変則的な君 嗚呼、また負けてしまった。
負けるつもりはなかった、なかったけれど、ここ直近のループは負け越しているように思う。どうにも調子が宜しくない。ただでさえ愚鈍な思考が上手く回っていない気がする。
(分かって、いたんだけどなあ)
彼が、人類の敵……グノーシアだって。
ずっと、脳裏に焼き付いている光景があった。
光源に乏しく、薄暗い部屋だったけれど、伏せられた睫毛には微かに光が乗っていて。おもむろに上げられた顏には、普段は逸らされている淡い紫が、珍しく此方を真っ直ぐに見つめていて。その紫は、まるで灯火のようにゆらゆらと煌めいていた。
そして、瞳がすぐに逸らされたと思ったら、震える唇が開き──────…………
現実逃避を始めた脳内に、やや早足に近づいてくる足音が聞こえてきた。硬質なものがぶつかるだけではない、独特の音。彼だ。
普段の彼はこんな早足ではないのだけれど、興奮しているのだろうか。やはりな、と思う。
静かに音を立てて目の前の扉が開くと、金色の瞳にギラギラとした光を湛えたレムナンが、無遠慮に部屋へ入って来た。
そして、ベッドに座る私の前に立つ。こちらを見下ろす彼の瞳の異様さがより際立つ気がした。まるで満月のようだ、と呑気にそんなことを考える。
これから、どんな目に遭うか、知っているのに。
「ここに、いたんですね。……キリエさん」
「うん」
「この船は、もう……僕達の、ものです。逃げ場は、ありません」
「……そうだね」
「皆さん、僕が……消しました……!ふふふっ、残っているのは、貴方だけ、です……!」
「……」
「僕は、ぼくがやりたい事を……やるんですっ!」
次第にヒートアップしていく彼を横目に、やっぱりこうなるんだな、と諦念を抱いてしまう。これも、いつものことだった。
そして、レムナンは私に手を伸ばして、胸ぐらを掴んで壁に……
「……?」
と思っていたけれど、彼の手は私を掴むことなく、自分の方に引っ込めてもじもじし始めた。……んん?
「……レムナン?」
「…………。」
瞳のギラつきがなりを潜めて、次第に潤んできた気がする……。あれ?
どこか既視感のある、ギラギラした光を煌めきを湛えた光に変えて、コチラをじっと見つめてきたのだ。
「僕は、貴方と……こ、恋人がする……ことを、したい、です」
「こいびと」
「汚い欲望抜きの……そんな愛し方があると、仰いました、よね?」
そうだったか。雑談を振られたときに、そんな話をした気もするが……駄目だ、全然頭が回っていない。今は自分の記憶も、何もかも信用が出来そうになかった。
いっぱいいっぱいな私の様子を意にも介さず、
レムナンは続ける。
「あの、まず…………手を、繋ぎます」
「手を」
腕や指を折るんじゃなくて?
「そして……ご飯を、一緒に……食べるんです」
「ごはん」
床に置いたお皿に、頭を無理矢理押さえ付けるとかじゃなく?
「そ、それから……あの、頭を撫でたり……その……だ、抱き締めたり……します!」
「そう……」
床に引き摺り倒して、顔面や身体を気が済むまで殴ったり蹴ったりするのでもなくて?
(……あれ?私がおかしいのか?)
いつもの『彼』の行動に、毒されているのかもしれない。
いつもなら、壁に頭を打ち付けられた後に、床に引き倒されて、怒鳴られながらも殴られて、踏んずけられたり、そして、口に出すのも憚られるような事もされてきたのだ。グノーシアの彼に敗北した、数え切れないループの中で。
レムナンに、思いがけず告白をしてしまって、返事まで貰ってしまった、あのループから。
でも、目の前の彼は、そんな激情を感じさせることもなく、まるでグノーシアではないような、普段と変わらない姿で、俯きながら手持ち無沙汰に袖を弄っていた。……金色に光る瞳だけが、異様に煌めいている。
「どうして、私?」
「?」
思わず漏れ出た問い掛けに、レムナンは不思議そうに瞳を瞬かせた。何を、当たり前の事を、とでも言うように。
「だって、僕たち、り……りょ、両想い……ですよね?」
「っ」
「だから、こうするのも……何も、おかしく……ない、ですよね?」
そう口にしながらレムナンは私の手を取る。思わず、反対の手でシーツを握りしめた。
ただ、そう短くない時間が経っても、指で肌を柔らかく撫でているだけで。両手で、大切な物を扱うように、恐る恐る触れるものだから、少しずつ強ばった手から力が抜けて行く。
何だか可笑しくなって、ちょっとだけ笑ってしまった。その反応が気に入らなかったのか、不服そうな表情をする彼に、ごめんねと謝る。
結局のところ、今、ここにいるレムナンが幸福であれば、私はそれで良いのだ。
ようやく満足したのか、撫でる指を止め、漸く握り込まれた手を軽く引かれ、 抵抗せずに引かれるまま立ち上がる。
目線が近くなったな、とぼんやり見つめていると、眉間の皺が解かれ柔らかく微笑まれた。グノーシアの彼らしくない、と彼のことを殆ど知らない私が思うのも、何だか変な感じがするけれど。
「ご飯を、食べに……いきましょう」
「…………何を食べるかは、私が決めていいの?」
「ええ、はい。……その、僕、おいしい……とか、よく分からない……ので……」
手を繋いだまま部屋を出て、私達は食堂へと向かった。
レムナンと雑談しながらのんびり歩いている私は、そこで食べさせ合いをする羽目になるという未来を、知る由もなかったのである。