橄欖之苑 第八幕その日はあいにくの曇天だった。
幸い雨の気配はないが、天は薄墨を引いたような雲に閉ざされ、さながら山水画にでも出て来そうな有様だ。日没まではまだ時間があるはずだが、光は鈍く、特に室内は薄暗い。書き物をしていた俺はふと顔を上げ、家中(かちゅう)の灯籠に火を入れるのを早めようかと考える。執事を呼びつけようと立ち上がった時、呼び出そうとしていた当人が姿を現し、来客の到来を告げてきた。
「礼だなんて、悪いね。大したこともしていないのに」
椅子に腰を下ろすと、子先殿は少し恐縮そうな様子で肩をすくめた。
そこは中庭に面して建てられた、壁のない亭(あずまや)のような小部屋だった。内部には卓子(つくえ)が一脚と、背もたれのない陶器の椅子が一対置いてある。廊下との間は目隠し壁で仕切られ、ほかの面には欄干があるだけだ。
「なに、礼はついでだ。丁度話したいことがあってな」
「君は正直だな」
子先殿はあきれ顔になるが、すぐに相好を崩す。
「だけど、それくらいわかりやすい方が僕としても助かる」
それは自分も同感だった。腹を探りあったり読みあったりは性に合わない。率直に話せる相手が一人でもいるというのはありがたいことだった。
「子先殿」
「子先でいいよ」
「わかった。軽食は用意してあるが、何か希望があれば作らせるから言ってくれ。それと、酒と茶とどちらがいい?」
「そんな気を遣わなくても大丈夫だ」
子先は慌てた様子で手を振った。彼の家の様子からして、豪華なもてなしは好まないだろうことは分かっていた。だから彼の采配に任せたわけだが、あまりに無欲なのも招き甲斐がない。
「ついでとは言ったが、礼くらいはさせてくれ」
「……そうしたら、一番いいお茶をくれないか」
謙虚なようで、案外難しいことを言う。
一番いい茶か。何があっただろうか。名茶の多い江南育ちの彼の気に入るものがあればよいが。
結局、卓上に並んだのは桂花で緑茶に香りをつけた桂花茶だった。順天府の茶葉店で買ったものだが、特にこだわりはなく、よく見るものを買ったという程度だ。北方では水の質があまり良くないため、茉莉花や桂花など、花を混ぜて香り付けした花茶が好まれる。
「お前の故郷に行けば、もっといいものがあるんだろうな」
「杭州や徽州ならともかく、松江(うち)はそうでもないよ。地形や気候が合わないんだろうな。……そういえば、君の出身はどこなんだ?」
「開封府の睢州だ」
「北の方だな」
「順天府(ここ)からすれば、大分南だがな」
笑みを交えて、俺は言う。思えば、永楽の帝は随分北方に都を築いたものだ。
「せっかくだから故郷の名産でもと思ったが、実は俺もよく知らないんだ。日々の労働、そのあとは学問に追われて外に目を向ける余裕もなく、気が付いたら蘇州に赴任していた」
「君は確か、焦竑先生と同期だろう。ということは、僕より大分早い。同い年なのに、君はすごいな」
子先は眉を下げて笑う。以前会った時、彼は董其昌殿と共に科挙を受けたと言っていた。それはおそらく、各地方で開催される郷試のことだろう。董殿はそれを通過し、その翌年に俺とともに順天府の会試、そして殿試を受けて進士になった。もし彼が郷試を突破していたら、もっと早く出会っていたのだろうか。
「その分、俺はお前のように博識じゃない。それに……俺が科挙に受かったのは、巡り合わせが良かったんだ」
「董其昌殿と出会ったおかげだと言ってたね」
「ああ」
「……待ってくれ。董殿は僕の同郷だ。君は開封府だろう?どうやって知り合ったんだ?」
それは何度も聞かれた問いだった。
