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    si_3354

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    術式×ドルパロの五悠
    6月の新刊サンプルです。
    後日部数アンケいたしますので、ご協力お願いいたします。



    二十八年間、この世界ーー呪術界に生まれ生きて分かったことは、呪術界はクソだということ。良いところを探せられないような世界だということだ。
    そもそも呪術界を牽引すべき上が腐敗しているのだ。影響されるように界隈がそうなっても仕方がない。お偉い方は保守派であり自身の身を最優先、私利私欲を追求することしか頭になく、その下に着く者たちは当たり前だが感化され腐敗を助長していく。
    負を繰り返すだけの呪術界に見切りをつける者は多い。特に一般家庭から呪術師になった者は顕著だ。普通の家庭で普通を享受してきた者たちには、この呪術界は異質であり信じ難い。
    生まれた時から呪術界の中心にいる五条悟でさえ、家の連中や上層部には辟易しているのだから、一般家庭出身者が腐らずやっていくにはそれなりに精神がイカれていないとまず無理だろう。もしくは強過ぎる信念がなければ無理。
    五条は何度離反してやろうと思ったか分からないし、実際、本気で全てを投げ捨てて一般人を皆殺しにしようと思ったこともある。呪術界をめちゃくちゃにしてやろうと頭を過った。非術師だってどうでも良い。
    だが、結局すんでのところで思い止まれたのは、自分一人の力の弱さを痛感してしまった事件が起きたからだ。
    五条悟は自他共に認める特別な存在だ。生を受けた瞬間に呪術界に激震を走らせた男だ。その強さは他の追随を許さない。……だが、それでも、『一人の強さ』は弱いと知った。
    一人が強いだけでは成し得ないことが多いと知った。
    そして、腐敗する呪術界を嘆き辟易しているだけの傍観者では、何も変わらないとようやく知った。
    自分は、『今』を変えたいのだと知った。
    五条はその事件後、丸一日考え、未来に希望を信じることにしたのだ。
    皆殺しにするだけなら充分一人で事足りる。腐った上層部をすげ替えることだって簡単だ。呪術界を恐怖政治で治めることも出来る。
    だが、そういうことではないのだ。
    自分だけが強いのでは意味がない。自分の思惑だけで力技を行使するのでは、ある意味今の上層部と変わらない。
    呪術界で生まれ育った五条は、呪術界自体を変えなければ話にならないと思い至った。そしてそれは、自分一人では絶対に出来ないことだ。
    五条は同じく特級呪術師である夏油傑へと宣言する。
    「傑、お前も手伝えよ。俺だけじゃ出来ねえんだから」
    この時、五条は知らなかったが、件の事件をキッカケに夏油は大きな心の痛みを受け相当堕ちていた。元々綺麗事を信念にしているような男だったからこそ、一般家庭出身だったからこそ、五条以上に堕ちており、心の深い部分で離反を決めていた。だが、五条の強い宣言に、絶対的な強者に、親友に、自分を求められたことに、夏油はその深い部分に仮留めをしたのだ。もう少しだけ、自分の心を見て見ぬフリをしようと。
    そんなことは知らない五条は、意志の強い瞳を夏油へと向けた。
    「そうだね。悟一人じゃ何も出来ないもんね。お坊ちゃんだし」
    「何も出来ねえことはねえよ」
    「とりあえず口調改めたら?」
    「クソが」
    この日を境に、特級呪術師の二人は生き方を変えたのだった。

    月日は流れ十年。
    五条と夏油の努力もあって、後進たちは順調に育っていた。仲間思いであり、人の痛みが分かる子どもたちだ。五条たちが言わずとも、呪術界の在り方に疑問を持ち、自分たちの考えで動ける賢さもある。もちろんその実力だって五条たちを驚かせることもあった。
    順調に、五条たちが希望を持った後進が育っていた。
    それでも、上の殆どが腐敗している世界に、時折全てを投げ出したくなる時もある。
    特に夏油はすごかった。
    「ねえ悟、いつ離反する?」
    「しねえよ」
    「この前の猿共なんて最悪だったよ。自分たちが正しいと信じ切って、小さな子どもたちを牢に繋いでいたんだ」
    「あ〜この前言ってたやつね。傑がパパになった」
    「パパじゃない。もう皆殺しで良いんじゃないかと本気で思うよね」
    「まあ思わなくもないけど」
    夏油は任務を熟していくうちに、非術師を猿と蔑むようになった。ここ最近の口癖は「猿が」「いつ離反する?」だ。特級として重い任務や人の嫌な部分と接することが多いせいで、学生時代の正論や綺麗事はサッパリと消え去っている。
    それでも、内に溜め込まず吐き出してはいるし、たまにストレス発散かと思う程に呪詛師や呪霊を痛ぶることもあるので、一人フラッと突然呪詛師に堕ちることはないかなとは思っている五条だ。
    「悟だって毎回上層部に呼び出されてストレス溜めてるじゃないか。皆殺しにしちゃえば?」
    「そりゃあ皆殺しは簡単だけどさ〜。それじゃ上の奴らと変わんないじゃん。長い目で見ようねって約束したでしょ」
    「私今を全力で生きるタイプだから」
    五条の場合、相手は呪霊や呪詛師だけではない。御三家の一つである五条家の当主もしており、他の当主とは違う信念を持っていることで当たりは強いし呼び出されることも多い。そして答えの出ない無意味な話し合いを散々させられるのだ。
    「離反する時は一緒だからね悟。抜け駆けはダメだからね」
    「しね〜よ〜」
    今日も夏油からの離反誘いを無視し、二人は分かれた。
    夏油は今から任務で北海道らしい。北海道の寒さで少しは怒りを鎮めてもらえれば良いと、苛立つその背中を見送ってから五条も久しぶりの自室へ向かった。
    日本のあちこちを飛び回り、七日ぶりの我が家だ。
    時間は早朝を迎えており、一睡もしていない体に朝日を浴びたくなくカーテンを閉じる。
