さいこうのめぐり逢い……」
痛む頭気だるい体の感覚に目を覚ませば、見知らぬベッドだった。
「だ、だれ……⁉」
隣には見知らぬイケメンが半裸で寝ている。全然今の自分の状況が飲み込めずフリーズしてしまう。
まず、昨夜の記憶が全くない。正確には職場の飲み会でたらふく飲んだとこまでは覚えていた。そこまでしか覚えていない。
働かない頭は現実に向き合うことを放棄して、なぜか同じベッドで寝ている男を眺める。見れば見るほど顔がいい。自分はそっちではないけど見惚れてしまう。
現実逃避を決め込んでいたオレの耳に聞き慣れた通知音。そうだスマホ!
飛び起きて必死に自分のスマホを探した。
やっと見つけたスマホはベッドから少し離れた床に転がっていて、数え切れないメッセージの通知で埋まっている。
『無事帰れた?』
『おい、まっすぐ帰ってない? 生きてる?』
『え……まじで見たら返事しろって』
『朝まで返事なかったら警察に通報するからな!』
全てオレを心配するメッセージ、そして同じ人物からの連絡だった。
「やっべぇ……とりあえず返事……っ」
「朝から騒がしいな」
「っ……⁉」
スマホを握りベッドに座り込むオレを見て長い髪をかきあげた男は起き上がる。
オレは蛇に睨まれたカエルみたいに動けないでいれば、近づいてオレの顔をじっと見つめた。
(ま、まじで誰……てかどこ⁉ 近づいてくんじゃん! オレなんかされんの⁉)
心の中はパニックそのものなのに、弱みを見せたら負けだと思ってるオレは視線を逸らすことなく相手を見つめた。
「だいぶ昨日より良いんじゃねーか? そんな睨むなよ」
睨んだつもりはなかったけど、警戒心が強く出ていたらしい。
「へ、昨日……?」
「お前昨日すごかったから」
す、すごかった……?
アルコールで記憶をなくしたことがない訳ではなかった。ただここまで何も覚えてなくて、サーっと血の気が引くのは初めてだった。
今までならなんとなく、ぼんやりの記憶が残っていることがほとんどだったのに、よりによって最悪だ。
「す、すいませんオレ――」
「ん?」
とりあえずここから脱出しよう。まず一人になって落ち着くんだ。
「よ、用事があるんで、かえりますっ」
オレは急いで立ちあがると、男はコトン……と机にグラスを置いてオレを止めた。
「なんもねーって言ってたじゃん」
昨日のオレ、なんて事言ってんだ。素直にもほどがあんだろ!
「いや……えっと」
「嘘だったってことかよ?」
こころなし不機嫌になった男が、椅子に座る。誰だって嘘をつかれれば不機嫌にもなるだろう、オレは動けず目を泳がせた。
「嘘、ではないですけど……」
「んじゃとりあえず飲めよ、水分とった方がいいぜお前」
そう言ってオレに目で「飲め」と、有無を言わさない視線を送りオレは仕方なく男の目の前の椅子に座った。
置かれたグラスには水ではなく黄色みのある透明な飲料水。口を近づければ甘い香りが鼻をくすぐる。
「リンゴジュース?」
ゴク、と一口飲んでみればそれの正体は一目瞭然で今まで飲んだものよりもだいぶ飲みやすかった。
「二日酔いに効くらしいぜ? 見た感じ酒は残ってないっぽいけど、一応な」
お前結構飲んでたし、と丁寧に説明してくれて、ここまで(なぜか分かんないけど)世話を焼いてくれたこの人に正直に話すのが誠意だと思った。
「あの、オレ昨日のことほとんど記憶なくって……」
「まじかよ、これっぽっちもねーの?」
オレは意を決して自分の現状を説明した。
「だから、オレあんたのことなんも知らなく……て」
言えば言うほど、居た堪れなくなり視線が下がっていく。オレの言葉に目の前の人は目を丸くしていたが、最後まで聞いた後吹き出し笑った。
「ははっ! そうだよなァ、あんだけ酔ってたら確かに記憶ねぇか! てか、知らねぇ奴から出されたモン飲むか普通?」
「う、うっさいですよ! 飲まないと帰れない雰囲気醸し出したのはあんただし!」
「水分大事だろーが」
男は一通り笑い、息を吐き出すと再度オレに視線を向けた。
「場地圭介だ」
これで知らない人じゃなくなったな?と悪戯に笑って見せた。オレはこの人のこと全く知らないのに、悪い人じゃないとオレの心が言っている。
「オレは――」
「あぁ、お前の名前は知ってる。千冬だろ?」
「……そうですけど」
「言っとくけど荷物なんか漁ってねーからな? 聞いたらベロンベロンのお前がそれしか教えてくんなかっただけ」
「……」
昨夜の自分はどれだけ酔っていたんだ。自分の昨夜の警戒心に頭を抱えた。
いやおかしい、いつもは酔っていてもこんなに警戒心がゆるくなることなかったはずなのに。
「まあいいじゃねーか、落ち着いたら帰ればいいし」
「え、場地さんの予定は?」
「夜からだから気にしなくていいぜ」
夜? 夜勤かなんかだろうか。それならやはり早めに出たほうがいいだろう。
「そしたら、これ飲んだら帰ります」
「あ? なんだよもっとゆっくりしてけって」
「いや流石に、夜から仕事なら今の時間しっかり休んだほうがいいし、いつまでも迷惑かけられないんで……あ、改めてお礼はさせてください!」
「ふーん。んじゃ……これ」
場地さんは一瞬つまらなそうに目を細めたがすぐにポケットからスマホを取り出して画面をこちらに向けた。
「?」
「なに惚けた顔してんだよ、ほら連絡先交換すっから早く出せ」
「あぁっ、はい!」
場地さんの言葉にあわててオレもスマホを取り出して無事に連絡先の交換を済ませた。
オレはもらったリンゴジュースを飲み、荷物を整えた。
「ほんとにありがとうございました。お礼はまたぜひ」
「おう、オレも連絡するわ。気をつけろよ」
頭を下げて帰路につく。
そういえば、ここどこだ? 見慣れない景色にマップ機能を起動する。
ピンが指したのは意外と自宅からは遠くなかった。
オレはマップを頼りに歩きながら、近くの駅まで歩く。ふと、歩いていれば疑問が浮かび上がった。
(あれ、そういえばオレどこで潰れたんだろ?)
