🐺🌽クリスマスマーケット この時期になると早々に夜がやってくるにも拘らず、街の中心部は一斉にきらきらと輝きだす。やわらかな橙や冬の白銀、オレの好きな青とサンタクロースの赤。ステージ上で味わうサイリウムの色よりさらに豊富な光の色で表現される世界を眺めていると、肌を刺す寒さなど忘れてしまいそうになる。それほど、この季節は魔法にかけられた様に胸がじんわりとあたたかくなる。
子どもの頃からそうだったように思う。おぼろげな記憶の中に、幼い頃、父親に手を引かれて出向いたコルマールのノエル直前の街並みがある。そのときはヤツの気まぐれ──いま思い返せば、仕事場に息子を連れて行く、傍迷惑なブームがあったようだ。──で連れられたが、子どもながらに街を歩くのはとても楽しく、絵本の世界のような場所と時間に感動したことをおぼえている。しかし、単なる家族旅行ではなく、目的はあの父の仕事のため、ほとんどの時間はホテルに置き去りにされていた。それでも、窓から独りで見下ろした景色は、家の窓から眺めるノエルの灯りよりもはるかに美しかった。心配せずとも、かならず自分の元に父親が帰ってくる。当然のことだが、それは、あの頃のオレにとっていちばんのプレゼントだった。
現在、十八時十三分。別の仕事の対応中であるラビと約束した時間は十七時。待ち合わせ場所からは数メートルほど離れてしまっているが、その時刻までに戻れば大丈夫だろう。マフラーで口元を隠し、光と音、そして笑顔で満ちた広場に足を踏み入れる。すれ違いざまに「そこの大通りのイルミもめっちゃ綺麗だよ」と隣の男に話していた女が抱えていた袋には、クリスマスマーケットと大きくポップに書かれていた。初めは日本のクリスマスというものに違和感があった。それももう、かなり薄れている。
広場に設置された大型スピーカーから、特設ステージで披露され始めたゴスペルグループの歌声が流れている。そこは家族連れだけではなく、様々な形が交わり、それぞれのクリスマスを楽しんでいた。クリスマスマーケットの出店数はそう多くはないが、飲食スペースは既に座れないほど大混雑している。ホットワインやソーセージ等を取り扱う屋台には行列ができていた。ひと通り見て時間があれば、プレッツェルを買いに並んでみよう。そのほかにも、ポーリッシュポタリーやティーライトキャンドル等が並んだ雑貨屋台にもまんべんなく笑顔が溢れていた。小さなツリーやオーナメントを自由に手に取り楽しむ様子は日本とフランス、いや、どこの国も同じなのかもしれない。会場内を歩き回ってようやく、偶然人だかりがなく空いているガラス雑貨の屋台にたどり着いた。
店主の男からパンフレットを貰って、並べられた商品を見る。上段にあるガラスリングやランプシェードよりも、下段のサンタクロースやトナカイ、星といったガラスオーナメントに心を惹かれた。といっても、あの家には過した分だけのクリスマス関係の物がたくさんあるため、購買意欲はさほど湧いてこない。先ほど「眺めるだけでも構いません。思う存分、見て行ってください」と笑っていた店主が、ああそれは、と口を開いた。
「オーナメントで一番人気はトナカイですね。一つひとつが手づくりなので、顔が微妙に違って評判なんです。トナカイだけじゃなく、サンタや雪だるまもそれぞれ顔が違うんですよ」
「へえ……」
「お気に入りの子がみつかったら、ぜひ手に取られてみてくださいね」
腰を曲げて、陳列されたトナカイやサンタの顔を見比べる。たしかに同じ顔つきのものはない。
じっと観察していると、眉が下がり気味のサンタクロースは朝陽を彷彿させた。その隣の、にこにこと笑っているトナカイは怒り寸前のノアを思い出させて少し恐ろしく感じる。店主が指をさした雪だるまはわりと、アホ面のレオンに見えなくもない。なるほど、こうして愛着が湧いた物が売れていくのか。客の数だけ作り甲斐があるのかもしれない。
そして関心をどんどん横にずらしていくと、運命の出会いを果たしたかのように、一つのオーナメントに目が止まった。あ、とおもわず声がこぼれた。ガラスのホッキョクグマ──シロクマ達が並ぶ列の最後尾。他のシロクマよりもひと回り、ふた回り大きいため、後ろにいながらもひと際目立っていた。手を伸ばして掴んだそれを、もう片方の手のひらに乗せる。
似ている。よく、ラビに。
両耳の間に小さなサンタの帽子をのせ、大きな体をぎゅっと丸めた座り姿がなんとも愛くるしい。空腹時であれば獰猛かつ凶暴だといわれるシロクマが小さくおとなしく丸まっている姿に、はっきりと恋人の面影を見た。どこか強引かつ情熱的な一面を、他人あたりの良さそうな優しさで包んで隠している。色づけされた表情も、困ったときの頬をかくラビに似ていた。
「その子は他の子に比べてちょっと大きくなりすぎたんですよ。でも娘が可愛いと言ってくれたので、ああ、もちろんお安くします」
規格外で失敗作と言いたいのだろう。値札を確認するために身を乗り出した店主に対して断りの手を見せたとき、横から「ここにいたのか」と駆け寄る音が聞こえてきた。その方に顔を向けると、長い髪を僅かに乱したラビが、このシロクマのような顔をしていた。
「ラビ」
「よかった! 合ってた」
「すまない、連絡は確認していたつもりだったが……」
腕時計が示す時刻はまだ十六時半過ぎだった。スマートフォンも鳴っていなかったはずだ。小首を傾げると、目先のラビは頭を振った。