    目的もなく付けたテレビではバラエティー情報番組が流れてきた。
    ちょうど若手アイドルが新曲を披露するところだった。見たこともない子だが、全国放送に出られるということは事務所から推されているのか、五条が知らないだけで人気があるのか。世情に疎い五条には分からなかった。
    ピンクブラウンの短髪に、心から笑っていると思えるような満面の笑顔が映る。よく男性アイドルで見る可愛い顔立ちや綺麗な顔立ちではなく、どちらかというと戦隊モノに出ていそうな活発なイメージの子。衣装もキラキラしてはいるが派手さはない。きっと私服で街にいたら溶け込んでしまうだろう。
    五条はアイドルに詳しくはないし興味を持ったこともないが、休憩を欲していた体はチャンネルを変える気も起きずテレビを観るしかなかった。
    ソファーに座って、今日の予定を脳内で確認しながら画面をただ視界に映す。
    だけど、彼の歌とダンスが始まった瞬間、五条の脳内は真っ白になる。
    動きが早くキレのあるダンス、なのに一つも息切れをしない生歌。伸びがあり聞き感触の良い声音。カメラに向ける笑顔。
    素人が見ても『本物だ』と思えるようなパフォーマンスだった。
    パフォーマンスを終えたアイドルは、アナウンサーから新曲の告知をどうぞと言われる。カメラがグッと寄った。その顔にはやはり汗も息切れもない。
    意志の強そうな瞳が真っ直ぐと五条を見つめた。
    『熱中症に気を付けてな! 頑張り過ぎないでね』
    彼はニカッと笑って手を振った。
    CMに進む前に辛うじて聞こえたのは『虎杖くん告知しないと!』と焦る声に『わはは!』という馬鹿笑い。
    新曲の告知をすべきところを、酷暑で警戒宣言が出ている今日を案じて伝えたらしい。
    きっと偉い人に怒られるだろうに、お人好しなのだろうか。
    五条はCMに変わりニュースに変わっていくテレビを見続けながら呟く。
    「虎杖、悠仁」
    彼の名前を呟く。脳内で再生されるのは、今日の予定ではなくつい先ほど見たばかりのパフォーマンスだった。そして最後の一言。
    真っ直ぐと自分を見つめる虎杖悠仁と、労りの言葉。
    五条の胸がムズムズし出す。
    気付かないうちにスマホでは彼の検索をし、画面いっぱいに色んな表情を見せる彼が映し出される。どの表情も視線を奪われてしまいそうになる。
    「虎杖悠仁……」
    名前を呟く度に、胸の奥がうるさくなる。
    五条は初めての不思議な感覚に首を傾げつつも、スマホの画像を一つ一つ保存していた。

    ♦︎

    虎杖悠仁を認知してから早一ヶ月。
    五条は自身の行動にやはり首を傾げていた。
    任務や当主業、教師を熟しながら夏油からの「離反」勧誘を躱す日々を過ごしていた。殆ど休みはなく常に何かを考えているような生活はこの数年間でもう慣れた。多忙の中でも、生徒たちをしごいたり人の顔を見ると回れ右をする後輩にウザ絡みしたり、上層部の小言を受け流したりと、いつもと変わらない日常だったのだ。
    なのに、五条は自身の行動に首を傾げていた。
    理由は分かる。
    スマホの写真フォルダに大量に保存された写真。テレビ画面を撮影した動画。首元には人生で一度も付けたことのなかったネックレス。自室の壁に貼られた特大ポスター。同じ種類が三つずつあるCD。
    気付けば自分の持ち物、部屋、そして自身の体に、『虎杖悠仁』がたくさんいたのである。
    何故こんなにも虎杖に染まっているのか、五条は首を傾げるしかない。
    「え〜?」
    五条の自室、五条の目の前には虎杖悠仁がいる。……いや、虎杖悠仁の等身大パネルがいる。
    ライブの時とは全く違い、ラフな格好でこちらに手を差し伸べてくれる虎杖悠仁だ。その顔は目を細めてくしゃっとした笑顔で、五条をどこかへ連れ出そうとしているようだった。
    パネルの虎杖と見つめ合うこと数分。五条は堪らず、吐き出すように「可愛いな……」と漏らす。
    「可愛いな。なんだこの笑顔。こんな嬉しそうにされるとどこでも連れて行きたくなる」
    虎杖を連れて行く。自分の発した言葉に口元が緩みそうになる。
    「いや、悠仁が僕を連れてってくれるのでも良いけど。でもやっぱ、連れて行きたいかな。僕ならどこにでも連れて行けるし」
    虎杖はアウトドア派で体を動かすことが大好きだから、キャンプや遊園地、大人向けアスレチックに連れて行けばきっと喜ぶはずだ。そのままピクニックをしても良い。お弁当は一緒に作りたい。重箱にぎっしり詰めて食べさせ合うのだ。
    「悟さんありがと」と、全力で楽しむだろう虎杖に、五条はデレデレに鼻の下を伸ばしながらパネルの手に自身のそれを当てた。ーーと同時に、「悟」と扉は開いたのである。
    「……悟?」
    「……何?」
    どうやら鍵を閉め忘れたらしい。
    ノックも声掛けもなく突然開かれた扉には夏油。
    ドアノブを持ったまま引いたような声で名前を呼ばれる理由はよく分かる。親友が等身大パネルと手を繋ぎながら「可愛い」と鼻の下を伸ばしているのだ。誰だって驚き、若干引いてしまうだろう。
    しかもパネルだけではない。この室内には特大ポスターも貼られ、クッションやぬいぐるみなど至る所にグッズも置かれている。
    どこからどう見ても、誰が見ても、男性アイドルのファンだと分かる部屋だ。
    五条だってもしアイドルオタク全開なこの部屋を見たら、黙ってしまうだろう。本気過ぎて揶揄うことなんて出来ない。
    だが、夏油は引いた声を出しただけで、黙ることはしなかった。
    むしろ何故か目を逸らして謝られた。普段は「ごめんごめん(笑)」と嗤いながら不遜に謝ることしかしない男から、初めて本気のトーンの謝罪を聞いた。
    「いや何で謝んの」
    「見られたくないところを見てしまった。すまん。悪気があったわけじゃないから。次からはきちんとノックをするよ。普段悟がノックもせずに私の部屋に入って来るからとやり返すような真似をすべきではなかった」
