
    ゾロはそう怒鳴ったあと、恐ろしいほど静かに、落ちついた声で、
    「お前がいないこの船を想像して、恐ろしかったからだ」
    と言った。今度はサンジが息を吞む番だった。
    「お前が怯えて手放そうとしたその感情のおかげで、俺は、今ここに戻ってこれてんだ」
    「……っ!」
    「勝手に自分ひとりで、なんでもかんでも抱え込んでんじゃねえ」
    悲痛なほど叫ぶように、吠えるように、心の底からの感情を全身に浴びる。喉仏に食らいつくようなキスを受け止める。
    息が苦しい。目の前の熱が、生を、生きていることをこれ以上なく示している。
    自分の中に入ってくる熱が、自分を求めている。
    こんなに幸せで、恐ろしいことがあるだろうか。
    じゅる、と音をたててゾロの唇が離れた。
    息があがったサンジの喉に、指が添えられた。
    「テメェもおれも、いつ死ぬかわからねえ」
    耳朶を食む男の口が、静かに語り掛ける。
    「ん……っ、」
    「だが、おれはお前に執着しつづけるぞ」
    それはサンジにとっては呪いの言葉だった。
    手放すなと言っているのだ、ゾロは。自分のことを、自分に向ける感情を。
    冷水に包まれたように、足元から恐怖が襲う。それを与えているのも、それを溶かしてくれるのも、目の前の熱だった。
    「……っ」
    サンジが、ゆっくりと目の前の、傷一つない背中に腕を回す。
    「……お前は相変わらず、勝手な野郎だ」
    「テメェこそ」
    おれを散々無視しやがって。
    「バカマリモ」
    「アホコック」
    ゾロが首筋にがぶりと噛みつく。きっと歯形がついているだろう。明日も残ってたらどうすんだ。
    普段ならつらつらと出てくる恨み節も、今は喉の奥でぎゅっと詰まっている。
    「お前みたいな馬鹿は、どうせ殺しても死なねえんだろ」
    「だからよ」とサンジは力強く言った。
    「最後はおれが殺してやるよ」
    「あ?」
    「お前ほどの馬鹿はおれぐらいしか釣り合わねえ」
    ゾロはきょとんと目を丸くしたあと、ニヤリと笑った。
    「……ハッ、上等だ」
    「いつかぜってぇおれがテメェを斬り倒してやる」
    「おれが蹴り刻んでやるつってんだろ」
    何が起こるかわからない、いつ命を落とすかわからないこの世界。互いに死なない保証など出来やしない。
    けれど、手放さないと決めたから。相手が生きている熱を、今一番近くで感じているのが自分だという事実。この事実を否定しないと決めたから。
    おれ以外のやつにやられるな。その約束は、二人の唇に飲み込まれて消えていく。

    生きている者だけが見ることの出来る、夜が明ける。


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