安息日求ム!「順位が出たぞ!」
「ああ、赤点じゃありませんように…」
某日、ノーブルベルカレッジの渡り廊下には人集りができていた。先週終わった期末試験の結果が貼り出されたのだ。上から全教科の総合点の高い順に、学年の全生徒の名前が記されている。昔から変わらないやり方だった。上位の顔ぶれもいつも変わらない。そう、いつも…
「待て、フランムが…」
一人の生徒が小さく声を発すると、そこに集った者たちの視線は一斉に貼り紙の上の方に集中した。
「いない!」
「えっ、会長が?」
「本当だ!どこにいるんだ?いつも5位以内には必ず…」
集団の視線がずるずると下りていく。皆、無意識に息を潜めていた。
「…いた」
「嘘だろ…」
「フランム、何か休んでたテストあったっけ?」
「いや、いたよ。体調でも悪かったのか…?」
“Rollo Flamme”──皆が探したその名前は群衆の中に紛れ、隣には似つかわしくない数字が並んでいた。勿論優秀ではあるが、決して飛び抜けてはいない、ごく普通の。集まった生徒たちは目を丸くした。
「初めて見た。彼がこんな成績…」
「信じられない!」
「そう言えばフランムの奴、最近疲れてないか?」
「僕も思ってた。休み時間に席で眠ってるのを見たよ」
「会長が居眠り?まさか」
「そうだ、こないだ体力育成の時、なんか調子悪そうにしててさ…」
「実験でフラスコを落としてたぞ」
生徒達は口々に近頃のロロ・フランムについての噂話を始めた。ストイックで思慮深く成績優秀、魔力も豊富でイマジネーションの力も強い、ノーブルベルカレッジの生徒会長。ロロ・フランムは生徒たちの憧れの的だ。そんな彼が──
「一体どうしたんだ…?」
===
「フランム君、ちょっと」
放課後、クラス担任の教師に呼び出されたロロ・フランムは覚悟を決めていた。自分でもよく分かっている。成績のことだ。決して叱られるような成績では無いが、あの落差だ。先生に心配されるのも尤もだ。でも本当のことは何も言えない。
「分かっています。成績が…。申し訳ありません」
「結果のことは君が一番ショックだろうから、それは構わない。まあ、優秀な成績であることに変わりは無いからね。取りこぼした問題も君ならきちんと復習してくれるだろう」
先生の優しさがかえって心にチクチクと突き刺さる。そろそろ本題に入るだろう。ロロは唇をきゅっと噛み締めて、次の言葉を待った。
「ただ、私は心配しているんだよ。成績もそうだが…授業中も、以前より身が入っていないように思えてね。君が居眠りをするなんて、以前はなかっただろう。何か…悩みでもあるんじゃないかと思って。それで話をしたかったんだ。君は生徒会長という立場だから、同級生にも言えないこともあるだろう。一人で抱え込んでるんじゃないかと心配なんだよ。私でよければ相談に乗るし、サポートもしてあげたいと思っている。もちろん、このことは誰にも言わないから安心して欲しい。今日はそのために時間を取ったから、ここで話をしていかないか」
言えない──。ありがとうございます、先生。お心遣いに心から感謝します。でも、申し訳ありません。本当に言えません。ロロは静かに深く息を吸い、徐に瞬く。頭の中で次に発すべき正しい言葉を考えていた。感謝の言葉だけでも述べるべきだったが、動揺していてそれすらも出てこなかった。
「あの…大丈夫なんです。私は…」
…言えるはずがない。毎晩毎晩、実の弟に抱かれていて、それで勉学に支障が出ているなどと。ひどい時には揺さぶられている最中に空が明るんできたりもするのです。あいつは邪な欲求の衝動にめっぽう弱く、体力だけは有り余っているのです。きっと授業中に夢を見ているに違いない…。おかげで私は、腰は重いし尻はひりひり痛むし、無理な姿勢のせいで体の節々が痛んで、特に朝は歩くのも声を出すのも億劫で…。 心の中でつらつらと“思い当たる節”を並べてみたが、一言一句、当然に却下されて飲み込まれた。
「ご心配ありがとうございます。…悩みは、特にありません」
「そうかい。しかしね、例えばストレスがかかっていても、自分で気が付かないことも少なくない。心が気付く前に、体が不調になってSOSサインを出すものだ。自分では思いもよらないことが原因になっていたりもするから、何かこの秋から変わったこととか…」