    「待って別に見られたくないとかないから。なんかその言い方だと僕が恥ずかしがってるみたいじゃんやめてよ」
    笑われたらキレると思うが、謝られると余計にキレそうになる。
    ノックもなしに入って来たことは謝られても良いが、この部屋を見て謝られることは違う。
    アイドルグッズを集めていることも、一人でデレデレ鼻の下を伸ばしていることも恥と思っていない。むしろ「見ろ!」と言いたいくらいだ。
    五条にとって虎杖悠仁を身の近くに置くことは精神安定剤になっている。上層部に小言を言われても自分には虎杖悠仁がいるしなと思えるし、休みなく日本中飛び回ることになっても今後虎杖悠仁を連れて行く下見を兼ねられるから嫌になることもなかった。
    虎杖悠仁一色になっている自分に首を傾げておいて、本当はしっかりと理由が分かっている五条である。
    「恥ずかしくないの?」
    「んなわけあるかよ。僕の精神安定剤だぞ」
    「ふーん。悟がアイドルにハマってたなんて知らなかったよ」
    夏油は先ほどまでの引いた表情を引っ込め、物珍しそうに室内を見渡した。途中クッションに手を伸ばされそうになったのでその手を払う。自分以外には触られたくない。例え世界一綺麗だったとしてもダメ。
    「ハマってるとか言わないで。そこら辺のファンとは違うから」
    「どう違うの? 普通にファンだろ」
    「違うよ。そんな軽い感じじゃない」
    「重さは関係ないでしょ。熱狂的なファンだって言えば良いの?」
    「だからファンて止めろよ。なんか、ちょっとニュアンスが違う」
    ファンだがファンではない。支持しているわけでも愛好しているわけでもないのだ。
    虎杖悠仁は五条にとっての精神安定剤。
    「いやファンだよ」
    だが夏油にはうまく伝わらず「ファン」を連呼される。それが煩くて「もう良いよ!」と折れるしかなかった。
    「ファンだよファン!」
    「うん。私も見たことあるな。結構人気だよね」
    「結構とかじゃなくてすげえ人気だから。悠仁が出すCDいつも売り上げ一位だし。ノリが良いからバラエティーにもよく呼ばれてるし。スキャンダルも一切ないんだから有り難い。もし女とデートしてる写真とか出て来たら多分その女ぶっ潰してる」
    「ふーん」
    「ライブも最高。ファンサがヤバい。まだ生で行けてないけど、ライブのDVDはどれも神だった。特典映像とかはすげえぞ」
    「へえー」
    「笑顔とか最高だろ。このパネルは一番のお気に入り。どう?」
    「悟がキモいなって思った」
    「僕のことはどうでも良いんだよ! 悠仁だよ悠仁!」
    五条はパネルの虎杖を抱き締めながら、スンとした表情を浮かべる夏油へと虎杖の魅力を力説する。
    だが、「ふーん」で終わりだ。興味がないことは知っているが、お友達が話すことくらい表面的だけでも興味を見せろと思った。
    「嘘でしょ? 傑、お前人の心がないわけ? こんだけ悠仁の良さ聞いても動かされないの?」
    「まあ、猿だし」
    「猿じゃねえよ」
    「非術師だし」
    「それはそう。でも天使だぞ? この笑顔見ても何とも思えないとか感性死んでんじゃん」
    パネルの虎杖に視線を戻すが、くしゃっとした笑顔が自分を見つめていてドキッとした。心臓を抑えながら「可愛くない?」と同意を求める。
    だが、実際に「可愛いね」と投げやりに同意されてイラっとした。
    今まで虎杖について誰かと話したことがなかったので知らなかったが、どうやら自分は他人と共有するのが嫌いらしい。
    五条は片手を突き出す。
    「やっぱ感性死んだままで良いや。僕以外が僕の悠仁褒めると腹立つ」
    「うわめんどくさ。そういうのって同担拒否? って言うんでしょ? あと君のではないだろ」
    「煩い。僕の悠仁だし。傑は僕の話に良かったねだけ言ってくれれば良いから」
    「良かったね」
    「で、何しに来たの?」
    「明日の任務のことで来たんだけど吹っ飛んじゃったよ。アイドルの面倒臭いオタクになってたことが衝撃で」
    「任務はどうでも良いけど、面倒臭いオタクって言わないで」
    自分はオタクでもファンでもないと五条は思っている。そんな簡単な、ありふれた言葉で片付けられる感情ではないのだ。
    だが、夏油にはこの五条の感情を理解出来ない。猿か使える猿か猿じゃないかの三択でしか人を見られないのだから仕方ないが、もどかしさに地団駄を踏みたくなる。
    「今時のアイドルってパネルとかもグッズにしてるんだね」
    「グッズじゃねえよ。作った」
    「は?」
    「作った」
    夏油が若干感心したようにパネルを見るので、五条ははっきりと否定する。
    イベントや音楽ショップにパネルが置かれることはあるが、それをグッズとして販売するところはない。五条自身、虎杖のグッズを探している中ではなかった。ただ等身大のポスターを見つけた時に、壁に貼るよりも移動出来たら良いと思ったのだ。
    テレビを見ている時はソファーに、眠る時はベッドに、部屋を出る時は出迎えてもらいたいから扉の前に、場合によって移動させたかった。
    深夜、砂嵐のテレビ画面を見ながら、五条は等身大パネルの作製に走ったのである。
    「写真は特に気に入ってるのにした。全部最高過ぎて迷いまくったけどね。でもこれ、デートしてるみたいじゃない? いっつも僕にデート行こって言ってくるんだよね」
    「クソオタクじゃないか。勝手に写真使って勝手にグッズ作って」
    「そんなことないし。個人で楽しむだけだし」
    ちなみにオリジナルグッズはパネルだけではない。一緒に寝られるように等身大の抱き枕も作ったし、虎杖の写真をプリントしたTシャツも作った。ここ最近の術服の下もパジャマも部屋着全てそれだ。もちろん今の術服の下もそう。満面の笑みの虎杖と、『悟さんはえらい!』と吹き出し文字が描かれている。他にも『悟さん好きだよ』や『俺のためにありがと』などのパターンもあり、疲れた時やストレスが溜まった時には大いに役立っている。