職場の飲み会からの同僚と二次会……までの記憶はあるのにその後の記憶が曖昧だ。
「うーん」
思い出そうとしても酔っ払いの記憶力なんてあてにならない。
しかも、なんか忘れてる気がする……。
「……っあ‼」
同僚からのメッセージを既読スルーしてたことに気づいたのは、駅に着いた頃だった。
▽
「えっ! そんなことがあったの⁉ よく無事だったなー」
「まぁなー、その後の同僚からのキレ具合が一番怖かったわ」
「いや……流石にキレるわ、オレでもキレてるって」
あの後慌ててメッセージを入れたは良いものの、電車に乗っている時にメッセージ相手からの鬼電が来てなけなしのバッテリーが切れた。
帰宅までは電車に乗ってしまえばなんとかなって、無事自宅に到着。充電が溜まってすぐに連絡を入れたら、それはもうすごい勢いで怒られた。(もはやキレているレベルで……)
次の出社の時には軽い絞技を食らわされたが、それくらい心配させてしまったことを甘んじて受け入れ、大人しく締められることにした。おかげで同僚との関係も無事継続中だ。
いつも通りの仕事をこなしてあれから早一週間が経ち、やっと休日だ。
旧友と近況報告も兼ねて飲みに来ていた。
「それで? その人とは連絡とってるのか?」
「まぁ、一応」
「結構頻繁なの?」
「頻繁っていうか、不規則に帰ってくる感じ? 夕方だったり夜だったり……朝だったり?」
「ほぼ毎回返ってくんじゃん! 何してる人?」
持っていたジョッキをドンと机に置く。コイツの名前は武道、オレの唯一と言って良い親友で相棒だ。
相変わらず昔から反応が良い。
「そんな驚くことねーだろ、休憩とかで返してるかもだし」
場地さんとの連絡は続いていて、返事が来る時間は割と不規則だった。夜勤的な感じだったし昼間は寝てるのかもと思って大して気にしていない。
何してる人……?
そういえば、場地さんがなにしてるのか聞いてなかった。しかも結局覚えてない部分も教えてもらってないことにやっと気づいた。
「千冬?」
「オレ、あの人とどこで会ったとか全く覚えてねーの。でもこの前その話はしてないし……何してるとかも分かんねーや」
「え、えぇ⁉ 知らねーの? それ……なんか怪しいことに巻き込まれてね?」
「そんなこと……」
いや、怪しいのか?
謎が多いことには間違いない、でもいい人なのも間違いない。
「おーい、千冬?」
「いや、そんなことねー」
「どっからくるんだよその自信……」
「んなの、オレの勘に決まってんだろ」
手に持ったビールを煽るオレを見て、武道は呆れた顔をする。
オレは昔から人を嫌って生きてきたから、信用してる人も少なかった。そんなオレの勘が場地さんは良い人だと言ってる。
「んで! 結局いつ会うんだよ?」
「それは今、聞いてるとこ――あ、ちょうど返事きた」
「おぉ! なんだって⁉」
なんで武道のテンションが上がっているのか理解できないが、届いたメッセージを開いた。
『来週の週末、夜なら時間できると思う。千冬は?』
来週の週末、確か空いていたはず。オレは来週の予定を思い出し予定がないことを確認すると「オレも大丈夫です」と返事をした。
「千冬、千冬! なんだって?」
「ん? あぁ、来週になりそう」
「来週かぁ……楽しみだな!」
なんで武道が楽しみなんだよ、そう思ったけど突っ込むのも疲れて「そうだな」と軽く流した。
そしてあっという間にやってきた場地さんとの約束の日。
待ち合わせ場所は場地さんとオレの最寄りの真ん中あたりの駅前だった。場地さんからのメッセージには少し遅れると入っていたから、駅前ベンチに座って待つ。スマホからメッセージの通知音が鳴り「もうすぐ着く」とロック画面に文面が入ってきた。
結構マメだよなぁ、と思いながら「了解です」と返信すると既読がすぐにつく。
「千冬」
名前を呼ばれて顔を上げる。そこには今返信したばかりの相手が立っていた。思ったよりも荷物が多くトートバックの中身は見えないが、ずっしり重そうだ。