弟です。間違いなく。あの日弟に純潔を奪われてから、それから…ああ、なんということか、私は夜毎淫行に耽っているのだ。廉潔清純のノーブルベルカレッジの生徒会長が聞いて呆れる。なんてざまだ。でも、たとえ禁断の契りを交わしても、強い心があれば封じ込めることができるはずだ。学業が疎かになって先生に心配をかけるなど、私はまだ弱かったということだ。私は仮面をつけて、これまで通りの私を演じ切るつもりだった。それがこんなことになっては…。
「ええ、しかし、特にストレスになるようなことはありませんし…体調も、普通ですよ。いつも通りです」
微笑を浮かべて見せたが、我ながら嘘が下手だとロロは思った。
「うむ…実は体力育成の先生からも、少し話は聞いているのだけどね。きみ、夜はちゃんと眠れているのか?」
「ええ、まあ…。日付が変わる頃には眠るようにしています」
老婆心に対して塗り固めた嘘を返す無意味な応酬が続いた。ロロは早くこの尋問から解放されることを祈るばかりだった。話す気は無いらしいと察した先生は、これ以上踏み込もうとするのを諦めたが、最後に保健医や学外の公的な相談窓口を紹介してくれた。
「では、まあ、無理はせずに。いつでも頼ってくれて構わないからね」
「ありがとうございます、先生」
ロロは苦しい笑みを浮かべ、教室を後にした。
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ひどく気まずい空気だった教室を出て中庭を歩いていると、ロロは生徒会の副会長と補佐に出会した。ふたりは彼を見るなり走り寄ってきた。
「会長!大丈夫ですか!?」
「ご病気だって聞いたんですけど…」
早くも噂が独り歩きしているらしかった。
「病気ではない。安心したまえ」
「うーん、でも最近確かにあまりお元気じゃなさそうだって、なんとなく思ってて…」
「今日の生徒会業務、どうします?内容的には来週でも問題ないと思いますけど」
「ロロ会長、お休みになったほうがいいですよ!」
「いや、私は何も問題ないのだが…」
言い出したら聞かない者たちだ。今日はきっとこのまま私を寮の自室に押し込むだろう。病気では無いが少し疲れている、それくらいに思っておいてくれるのならば、わざわざ嘘の理由を連ねて否定する必要も無いと思い、ロロは二人に流されることにした。
すると背後から、ぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。件の男である。
「あ、ジャン君…」
「お兄さま!ふたりも、こんにちは。これから生徒会の仕事?」
「いや、今日は流会だ」
「ジャン君、ちょうど良かった。ロロ会長、少し調子が良くないみたいだから、しばらくゆっくり過ごしてもらいたいと思ってるんだ。部屋まで送ってもらえるかな」
「えっ、お兄さま、病気なの!?大丈夫!?」
「違う、お前な……」
一体誰のせいだと…いや、お前を律せず、勉学に支障をきたしたのは私だ。今日は話し合いをせねばなるまい。
二人と別れ、ロロは弟と一緒に自室へ向かった。何も知らない弟はきっと部屋に入った途端求めてくるだろう。今日は、いや、当面は我慢させる。数字となって明るみに出てしまった以上、これはなんとかせねばなるまい。第一、弟のためにもならない。ロロは決意を固め、今日こそは弟を甘やかさず、絶対に流されない、と心に誓った。
人通りのない廊下で己の腰に回された手に、ロロは本能的に甘い悦びを覚えたが、強い理性によってそれを封じた。今日はしない。今日こそは、しない!絶対に!
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それから一週間後。ロロが生徒会室にて執務を行っていると、補佐が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「会長、ジャン君が…!」
「なんだ、弟がどうしたのかね?」
「……なんだかすごく落ち込んでます………」
副会長はその報告が少し面白かったが、笑って良いものか判断できず、会長の顔色を伺った。会長は片手で目を覆い、はぁ…と長く溜息をついていた。
「……だいたい見当はつく。これは私達の問題ゆえ、私達で解決しよう。今後は決して周りを巻き込まぬように…これは自戒も込めて…心配をかけてすまないね。少し席を外す。弟はどこにいたのかね…」