    だが、そこまで夏油に伝えてはまた引いた顔と腹立つ言葉を掛けられるだろう。
    五条は「ちゃんとルールは守ってるから」とだけ続けた。
    「個人で楽しむ範囲なら使って良いって書いてあったもん」
    「あっそう。というか、私ほどではなくても悟だって人に興味はなかったのに、急にそんなハマれるもんなんだな」
    「ま〜ね〜。今も他人に興味はないけど、悠仁は別」
    「そんなハマるほど何があったわけ? 普通に人気のアイドルじゃないの?」
    「正直僕だってハマるつもりはなかったんだよね」
    一ヶ月前は虎杖悠仁を知りもしなかった。その歌は街中やCMで何となく聞いたことはあっても、誰が歌っているかの興味もなく曲名も歌詞も知らなかった。
    だが、あの日。疲労もストレスも溜まりまくった早朝。
    今まで一度も言われたことがなかった労りの言葉を、真っ直ぐ見つめられながら言われた時、五条の視界が急に晴れたのだ。
    「あれで落ちちゃったんだよな。あんな本気の、キラキラした目で心配されたら誰だって落ちる。この最強の僕を心配してくれるとか悠仁ってすごいよね」
    「それって全国の皆さんに言ったやつだろ。えそれを自分にって勘違いしてファンになったの? 怖」
    「はあー? そこには僕しかいなかったんだから僕に言っただろ」
    「そりゃあ君の部屋なんだから君しかいないだろ。でも全国放送だからテレビの前には何万人て見てたでしょ。こうやって勘違いしてくんだね〜」
    「腹立つ〜。お前だって悠仁にあんな風に言われたら絶対落ちるから。それはそれでクソ腹立つな」
    本当なら新曲のお知らせをすべきところだったのに、働き詰めの五条を優先して労りの言葉をくれたのだ。
    今まで、最強で何でも出来る五条を心配し労わる者はいなかった。畏怖や媚び、絶対的強者としての意識を向けられるだけだ。
    心に響くに決まっている。
    「それで落ちて、虎杖悠仁のファンになったのか。チョロ過ぎて不安になるよ」
    「チョロくないし。悠仁だから落ちたの。それに悠仁を知れば知るほど沼だよ。良い子で明るくて優しくて歌もダンスも上手で気遣いも出来て」
    「そこまで聞いてない」
    「聞けよ」
    「ごめん本当に興味ない」
    散々聞いてきたくせに夏油は手のひらを返したように冷たい反応を見せる。
    今すぐにでも帰りそうな雰囲気に、五条はいつの間にかその腕を掴んでいた。
    夏油の反応には腹立つものが多くこの数分で何度もブン殴ろうと思ったが、初めて虎杖のことを人に話せて若干気持ちが上がっていたのだ。推しを語りたい、という気持ちかもしれない。共感はされたくないが話したい。
    五条は帰りそうな夏油を捕まえて、「聞いてよ」と無理やり聞かせていた。
    「本当に悠仁ってすごいんだって。元気っ子って感じなのに歌とかめちゃくちゃ上手いしバラードもいけんの。見た目からじゃ想像出来ないのにハイトーンとか出せんだよ? それにね、SNSでもファンサがえぐい。たまに答えてくれるんだよ。こういう写真見たいって呟けば投稿してくれんの。この前初めて僕の呟き反応してもらえたんだよ? すごくね? やっぱ僕って持ってるよね〜。自慢させてよ」
    虎杖のSNSは全てフォローしており、数十分ごとに確認している。その中で自身の何気ない日常を気軽に呟けるそこでは、ファンの呟きをたまに拾ってくれることがあった。
    『悠仁のおすすめの筋トレ教えて』『悠仁のバク転見たい』『悠仁の浴衣姿見たい』などなどなど、日々多くの虎杖への願望が発信されている中、虎杖はたまに拾って応えてくれるのだ。
    五条は数分ごとに虎杖のことを呟いており、つい最近、初めて拾ってもらえた。
    『全身黒コーデの悠仁が見たい』という願望に対し、虎杖は見事応えてくれた。
    黒のシャツに黒のチノパン、黒のシューズを身に、ピースをして笑う写真が投稿された。五条のテンションは最大限に上がりたくさんのお礼と感想を呟きまくった。周りからは『意味不』『ゆじぴのイメージカラーじゃないだろ』とのコメントを寄越されたが全部無視した。
    「これ、この写真。めっちゃカッコよくない? 僕のに反応してくれたやつ」
    「思ったよりも普通の呟きだね。クソオタならもっとキツイお願い言ってると思った」
    「クソオタはいるよ〜。オナニー見せてとかオカズ何使ってるか教えてとかおっぱい見せてとか。もちろんそいつらは片っ端から報告してるけど」
    「悟ならもっとキツイお願い言ってると思ったって思ったんだよ」
    「僕? そりゃあ色んな悠仁が見たいけど、全国に発信されんじゃん。下手なこと言えないし、クソと同レベにはなりたくない。マジで頭おかしい奴いるからね」
    五条だって色々な虎杖を見たいし欲望ガンガンに呟きたいが、まず虎杖に邪なそれを見せたくない。視界を汚したくない。いや、一応欲望ガンガンのアカウントは持っているが、非公開にしており自分しか見られないようにしている。全国発信するキモオタとは違う。
    とにかく虎杖の属性からかそのファンたちもマナーやルールを守れる良識人が多いが、たまにクソみたいな奴もいるのだ。
    純粋に応援している側からしたら腹立たしいことこの上ない。
    「まあそうだね。最近のネットリテラシーは低いって聞くし。それを媒体にした呪霊が出たらしいしね」
    「ネット関連での問題とか事件多いからね〜。出てもおかしくはないよね」
    「で、なんで黒服希望したの?」
    今夜もSNSパトロールをしなければと心に決めていれば、夏油がその他と同じことを聞いてきた。同じ呪術師のくせに妄想力が低いらしい。
    五条はニコッと微笑んで教えてやる。
    「黒だと呪術師みたいじゃん」
    「は?」
    肩を組んでいた夏油が上体を引いて眉を顰めた。
    今日で何回同じ顔をするんだろうと思った。