「悪い、遅れた」
「いえ、そんなに待ってないので大丈夫です…っていうより思ったよりも早かったっすね?」
「あぁ、ちょっとつかまってな……適当に店入るか?」
「あ、それならさっき調べたら良さそうなとこが……ここどうです?」
周辺の店を調べていた画面を探して場地さんに見せる。ぐいっとスマホを持ってる手ごと大きな手に包まれて見やすいように角度を変えられる。さりげないスキンシップに心がはねる。
男のオレにもこうなら異性ならもっとだろうなぁ、モテるんだろうなぁ、と内心思った。
「っ……」
「あぁ、この店か」
「し、知ってます?」
「酒もツマミも美味かった。ここなら行き方も分かるし行こーぜ」
場地さんはなんてことない顔して離れては、荷物を肩にかけなおし歩き出す。そんな場地さんの後ろをついて歩けば、さすが周辺店舗なだけあって店にはすぐに到着した。
「食えないものあるか?」
「あ、大丈夫っす!」
店を知っていた場地さんは慣れた手つきでスラスラと注文を済ませる。
「承りましたー――って場地じゃん、来てたなら言えって! サービスすんのに」
「いやいらねーよ、仕事しろ仕事」
場地さんはフレンドリーな店員を軽くあしらった。会話から友人だろうと推測され、店員もオレに軽く頭を下げて「ごゆっくり!」といい笑顔だった。
「うっせーよなアイツ」
「楽しそうな人でしたね、友達っすか?」
「あぁ、大学が一緒なんだよ」
「大学?」
だいがく……?
あれ、場地さんて……学生⁉
「場地さん……いま、い……いくつですか……?」
場地さんの見た目に気にしていなかった。年下の可能性が出てくるなんて……。
「それお前この前も酔った時言ってたぞ、酔っ払いながら顔赤くしたり青くしたりであれはウケたわ」
場地さんはオレの必死の問いにその時のことを思い出したのかまた吹き出し笑う。よく吹き出して笑う人だなぁ、と思って見ていれば場地さんはオレの方を見た。
「お前の一個上。まあいろいろあって学生だけどな」
「なんだ……よかったぁ」
安心したと同時に歳を聞いて驚いた。一個上、年上だと思っていたがまさか一つしか違わないなんて。
「おまたせしましたぁ! これ、サービスでつけときますね!」
わざとらしくニヤッと笑って頼んだ品物の他に、つまみが並べられていく。二つのジョッキが揃った。
「んじゃ、おつかれ」
「お疲れ様です」
コツン、と乾杯を済ませジョッキの中のビールを喉に流し込む。
「改めて、この前はありがとうございました」
「いいって、無事に帰れてよかったな?」
「流石にあの状態なら帰れますよ! その後の同僚とのやりとりのが大変でした」
適度につまみに手をつけながら、会話を交わす。
「千冬仕事営業だろ? なんの営業してんの?」
「あ、オレ動物関連の営業です。家に猫いるんで」
「猫いんの? てか動物関連かよ」
「いますよ、写真見ます?」
身を乗り出して興味を示した場地さんに、動物が好きなのはすぐに分かった。オレはスマホを操作して家にいる黒猫の写真を見せる。この前まどから差す光に日向ぼっこして気持ちよさそうに腹を出していた写真。
「っ……! すげぇ写真」
「やばいっすよね? 元々捨て猫だったんですけど、無防備なんすよコイツ」
「ははっこの写真やばいな、落ちなかったン?」
「絶妙なバランスで落ちなかったんですよ」
他の写真も二人でスライドして眺めていく。
ベッドを占領された時の写真、おもちゃの猫じゃらしで遊んでる動画にベストショットの写真も、食い入るように見てくれていた。
「やっぱいいよなァ動物って、癒されるわ」
「疲れて帰った時にティッシュばら撒かれてた時には魂抜けかけましたけどね」
「それは堪えんな、でも誤飲には気をつけろよ」
「そっすね、初めて吐いた時にはビビりましたもん」
昔のことにはなるが、猫はわりと吐くって知らずに病院まで走ったっけ?