「いや、早く終わったから連絡せずに来たんだけど、リュカがいなかったからな。どこかカフェで待たせてるかもと考えたんだが、何となくこっちかなと思って」
意外とリュカってこういうの好きだから、とマフラーを巻き直すラビの顔の横に、手のひらに乗せたシロクマを並べてみる。きょとりと目を丸くする顔も、横にあるシロクマに負けないくらいには愛らしい。いつから自分のなかで、ラビと可愛らしさが結び付くようになったのか。すこし考えると、なんだかおかしかった。
「リュカ?」
「ははっ、ああ、やっぱり似てるな。可愛い」
え、と何か言いたそうなラビを余所に、手のひらに乗せたシロクマを店主に差し出した。
「この子をください。値段はそのままで構わない」
「はい、わかりました」
笑みを深くした店主を見てはたりと気づいた。何を思って選んだのか、この人には筒抜けだ。オレからシロクマを受け取り「少々お待ちください」と言った後ろ姿に、少々居心地の悪さを感じる。隣のラビは「この子……」と何か噛みしめるように呟いていたが、オレの思惑は掴めていないだろうと思いたい。ワケが分からないと言いたそうだった。
しばらく待ってから、白い星の描かれた青い箱に入ったシロクマのガラスオーナメントを受け取り、千円札を渡す。その後に店主が、何もない右手をおずおずと差し出してきた。
「あの、プライベートにすみません。でも、もしもよかったら握手だけでもと思って……」
「え」
「八歳の娘がI❤Bの大ファンなんです」
ぴしりと背筋が凍った。隣のラビもオレと同じように動きを止める。それから数秒経っただろうか、申し訳なさそうに眉を下げる店主にハッとし、箱を持っていたにも拘らず手で握り返した。きっと店主の娘が、このシロクマを可愛いと言っていなかったらこの出会いもなかった。ラビが握手をしている間に急いで鞄からペンを取り出し、メモ用紙にサインと、彼女に向けて感謝の言葉を書く。そうして二人分のサインを書いたメモ用紙だったが、受け取った彼はたいそう喜んでくれた。小声で「あの子が選ばれた理由は秘密にしておきます」と言ってくれたので、とりあえずは良しとしておこう。
軽く手を振りながらそそくさと屋台から離れる。人が少ない会場の端に身を置き、そしてようやく、ラビと同じタイミングでほっと息をついた。
「すごく嬉しいことだけど、結構ドキッとするよな」
「悪いことはしていないんだがな」
「オレ達もそろそろ変装してみる? マスクとかメガネとか」
「……別の意味でより目立つだろう?」
きっと他人を寄せ付けない立ち姿になってしまう。それもそうかと笑ったラビが、ふいにオレの顔をのぞき込んだ。
「ねぇ、リュカ。さっきのことだけど、似てるって何だったんだい?」
「ああ、それは」
口が滑りそうになり、咄嗟に言葉を喉奥に戻す。自ら墓穴を掘るような真似をしでかすところだった。数十分前よりもさらに浮ついてしまっているらしい。
マフラーで朝陽の様に鼻まで隠してからラビを見遣る。そんなオレをじっとみつめた後、こてんと頭をかたむけた。
「……もしかして、オレのこと口説いてた?」
「は?」
「だって、可愛いって言ったじゃないか。すごく驚いたんだけど」
ひくりと喉が引き攣った。
「……お前じゃない。シロクマが可愛いと言ったんだ」
「えー? 絶対に違ったよ」
「違わない!」
そうかなぁ、と全然納得していない声は無視をする。しばらくするとラビも諦めたらしく、二人で遠くからステージの演奏を眺めた。ヴァイオリンとピアノアコーディオンの音色が軽快にクリスマスソングを彩る。耳と目で、この夜が特別なものだと訴えかけてくる。
「もう少し色々と見てまわる?」
「……電車は?」
「すこしくらい遅くなってもいいさ。明日は座学だけだしな」
そう言って、ラビがオレの前に立ち、胸の高さで控えめに両手を差し出した。
「リュカ。デートしようか」
揶揄ってはいないらしい。小さな光が浮かぶ青い双眸は、きらきらと輝いて綺麗だった。ずっと手に持ったままだった箱を鞄にしまい、ラビの手のひらに指の先を置いた。おもったよりも温かい。
「プレッツェルが食べたい」
「お、」
「あとホットチョコレート。あの屋台に甘さ控えめと書いてあった。それを飲みながら歌も聞きたい」
「いいよ。それなら空いている席を探さないとね」
「いや、そこの大通りの先のイルミネーションもすごく綺麗だと聞いた。だから、ラビが疲れていないなら、少し歩きたい」
「もちろん! どこまでも歩くさ!」
満足げなラビが勢いよく前を向いたため、合わせていた手も自然と離れてしまった。名残惜しさよりもワクワクが止まらないといった様子だ。仕方ない。けれど、大股で歩き出すのかと思えば、すぐにその場に立ち止まってしまった。
「でも、オレも、疲れているのに仕事終わりに待たせて悪かった。待ち合わせを持ちかけたのは……あわよくば、こうなればいいなって思ってたんだ」
唇の端を不格好に上げて頬をかく。その仕草が照れている証拠だと知ったのは、恋人になってからだった。ともにメンバーとして過ごし始めた当初は、何か都合の悪い事を誤魔化すために見せるものだと思っていた。見方が変われば世界が変わる。大げさに言えば、音楽と同じく、そういうことだと。
「それだ」
「えっ?」
「かわいいな」
「んんっ?」
あのシロクマそっくりだ。
「えー……末恐ろしいなぁ」
今のは絶対に口説いたよね? という確信めいた問いかけは、歩き出したことを理由にふたたび聞き流しておいた。