    「悠仁って二十歳だから高専生にはなれないけどさ、黒一色だと術服みたいだし、同僚になった気分味わえるじゃん。悠仁と同じ職場とか緊張しちゃって仕事に身が入んなくなっちゃうけど、楽しそうだよね〜」
    「マジか」
    「アイドルの悠仁も最高だけど、同僚の悠仁はどんな感じかな? めっちゃ肉弾戦強そうじゃない?」
    「マジか」
    「そうなんだよ」
    虎杖は一般人にしてはすごく身体能力が高く身のこなしが違う。もしかしたら呪力なしのタイマンであればそこらの呪術師にも勝てるかもしれない。虎杖が呪術師だったら、きっと肉弾戦を得意とする呪術師になるだろう。身ひとつで戦う様は最高にカッコ良い。
    「悠仁って身の回りに頓着ないから多分高専住みになると思うんだよね。そしたら実質同棲じゃん。おはようからおやすみまで一緒とか、やばすげえ緊張する」
    五条がもしも虎杖が同僚だったらと妄想していれば、夏油は腕を外してひと一人分の距離を取った。
    「なによ」
    「いや、ちょっと貴方と知り合いだって勘違いされたくないので」
    「ここに誰もいないだろ。誰が勘違いすんだよ。つーかいきなり距離取るのやめて寂しいじゃん」
    「すみません」
    「敬語使うなよ。変なことしてないでしょ」
    「妄想が怖いです」
    「オタクは妄想する生き物なんだよ」
    「ちょっと分かりません」
    「傑だってハマれば分かるよ。もうね、毎日がハッピーなんだから」
    五条は夏油の反応をとりあえず無視することにし、どれだけ推しがいると世界が違うかを話し出す。
    「すごいのよ。悠仁を見ると楽しくて幸せでさ、歌聴くと元気出るしダンス見ると興奮するし、グッズ集めてる時とかも楽しくて。あぁ悠仁がいる世界を僕は守ってるんだなって誇らしくなるんだよ」
    どれだけ離反し、上層部を力づくですげ替えてやろうと思ったことか。古い風習に囚われ、術式が全てだと信じ切り、未だ男尊女卑が蔓延る世界に見切りをつけようと思った。
    どこまでも堕ちてしまった方が絶対にストレスがない。
    蜘蛛の糸ほどの細さの上を歩いているようなものだった。ほんの少しバランスを崩せば堕ちる。常人であれば一瞬で堕ちてしまうような危うい場所にいた五条だったが、自身が最強であるが故に堕ちたいのに堕ちられずにいた。未来に希望を見て、地道に進むしかなかった。
    だが、虎杖と出会い、ファンとなった今はその願望は一ミリもない。むしろ呪術師として呪霊を祓い、世界を守るということは虎杖の世界を守っていることと同義だと気付いた。
    それは誇らしく、やりがいを感じることだった。仕事に対するモチベーションは変わった。
    人生で初めて呪術師で良かったと思った。
    「傑も離反がどうとか猿がどうとか子どもみたいなこと言ってないでさ、この素晴らしい世界を守ろうよ。ね? 僕たち最強じゃん? 悠仁が笑って過ごせるように尽力しよ」
    「ここ最近で一番ウザいんだけど」
    「ひど〜い」
    「散々上を皆殺しにするとか言ってたくせに」
    「だって悠仁に出会っちゃったんだもん。悠仁がいるのに後ろめたいこと出来ないよ。もちろん悠仁が皆殺しにしてって言うならするけど。でも僕の悠仁はそういうこと言わないだろうしね。はは、僕悠仁のことよく分かってる〜」
    五条が虎杖と出会ったことで日々が楽しく世界が輝いていることを力説していれば、夏油は無表情で「ひとつだけ言いたいんだけど」と遮ってくる。
    「なに?」
    「悟と虎杖悠仁は出会っていないから」
    「……はあ?」
    「まず君は彼に認識さえされてないから。君という存在が存在していることさえ知らないから。例えSNS上でイキっていたとしてもその他大勢のクソキモオタと変わんないから。むしろ僕の悠仁とか言って頭おかしい妄想野郎としてマイナス印象だから」
    「はあ? 意味分かんないんだけど」
    「クソキモオタ」
    「はあ〜? 悠仁は僕のこと認識してくれてるし。自分が底辺にいるからって僻むなよ」
    「妄想イカれ野郎」
    「お前表出ろや」
    「望むところだね。その腐った頭を正常に戻してあげる」
    五条と夏油は高専のグラウンドへ移動し、思う存分呪い合った。
    術式体術全て用いてのその激しいやり合いに、途中で事態に気付き駆け付けた夜蛾を含めた呪術師が必死に止めに入ってきた。
    だが、特級同士の喧嘩。いくらキッカケがくだらなかったとしても、その中に入り込むことは死と同義。周囲は大声で制止をするしかない。
    誰もが何も出来ず特級同士のそれを見ているだけだった。
    その時だ。
    突然「虎杖悠仁がSNS更新したぞ。しかも写真付き」と聞こえたのだ。それは大きな声ではなく、むしろ小さな、真隣へ声を掛けるくらいの声量だった。
    それでも、五条の耳にはハッキリと届く。先ほどまで一切耳に入れなかったのに。
    「えマジ?」
    五条は夏油への攻撃をやめて急いでスマホを確認する。アプリを立ち上げれば確かに虎杖のアカウントは更新されており、一枚の写真があった。
    「えーめちゃくちゃ可愛い〜」
    思わず片手で口元を抑える。
    『今から撮影!』と楽屋の前でピースしている虎杖だ。五条は堪らず保存し、写真を拡大してはその笑顔を見つめる。『撮影頑張ってください♡』とコメントを残した。
    その間、夏油は五条へと無下限に向かって攻撃をしていたが、先ほどと同じくらいの声量で「双子ちゃんが寂しがってたぞ」と聞こえればそれも止まる。
    五条の頭にはもう夏油とのやり取りは消え去り、「可愛い〜」と虎杖に夢中。夏油もいつの間にかその場からいなくなっていた。
    「硝子? 今のはなんだ」
    五条と夏油の手も足も止めさせた言葉は家入から発せられていた。
    どうしても止まらなかった二人をたった一言で終わらせたその言葉に、問うた夜蛾だけでなく周囲の呪術師も聞き耳を立てた。
    「あのバカ共がハマってる子」
    それだけ答えると、家入は気怠げに来た道を戻って行った。



    五条が虎杖悠仁を推してから三ヶ月が経った。