結局毛玉が原因だったけど、血の気が引いたのを覚えている。
「あ、そういえば最近もよく吐いてるんですよね」
「頻繁か?」
「うーん……食べた後によくあるかも」
「それなら心配ねーと思うけど、心配なら病院で診てもらえよ」
考える素振りを見せた場地さんからの言葉に、続くなら病院へ行こうと思った。どこか詳しそうな口ぶりに場地さんも猫を飼ったことがあるのだろうか?ふと疑問が浮かぶ。
「そうっすね、そうします。場地さん詳しいんですか?」
「あぁ、オレ今獣医関係の大学通ってんだよ。まあ勉強中だけどな」
「獣医⁉ すげぇ、先生になるんすか!」
大学に通っているっていうのはそういうことか、と妙に納得してしまう。確か通う年数も長いって上司が言っていたのを思い出す。それと同時にほんとに大変なんだぞって教わったのも思い出した。
「獣医ってすげー大変なんすよね⁉ 今こんなとこいる場合じゃないんじゃ……」
自分が貴重な時間をもらってしまっているのでは、と不安に駆られた。お礼をしたいのに迷惑になっては元も子もない。
「そんなずっと勉強してられっかよ、休憩も必要だろーが」
「そ、そういうもんすか……?」
「だから心配すんなって、オレが来たくて来てんだし。ほら飲め飲め次頼むぞ」
場地さんはオレの答えも待たずに店員に声をかけ始めた。気を使わせてしまったのかもしれないけど、その言葉に純粋に嬉しさを覚えた。
「ちょっ、まってください! まだこんなに残ってんのに!」
「生二つな、よろしく」
「場地さん‼」
オレの言葉に待つ様子なんてなく、注文を済ませると悪戯にオレを見て笑う場地さんにオレは急いで残ったアルコールを煽った。
「おっ、間に合ったじゃねぇか」
「場地さんが煽ったんじゃないっすか!」
「生二つお待たせしましたー、いやーお客さんいい飲みっぷりっすねー!」
なぜかそこから店員も混ざって煽られて、場地さんの注文を忠実に運んでくるせいでそこそ
この量のアルコールを流し込んだ。
「おーい、千冬ぅー」
「なんすかぁ……」
「ラストオーダー終わってるからそろそろ店出るぞー」
「もぉっすかぁー? んじゃーオレのかちっすねー」
「勝負なんかしてねぇじゃん」
「場地さんからはじめたんですから、しょーぶでしょ!」
ふわふわしている頭に場地さんの声が響く。乗せられるままに飲んでしまった自覚があるけど、心地よくお酒が回って楽しい。
「ったく……とりあえず立てよ、店出るぞ」
「はーい」
楽しかったのにお開きかぁ、なんて思いながらも立ち上がる。酔っているけど、足取りはたしかだ。
ほらちゃんと出口まで行けた。
「お客さんいい飲みっぷりでしたよ! また来てくださいね!」
場地さんの知り合いの店員さんがお見送りしてくれている。ノリの良い人だった、オレは手を握ってブンブン振って「また来る」と伝えればお兄さんはケタケタ笑っていた。
「いつまで握ってんだよ、離せ」
「わっ……!」
後ろから引っ張られてお兄さんから離される。よく見れば面白くなさそうな顔をしている気がした。
場地さんも握手したかったのかな?
「もー、それなら言ってくださいよー!」
「あ? なにが――っておい、何してんだ」
はい、と手を出せば場地さんの手を握ってあげた。さぞ満足気だろうとオレよりも高い顔を見上げれば、空いた片方の手で顔を覆い盛大なため息をつかれた。
「お前それ……いや酔ってんだもんな、あーほんっとにタチ悪いわお前」
顔を手で覆っていてよく聞き取ることができなかったから、聞き返そうとすればそのまま手を握られて駅の方まで歩かされた。
「ほら駅着いたぞ」
「もう解散ですか?」
ふわふわした頭は外の空気に触れるとややスッキリした。まだ終電までは時間があるし、帰るにはまだ早い。
「なに、帰りたくねぇの?」
「まだ飲めますよ、頭スッキリしましたもん」
「でもこっから飲んだらなぁー」
「そしたら朝までいっちゃいましょうか?」
社会人になり、次の日を気にして思いっきり飲めないことが多かった。朝まで飲みたいと思うことも少なかったけど。
「お前……そう言ってぜってぇ寝るタイプだろ」
「そんなことないですって」
「そしたら……ウチくるか?」
「場地さんち……」
初めて行ったあの日以来の場地さんの家。そこであの日のことをふと思い出した。オレはあの日のことを聞こうと思っていたんだった。
「場地さん! そういえばあの日――!」
(〜〜♩ 〜〜)
「あ、悪ぃオレだわ……」
思い出したオレが声を出したと同時に場地さんのスマホから音が鳴る。画面を確認して不思議そうな表情を浮かべた場地さん。
「ちょっと出ていい?」
「あ、はい」
場地さんはその場でスマホの通話ボタンをタップした。
「おつかれさまです。はい、え……いや今っすか? 駅っすけど……え、今からですか?」
電話の内容は聞こえないけど、場地さんの話振りだと……先輩? 上司っぽい。
「……わかりました、さっき言ったこと絶対ですからね」
場地さんはスマホを耳から離して、オレに向き直る。
「千冬、この後オレの家って言ったけど場所変えていい? 帰るの遅くなると思うから帰ンなら今だけど」
「え、それはいいっすけど……?」
「悪ぃな、代わりといっちゃあれだけどタダ酒飲めるからよ」
「⁇」
(どこに行くんだろう?)
オレの頭の中は見透かされてたのか場地さんの手がオレの頭を撫でた。
「まあ、変なところじゃねぇからさ」
「それはわかりますけど、でもどこに行くんですか?」
「オレのバイト先」
「場地さんのバイト先?」
場地さんの歩く後ろをついていく。駅を挟みしばらく歩いていけば、どこか見覚えのある道でオレはあたりを見回した。人が少しまばらになっていったところで、木の立て看板が立っている扉の前に場地さんは立ち止まる。
「ここ……」
あれ、ここどこだっけ……?
