とある父親の贈り物 街も微睡む土曜の昼下がり、僕が働くカードショップにも、ゆったりとした時間が流れていた。だからなのか、僕はさっきから、落ち着かない様子でガラスケースの中を眺める一人のお客さんのことが気になっていた。彼は三〇分ほど前に来店して以来、この狭い店内をぐるぐると歩き回ってはカードを吟味し、困ったようにため息をつくということを繰り返していた。
はぁ、とまた小さくため息の音が聞こえる。僕はついに声をかけた。
「お困りでしたら、お手伝いしましょうか?」
「良いのかい?」
俯けていた顔を上げ、その人はぱっと表情を明るくした。鮮やかな金の瞳が、安堵したように細められる。
「何かお探しでしたか?」
「実は先日息子が産まれたんだが、初めて贈るデッキを何にしようか、迷っていてね」
成程それは悩むわけだと、僕は合点がいった。住民登録にデッキが必要なネオ・ドミノシティほどではないが、その隣の市であるここでも、産まれた子どもにデッキを贈る習慣は根付いて久しい。
悩める父親は、照れくさそうに続けた。
「私が真紅眼使い、妻がサイバー使いなんだが、どちらのデッキを贈るかで揉めているんだよ」
「両方贈るというのは?」
「万が一息子がどちらかを使わないなんてことになったら、それはそれで揉めそうだろう? だからと言って、全く関係のないデッキを贈るのも寂しいし……難しい注文ですまないね」
子どもにデッキを贈る感覚というのは、まだ子どもがいない僕にはわからない。それでも、どうしたらこの父親、そして母親と息子さんを喜ばせることができるだろう? 僕は頭を捻った。真紅眼にサイバー、その2つのテーマの共通点……。
「そうだ、Sinデッキはどうでしょう?」
「シン?」
疑問符を浮かべる彼を、僕は店の入り口付近のガラスケース前に案内した。そこには「最新弾」のPOPの下、白黒の仮面を身につけたドラゴンたちのカードが並んでいる。
「最近出たばかりのテーマなんです。このSinデッキなら、真紅眼もサイバーも入れられますよ」
「ほう、どんなふうに?」
「Sinモンスターは、対となるモンスターをデッキから墓地に送ることで特殊召喚できます。例えばこのSin 真紅眼の黒竜なら、デッキから真紅眼の黒竜を墓地へ送ることで、そしてこのSin サイバー・エンド・ドラゴンは──」
「サイバー・エンド・ドラゴンを墓地に送って特殊召喚できる?」
「そうです!」僕は頷いた。
「面白いデッキだ! しかし……」彼は金の瞳に好奇心を浮かべながらも、一度言葉を区切った。「その『Sin』というのは、このカードにおいてどんな意味で使われているんだい。私は直感的に、『罪』という意味が思い浮かんだけれど……」
僕の答えを待つ父親の慎重な眼差しには、心配の色が滲んでいた。その感情はもっともで、これからの未来を生きる子どもに、罪などどいう不吉な名を持つデッキを与えたいと考える親はいないだろう。
僕は迷いながらも「お客様の予想の通りです」と答えた。
「そうか……」彼は少し肩を落として、名残惜しそうにガラスケースを眺めた。彼の目線が、Sinたちから別のカードの方へ流れて行こうとする。
おもむろに、僕はその流れをどうしても止めようと思った。僕がそうするのは、単に店の売上のためにお客さんにどうしてもデッキを買わせたいからだとか、そんな理由ではなかった。うまく言葉にして説明できるかはわからない、それでも、
「でもこうしきでは、」と、気づけばそんな音が僕の口から出ていた。音を追いかけるように「こうしき」が「公式」と意味を纏うのを頭の奥で感じながら、僕は言葉を続けた。
「『Sin』には新しいの『新』の意味もかかっていると言われています。個人的には、それだけじゃなくて」
僕は一枚のカードを指差した。
「真実の『真』の意味もあるんじゃないかと思うんです」