    この三ヶ月、任務を熟しながら虎杖のSNSを回り、上層部の相手をしながら虎杖の曲を脳内再生し、生徒たちを扱き育みながら虎杖のことを考える毎日だ。
    この前は夏油を無理やり誘って、CDショップへ行った。そこでは虎杖とツーショットが撮れる等身大パネルが置いてあるので、写真を撮ってもらおうと誘ったのだ。「撮影係としてついて来てよ。今度の任務変わってあげるから」と言えば快くついて来てくれた。珍しいと思っていれば、ちょうど引き取った双子と遊園地に行く予定だったが、任務と被ってどう自分に押し付けようか考えていたところらしい。お互いの利害が一致し、二人でCDショップに行って、若い女の子たちに負けず写真を撮りまくった。虎杖とツーショットを撮れるなんて最高過ぎる。しかも衣装は珍しくキラキラのアイドル衣装。眩し過ぎて六眼が潰れるかと思ったくらいだった。最悪潰れても原因が虎杖なら仕方ないし本望だと思った。
    今日も今日とて、虎杖悠仁の推し活は楽しい。楽しいのだが、たまに推し活中で困ることもある。
    「なぁ傑、お願いあるんだけど」
    「またか」
    「またかって、まだ一回しかしたことねえだろ」
    「で、なに?」
    「今度一緒にカフェ行かない?」
    「想像するだけでゾッとするんだけど」
    「喜べよ。この僕と行けるんだぞ」
    「他の方に譲るよ」
    「良いじゃん! 一緒に行ってよ!」
    五条は職員室の中央で大きな声を出した。同じ室内にいた数人の呪術師や事務員がビクッと体を震わせてこちらに注目したが、五条はざっくりと無視する。
    周りの反応よりも、虎杖のことだ。
    「本当に困ってんの。お願いだから行こ!」
    「だから、マジで何で私なの。君とカフェに行きたい人なんてたくさんいるでしょ」
    「それは腐るほどいるけど! 落ち着いて行きたいんだよ!」
    「どこに」
    「推し活に!」
    虎杖の推し活中での困り事。それは、たまに一人では足りないことがあるのだ。
    今回、五条は推しをイメージしたドリンクを作ってくれるという店を知り、絶対に行きたいと思った。すぐに行こうと思った。
    だが、その店は人気で、おひとり様一杯までしか注文が出来なかった。
    「は? 虎杖悠仁のイメージドリンクを作ってもらうんだから、一人で行けば良いじゃないか」
    「悠仁と僕のイメージドリンク作りたい」
    「知らね〜〜」
    五条の回答に、夏油は舌を出して口調荒く反応した。
    「じゃあ今から知って。二人のイメージドリンク作って並べたらデートしてるみたいじゃない?」
    「じゃないと思う」
    「だから一緒に行ってよ。本当にただその場にいるだけで良いから。ドリンクも僕が飲むし喋んなくても良いから」
    「やだよ」
    夏油が拒否することは分かっていたので、五条は「任務変わるよ」と交換条件を提示する。以前まではそんなに強力ではなかったが、双子を引き取ってパパになった夏油には効果覿面だ。
    実際、夏油は真顔になって黙った。
    「今度地方でしょ? 泊まり嫌でしょ? カフェに付いてくるだけで良いから」
    結局、夏油は「分かったよ」と交換条件を飲んだ。予約は一週間後の朝に取れた。
    夏油と二人で訪れたそのカフェは全員が女性客だったからか、突然の男二人の登場に注目を浴びてしまう。
    だが、お互い他者からの視線には慣れているため気にすることもない。
    五条は早速店員に推し虎杖悠仁のイメージを伝える。
    「可愛くてカッコ良い。赤が似合う。根明で元気っ子。気遣いが出来て」
    長々と伝える。
    虎杖の次は自分だ。
    「カッコ良くて美人。すごく仕事が出来て皆から尊敬されてる。白と青のイメージが強い。宝石みたいな感じ」
    淀みなく店員へ伝えていた五条だったが、途中で夏油に「それ誰」と遮られてしまった。
    「煩いな。僕だろ」
    「違うでしょ。何宝石みたいな感じって。あと尊敬はされてないでしょうが。ここで嘘吐いてどうすんの。悟と全く違うドリンク来ちゃうじゃん」
    「嘘じゃないよ。宝石みたいじゃん。邪魔すんなって」
    置物のようにその場にいろと言ったのに、夏油は茶々を入れてくる。
    五条は嘘も誇張もなく、そのままを伝えているだけなのに何故邪魔をするのか。
    少しだけ二人が言い合いをしていれば、店員が「お客様のイメージドリンクですか?」と聞いてくる。
    「そう。僕のを作ってもらいたくて」
    「なるほど。ご本人様がいらっしゃるなら、こちらのイメージでお作りすることも出来ますよ」
    「へ〜、そうなんだ。じゃあさっき伝えたのをベースにお願いしようかな」
    「悟」
    「煩いなマジで。お前は黙ってろって」
    夏油を黙らせてから、十分ほどでドリンクが完成する。
    運ばれて来たそれは、正に自分たちをイメージしたようだった。
    「え、最高。マジで僕たちじゃん」
    五条は写真を撮りまくった。色んな角度から撮り、自撮りし、夏油にも撮らせた。ドリンク単体の次はカバンから虎杖を模したぬいぐるみを取り出して撮る。
    「は? 悟、何それ」
    「可愛いだろ? 悠仁のぬい」
    「悠仁のぬい。初めて聞いた」
    「で、これが僕のぬい」
    「これが僕のぬい?」
    もう一つは、夜蛾にお願いして作ってもらった自分のぬいぐるみ。
    推し活を調べる中で、ぬい活というものにも行き当たったのだ。どこに行くにも推しのぬいぐるみを同伴させればそれは実質デートだと。
    虎杖のぬいぐるみは存在していたが、当たり前に自分のぬいぐるみはない。ぬいぐるみと自分で撮れば良いが、見た目が違い過ぎて何となくピンと来ず作ることにしたのだ。
    デフォルメ姿のそれは、並べると本当にお似合いである。
    「学長に作ってもらったって、良い歳した大人が迷惑掛けるのやめなよ」
    「良いよって言ってくれたんだから良いじゃん」