場地さんは扉を開けて中に入っていく。オレはその後ろに続けば、中は満席とまではいかないもののそこそこの賑わいを見せていた。
「圭介! 悪いなー、今日入ってた奴熱出たらしくてさ」
「マスター、いやいつもわがまま聞いてもらってるんで」
「助かる。せっかく飲んでたところごめんな……ってあれ君」
「いえ! 全然! ……?」
「千冬あそこのカウンター座ってろ」
「わかりました」
マスターの言うことが気になりながらも、場地さんに言われるままカウンターの端に座った。
場地さんはと言えば、マスターと喋りながら裏の方に消えていく。マスターはなぜかオレの前まで来て口を開く。
「君、この前圭介が連れてきた子? ごめんなー、せっかく飲んでたんだろ?」
「え、オレ……ここ来たことあるんですか?」
オレの返答にマスターは目をぱちくりすれば、何かを思い出したかのようにあぁ、と呟いた。
「覚えてないのか、確かに……めちゃくちゃ飲んでたもんなー。まぁ好きなの用意するから決まったら言いなよ」
「あ、ありがとうございます」
ニコッと笑えば、客に呼ばれたマスターはオレの前から離れて行った。
やっぱりここ来たことあるんだオレ。どこか見覚えのある道中と店内に、場地さんとの出会いの日を必死に思い出そうとするけどそんなすぐには思い出せそうになかった。
「千冬」
「場地さ……ん」
うーん、と唸りながらあの日のことを思い出そうとしていればいつの間にか着替えを済ませた場地さんが目の前にいた。
「場地さん、かっけーっすね」
「っ……サンキュー、悪ぃないきなりで」
「それは全然! というよりオレここ来たことあるんすね」
黒シャツに黒エプロンというシンプルな服装が似合っていて、かっけーという言葉が口から出ていた。不意を食った様子の場地さんは、なぜかオレから視線を逸らす。かっこいいなんて言われ慣れてるだろうに、不思議だ。
あの日のことを投げかけてみれば、視線はオレの方に戻ってくる。
「なんだ、思い出したか?」
「マスターがこの前も来たよねって言ってたので」
「あぁ、来てるな」
「場地さんと一緒に?」
「おう」
いったいオレはどこで場地さんと会ってここに来る経緯になったんだ。
「まあとりあえずここマスターの奢りだから、好きなの頼めよ」
「場地さんが作ってくれるんですか?」
「あぁ、いいぜ」
「そしたらおすすめで。あ、でも他のお客さんの合間でいいんで!」
せっかくなら場地さんのおすすめを飲みたい。
オレの言葉に予想していなかったのか呆気に取られた表情をするも、すぐに笑って「かしこまりました」と慣れた手つきで始めた。
「酒の前にとりあえず水飲んどけよ、さっきまでいい感じに出来上がってたし」
「ありがとうございます」
客足は途絶えないが、さすがはバー。居酒屋みたいな頼み方をする客がいないから落ち着いた雰囲気が流れていた。
場地さんの動きを追いながら、店内を見回した。
カウンターと丸テーブルがいくつかあって、狭すぎず広すぎず落ち着いて酒を飲むにはいい広さだ。
場地さんはといえば、カウンターでマスターと小言をはさみながら無駄なく手を動かす。その動きは手慣れたもので、次々とグラスにアルコール、シロップを入れていく所作も見惚れてしまうほどだ。
少し離れたテーブル席にいる女性客も頬を染めてうっとりと眺めている。
クルクルとマドラーで軽く混ぜ、テーブルに運んでいく。そこで女性客に一言二言絡まれてる、絶対あれは注文じゃない。
その光景を見てなぜかムカッときたことに気づいたけど、なんでオレが場地さんのナンパを見てムカつかなきゃいけないのか。
「……まだ酔ってんだなオレ」
酔いが覚めてきたとはいえ、完全に抜けたわけではないアルコールのせいにして視線を他に移した。
なんだか落ち着かなくて、もらった水を飲み干す。
「おいおい、大丈夫か?」
「場地さん」
「せっかく作ってきたけどやめといた方がいいんじゃね?」
オレの様子を見て揶揄うみたいに笑う場地さんが、いつの間にか目の前にいた。
さっきまで女の人たちのところにいたくせに、オレをほったらかしにして。
「全然、大丈夫です」
ふいっと顔を逸らしてしまった。すごく態度が悪い、子どもみたいだと自分でも思うのに勝手に動いた体は言うことを聞かない。
「……ご機嫌ななめじゃねぇか、ほらほら機嫌直せよ」
コトン、とコースターの上に置かれたグラスは鮮やかな水色でレモンが添えられている。
照明も相まって反射した光がキラキラと輝いているように見えた。
「すげー……」
「飲んでみ?」
促されるまま、グラスを傾けて一口飲んでみる。
柑橘系のすっきりした味わいが口に広がった。
「……なんか言えよ」
「う、うまい……です」
飲みやすくてグイッと飲んでしまいそうになるが、グラスを持っていた手を掴まれ静かにグラスを置くように導かれる。
「っ……」
「普通に度数あっからゆっくり、な?」
「は、はい」
マスターに呼ばれて場地さんはオレの手を離すと「ちゃんと見てっからな」と釘を刺してマスターの元へと行ってしまう。
さりげないスキンシップ、この人初対面から思っていたけどモテ仕草が多い。きっとたくさんの罪を重ねたに違いない。
