イルアズ耳障りのいいその声が、好きだと思った。
「イルマ様」
「ん…おはよう、アズ君」
ふわぁ、とあくびをして、入間はベットの中をもぞもぞ動く。頬と擦れ合う感触が心地良いシーツ、身体の疲れを吸い取ってくれるようなマット、真綿に包まれているかのような布団。普段のベッドと引けを取らない心地よさに、吸い込まれそうになる。
入間が「布団から出たくないなぁ…でもアズ君が呼んでるなぁ…」と幸せに悩んでいると、アスモデウスは「失礼します」と布団をめくってきた。
普段なら有り得ない行動に、入間の口から「えっ?」と声が漏れる。
「あっ、いえ、その、イルマ様の眠りを妨げお気を煩わせてしまい申し訳ございません私は部屋の外で待っておりますので」
「あ、アズ君!」
「はいっ」
「大丈夫だよ。今日はお出かけだもんね。そろそろ起きなきゃとは思ってるんだけど、この布団が気持ち良すぎて…」
「有難きお言葉」
アスモデウスは入間の有難い言葉を脳味噌に刻み込んだ。
入間は「うん…うん」と何か決心したように頷いて、えいやーっと上半身を起こした。すかさず脚をベッドから出して、体操選手のように両手をシャキッと上にあげながら布団から抜け出す。
パチパチパチ…とアスモデウスの拍手が朝の澄んだ空気に響いた。
「朝食の支度はできております」
「ありがとう。アズ君は早起きですごいね」
「勿体なきお言葉…」
またも脳味噌に入間の言葉を彫り込んだアスモデウスの目には、歓喜と陶酔以外の感情が浮かんでいて、それに入間は気づいてしまった。
「じゃあ僕は着替えていくね」
「分かりました…」
「自分で着替えられるよ」
アスモデウスは伸ばしかけていた手を途中で止めて、悔しさを滲み出しつつも直立不動で入間の着替えを待った。
「いただきます」
着替えを終えた入間と連れ立って、アスモデウスは食堂に向かった。テーブルには朝食が整然と配膳されており、トーストには均等に焦げ目がついていた。
それを手にとって、さくりと齧りついてからジャムを塗ってもう一口食べ進める。手に取ったトーストを放ったまま、入間の挙動の一つ一つをアスモデウスは真正面から眺めていた。
そんな彼を気にする様子もなく、入間は頬杖をついてニコーッと悪戯っ子のように笑うと、
「アズ君、もしかして、今日のことすっごく楽しみにしてるでしょ」
「エッ!」
アスモデウスはボッ、と顔を赤くした。心なしか頭の双葉もピャッと伸びているような気がするし、手に持ったトーストは端がチリチリ焦げていた。
「あ、あの。その……はい」
(イルマ様にバレてしまった…お恥ずかしい)という恥と、(流石ですイルマ様…!)という崇拝が混ざってオタオタしていたアスモデウスは、観念した逃走犯のようにしゅんとしてうなずいた。
「ふふ、僕も楽しみだよ」
予想通り。アズ君も可愛いところあるよね、と入間は彼の反応に満足気に笑って、トーストの最後の一欠片を口に放り込んだ。
アスモデウスもそれに倣って、狸色になったトーストにかじりついた。焦げたトーストは、苦いのにやたら美味しかった。