    「どうせワガママ言ったんだろ。癇癪起こしたんじゃないのか?」
    「僕を何だと思ってんだよ。そんなわけないだろ。ちゃんと大人として、仕事として、お願いしたんだよ」
    「ぬいぐるみ持って何言ってんだ君」
    「マジで煩えなぁ」
    推し活については推し活をしている人にしか理解されない。
    五条は夏油を無視して撮影を再開した。良く撮れたものをSNSに投稿する。
    「ぬいぐるみの服も作ってもらってるの?」
    「服は自分で作ってた」
    「うわヤバ」
    「お前だって双子に服とか色々買ってるだろ」
    「話が違い過ぎてもう笑うしかないね」
    「はいはい」
    投稿し終えれば、後はドリンクを飲むだけだ。二つ分のドリンクを自分の方へ寄せて、交互に飲む。味は普通だった。
    「悟ってまだ虎杖悠仁本人に会えてないんでしょ。もし本人に会ったらどうなるんだろうね」
    夏油は頬杖をつきながら興味なさげに口を開く。
    「会えてないけど、一目惚れしてもらえるように最大限にカッコつけるよ」
    「はは。会わないの? 悟なら金と権力使えば会えそうなのに」
    「そういう卑怯なことはしないよ。ちゃんと正規ルートで悠仁には会いたいもん」
    虎杖に会おうと思えばすぐにでも会える。五条には夏油の言う通り金も権力も持っているので、殆どのことは自分の思い通りに出来る。例えば悠仁を自分の元に呼び寄せて自分にだけライブをさせることも可能だ。
    だが、しない。
    何故なら五条は良識ある大人だから。
    「ふーん。じゃあ虎杖悠仁と会うのは握手会? かライブってこと?」
    「そうだね〜。ライブは来年までないけど、握手会は今度あるからさ。抽選だから今から徳積んでんだよね」
    「絶対無理じゃないか」
    「無理じゃねえし」
    「無様な姿見せるのだけはやめなよ」
    「だから見せねえって。カッコつけてくるよ」
    握手会は絶対、当選したい。いや、当選する。だってこれだけ虎杖を推しているのに当選しない意味が分からない。
    当選し、虎杖と会う時のイメトレももう出来ているし、衣装も準備している。虎杖と会うために久しぶりにスーツを新調した。
    「いや〜無理じゃない? すごい推してるんでしょ? しかも触れ合えるんでしょ? 普通でもいられないでしょ。知らないけどさ」
    「煩いな。僕なら大丈夫だよ」
    「もし落選したらどうするの? 呪うの?」
    「呪わねえよ。落選なんか絶対しないもん」
    当選する自分のイメージしかない。
    「まあ頑張って徳積みなよ」
    「おう」
    五条はずずっと行儀悪くストローを吸いながら、微炭酸のドリンクを飲み干す。二杯分を胃の中へ収めてからさっさと会計を済ませた。
    夏油は高専に帰り、五条はそのまま任務へと向かった。
    イメージドリンクも飲めたし、写真も撮れたし、逆ナンもなかったし、夏油は煩かったが満足する時間を過ごしたのだった。
    常に虎杖を想い推す毎日は、たまに夏油を巻き込みながら変わらずに続く。
    その日も高専の授業を終え、一時間後の会食まで応接室で時間を潰そうと向かっていた。生徒たちの任務もないため引率もなく、溜めている事務処理もない。嘘、あるはあるが、今すぐやるべきことでもない。なので珍しく時間が空いていた。
    虎杖の最新情報を追おうと、誰からの干渉も受けずに応接室でしっかりと腰を据えようと考えていた。廊下を曲がってすぐに、「え? 渋滞ですか」と困った声が聞こえてきた。
    伊地知である。彼はスマホを片手に、声と同様困った表情を浮かべていた。
    何があったかは明白である。が、彼はいつだって困っているので今が本当に困っているかは分からなかった。大したことがない時だってあの表情をするので、もう顔に張り付いてしまっているのだろう。
    「それだとこちらに戻って来るのに時間が掛かりそうですね。えぇ、そうですか。はぁ」
    伊地知は五条に気付くとペコリと頭を下げる。
    「いえ、こちらで何とか対処しますので。はい。大丈夫ですよ。ではお気を付けて」
    通話を切った伊地知は、ドッとため息を吐いた。
    電話の内容までは聞こえなかったが、大方通話の相手に割り振られていた任務が渋滞によって任務地へ向かえないという内容だろう。
    普段の五条ならサクッと無視するところだ。自分から面倒事には突っ込まないに限る。特級として当主として教師として日々誰よりも多忙。誰かの尻拭いなどしてやるほどの優しさは持ち合わせていない。例え泣きつかれたとしても笑って一蹴するだろう。
    だが、しかし。
    今の五条は人生で一番と言って良いほどに機嫌が良かった。
    見るからに困っている後輩に、仏心を出して「なんかあったの?」と聞くくらいには機嫌が良かったのだ。
    伊地知は五条からの問いかけに驚きつつもことの経緯を説明した。
    「大事な任務があるんですが、渋滞のせいで担当呪術師が向かえなくて」
    やはり、五条の思った通りの事態だ。
    「他に頼めば? 高専内に呪術師いるでしょ」
    「それが、いつもの任務とは少し違うんです。ストーカーに遭っているという相談がありまして。内容的にも人では難しそうで、もしかしたら霊の仕業じゃないかとなったみたいなんです。警察はもちろん、霊媒師やら探偵やらにも依頼をしたけどダメで、ツテを使って高専に辿り着いたらしく。話を聞く限りでは非術師にはあり得ないので、呪霊、呪詛師が噛んでいる可能性もあるかと思い、本日二級術師の方に見てもらうことになってたんです」
    「へえ〜。ストーカーね〜。まあ万が一呪術師がストーカーしてたら警察じゃ何も出来ないね」
    「はい。お相手の方が多忙でなかなか直接会う時間が取れなくて、このご相談もトップシークレットとして扱うよう言われているんですよ。実力があって信頼出来る呪術師の方でなければならなくて」
    「で、その呪術師が渋滞にハマってこっちに来られないってわけね」
    伊地知はため息と共に肯定した。
