アシンメトリー・メモリーズ 1「早川先生〜ここわかんないんですけどぉ」
「ねえ早川先生〜調理実習で作ったクッキーいる?」
目立つ高身長と特徴的な髪型の男に、女子が群がっている。
わんさかわんさか、甘い蜜に釣られた蟻のように。
「今日もすごいね?"早川先生の会"」
「ハア?俺ぁ別に興味ねー」
同級生の吉田に返すのは、ハスキーで気怠げな声。ぞんざいで柄の悪い喋り方に、一人称は俺。麦穂色の髪はボサボサで、短く切っている。瞳は地味な赤っぽい茶色。身体は鶏ガラで胸もろくにない。親が適当に付けたから、名前だって『デンジ』なんて名前だ。
もし女子生徒の制服を着ていなかったら、自分のことを女子高生だなんて思う奴はいないだろう。実際ホームレス時代は、身の危険を考えて男を装い、何年も生活してきたくらいだ。それがまかり通るくらい、デンジには女らしいところが一つもなかった。
だからあの"早川先生"に群がる女たちとは、自分は根本的に違っているのだろう。
あんなにキラキラした眩い存在には、自分はどうしたってなれないし、なりたくもない。
――でもさあ、お前ら。
デンジは姦しい女どもを小さく睨みつけて、ギザギザとした歯で下唇を噛んだ。幼い頃からの癖だ。強いストレスがかかると、血が出るほど唇をぎゅっと噛んでしまう。それを怒ってくれる人は、この世でたった一人だけだ。
――その人はよぉ、俺の『旦那さん』なんだぜ。
すると不意に、美しいタンザナイトの青と目があった。あれは、少し怒っている表情だ。彼はそのまま、自分のうすい唇をトントンと叩いた。唇を噛むなよ、と言っているのだ。
デンジは一瞬で歓喜に満ち溢れた心を隠すように俯いて、逃げるようにその場を去っていく。
「デンジ君は興味ないの?早川先生。格好良いとは思わない?」
「知らね〰︎〰︎」
勝手に後ろを付いてくる吉田が、勝手に話しかけてくる。こいつにもいつも女子が群がっているが、それらには興味がないのだろうか。
――んだよこいつ。アキを格好良いと思わないわけ、ねぇだろ。
デンジは返答を濁しながらも、心の中では毒づいていた。
だってアキは、デンジの恩人で、初恋の人で、たった一人の家族なのだ。
この世で唯一、絶対的に信頼できるひと。
例えその怜悧な美貌がなくたって、そのすらりとした長い手足がなくたって、デンジにとってアキは――アキだけは、特別に格好良いに違いない。
デンジが好きになる男性は、どちらにしろこの世でアキ以外に存在し得なかった。
それに、書類上とはいえ、そして周囲には秘密であるとはいえ――仮にも彼はデンジの『夫』なのである。
――だからいいだろ、アキ。
好きでいるくらい、許してくれよ……。
デンジは心の中で、アキに話しかけた。もう一度、その下唇をぎゅっと噛み締める。
じわりと温かい、鉄の味が広がった。