「それが、おかしな話でな。あの人は夢で、俺と一緒でないと科挙に受かれないと仙人に言われたんだそうだ」
そして問いに答えるたびに、相手は呆気にとられた顔をする。子先もまた例外ではなかった。
「まさか。そんなものを頼りに君を探しに来たのか?」
「それを聞いたときは、俺もそう思った。ほかに真意があるんじゃないかと探ったくらいだ。結局、そんなものはなかったがな」
俺は一口、茶を含んだ。なんとなく買ったものではあるが、桂花茶の豊かな香りは気に入っていた。
「今思えば、あの仙人は呂仙人だったんだと思う」
「呂仙人って……呂洞賓か?」
急に出てきたその名をいぶかしむように、子先は首をかしげる。呂洞賓は仙界の長とも言われる仙人だ。
「ああ。俺が生まれる時には、父は呂仙人が子供を連れてくるのを見たらしい。だから呂仙人は、俺の守り神みたいなものだ。登莱にいた時も、海で嵐に遭った時には彼に祈って命拾いした。だから多分、俺が科挙を受けられるよう、取り計らってくれたんだと思う」
「……」
子先は目を丸く見開いていた。本気か、とでも言わんばかりだ。今や天主教徒の彼には、なおさら信じがたい話なのかもしれない。
「君は結構、迷信深いんだな」
子先は顎をつまむと、不審なものでも見るような顔つきになった。しかしほどなくそれは消え、晴れやかな笑みに取って代わる。
「だけど僕も、巡り合わせというのはあると思うよ。どういう形であれ、君は董殿と巡り合った。僕にとっては――伝教士たちとの出会いだ。あの時董殿と一緒に郷試に受かっていたら、僕は彼らと出会えなかった。彼等から学んだ物なくして、僕は自分ではありえないと思っている。だから今の僕があるのは、あの時落第したおかげなんだ」
「お前からすれば、それは天主の導きってやつになるのか?」
「どうだろうな。天主は結構厳しいからな。もっと地面に根ざした感じ――人と人との縁がどんどん繋がって影響を与えていく。そんな感じじゃないかなって思ってる。君と僕が今こうしているのもね」
「そうだな」
腕を組んで、俺は少し口の端を緩める。それは悪い解釈ではないと思った。
「それより、君が江南にいたのは初めて知った。蘇州はどうだった?」
「美しい所だったな。離れるのが惜しいくらいに」
そんな簡単な言葉にしかならなかったが、胸の内には形を取れないまま漂っているものがたくさんあった。温かく水気を含んだ空気、運河や河川の作り出す開放的な空間、岸辺を縁どる柳の波、白壁の上に反り屋根を戴く優美な家々。それはすべてが見事に調和し、どんな季節、どんな天気の中でも美しかった。
「よくわかる。初めて順天府まで来た時は、なんて荒涼とした所だろうと思ったよ」
良い頃合いだ、と俺は思った。彼を招いた目的を遂げるには、ちょうどいい話の流れだった。この機に、話の向きを本題にずらすことにした。
「なあ子先。朝廷が江南の富を吸い上げていることについて、お前はどう思ってる?」
「……」
表情を引き締め、子先は思案げに目を伏せる。話の流れが変わって、少し残念そうにも見えた。
「……農業の視点から見れば、解決する術はあると思う」
江南への課税は、党争の焦点のひとつであり、問いの意図はあくまで彼の「立場」を探ることだった。そう返ってくるとは思わず、俺は眉を上げる。しかしそれは実に彼らしい返答で、思わず聞き返してしまう。
「どういうことだ?」