僕の人差し指の先には、金色のドラゴンが描かれたカードがあった。Sin トゥルース・ドラゴン、Sinデッキの切り札。
「このSin トゥルース・ドラゴンは、他のSinモンスターが破壊された時、ライフを払うことで特殊召喚できるんです。絶対絶命の状況でも、諦めずに身を削って努力すれば、その先に真実が見える。Sinシリーズには、そういう意味もあるんじゃないかって」
Sinデッキも、この世界に祝福されて生まれてきた子どもと共に歩むにふさわしい、祝福されたカードたちなのだ。僕は、そういうことを伝えたかった。
一気に言い終えて、一つ息をついてみれば、僕は自分の発した言葉のあまりのクサさに、羞恥心を苛まされ始めた。恐る恐る父親の方を見やれば、彼は目を丸くして僕を見ていた。当然すぎる反応、目の前の店員が急に多弁になって聞かれてもいない自論を展開し始めたら、誰だってそんな顔をする。
というか、僕の行いは単純に店員として失格だ。本来接客はお客様主体であるべきで、店員側がお客様の意思に過度に干渉してはならない。僕も普段だったら、面倒ごとを避けるためにも、その原則から外れるようなことはしないのに。トゥルースの体色に似たお客さんの瞳の金色が、僕に妙な気を起こさせたのかもしれなかった。
「すみませんでした。急に変なことを申し上げて……」
それまで不思議そうに僕を見つめていたお客さんは、一度ショーケースの方に目線を移してから、「いいんだ」と言った。その続きを発する彼の口元は、柔らかに小さく笑っている。
「息子に贈るのは、Sinデッキにするよ。確かに、君の自論には驚いた。でも、こう見えて私は研究職でね、身を削って真実を追い求める気持ちは、人並み以上に理解しているつもりだ。そして、息子もそれがわかる人間になってほしいと思っている。それに、この子と目が合ってしまった」
そう言う彼の視線の先には、黒いドラゴンがいた。
「Sin パラドクス・ドラゴン?」
「ああ。実は私の息子の名前もね──」
そうして聞いた彼の子どもの名前は、人の名前として付けるには少し変わった意味をしていた。けれど、彼とその妻がいたずらにその名前をつけたわけではないことは、僕にも分かった。
彼は、プレゼント用にラッピングされたSinデッキを持って、笑顔で帰って行った。結果的に、僕のお節介は功を奏したということになるのだろうか?
そして今日、数ヶ月ぶりに、僕は再びくだんの父親の姿を目にすることになった。と言っても、直接会ったわけではない。出勤途中に街頭のモニタで、彼のインタビュー映像が流れていたのだ。「KCソリッドビジョン研究開発三課 主任」と肩書きがついた彼は、実体化ソリッドビジョンの最新研究成果について語っている。実体化ソリッドビジョンを、将来的には災害救助に応用できるだろう、という内容だ。
『身を削って真実を追い求める気持ちは、人並み以上に理解しているつもりだ。そして、息子もそれがわかる人間になってほしいと思っている』
彼の言葉が脳裏に甦り、僕はふと、彼の息子さんのことを思った。幼い子どもの成長は早いから、もう何か言葉を発するようになっているのかもしれない。僕に知るすべは無いけれど。
でもなぜだか、息子さんの瞳は父親譲りの金色なのだろうと僕ははっきり想像した。そんな子どもは、父親のように真実を求め、誰かを救う研究者になるのだろうか?
僕よりは未来の世界を見ることになる、僕が顔も知らない一人の人間。息子さんがこれから何者になったとしても、人生の傍に、いつもSinたちがいたら良い。違うデッキを使うようになったとしても。
映像が切り替わる。僕はモニタから離れて、カードショップに向かった。
終
※本文中にある、公式ではSinに「新」という意味もある旨の記述は、『Vジャンプブックス 遊⭐︎戯⭐︎王 10th Anniversary Animation Book』(集英社、2010年)、p130の内容を参考にしています。