オレは男なのに、触れられたところがじわじわ熱くて雰囲気と酒はすごいなと改めて思った。
そしてほんとに、ちゃんと見られていたようでグラスが空きそうになる頃には場地さんはオレの前に戻ってきた。
「ちゃんと約束守ってて偉いじゃん。この前とは大違いだ」
「っ……そうだ、そう、この前のことについて聞こうと思ってたんです!」
オレはなんで場地さんと出会うことになったのか。
ずっと気になっていたことを聞けば、「あぁ、そのことな」と自分用のグラスを傾けた。
「別に変な出会いでもねぇけど」
場地さんが話し始めた時、テーブル席の方から声がかかった。
「お兄さーん」
声のした方を見れば、先ほどのテーブル席の女性客だった。
「悪ぃ、ちょっと待ってろ」
「……はい」
場地さんは仕事中だ、今オレと話してるからなんてそんなこと言えるわけもなく場地さんは離れていく。
「グラス空いてるね? 他なんか飲む?」
「あ……はい、じゃあジントニックでお願いします」
気づけばマスターが側まできていたようで、注文を作ってくれた。
「あの、マスターはオレがここにきた理由って知ってますか?」
「あの日のこと?知ってるけど、圭介が出勤する前になんかあって連れてきたことしか分かんないな」
「そうですか」
マスターに聞いても有益な情報は得られなさそうだと思っていれば、「あ、でも」とマスターは言葉を続けにっこり笑った。
「圭介はあまりここに知り合いはつれてこないよ」
「え、それってどうゆう……」
言ってる意味がイマイチ理解できず、詳しく聞こうとすればタイミング良く店の扉が開く。
マスターはそちらに行ってしまった。まあでも初めての時は知り合いじゃなかった訳だからオレは当てはまらないのでは?
考えても思い出せないからオレはマスターに作ってもらったジントニックを喉に流す。
これもスッキリした味わいに炭酸の泡の刺激が心地よくて思わずペースも考えず飲んでしまった。
「マスター……この前のことちゃんと覚えてますよね?」
「いやー、悪い……飲みっぷりが良いのと面白くて」
店内がだんだん人が減ったことで静かになり、眠気に誘われて意識がぼやける。かろうじてまだ聞こえている耳に届く会話は、内容までは理解できないけど場地さんのため息が聞こえた。
「千冬、おいちーふーゆ」
「ばじさん……?」
肩を揺すられ名前を呼ばれて、ぼやけた意識が少しずつ輪郭を得る。
女の子との話は終わりましたか?
オレとあの日の話をする気になりましたか?
なんてなに思ってんだろ……。
「……」
「なんですかぁ、ばじさん?」
「……帰るぞ」
グリグリ痛いくらいに頭を撫でられれば、体を支えられれば次に体がふわりと浮いた。
「なぁ千冬、どこに帰る?」
「どこ……どこでも、いいですよ」
心地良い揺れと共に瞼が重い。
「んじゃ……オレんちでいいよな?」
「いいっ…すよぉ」
場地さんの声が全身に響くみたいで、さらに心地よくなって耳に届く音が遠のいて行った――。
「……」
見覚えのある部屋に、見覚えのあるベッド。
オレはまたここで目を覚ましていた。
「また……つぶれたっ⁉」
自分で言うのもあれだが、酒自体には弱くないし大学の時の飲み会だって酔い潰れた体験なんてせいぜい数回。武道の家での宅飲みではたしかに飲みすぎて雑魚寝なんてしょっちゅうだったけど、それは武道との間柄でもある。
二度も連続で失敗したことにショックを受けていたが、前回とは違うこともある。
今回はなにより記憶がある!
場地さんと飲みに行ったし、場地さんの仕事先にも行った。
覚えてる、覚えてるぞ……っ!
ただひとつ、現状況に疑問と戸惑いがある。
場地さんの家にはベッドはひとつしかない。一人暮らしだし当たり前だ。そこに二人で寝てるのも、まあ男同士だし別に変なことでもない……はず。
ないはずだけど、これは流石におかしくないだろうか?
なぜなら今オレは場地さんの腕の中にがっちりホールドされる形で、抱き枕状態になり密着している。
やばい……。これは完全に記憶にない。
どうにか腕の中から出ようとするけど、多分動いたら場地さんを起こしてしまう気がする。
それは申し訳ない。急遽仕事をこなした挙句、薄くなった意識の中、感じた心地良い揺れは考えたくないけど背負われたような気もするし……。
そう考えると全く動けなくなってしまった。
少し視線を上げると場地さんの顔はすぐ近くにあって、改めて綺麗な顔だと思う。
「っ……」
改めて至近距離の顔に、自分たちが密着していることを意識したら、なぜかドキドキしている自分がいる。
「おかしくない……こんだけ近かったら男同士だって」
「なにボソボソ言ってんだ?」
「……⁉」
独り言のつもりで発していた言葉の後にまさか自分以外の声が聞こえてくるなんて思わず、猫のようにビクついてしまった。
それを見て「猫みてぇー」と笑う場地さん。
「お、起きてたんですか⁉」
「おう、はよ」
「おはようございます……っじゃなくて! いつから!」
「んー……あんだけ見られたら寝てらんねぇだろ?」
「っ! あそこから起きてたんすか⁉ サイッテーだあんた!」
場地さんの腕から抜け出て起き上がる。起きたなら起きたと言ってくれればいいのに!