「江南は豊かだ。だからそこから取れる作物に、今の朝廷は依存せざるを得ない。だけど裏を返せば、華北の食料生産を安定させれば、この問題は解消できるんだ。たしかに華北は文明が営まれて長いから、地力は落ちている。だけどその分知恵と技術は進歩した。今まで利用できなかった土地にも農地が作れる。作物を土地に合わせることも出来る。例えば稲だって、強くすればこの辺りで栽培できる。僕はそれを今、天津で試している。……だけど」
子先は一度言葉を切り、何か打ち明け話でもする時のように座り直した。
「僕が救いたいのは『江南』じゃなくて民なんだ」
決意を秘めた眼差しで、彼はまっすぐ俺の顔を見据えた。
「礼卿。僕たちは、どちらも貧しい家の出身だろう。……略奪、災害、飢饉、貧困。かつての僕らのような人たちには、苦しいことが沢山ある。だけどこれらは皆天災じゃない、人災だ。適切な政(まつりごと)が行われず、適切な技術が用いられないせいで起こるんだ。本当は誰も、そんな苦しみを味わう必要はないはずなんだ」
過去の光景を思い出してか、切々と語る子先の顔には痛ましげな色がにじんでいる。
「だから、僕は北か南かは関係なくて、みんなが幸せになれる道を探るだけだ」
「……そうか」
俺はただ頷いた。結局、子先は彼なりの形で、ちゃんと問いに答えていた。やはり彼は、東林党とは何かが違うと思った。彼らが目指すのは「正しい政が行われること」。あくまでその活動の場は朝廷であり、優先されるべきは彼らの理念だ。しかし子先の場合はそうではないだろう。彼の望みは、あくまで民の救済や国の防衛だ。そのためなら理念も手段も問わずそれを実現させようとするだろう。たとえ、依るべきものを失おうとも。
「……お前は、望みをかなえるためにどうするつもりなんだ?」
「……」
子先は険しい顔で口をつぐむ。情勢の難しさは分かっているのだろう。
「今の朝廷では、党争が全てを妨げている。俺も色々と声を掛けられたが、少々対処に困ってな」
「僕は政争には一切関わるつもりはない。そう決めているよ」
淡々と、答えが返ってくる。
「そんなことをしていても、天下にはなんの益もない。こうしている間にも、京師の壁の外では民が苦しみ、国境は蛮族に脅かされているんだ」
子先はじれったそうに声を高めた。
「それに、党争に加わるのもあまりに危険だ。やるべきことは山ほどある。足の引っ張り合いに時間を取られている暇はないし、巻き込まれて立場や命を失うなんてもってのほかだ」
「だが、どうやって生き残る?」
「僕は自分の力のほどはよくわかってるつもりだよ。だから、ここにいられるうちは出来ることをして、危なくなったら身を引いて朝廷を去る。臆病だと言われるかもしれないけど、お陰で僕は生き残ってきた」
子先は自慢げに、ぽんと胸元に手を当てた。
「身を引いている間も、やることはたくさんあるしな。言っただろう?天津には農園もあるし、研究を続けられると思えばいい」
「だったら……研究に専念する選択肢はないのか?朝廷には魏忠賢もいる。それに、天主教徒っていうんで味方もあまりいないだろう。それこそ危険じゃないのか」
「そういうわけにはいかない」
子先はきっぱりと言い切る。
「研究の成果を上げたとしても、それが為政者に届かなければ意味がない。そのために僕は科挙を受けたんだ」
何を言っても、彼の意思は揺らがなかった。
「結局、お前は朝廷で何を目指してるんだ?」
問いかけると、子先は一つ二つと指を折りながら答える。
「そうだな。まずは満州族を駆逐するための西洋兵器の国産化、砲兵部隊の設立。
それから、西洋暦を取り入れた新暦の作成。今の大統暦は実際の天体の運行と大幅にずれている。日食も予測できないようでは王朝の威信にかかわるだろう?
