スリープ・タイト・ナイト「ん……」
ふと、尊の鼓膜を揺らした微かな音に、夢の淵から緩々と意識が舞い戻る。
喉の奥から絞り出す、まるで幼子がぐずる時の呻くような声が断続的に聞こえてきていた。
身体の側面をベッドに押し付けるように横たわったまま、薄らと開かれた視界は薄暗い。
未だ朝明けは訪れていないようだ。
普段であれば再度眠りに就くところだが、横たわる尊の傍から聞こえてくる苦しげな息遣いが気懸りだ。
夢の深淵へと引き摺り込んでこようとする眠気に抗いながら、尊は何度か瞬きを繰り返す。
どうにか瞼を押し上げて、そうして、開かれた尊の視界一面に、端正な顔を歪ませた男の姿が映り込んだ。
吐息が触れ合いそうなほど近距離にある男は尊が目覚めたことにも気付かぬまま、瞼を伏せ昏々と眠り続けている。
しかし、眉間には痕が残りそうなほどに皺が刻まれていた。
見目麗しい顔が台無しになるほどにその表情はいっそう険しい。
痛ましいと思えるほどの苦悶気な表情と、食いしばられた歯列から漏れる微かな苦痛じみた息遣い。
普段の飄然ひょうぜんとした態度からは想像もつかないほど弱々しい男の姿がそこにはある。
きっと、悪夢を見ているのだろう。
それも、魘されるほどの強烈な悪夢を。
理解しているからこそ、その姿をただ静観しているだけなど忍びなかった。
「……了見」
痛ましそうに眉を顰めた尊は殊更声量を絞って静かに呼びかける。
普段の朗々さは、その声にはない。
ただ、静かに尊は呼びかける。
尊の落ち着き払ったような清閑な声が届いたのか、ぴくりと閉ざされたままの瞼が微かに動いた。
長い睫毛を震わせながら静かに半分ほど開かれる虚ろな瞳を、尊は音もなくじっと覗き込む。
開眼した瞳にいつものような精彩さはない。
やおら胡乱気な秘色の眼は尊を捉えると、何かを言いたげに彼ははくっと僅かに唇を震わせた。
しかし、その薄く開かれた口からは吐息が漏れるだけ。
そうして、何も行動を起こすこともないまま、何かに導かれるかのように、彼は瞼を下ろした。
再び眠りに就いた了見に先程までの苦悶じみた様子はない。
その様子からして、どうやら、今度は安らかに夢を結べたようだと窺い知る。
良かった。
そう尊は愁眉を開き、ほっと息を吐いた。
普段は飄然としており、感情があるのかすらわからない冷淡にさえ見える男が、苦しむ様子を見るのは未だ慣れない。
彼が時折眠る度に塗炭の苦しみを味わっていることを知ったのは、交際後、それも、暫くしてからの話だ。
深く関わるまで、尊はこの目の前で眠る男、鴻上了見は無機質な冷たい石のような人間なのだと、思い描いていた。
自分の使命のためには手段を択ばず、何もかもを切り捨てることが出来る、他人に興味がない、そんなただの冷血漢だ、と。
しかし、了見と関わるうちに、どうにもそれだけでは説明が出来ないことがまま出てきた。
素気無い態度の中、時折垣間見せる、どことなくもぎこちない優しさ。
刃物のような鋭さを持つくせに、時折尊に対する態度はたどたどしいが柔らかい。
関われば関わるほど、尊はこの男、鴻上了見という男がよくわからなくなった。
そして、尊を更にいっそう混乱させたのは、この男からの告白だった。
――君が、好きだ。
思い詰めた顔をして、まるで痞えていた何かを吐き出すかのように、そう、了見は口にした。
<続く>