プリプリ怒るオレを横目に笑いながら場地さんも起き上がる。
「っふ……悪かったな?」
「笑いながら言っても説得力ねぇっす!」
ふんっ、と場地さんとは違う方を向いて怒りを態度に示した。我ながら昨日世話になったことを、すっかり棚に上げてしまっていることにも気づかなかった。
「これで許してくれよ?」
場地さんは徐ろに台所まで歩いて行く。カチャカチャと食器音が響いて、オレもベッドから降りて音の方は行けばそこにはあの日の朝と同じグラスが二つ置いてあった。
あれは……。
「オレはリンゴジュースなんかで懐柔されないすよ……?」
「んじゃ、いらねぇの?」
「……いります」
オレの返事を聞いて得意気に笑った場地さん苦か気弱は、オレへと手招きをした。
それに従ってオレもあの日と同じ椅子に座ってグラスを受け取る。
「言っときますけど、ちゃんと次は言ってくださいねっ」
「……おう」
「なんですか?」
「なんでもねぇよ、それより昨日はちゃんと記憶あンの?」
「あ、ありますよ!」
一瞬、変な間があった場地さんだったけど、すぐにそんな素振りは消えて潰れかけたオレのことを揶揄ってきた。
そこでオレはずっと聞けてないことを思い出した。
「そうだ……そうですよ! あの日のこと教えてください!」
「なんだよ、またその話かよ? そんなに気になンのか」
「そりゃ、なりますよ」
場地さんはそうか?と言いたげな顔をして話し始める。
「オレがバーに行くまでの間に、なんか若ぇのに絡まれてる奴がいたんだよ。んで絡まれてる奴が金髪で、若そうなのにスーツなんか着てるもんだから念の為様子見してた」
「え……」
「そしたら、意外とやり返すから面白くなって眺めてたんだけどよ、なんか人増えてきたし聞いてたら巻き込まれてたみたいだったし加勢して……て感じか?」
「え……え?」
場地さんは以上、みたいなノリで話を終えたが実際はなにがなにやら理解までは追いつけなかった。
「あ?」
「それで、なんでオレが場地さんのバーに行って、朝まで場地さんの家で過ごすことになるんすか⁉」
「あー……それは、まあ……成り行きで?」
「成り行きでその日会った奴家入れないでしょ⁉」
「うっせぇな、いいだろ別に! それにバーに行ったのはお前がまだ飲みたいとかいうからだぞ!」
どうやらオレが飲み足りない、と場地さんのバーまで連れてってもらったらしい。全く記憶はないが、あの日は職場の飲み会で全くおいしくない酒を飲んだ後、同僚と飲みなおしたところまでは覚えている。
「まじっすか……全然思い出せねぇっす、でもその後なんで場地さんちに?」
「バーに置いてけねーだろ、マスターにも迷惑だし。千冬の家も知らねーから連れて帰ってきたんだよ」
「た、たしかに?」
オレがバーに居続けたらマスターは困るだろう。場地さんの言ってることに半分納得し半分疑問が残った。
「まぁ家に連れて帰ってきたのはいいけど、お前家着くなり吐くっつって……まじでギリギリトイレ間に合ってよかったけどよ」
「っ……⁉ まじですいません‼ って、この前のすごかったって……」
初めて場地さんの家で言われた「昨日はすごかった」発言を疑問に思っていたのだ。すっかり抜けていたが。
「あ? あぁ、吐きっぷりがすごかったって意味な?」
ニヤリと笑ってオレを見る。
「ま、少しは揶揄ってもいいだろ?」
それに、と場地さんは続ける。
「誰彼構わず、家に入れたりしねぇよ」
「え……?」
「根性あるし、警戒するくせになんか素直なとこが……面白ぇしな?」
「なんか貶されてます?」
「貶してねぇよ、オレは千冬なら家にあげてもいいと思ったからあげただけだ」
まっすぐ見つめられて発せられた言葉に、思わず目を逸らしてしまった。
「あの日はこういうこと、もういいだろ?」
「全然覚えてないけど、なんかすいませんでした……やっぱりお詫びを……」
「いいって、でもそうだな……またこうやって会って酒飲んだり話したりしてくンね?」
「え、そんなんでいいんですか? それは全然、むしろオレもまた場地さんと飲みたいです!」
「じゃあ決まり。ほらそのグラスもう飲んじまえよ」
半分より少なくなっていたグラスを促されて残りを飲み干した。
あの日のことを教えてもらい、少しスッキリしたような感じがしたオレはまた遊びに行く約束をした。
今日は場地さんが課題を終わらせなくてはいけないらしく、邪魔にならないように場地さんの家を後にした。
▽
あれから場地さんとの連絡は続いて、いつしか週末時間がある時に息抜きしよう、と出かけることが多くなった。場地さんとの時間はなんでか心地よくて、次いつ会うか話をするのが楽しいと思える自分がいる。
平日は学校と仕事が忙しいらしいから週末がメイン。
オレも平日は仕事が入るし最悪休日に入る事もあるからお互いの時間を見つけて会う方が助かっていた。
「松野ー、もうオレあがるけど」
「はーい、オレももうすぐ……これ終わったら帰るので先に帰ってください」