最後に農業だ。民の生活を安定させれば彼らも助かるし、民変の発生も抑えられる。具体的には作物の改良と華北の新田開発、それから……農業の根本は水利だ。ここでも泰西の先端技術が役に立つはずだ」
喋り通しで喉が渇いたのか、子先はようやく茶杯に手を付けた。
「言葉にしてみると、結構あるな。だけど、きっと実現させてみせるよ」
理想を語る子先の瞳は、相変わらずまっすぐな光を湛えている。小さな穴から暗闇に差し込む光のように、それは迷いない軌跡を描いて前に進んでいく。
その強さと単純さは、今の俺にはないものだった。
「君はどうなんだ?」
ふいに問い返され、俺は我に返った。
「ん?……ああ。そうだな」
朝廷で、何をなしたいのか。
どう生き残るのかではなく。
頭の中から断片的なそれを拾い集め、一本の糸に縒り合わせていく。
「満州族から大明を守る。そのために、遼東沿海の防衛線を築きたい。軍務に関わり続けるには、不用意に党争に加わることはせず、立場を保つことが一番重要だと考えている。その点は、お前と同意見だ」
子先は小さく頷いた。喋り疲れたのか、少し覇気のない顔色だ。
一方の俺は、自分の答えを反芻しながら、霧が晴れていくような思いでいた。
そうか、それでいいのだ。彼を見習って、もっと単純に考えよう。
自分が正しいと思ったことを、為していけばいいだけだ。
正しさの定義だって、人の数だけある。ならば、自分がそう思うものを信じればいい。
それはなにも真新しい結論ではなく、自分の中ではとうに決まっていたことだ。しかし揺らいでいたそれが、同じ道を歩む者がいると知れただけで、こんなにも確かになるものなのか。
「なあ子先。もしお前が――」
コツンと、机をたたくような音がした。
茶杯が倒れる音だと気付いたときには、それは机上から転がり落ち、カシャンと音を立てて破砕していた。しかし俺が慌てて立ち上がったのは、それを片付けるためなどではなかった。
糸が切れたように、子先の上体がかしぐ。床に崩れ落ちる前に、何とか腕を差し出して受け止めた。
「おい!」
「……」
呼びかけると、自分でも何が起こったのか分かっていないのか、子先は呆然とした顔で二、三度、目を瞬かせる。意識はあるようで安堵したが、しばらく何も言えないようだった。
「……何でもない、大丈夫だ」
長い沈黙の果てに、彼はようやく声を絞りだす。明るい口調だが、滑舌は覚束ない。
「馬鹿かお前は。何が『大丈夫』だ」
思わず叱るような口調になってしまう。子先は俺の腕を支えにして、椅子の上で態勢を整えた。しかし姿勢を保つのは難しいようで、机の上に両肘をつき、重ねた手の上に額を載せた。
仕方がない。肩を貸して最寄りの部屋の長椅子に運び、横たわらせた。
「すまない、無理をさせたな」
「君のせいじゃない」
子先は弱弱しく、しかしはっきりと否定した。
「ここに来た時は、本当に、なんともなかったんだ」
かすれ気味の声でそう言うと、無念そうに口を引き結ぶ。
「医生(いしゃ)を呼ぶぞ」
「大丈夫だ、少し休めば直る。これは本当だ」
「……よくあることなんだな」
「たまにだ」
申し訳程度に強がると、子先は虚ろな目ををちらりと窓の外に向ける。
「天気が、良くなかったのかもしれない」
「もう少し詳しく状況を教えてくれ。来た時は平気だった。それから?」
「……」
子先は何も言いたがらない。先程から、彼はずっとこの調子だ。俺に手間をかけさせること。病んだ姿を見られること。そればかり気にしている。自分の状態を認めたくないのだろう。
「生き残るんだろう。放っておいて、手遅れになったらどうする」
そう言って急き立てると、子先は観念したように唇をかみしめ、問いに応じた。
「……話しているうちに、少し頭が痛くなって。大したことはないと思ってたんだけど…段々頭がぼんやりして。あの時は眩暈と、あと手の痺れがあった」
「…………」
発作的な頭痛に眩暈と、手のしびれ?医生(いしゃ)ではないので詳しいことは分からないが、気になるのはいつから彼が「こう」だったのかだ。