    人では到底出来そうもないことをやってのけるストーカー。その内容がどの程度か分からないが、警察でストーカーが特定出来ないならただの一般人ではないだろう。
    もしも呪術師が非術師をストーカーしていたとすればそれは警察には扱えない案件だ。高専に舞い込む理由は分かる。
    「ストーカーってどんな被害受けてんの?」
    「どんなに引っ越しても、写真を撮られて送られて、プレゼントを玄関に置かれているようです」
    「よく聞くストーカー行為だね」
    「はい。段々とエスカレートして、被害を受けて一年になるようです」
    「一年。そんなに放っておいたの? ウケるね」
    「その方は楽観的なところがあるらしく。最初はただプレゼントを贈られるだけだったみたいですよ」
    「その被害受けてるのって誰? どんな人?」
    「それが私もまだ知らされてないんです。夜蛾学長から概要のみ聞かされて、お相手がどのような方かは一切分かりません。直接お会いする時にようやく分かりますね」
    トップシークレットとして扱って欲しいと言うくらいなのだから、その身分はただの一般人ではないのだろう。被害の件は最低人数のみで、情報漏洩を最小限にしたいらしい。
    五条は片手で両頬を抑え、「うーん」と唸る。
    正直ストーカー被害なんてどうでも良い。五条がわざわざ出る必要はない。
    だが、今の五条は心から機嫌が良かったのだ。
    何故ならつい先日、虎杖悠仁との握手会のチケットが当たったからである。
    当選するイメージしかしていなかったが、本当に当選出来たのだ。
    虎杖にハマってから約三ヶ月。グッズはそれなりに集め、最新情報はほぼ追えて、出演するテレビは必ず観ている。
    それでも、生で虎杖を見れていなかった。
    ハマった時期が悪かったのか、握手会やライブは五条がハマった二ヶ月ほど前に終わっており、しばらく生で会える機会がなかった。たまに番組の観覧席を募集していることもあり、ゲストが虎杖の時には必ず応募していたが当たったことはなく、画面上で観るしか出来なかった。
    自分以外の虎杖ファンのSNSを覗くたびに『生悠仁ヤバい』『ゆじぴかっこよ〜。生の方が体しっかりしてた。マジで雄!』『やっぱ生で見る悠仁最高』などと自慢する呟きに何度もはらわたを煮え繰り返していた五条だった。
    早く自分も生で会いたい。見たい。と日々願っていたことが叶ったのか、二ヶ月後に握手会が開催されることとなったのだ。
    五条はその情報を興奮しつつ応募し、そして、つい先日、徳を積んだおかげか当選した旨の連絡が入ったのである。
    『厳正なる抽選の結果、ご当選されましたのでお知らせします』
    メール本文を見た瞬間の五条の喜びようは言葉にし難かった。一読しただけでは信じられず、無の心境で何度も読み返し、一文ずつ咀嚼し、ようやく脳内で意味を理解したところで本当に膝から崩れ落ちた。全身から力が抜けたのだ。トンッとその場に膝をついて、しばらく魂が抜けたかのように呆然と数分を過ごした。
    生で、虎杖悠仁に会える。それだけではない。握手も出来る。生で会って、何の隔たりもなく触れ合うことが出来る。
    「悠仁と、会える?」覇気のない声で、確かめるように呟いて、ようやく実感が湧いたのだ。
    そこからの五条は歓喜に満ち満ちており、今も興奮が内側を渦巻いている。
    「あの、五条さん?」
    「んー?」
    「えと、もし、可能であれば」
    虎杖との握手会を思い出し若干トリップしていた五条は、伊地知の控えめであるが期待と懇願が籠った視線を向けられて我に返る。
    「なに?」
    「もし可能であれば、今からそのお相手を見てもらうことは出来ませんか?」
    「うーん。でも会食があるんだよねぇ」
    「夜蛾学長には私からもお伝えしますし。もし早く終わったとしても夜蛾学長との会食は延期として、お休み頂ければ」
    「それは嬉しいけど。一般人の相手か〜」
    「お願いします五条さんしかもういないんです」
    「まあ仕方ないか。貸し一ね」
    「貸し、はい、分かりました」
    五条は上機嫌だったこともあり尻拭いをしてあげようという気持ちに傾いていたが、あえて渋って受けるていを見せる。いつ回収出来るか分からないが、貸しにしておけばいつか役立つ時がくるだろう。
    「どこで会うの?」
    「ありがとうございます。お相手の希望で指定されてまして」
    そういう伊地知の言葉を聞き流しながら、高専から車で二十分ほどのホテルへと向かった。
    指定された部屋へ入ると、すぐに壮年の男が出て来る。ストーカー被害者かと一瞬思ったが、「マネージャーの」と挨拶を始めた。ただの関係者らしい。マネージャーがいるということは、相手は芸能人だろうか。
    定型的な挨拶は全て伊地知に任せ、五条は早く終わらせて虎杖のライブDVDを観ようと考えていた。既に何回も観ているが、何回観ても感動があるのだ。
    「五条さん、こちらです」
    マネージャーに案内された先では一番に大きな窓が視界に入った。曇り空の都内が見渡せる。次に元気な声が掛かった。
    「こんちは!」
    その大きな声に、外を見ていた五条の脳が一瞬停止する。まだ相手の姿を視界に収めていないのに、聞き慣れた声に動きが停止する。
    何度も何度も聞いている声だ。似ている、というレベルではなく、そのもの。聞き間違えるわけがない。……いや、嘘だ。きっと聞き間違えだ。連勤で疲れているのだ。脳内で日常的に再生しているから他者の声を勝手に変換してしまったのだ。
    五条は直感的な判断を理性で否定しながら、「はいこんにちは」と声の主の方へ向き直る。
    そしてーー
    「初めまして。虎杖悠仁です!」
    五条は膝から崩れ落ちたのだった。
    呪術師最強として君臨する五条にとって、それは初めての出来事である。


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