おつかれー、と間延びした声を背に挨拶回りの内容をまとめていく。
全てパソコンの中の書式に打ち込めば終了だ。明日から週末、来週に持ち越したくなくてディスプレイと向かい合う。
「松野ー」
入り口付近から声をかけられ、振り向いて見ればそこにいたのは同僚の松永。入社してすぐ名前が似ていてデスクも近かったっていうのもあって、部署が分かれた今でも飲みに行く仲だ。
「なんだお前か、どうしたんだよ」
「なんだお前かってひどいな、最後まで心配してやったのオレだぞ?もっと感謝しろ」
「はいはい、どーもな」
場地さんと知り合ったあの日、翌日警察に連絡を入れようとするほど心配してくれていた。まだねちっこく言ってくるのは少し面倒臭いけど仕方ない。
「連れねーな……おい今日この後暇だろ?」
「仕事中でーす」
「飲みいこーぜ!」
こいつがくる時はだいたい飲みたい時。オレのところに顔を出したところで予想はできていたけど、華金の今日どうしても飲みに行きたいらしい。
「手伝ってやる……ってもう終わるじゃん。じゃあ決まりな!」
ディスプレイを覗き込まれれば、後数行打ち込めば終わることがバレる。隣で満面の笑みを浮かべられれば、自然とため息が出た。
「んで、なんだよ急に」
結局あの後仕事を片付けて松永と共に飲み屋の暖簾をくぐって、通してもらった席に座る。
とりあえず一杯のビールを注文し、泡がこぼれそうなビールで喉を潤した。
うまそうに飲む松永にオレは切り込んだ。
「? 別になにもねーけど」
「ねぇのかよ」
「飲みたくなった時には誰もいなくてさー、いやー松野残っててよかったわ!」
「……早く帰ればよかった」
もしかしたらなんかあったかも、と心配してやった気持ちを返してほしい。ため息をついてジョッキを持った。
「松野もオレと飲みたかったろ?」
「この前散々飲んだだろ、何軒行ったと思ってんだ」
「いやー、記憶ぶっ飛ぶまでなんてどうやって飲んだのかなって思ってさ! 結局全然潰れないんだもんなー」
「そんな何回も潰れねーよ」
つまんねーの!と溢しながら、話題はコロコロと変わっていく。
気を使わず、話せるのは職場の中でもコイツくらいかもしれない。あの日も職場の飲み会の後に二次会を個人的に開いてくれて、若干酔っ払いのオレを心配してくれていた。
そんな松永の話を聞いていればあっという間にラストオーダーがやってくる。
支払いを済ませて外に出ればまだ華金ということもあって賑わいを見せていた。
「んじゃもう一件!」
「行かねーよ! 明日予定あるし」
「ちぇー、んじゃ帰ろーぜー」
やや不満げな顔をして駅の方に向かっていく松永に続いてオレも後を追う。
「圭介!」
ふとざわめく街の声に混じって聞き慣れた名前が耳に聞こえた気がして、無意識に視線を向けた。
そこには高身長の長髪の男性に小走りで近づく小柄で茶髪の男性が目に入る。
遠目でわからないけど、多分場地さんだ。
袖をクイクイっと引いて屈んだ場地さんに耳打ちする、親密さが見てとれた。
「っ……」
なんだか見てられなくて視線を逸らしてしまった。
なんで気まずいのかなんて、オレにも分かんない。
彼女なんて選び放題だろうなぁって思ってたからだろうか?それが女じゃなくて男だったから?
男ならオレでも……そこまで考えて、口を覆う。
「松野ー! おい!」
「……わっ!」
立ち尽くしていたオレに後ろからのしかかるみたいに飛んできた松永のせいで、オレは思考を止めざるおえなくなった。
「っぶねーな松永!」
「返事しないからだろー! どうした? 元カノでも見つけた?」
「ちげーよ、重いからおーりーろー!」
幸か不幸かオレは一旦考えることを止めることができて、さっき見たものは忘れることにして帰路についた。
松永と別れて自宅のドアを開ければ、同居猫の黒猫が足元までやってくる。
「おー、ただいまペケ」
いつもより遅い帰宅にやや不機嫌そうな顔をする愛猫は一度足に擦り寄って満足したのか部屋奥へと消えていく。
社会人になって、帰宅時間は不規則になった為餌も水も自動で出る物に変えた。愛猫を追いながら部屋の電気をつければ、餌も水も問題なく作動していたことに安堵する。
「ナァーン」
「ん? なんだよ」
まだ文句ありげにオレの方を見てくるから、なにかと頭をフル稼働させた。ひとつ、思い浮かんだものがあってオレはスーツのジャケットを脱いで猫用スティック状のおやつを取り出す。
「これだろー?」
どうやら当たりらしく、開けた瞬間飛びついてきた。
「あんまり食うと太るぞー、毛玉防止も兼ねてるからいいけど」
夢中で舐める愛猫を眺めていれば、一日の疲れも吹っ飛んだ。
「は〜〜……! なぁペケ、オレ……変かも」
ぎゅーっと抱きつく飼い主を鬱陶しがりながらも、側にいてくれる愛猫にさらに愛着が湧いて散々癒してもらいシャワーを浴びた。
早々に布団にも入って、寝る体制に移る。
寝てしまおう、寝て忘れよう。
アルコールの助けもあって、入眠に時間はかからなかった。