「昔からか?例えば、翰林院にいた頃は」
「あの頃は、何ともなかった」
「以前朝廷を去った時は?」
「……」
子先は何も言わず、逃げるように顔を少し傾けた。それが答えだった。
なんとなく読めてきた。おそらくこれは病というより、過労か精神的負担による症状だろう。日々の政務、研究、上奏文の執筆、それから、この前のような天主教の擁護活動。彼の抱えているものは、一人の身に負うは余りにも重すぎる。ましてや、日々それは否定され続けているのだ。
子先自身はそれを認識しているのだろうか。いや。彼には自分が無理しているという自覚すらないだろう。ただ「やるべきだ」という思いに急き立てられて命を削っている。しかし彼は己の正しさを確信して、それこそが自分の使命だと思っている。休むという選択肢など、彼の中には存在しないのだ。
「わかった。落ち着くまで休んでいろ。お前の家に使いを出してくる」
彼の轎を担いできた人夫が、帰路に備えて控えているはずだ。彼等にも話をしておかねばならない。
「……すまない」
右腕で顔を覆い、子先は消え入りそうな声で詫びる。
「誰にでもあることだ。俺が倒れた時に、助けてくれればそれでいい」
今は彼も一人になりたいだろう。それだけ言って、俺はその場を後にした。
彼の光はあまりに強く迷いがない。だからきっと気付かないのだ。見えないだけで、道はほかにもあることも。光が影を生むことも。
何故だかひどく悔しくなって、俺は少し唇をかんだ。
「色々と、世話をかけたな」
さいわい、子先はほどなく自力で歩けるまで回復した。彼の言うとおり、あくまで発作的なものだったらしい。帰宅の手筈が整い、彼は今、屋敷の門前に立っている。後ろには灰色の布を張った轎と、轎夫が二人控えている。
「気にするな。とにかく回復してよかった」
「……ああ」
そうは言っても後ろ暗いらしく、指先でしきりに衣服をいじっている。
「子先」
呼びかけられて、子先は顔を仰向ける。確かに届くようにと祈りながら、俺はその言葉を口にした。
「無理はするなよ」
「大丈夫だ、分かってる」
薄雲のように微笑んで、子先は轎の中に消えていった。その言葉の真偽は、きわめて疑わしかったが。
遠ざかる轎を見送り、俺は邸内に引き返す。ここからは、いつも通りの日常だ。
しかし苦い気持ちが後を引いて、とてもそんな気にはならない。
庭沿いの小部屋に足を向ける。宴というほどの席ではなかったが、宴の後のようなやるせない気分がそこには漂っていた。
割れた茶杯と飛び散った茶がそのままになっていた。
俺は床にかがみこみ、一つ、ひときわ大きな破片をつまみ上げる。
何であれ、壊れるのは一瞬だ。そうなってしまえば二度と元には戻らない。
……彼にはこうなってほしくない。
拾い上げたそれを、机の上に置いた。
今、自分の中にあるものはなんだろうか。
真っ先に浮かんだのは焦りだ。このままでは、党争や魏忠賢など関係なく、子先は自分で自分を滅ぼしてしまうかもしれない。
彼が潰れたところで、本来なら俺には関係などないはずだ。それでも今は、彼が朝廷(ここ)から失われるのを何としてでも防ぎたかった。
情けないことだが、今の自分がこの場所で戦い続けるには、彼の力が必要だと感じるのだ。
しかし彼を守るにしても、彼を追い詰めているのは自分自身なのだ。
あいつの瞳には、自らの理想しか映っていない。
何人たりとも挫けぬ彼の意思、それを守る城壁は、差し伸べられた手すら阻んでしまうだろう。
俺の力で出来ることなどあるだろうか。
――いや。
突如、それは天啓のように俺の頭を打った。
彼が理想に縛り付けられているとしたら、その源をたどれば解決策が見えるのではないか。
拳を握りしめ、顔を上げて空模様を窺う。
厚い雲に閉ざされて頃合いは分からないが、体感的にはまだ時間があるはずだった。
いつぞやの書生のおかげで、「その場所」なら知っていた。
俺は足早に廊下を遡り、門へと急いだ。